新しい家族

『トイプーがやって来ました!』

新しい家族として、赤毛のトイ・プードルがやって来ました。

簡単に彼を紹介します。

生年月日:2017年11月15日
セックス:♂
出身地:静岡県
現在の体重:1.3Kg

名前:robin (クリストファー・ロビンです^^)

robin 20180220 001

お迎えしたのは、3回目のワクチンが終わるのを待っての迎えでしたので、2月16日でした。

ペットといえば、わが家では『うさぎ』

でも、犬の賢さにも以前より魅力をありましたので、うさぎと仲良くできそうな犬種を選定して

きました。

小型犬のなかで、トイプーは最も賢い犬の一匹であると知り、この犬に決めました。

robin 20180220 002

うさぎは、とても繊細な動物ですから、tiggerとは未だ同室できず、リビングに仮住まいして

います。

トイレは完全にできていますので、あとはtiggerと仲良くできれば部屋中を闊歩できる日も近

いと思います。

robin 20180220 003

社会勉強も進めなさいとのことですから、先ずはエンジンのかかっていない車にも乗って

みました。

robin 20180220 004

tiggerと一緒に公園散歩ができるように、春が来る前に訓練の日々が続きそうです。

時々、登場します。

robinもよろしくお願いします。




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戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その21

『義元の運のつき』

『桶狭間合戦記』によると、「桶狭間の山の中間、田楽狭間」と記されているから、田楽狭間

の戦いを、桶狭間の戦いといったらしい。

桶狭間の戦い進軍図
ok.桶狭間 002
*YOMIURI ONLINより借用しています。

ここは周囲が丘陵に囲まれた広さ一町余りの盆地の地勢です。

緑の丘に囲まれ、休憩にはもってこいの地帯なのです。だから今川義元も沓掛を出て大高への

進軍の途中、昼時になったので、ここを休憩の場所として選んだのでしょう。

ですが、義元はなぜ、急に道を転じて桶狭間の方へ向かったのであろうか。

地図を見てもわかりますが、大高への道は桶狭間を通れば遠回りになるのです。

この時の今川方の陣形を見ると、丸根・鷲津の砦はすでに落ち、ただ境川付近の刈屋(谷)

・緒川に織田方の水野信元がいるに過ぎない。

これに対しても大高と鳴海に陣取った今川勢の一部隊があたっているから、陥落するのも時

間の問題でしよう。

従って、もはや義元の本隊が、その近くを通り、わざわざ戦いをしかける必要はないのです。

「俺は最後の清洲攻めに采配をふるえばよいのだ」と、義元は楽観していたのでしょうか。

義元は刈屋・緒川を避け、田楽狭間を経て、桶狭間に出ようとしたのでしょう。

しかし、義元も海道一の弓取りといわれた武将なのです。

あるいは織田方の襲撃を巧みに避けようとして、沓掛から大高の城へ直行すると見せかけ、

わざと道を変更し、桶狭間の間道へ迂回したのかもしれません。

その道をかえた場所が、地の利の悪い狭間だったところに、信長のつけ入る隙があり、義元

の運の尽きるところがあった。

信長は幸運にも、義元の作戦の裏をかく結果となったのです。



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2月16日にやってきました。

名前は『robin』です。 tiggerともどもよろしくお願いします。

robin 20180219


            <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その20

『田楽狭間』

織田勢は相原付近を前進すると、そのとき新たな情報を得た。

梁田広正が沓掛方面に遣わしていた忍びの者の報告によれば、今川義元の旗本は、なぜか桶狭

間の方へ向きをかえ、すこし南の田楽狭間で小休止しているとのことである。

今川義元(戦国無双)
im. 今川義元・戦国無双 002

信長は一瞬、歓喜のまなこを輝かした。

これまでは運を天にまかせて、遮二無二に敵中に突っ込むもうと考えていたが、この知らせを

得て、何か勝算らしいものが胸中に浮かび上がるのをおぼえた。

田楽狭間といえば、その名のごとく狭い窪地である。

5千に余る今川勢は、どうしても縦に伸びざるを得ない。そこで縦に伸びたところを、旗本めが

けて斬りこめば、まちがいなく義元の鉄漿(おはぐろ)首を討ち取ることができる。

信長の脳裡には、そんな計算が電光のようにひらめいた。

それに「今川勢は、いまや鷲津・丸根の戦勝に酔い、有頂天になっておりまする。これを衝けば、

必ずや、義元を討ち取ることが出来ましょうぞ」という。

梁田政綱の言葉ぞえも、織田勢の士気を高揚させた。

織田家の興亡は、この一戦にありと知って2千の主従が一丸となり、馬の首をたて直し、田楽狭

間めざして疾走した。



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                     <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その19

