戦国乱世 その19

『金力の天下統一』

もとより国衆らが握った畿内中小都市も「都」に従属した。

将軍家と細川・三好氏らが握る「都」と国衆の都市とで、都市を媒介として全国組織が成立していき

ます。

賑あう京の町
ky.京都

商人の往来や商品流通が大名領国の障壁を崩すようになります。

「都」を頂点として、西は薩摩、東は陸奥に至る経済網が張られたのです。

城下町などはその結節点で、大名領国はその網目で、なお、そこに子網が張られた形であった。

経済的には全国組織が成立したといっていいのでしょう。

「都」の町人らの全国政権出現の待望は高まります。

金力の天下統一が、武力の天下統一を一歩先んじた感があった。

もちろん金力と武力は即一的なものだったのです。



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sakura 20160926


                       <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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戦国乱世 その18

『発展する流通』

富国策で殖産興業が進められ、いわゆる特産品が現れてきた。

陶器・漆器・鋳物などで、奢侈生活品(ぜいたくひん)も生産され、茶湯の流行がうながされてい

ます。

これらの商品の移出先は京都で、都でその名を知られたものが特産品となるのです。

都はその集散地となった。

自治都市「堺」
sa.堺

もとより都から大名に軍需品や文化生活物資が送られてくる。

織物・古着などが農村にも迎えられます。

また、城下町や港町には京都や堺商人の定住も見えてき、唐人らの来往もあった。

これらが異国の珍貨や薬種・香料を商うものであったことは言うまでもありません。

遠隔地商業の発生は古くからあったが、商品流通の全国的展開が戦国大名時代に著しくなったの

です。

すでに堺の町の発展は知られますが、戦国武将の上洛が企てられた永禄年代に、その飛躍的発展

があった。

むしろ、京都・奈良を従属させるいきおいもあった。

町人の交流この3都市の一体化した「都」が出現することになる。



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pig 20160925




                        <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

真田丸 その35

『真田丸の攻防』

翌日の4日に、真田丸はまた敵の猛攻を受けた。

この前夜の夜半から真田丸の空壕の中に越前の松平忠直の兵が3、4百人忍び込み、井伊家の兵も

間近く忍び寄っていた。

ただいま真田丸工事中
sa.真田丸工事中
<NHK HPよりお借りしています>

どうした訳かというと、城方の将の一人・南条光明という男が伊達政宗に誘惑されて、関東勢を

手引きして城内にもぐり込ませる約束をした。

その南条は密計が露見して誅された、寄せ手はそれを未だ知らなかった。

てっきり城は4日の早朝には落ち、城内は混乱に陥るに決まっているので、それに乗じて真田丸に

乗り入ろうというつもりだったのです。

この朝は霧が深く、全然見通しがきかなかった、夜が明けて信繁は敵が間近く敵が迫っていること

が分かったので、直ちに射撃の命令を下して、つるべ撃ちに放させた。

塀際に取り付いている越前兵は一人残らず撃ち落され、井伊家の軍勢は撃ちまくられ、壕際に寄り

つくことも出来ず混乱した。

これを見て、出丸の中では、

「よい機(しお)、討って出しょうぞ」

と勇みたったが、信繁は首を横に振った。

「今、討って出れば、一旦の勝利は得ることができるが、引き上げの時、必ず付け入らされる。付

け入らせないようにすれば、討って出た者を捨て殺しにせねばならぬことになる。すべて城内から

討って出る時は、引き上げの工夫がある時に限るのだ」

と教えた。



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pig 20160924




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戦国乱世 その17

『戦国大名は裕福だった』

戦国大名らは交通の発達した平地に城郭を構え、そこで城下町の経営を企て富国強兵策を実施した。

城は防塞と政庁とを兼ねた大小名の権力の象徴であったのです。

天文年間になると城づくりの名人などといわれる者が出てきますが、武術・兵法書などの伝授がさ

かんになり、また、鉄砲の伝来などもあり、この頃に城もいちだんと拡大強化されます。

清洲城(模擬天守)
ki.清洲城 001

天文10年に、甲賀衆が守っていた笠置城に、伊賀衆が忍び込み放火して追い落としている。

城主の寝首や金蔵を狙う忍者の活動も始まった。

この頃、城と金とに恵まれた戦国武将が出現し、組織的に訓練された精鋭を率いて決戦に挑む時期

を迎えます。

城郭は金と当代の技術・文化の結晶で、ここに巨費が使われたのです。

戦国大名から近世初期の大名たちは、最高の富裕者であったのです。鉱山の採掘もあったが、その

