「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その24

『本当のところは』

家康は千姫が助かったことに深く感動して、直盛にいった。

「かたじけない。もともとない命だった。姫をそなたに与えよう」

千姫19歳。直盛は50過ぎの色黒のむくつけき男。

それに宇喜多家の内訌のいきさつや、直盛の性格などを家康はよく知っている。

いくら感動したからといって、そんなそそっかしいことを言うわけないのでしょうが、家康は

そう言ったのだという。

徳川家康(1543-1616年)
to.家康 駿府城

いま一つもあります。

このとき直盛は家康に言った。

「千姫を救い出した者に恩賞として姫をとらせるとおっしゃたそうでございますが、たしかに

さようでございますか」

「うむ、さよう申した」

「しからば、千姫をわたしめにいただけるのでございますね」

「う~ん」

と、うなって家康は言った。

「約束だ。つかわす」

この説も苦しいです。理由は同じです。

かりに直盛が家康にそう尋ねたとしても家康は返事を濁したはずです。

風聞を聞いた直盛が本気にして、そのあと偶然に千姫を助けたものだから、自分が千姫を貰

えるものと思い込んだ・・・・・というのが真相なのでしょう。

家康が千姫を救い出した坂崎直盛に感謝したのは確かで、戦後の論功行賞で新たに5百石を

加増しています。

同じく、大野長治から護衛につけられた堀内主水は大坂方だったのにもかかわらず、家康は

幕臣に取り立て、下総で5百石の采地を与えています。



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                    <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その23

『千姫救出』

坂崎直盛は茶臼山に着いた。

家康に直接面会して、千姫を引き渡すほどの大名でない。

家康の謀臣であり、知恵袋だった本多正信に会って、しかじかと語り、正信に千姫を引き渡した。

正信は千姫を家康のもとに伴った。

茶臼山
ch.茶臼山

家康は千姫の無事な姿を見て、瞼にうっすら涙を浮かべ、いたわるように言った。

「そうか。よくぞ、無事に戻ってまいった。よかった、よかった」

家康はつづけて侍女の刑部卿局に聞いた。

「どうやって逃げてきたのか」

「かようかようです」

刑部卿局は答え、家康はいった。

「されば坂崎出羽守と堀内主水(氏久)なる者に会おう」

2人は家康の御前まで進んでひざまずいた。

家康はいう。

「大儀であった。礼をいう」

2人は声をそろえた。

「かたじけのうございます」

それだけのことだったのだが、坂崎直盛は千姫を助け出したのだから、自分が千姫をいただける

ものと思い込んだ。

以上が直盛による千姫救出の真相だと思いますが、家康との対面のとき、こんなことがあったとい

われますが、これは次回に。



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                    <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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『女城主・井伊直虎』 その31

『井伊谷三人衆』

久しぶりに歴史が動きますので、直虎に戻ってみたいと思います。

家康の道案内をしたのは、井伊谷三人衆であった。

ii.井伊谷三人衆

菅沼忠久は一族である三河野田城の城主・菅沼定盈の要望によって、この任務を引き受けた。

忠久の父・元景は井伊直親に仕え、都田に住んでいた。

そして忠久も今川に仕えた後、直親の家臣となっている。

この忠久の妻が三人衆の一人、鈴木重時の長女だった。

その鈴木重時も井伊家とのつながりが深く、妻は奥山朝利の娘でした。また、妹は井伊直満の

妻になっているのです。

つまり重時の妹が直満と結婚して生まれたのが直親でした。

さらに重時の妻の妹(奥山氏)が直親と結婚して、虎松が生まれているのです。

鈴木氏は重時の父・重勝の時、井伊領に隣接する山吉田(新城市上吉田)を領して白倉城を築

き、井伊家とは常に友好関係にあり、三方原の戦いで武田の別動隊が三河から井伊領に入った

とき、井伊分家の井平氏と鈴木氏が仏坂で一緒に戦っている。

そしてもう一人の三人衆、宇利城(新城市中宇利)の城主・近藤康用だけは、井伊家とは関係が

ない。

康用は息子の秀用にこの2年前から指図して、三河の山吉田から井伊谷周辺の地理を入念に調べ

ており、しかも菅沼・鈴木とは親密だったことから、この三家が連合して家康の遠江進出の道案

内を務めることになったのです。

近藤康用は別として、菅沼忠久と鈴木重時はまさに井伊家を主君と仰いでいた。

そしてこの2人はかつて直親が家康を頼り、今川に反旗をひるがえそうとしていたこと、そのた

め小野但馬守の諫言にあって、掛川城下で殺されたことも十分すぎるほど良く知っていた。



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                    <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>

