加藤清正 Ⅱ その270
『降伏の申し出を聞き入れない秀吉』
このまま退陣しては、長久手の敗戦があるだけに、秀吉方は少しもよいところがない。
完全な負けとなるので、木曽川のほとりにある竹ヶ鼻城と加賀井城を陥れることにした。
秀吉自身は本願寺領である富田に本陣をすえ、部下の将らを両地につかわした。
加賀井城址(岐阜羽島市)

清正は加賀井城攻めに加わった。
この主は加賀井弥八郎といって、なかなかの勇士であった。
しかし、目にあまる大軍に押し寄せられて、恐れた。
主人である信雄にそれほどの忠誠心もなく、降伏を申し出た。
また、竹ヶ鼻城も降伏を申し出た。
秀吉は当時の武将の中では出色に情けのある人です。残酷なことは出来るだけ避けた人です。
降伏の申し出を聞き入れないことはなかった。
しかし、この時は違った。
十分な威力を示して、長久手戦のマイナスを少しなりとも回復しておくことが必要だと思ったので、受け
つけない。
「許さん。踏みつぶしてしまえ」
と、激しく命令した。
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
このまま退陣しては、長久手の敗戦があるだけに、秀吉方は少しもよいところがない。
完全な負けとなるので、木曽川のほとりにある竹ヶ鼻城と加賀井城を陥れることにした。
秀吉自身は本願寺領である富田に本陣をすえ、部下の将らを両地につかわした。
加賀井城址(岐阜羽島市)

清正は加賀井城攻めに加わった。
この主は加賀井弥八郎といって、なかなかの勇士であった。
しかし、目にあまる大軍に押し寄せられて、恐れた。
主人である信雄にそれほどの忠誠心もなく、降伏を申し出た。
また、竹ヶ鼻城も降伏を申し出た。
秀吉は当時の武将の中では出色に情けのある人です。残酷なことは出来るだけ避けた人です。
降伏の申し出を聞き入れないことはなかった。
しかし、この時は違った。
十分な威力を示して、長久手戦のマイナスを少しなりとも回復しておくことが必要だと思ったので、受け
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加藤清正 Ⅱ その269
『秀吉方の退陣』
小牧における秀吉と家康の対峙は長く続いたが、にらみ合っているだけであった。
秀吉方からしかければ、家康が相手にならず、家康からしかければ秀吉が相手にならなかった。
互いに相手の力量を認識して、大事をとったのです。
小牧・長久手の戦い屏風絵

秀吉にはそう長く尾張に釘付けになっておられない事情があった。
大坂は当分の手当だけして来ていたのです。長くなるとどんなことが起こるかも知れない。
また、家康・信雄の連合軍に手こずって戦場を動けないでいるという印象を天下に与えてはならない。
これまた天下の形勢を変化させるおそれがあるのです。
そこで、5月1日に引き上げることにした。
小牧に到着したのが3月29日でるから、満1ヵ月の対陣であった。
引上げると言いながらも、何の工夫もなく退却に移っては、優勢な徳川勢が指をくわえて見送ってい
るはずがない。
必ず猛烈、執拗な追撃にでる。
秀吉は前日に
「明日は味方総がかりで、敵と有無の決戦をする。皆々その用意せよ」
と、指令を出して、味方の気力を引き締めておいて、その朝になって、引き上げの命令を下し、備え
を立て粛々と退去した。
さすが勇士ぞろいの徳川方もつけ入ることが出来ない。見事な軍配であった。
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小牧における秀吉と家康の対峙は長く続いたが、にらみ合っているだけであった。
秀吉方からしかければ、家康が相手にならず、家康からしかければ秀吉が相手にならなかった。
互いに相手の力量を認識して、大事をとったのです。
小牧・長久手の戦い屏風絵