多くは民衆からの年貢であった。

当然、農民らは困窮し、商工人も同じであったが、大小名に結ばれた特権者は、いくらかは恵まれ

ていたのでしょう。

ここで城下町を中心とする領域経済が発展してきます。城下町が親町で領国内の町場は枝町の関係

です。

織田信長が清州城時代、商人司に伊藤氏を任命したといいますがこの特権商人が領域経済網の網元

だったのです。


江戸時代の超高速参勤交代の時代と随分違っていたのですね。




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もう、ご覧になりましたか。

ty.超高速参勤交代

ty.超高速参勤交代 02





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戦国乱世 その16

『城郭を競う時代に』

越水城は、その名のとおり清水が湧く要害で、両細川氏のうち高国方となった河原林(瓦林)正頼

は、ここで精鋭の四国勢を食い止めています。

松永秀久(1510-1577年)
ma.松永久秀03

正頼の末路は旗頭の三好氏に疑われて切腹するという悲運となり、越水城はやがて畿内を制覇した

三好長慶が10数年も居城とし、足利将軍家さえ入城した畿内における屈指の名城でしたが、近世

初頭に廃城となっています。

1560年(永禄3)に、奈良の聖武陵の東に築城された松永久秀の多聞山城は、西日本随一だと

その宏壮華美がポルトガル人宣教師に称えられていますが、これは長慶の居城であった越水城より

も優れたものを、その家臣・久秀が造ろうとしたものだったのでしょう。

奈良の町を城下町とみなしたのでしょうか。

国衆乱立の時代、はやくも城と金力の町との兼備を図った近世的城郭が、摂津平野に現れたことが

注目されます。



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pig 20160922




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戦国乱世 その15

『裕福になる戦国武将』

戦国武将をはじめてして、戦国大小名たちは裕福になってきます。

乱世のはじまる頃、管領・細川氏の本国・讃岐では、寄子の国衆たちは小身ばかりと言われていた

が、これらは大名が搾取していたからでしょう。

しかし、自立した国衆たちはしだいに裕福となっています。

越水城址
ko.越水城址

細川政元の領国であった摂津では、突如として国衆の河原林(瓦林)正頼が出世しています。

細川氏の分裂で漁夫の利を収めたのです。

1511年(永正8)に広田神社近くの丘陵に越水城を建設します。

この城は西国街道に面し、街道の南には港町門前町として発展した西宮があります。

陸路あるいは兵庫に上陸する中国・四国勢の上洛に直面して、いわゆる平城を構えて決戦を挑んだ

正頼は勇気あったのでしょう。

しかも西宮の町の富力を握ろうという考えなのです。

まだ、城下町とはいえないが、越後・上杉氏の春日山城と高田の関係にも似ており、近代城下町の

はしりといえるのでしょう。



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少し前になりますが、作っていただいたpiglet人形です。

pig 20160921

似ていますか?

pig 20160921-01


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戦国乱世 その14

『統率された兵力』

今川義元は北条・武田両氏から、上洛に伴い留守になったところを攻められるのを恐れ、この対

策に手をうった。

桶狭間古戦場 (桶狭間訪問記は「こちら」です。)
ok.桶狭間古戦場公園 001

そして、永禄3年(1560)に駿遠両国の兵を主力とし、松平元康(家康)を先鋒として2万5

千の兵を率いて上洛を決行した。

しかし尾張の桶狭間の戦いで、織田信長の3千の兵力にもろくも屈した。

もとより、その上洛が焦燥にかられていたせいもあり、軍編成その他の準備に欠けているところが

あったのでしょう。

これを迎えた信長は、その兵力不足を智謀で補っているが、団体戦がなお未熟な時代だったことに

も救われ、本国であるから信長方は地理に明るいことも有利だった。

また、陶晴賢と毛利元就の賢島の戦も、少数兵力の戦でした。

だから水軍をわずかに加えた毛利軍に勝利がもたらされたのかも知れません。



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今やドロボーさんですが、sakuraもこんなにかわいい時期もありました。

sakura 20160920




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piglet01

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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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