『鷲津・丸根砦の陥落』

信長の軍勢が熱田神宮を南に進むと、はるかに、鷲津・丸根の方向に黒煙が立ち上るのが見え

た。

不吉な予感が信長の脳裡をかすめた。

鷲津砦跡
wa.鷲津砦跡

海沿いに行けば近道だが、ちょうど満潮の時期だったので、井戸田の方へ向かった。

それより少し前、信長は敵の目をまぎらすために、かれの攻撃目標とは別な鳴海方面に、佐々正

次などの3百の決死隊を出していた。

その中には、尾張荒子の土豪・前田犬千代(利家)もいた。

犬千代は、その頃、信長の勘気を受けて浪々の身の上であったが、桶狭間合戦のことを聞きつけ

はせ参じていたのです。

山崎を過ぎるころ、案のごとく丸根砦の佐久間盛重が悲壮な戦死をとげたことが伝えられた。

『佐久間軍記』によれば、守将・盛重は松平元康が率いる三河勢を相手に踏みとどまり、返り血

を浴びながら、夜叉のように奮闘したが、利を得ず、ついに砦に火をかけ、討死をとげたという。

この知らせを受けた織田方の将兵は、重盛らの死を悼み、信長も数珠を取りあげ、鎧の上から斜

めに掛け、怒りに満ちた顔をふり向け、

「みなの者、今日は、この信長に命を預けよ」

と、高らかに呼びまわった。

将兵らの意気は大いにあがり、善照寺において勢ぞろいしたが、ちょうど、このとき信長は義元

が沓掛を出て、大高方面に向かって移動を開始したという情報をキャッチした。



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                       <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その18

『敦盛』

信長が夜半を過ぎた頃、ガバッと起き上がった。

信長はすばやく鎧具足を身につけ、宿直の者に出陣を命じ、立ったまま湯漬をかきこみ、床机に

腰掛け、小鼓をとりよせると東の方を睨みつけ

「人間50年、下天の内にくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者有るべき

か・・・」

と、日ごろ愛謡する幸若舞曲「敦盛」の一節を唄いながら、三度も舞うと、まだ暗いうちに単騎

で清洲城を出馬した。

熱田神宮
at.熱田神宮

馬にムチ打ち、「やよ、遅れるな」

と、叫ぶ信長の後につき従う者といえば、岩室長門ら、わずか7、8騎に過ぎなかった。

しかし大手の口に控えていた武者どもも、われ遅れじと、信長の後を追い、午前8時、熱田神宮

に着くころには、3百騎ほどの軍勢が集まった。

信長の熱田参詣は、戦勝を祈願し、将士の心を勇み立たせ、さらに軍勢を集結する場所としたの

でしょう。

信長が熱田神宮を出た時には、いつの間にか18百ほどの兵団が集まっていた。

まさに寸分の無駄のない行動であったのです。


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                      <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その17

『信長の戦略』

今川の布陣を見渡せば、確かに堂々とした大軍です。遭遇戦になれば、織田勢の潰滅は免れ

ない。

沓掛城址
ku.沓掛城址

しかし、主力大軍の態勢は大高城を中心にして、鳴海城を左翼起点とし、その攻撃目標を笠

寺・星崎あたりに向けている。

ところが義元の本陣は、沓掛にあるという。

そうして沓掛から北には今川の部隊は見られない。また、四方を見ても、鳴海までの間に今

川勢はいない。

と、いうことは、本陣の右側面の無防備さを表していた。

それに義元の旗本は、せいぜい5千余りの兵力であろう。

だから義元が油断している時を狙い、北方から奇襲攻撃をかければ、必ず勝利を収めること

ができるに相違ない。

信長は、そのように計算していた。

だから5月18日の深夜、丸根の砦からの「今川勢襲来」の報告に対して、なんら驚きの色も

見せず平気で寝てしまったのです。



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                    <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その16

『信長は若干の自信があった?』

今川は駿・遠・三にまたがる大国です。

信長の方から先制攻撃をしかけるわけにもいかない。

そんなことをすれば、かえって敵中に深入りする危険にさらされる。

と、いって今川を放置しておくわけにもいかない。

いつかは雌雄を決せなければならぬ相手です。

その機会が、ついにやってきたのです。もちろん敵は我に数倍する大軍なのです。

織田信長
od.織田信長像岐阜駅前

しかし戦いには、時の運ということもある。運よく勝てば、上洛のチャンスをつかむことさえで

きるのです。

「死のうは一定、しのび草には、何をしょうぞ。一定かたりこすのよ」

若き信長が、つねづね愛舞する小唄の一節です。

「死を賭して戦うほかない」

と、彼は密かに決意したのでしょう。

冷静に考えると、信長にも若干の自身はあった。なぜなら、戦いの場は草木の数まで知り尽くし

た尾張の土地なのです。

農民らとも長年、密接な関係があるから、敵の動きも、居ながらにして伝えられ、通報にも信頼

がおけた。



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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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