秀吉にはそう長く尾張に釘付けになっておられない事情があった。
大坂は当分の手当だけして来ていたのです。長くなるとどんなことが起こるかも知れない。
また、家康・信雄の連合軍に手こずって戦場を動けないでいるという印象を天下に与えてはならない。
これまた天下の形勢を変化させるおそれがあるのです。
そこで、5月1日に引き上げることにした。
小牧に到着したのが3月29日でるから、満1ヵ月の対陣であった。
引上げると言いながらも、何の工夫もなく退却に移っては、優勢な徳川勢が指をくわえて見送ってい
るはずがない。
必ず猛烈、執拗な追撃にでる。
秀吉は前日に
「明日は味方総がかりで、敵と有無の決戦をする。皆々その用意せよ」
と、指令を出して、味方の気力を引き締めておいて、その朝になって、引き上げの命令を下し、備え
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加藤清正 Ⅱ その268
『誉め上手』
秀吉は喜んだ。
「そちがついているいる故、不覚はないと思っていたが、虎の工夫であったか。小せがれに似ぬ働、
あっぱれというべきだな。茂助、虎はおれが血つづきの者であるゆえ、別して嬉しいぞ」
と、堀尾に言い、清正を差し招いて側に近づけ、
「おれは嬉しいぞ、嬉しいぞ」
と言いなら、やせた手で清正のたくましい背中を叩いた。
豊臣秀吉(1537-1598年)

その目に涙が浮かんでいるのを見て、胸がせまってきた。
こんな手柄をいくつも重ね、大身となって、上様のお力にならねばならないと、改めて決心した。
秀吉はまた、飯田覚兵衛が大胆不敵な物見をしたことを聞くと
「それを呼べ」
と、呼ばせ、
「茂助が言うていた、そちは肝に毛の生えているような勇士じゃと。おれもそう思う。あっぱれであ
ったぞ。当代無双の武士というのはそちのことじゃわ」
と、激賞した。
秀吉も、またその主人であった信長も、実に大げさな誉め方をして人であったとういう。
「日本一」とか「天下一」とか、「当代無双」とかは、彼らの常套の誉め言葉であった。
戦国武人の常で、無学のため語彙が貧しかったために、そうなったのでしょうが、人に褒められるこ
とは嬉しいものです。
その上、彼らは言葉だけのカラ誉めはしなかった。必ず賞を与えた。
十分に効果的だったのです。
この時も、覚兵衛に差していた脇差を与えて、さらに言った。
「虎はまだ小身ゆえ、その方としては飽き足りぬであろうが、今のままでいる虎ではない。
やがて大身になる。早くなるようにその方どもは励んでくれるよう。わしからもくれぐれも頼むぞ」
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秀吉は喜んだ。
「そちがついているいる故、不覚はないと思っていたが、虎の工夫であったか。小せがれに似ぬ働、
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と、堀尾に言い、清正を差し招いて側に近づけ、
「おれは嬉しいぞ、嬉しいぞ」
と言いなら、やせた手で清正のたくましい背中を叩いた。
豊臣秀吉(1537-1598年)

その目に涙が浮かんでいるのを見て、胸がせまってきた。
こんな手柄をいくつも重ね、大身となって、上様のお力にならねばならないと、改めて決心した。
秀吉はまた、飯田覚兵衛が大胆不敵な物見をしたことを聞くと
「それを呼べ」
と、呼ばせ、
「茂助が言うていた、そちは肝に毛の生えているような勇士じゃと。おれもそう思う。あっぱれであ
ったぞ。当代無双の武士というのはそちのことじゃわ」
と、激賞した。
秀吉も、またその主人であった信長も、実に大げさな誉め方をして人であったとういう。
「日本一」とか「天下一」とか、「当代無双」とかは、彼らの常套の誉め言葉であった。
戦国武人の常で、無学のため語彙が貧しかったために、そうなったのでしょうが、人に褒められるこ
とは嬉しいものです。
その上、彼らは言葉だけのカラ誉めはしなかった。必ず賞を与えた。
十分に効果的だったのです。
この時も、覚兵衛に差していた脇差を与えて、さらに言った。
「虎はまだ小身ゆえ、その方としては飽き足りぬであろうが、今のままでいる虎ではない。
やがて大身になる。早くなるようにその方どもは励んでくれるよう。わしからもくれぐれも頼むぞ」
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加藤清正 Ⅱ その268
『秀吉報告』
両隊合わせて120丁の鉄砲を撃ちたて、煙の下から300の軍勢が槍を揃えて、すさまじい喊声を
あげながら突進した。
清正くまモン