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はじめての経験

『木更津花火は大雨でした!』

朝から雨が降っていたので、今日は中止だろうとHPをみるも「今日の花火大会は行います」

とのこと。

午後3時に確認するも、さらに「行います」とのこと。

19時10分からのスタートでしたので、早めに自宅を出発です。

木更津市内に入ると、渋滞で先に進むことができません。

しばし考えて

こんなに雨が降っていたら、カメラを持って外にでることできないでしょうと・・・。

車の中から撮れる場所はないかと。 うむ、距離は離れていますが「木更津アウトレット」の

巨大駐車場を思い出し、Uターンです。

駐車場に到着後、助手席に三脚を立てて撮影準備です。

たぶん、花火の打ち上げ場所(木更津港)から、5kmくらいの距離だと思いますが、完全に

フレームアウトです。

kisarazu 001

気を取り直して、レンズの調整です。

kisarazu 002

雨&もやで、昨夜開けたビールを飲んでいる感じです。

kisarazu 003

これは、きれいな花火でした。

kisarazu 004

木更津花火は関東の花火のなかでも、大きな花火を打ち上げることで、有名とのことです。

kisarazu 005

斜めの線は、たぶんワイパーだと思います。

kisarazu 006

最後に近くなって、雨が小降りになってきたようです。

kisarazu 008

花火は天気のいい日に見たいものですね。

kisarazu 009

皆さまの地域の夏花火は如何だったでしょうか。

口直しに、近くの花火大会を調べてリベンジしてみたいです。


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お隣はUSA

『外房・長生村の盆踊り』

長生村観光協会主催の盆踊りですから、村長さんが見えていました。

「お隣はアメリカですから、聞こえるように元気よく・・・」と、挨拶をされていましけど、和歌山や

高知などでも、お隣はアメリカと言っているのでしょうか。

芝生の上での盆踊りですから、ハダシでも踊れます。

この時間、抽選会用のうちわを配っていたので、人がいません。

2017 長生村 001

踊り子さんは少なく一周の円になりませんので、伸び伸び会場です。

2017 長生村 001-1

珍しく「生歌の盆踊り」です。 歌手は、外房でありながら「六本木ひろし」さんだそうです。

2017 長生村 002

運動会を見るように、ビニールシートを見物です。

このスタイルいいですね🎶

2017 長生村 004

2017 長生村 005

この村は電車が走っていませんので、完全に車社会です。

広い駐車場を用意されていました。

やはりアメリカのお隣の村ですね!


なぜ! 外房まで遠征したの?!

答えは、ここにあり!

2017 キャラバン 001


集え!藩士


2017 キャラバン 002
<クリックで拡大します>

今年の「どうでしょうキャラバン」は、長生村のお隣「九十九町」にやって来るのです。

昨年までは、東北・北関東でしたが、今年は南下して静岡までやってきます。

この車で行きます。 会場でお会いしましょう!

2017 キャラバン 004



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板橋の盆踊り

『富士見町盆踊り』

今年、2回目の盆踊りは、板橋への遠征でした。

この日は雨が確実に降る予報でしたが、幸いにも車から傘を持って降りなくても大丈夫でした。

かなり遅れての到着だったので、会場は既に盛り上がっていました。

富士見町 20170811 001

迫力ある太鼓は、板橋では有名な「轟太鼓さん」です。

富士見町 20170811 002

ギャラリーも多かったですが、踊る人も子供から、人生の先輩まで多くの人が踊られていました。

富士見町 20170811 003

早々と新東京五輪音頭も踊られていました。

富士見町 20170811 004

最後は、轟太鼓さんの〆太鼓でフィナーレです。

富士見町 20170811 005

雨が降らなくてよかったです!

富士見町 20170811 006



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『女城主・井伊直虎』 その30

『徳川四天王』

徳川四天王とは、徳川家康の側近として仕えて江戸幕府の樹立に功績を立てた酒井忠次・本多

忠勝・榊原康政・井伊直政の4人の武将を顕彰した呼称です。

本多忠勝(1548-1610年)
ho.本多忠勝 005

本多忠勝・榊原康政・井伊直政の3人は1590年の徳川氏の関東移封から1600年の関ヶ原

の戦いまでの時代に徳川氏の家政と関ヶ原の戦いに関わる大名工作・戦後処理に中心となって活

躍して幕府の基礎固めに功績があり、特に彼らを指して徳川三人衆とも呼んでいます。

「徳川四天王」の名称はいつから使われたかは定かではなく、「徳川三傑」については『榊原

家譜』を出典として1586年9月に使われ始めたとしています。

四天王はその後、1589年の家康関東移封時に家康配下の大名としていずれも万石以上となり、

徳川家の重臣としての地位を確立。

家康の関東転封時の家臣団統制強化策の一環として、新参の武将を抜擢する方針があり、新しく

台頭してきた本多・榊原・井伊の3名が家中で重きをなし、旧支配地の三河では東三河衆の旗頭

として古い権力を持っていた酒井は、以前の松平信康自刃事件の責任を取らされて低い禄高に甘

んじたといいます。



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Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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