敵は郷民といいながら、5、6百もいて徳川方の武士らに煽動されて、落武者狩りくらいのつもりで
出て来たのですから、欲の皮はつっぱっていても、勇気はない。
まして恥を知ろう筈はないのです。
手ごわい反撃にあって、戦意は霧になって飛んだ。
悲鳴をあげながら、われ先にと逃げ散った。
こちらは一人の損害もなく、競い立って追いかける。
一町ばかり追い散らすと
「長追いは無用だ。集まれ」
と集結させ、隊を整えて退却にかかった。
絶対に安全というところまで遠ざかってから、堀尾隊を先頭に、清正隊を後尾にして、粛々たる行軍
に移った。
楽田の本陣に帰って、秀吉に報告した時、堀尾は、計略は清正が立てたと、特に報告した。
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両隊合わせて120丁の鉄砲を撃ちたて、煙の下から300の軍勢が槍を揃えて、すさまじい喊声を
あげながら突進した。
清正くまモン

敵は郷民といいながら、5、6百もいて徳川方の武士らに煽動されて、落武者狩りくらいのつもりで
出て来たのですから、欲の皮はつっぱっていても、勇気はない。
まして恥を知ろう筈はないのです。
手ごわい反撃にあって、戦意は霧になって飛んだ。
悲鳴をあげながら、われ先にと逃げ散った。
こちらは一人の損害もなく、競い立って追いかける。
一町ばかり追い散らすと
「長追いは無用だ。集まれ」
と集結させ、隊を整えて退却にかかった。
絶対に安全というところまで遠ざかってから、堀尾隊を先頭に、清正隊を後尾にして、粛々たる行軍
に移った。
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加藤清正 Ⅱ その267
『清正の計略』
清正は走り出て迎えた。
「無茶をする!」
とどなると、覚兵衛のひげ面はにやりと笑って、言った。
加藤清正(1562ー1611年)

「殿のおめがね通り、郷民でござる。いたしようがありましょうか」
よい家来だ、勇気といい、知恵といい、得難い家来だ、よくぞおれのような小身者に仕えてくれると、
胸が熱くなったが、
「む」
とだけ言って頷いて、堀尾に言った。
「聞かれるとおり、郷民にまぎれない由でござる。郷民の一揆勢は威力に駆り立てられ、欲とふたり
連れで出て来た者でありますれば、とりとめた勇気はない筈であります。激しく鉄砲を撃ち立て、煙
の下から槍をそろえて突き立てれば、ひとたまりもなく崩れ立は必定と存じます。両隊合してやろう
ではございませんか」
うなずいた。
「よかろう」
自分の隊に帰り、突撃の形に立て直した。
両隊揃って、弓も鉄砲も放たず、じわじわと近づいて行く。敵は矢玉を射放ったが、かまわずなお進
み、敵の姿がはっきり見えるところまで来て、一斉に鉄砲を放った。
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清正は走り出て迎えた。
「無茶をする!」
とどなると、覚兵衛のひげ面はにやりと笑って、言った。
加藤清正(1562ー1611年)

「殿のおめがね通り、郷民でござる。いたしようがありましょうか」
よい家来だ、勇気といい、知恵といい、得難い家来だ、よくぞおれのような小身者に仕えてくれると、
胸が熱くなったが、
「む」
とだけ言って頷いて、堀尾に言った。
「聞かれるとおり、郷民にまぎれない由でござる。郷民の一揆勢は威力に駆り立てられ、欲とふたり
連れで出て来た者でありますれば、とりとめた勇気はない筈であります。激しく鉄砲を撃ち立て、煙
の下から槍をそろえて突き立てれば、ひとたまりもなく崩れ立は必定と存じます。両隊合してやろう
ではございませんか」
うなずいた。
「よかろう」
自分の隊に帰り、突撃の形に立て直した。
両隊揃って、弓も鉄砲も放たず、じわじわと近づいて行く。敵は矢玉を射放ったが、かまわずなお進
み、敵の姿がはっきり見えるところまで来て、一斉に鉄砲を放った。
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加藤清正 Ⅱ その266
『肝に毛が生えている』
「危ないぞ! これ、待て!」
と、叫んだが、振り返りもせず
「剛の者には矢玉はあたらぬものでござる!」
と呼び返して、真一文字に敵に飛んでいく。
敵は気づいて、弾丸を放った。
飯田覚兵衛の墓(熊本市)

覚兵衛の足元には弾丸が砂煙を上げ、周りには羽虫のように矢が集まった。
味方の兵士らは、うめくような声を上げて、肝を冷やしたが、覚兵衛は少しもたじろがず、なお進
んで、畑を横切って堤にたどり着いたかと思うと、その陰におどりこんだ。
矢玉は変わらず周りに集まるが、覚兵衛は矢玉の隙をはからっては、首をもたげて敵の様子を伺う。
この様子を見て、堀尾茂助がやって来た。
「何をしとるのじゃ」
「どうやら、敵は武士ではなく、駆りもよおされた郷民ばらの一揆のように思えますので、見極める
ために遣わしたのです」
堀尾はしばらく凝視して
「肝に毛が生えているようなやつじゃのう、誰じゃ」
と聞いた。
「飯田覚兵衛でございます」
堀尾の方が年長でもあれば、身分も上です。
「飯田か」
堀尾はため息をついた。驚嘆と羨望のあまりであるようであった。
やがて、飯田は矢玉のすきを見、ぱっとおどりだすと、飛ぶように走り帰ってきた。
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と、叫んだが、振り返りもせず
「剛の者には矢玉はあたらぬものでござる!」
と呼び返して、真一文字に敵に飛んでいく。
敵は気づいて、弾丸を放った。
飯田覚兵衛の墓(熊本市)

覚兵衛の足元には弾丸が砂煙を上げ、周りには羽虫のように矢が集まった。
味方の兵士らは、うめくような声を上げて、肝を冷やしたが、覚兵衛は少しもたじろがず、なお進
んで、畑を横切って堤にたどり着いたかと思うと、その陰におどりこんだ。
矢玉は変わらず周りに集まるが、覚兵衛は矢玉の隙をはからっては、首をもたげて敵の様子を伺う。
この様子を見て、堀尾茂助がやって来た。
「何をしとるのじゃ」
「どうやら、敵は武士ではなく、駆りもよおされた郷民ばらの一揆のように思えますので、見極める
ために遣わしたのです」
堀尾はしばらく凝視して
「肝に毛が生えているようなやつじゃのう、誰じゃ」
と聞いた。
「飯田覚兵衛でございます」
堀尾の方が年長でもあれば、身分も上です。
「飯田か」
堀尾はため息をついた。驚嘆と羨望のあまりであるようであった。
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加藤清正 Ⅱ その265
『一揆民?』
殿軍となった堀尾茂助隊と清正の隊が引き上げようとしているところに、朝霧の中からドッと鬨の声
がおこったかと思うと、銃声がはじけ、矢がびんびんと飛んできた。
清正くん

「すわこそ!」
2人は散会を命じ、おりしかせて、待ち受けた。
清正は片鎌の槍を杖づき、敵の様子を見ていると、次第に接近して来て、霧の幕の向こうに、影法師
のようにおぼろげに敵影が見えて来た。
どうやら、武士ではなく、徳川方の武士らに駆りもようされた郷民ばらの一揆であるようであった。
しかし、はっきりとはわからない。
清正は側にいる飯田覚兵衛を呼んだ。
「ご用は」
覚兵衛はひげの濃い、目の鋭い、体格雄偉な、いかにも強そうな30男です。
清正は
「霧にさえぎられて、よくわからぬが、おれの目には、郷民の一揆勢のように見えるが、そちはどう
見る」
と、敵の方を指した。
覚兵衛は太い眉の下の目をしずめて敵の方を凝視していたが、
「拙者もそのように見えますが、念のために行って見てまいりますべ」
と言うや、敵陣目がけてダッと走りだした。
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殿軍となった堀尾茂助隊と清正の隊が引き上げようとしているところに、朝霧の中からドッと鬨の声
がおこったかと思うと、銃声がはじけ、矢がびんびんと飛んできた。
清正くん

「すわこそ!」
2人は散会を命じ、おりしかせて、待ち受けた。
清正は片鎌の槍を杖づき、敵の様子を見ていると、次第に接近して来て、霧の幕の向こうに、影法師
のようにおぼろげに敵影が見えて来た。
どうやら、武士ではなく、徳川方の武士らに駆りもようされた郷民ばらの一揆であるようであった。
しかし、はっきりとはわからない。
清正は側にいる飯田覚兵衛を呼んだ。
「ご用は」
覚兵衛はひげの濃い、目の鋭い、体格雄偉な、いかにも強そうな30男です。
清正は
「霧にさえぎられて、よくわからぬが、おれの目には、郷民の一揆勢のように見えるが、そちはどう
見る」
と、敵の方を指した。
覚兵衛は太い眉の下の目をしずめて敵の方を凝視していたが、
「拙者もそのように見えますが、念のために行って見てまいりますべ」
と言うや、敵陣目がけてダッと走りだした。
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