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上月城の戦い その7

『信長に見捨てられた上月城』

6月16日、羽柴秀吉は上洛して、軍情を織田信長に報告した。

織田信長(1534-1582年)
od.織田信長公

すると信長は、上月城を放棄して三木城攻撃に集中せよ、と命じた。

『豊鑑』によると、秀吉は

「鹿介らを捨て殺しにされては、御名がけがれます」

と、信長の嫡男・信忠に訴えたという。

ともかく、上月城は戦略的見地から、信長に見捨てられたのです。

秀吉は6月26日、高倉山の陣を去った。

もうどうすることもできない。

山中鹿介は降服を申し送った。

毛利の両川(小早川・吉川)は、

「尼子勝久が切腹すれば、他の者の命を助ける」

と答えた。

鹿介は勝久の助命を「種々懇望」したが、許されなかった。



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robin 20191211


<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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上月城の戦い その6

『危うし上月城』

毛利軍3万が上月城を囲んだ頃、羽柴秀吉は、播州三木の城主・別所長治を攻撃していたが、

この知らせを受けると、三木城攻めを中止して、上月城の東方・高倉山に陣を張った。

しかし、毛利3万に対して、秀吉1万の軍勢では、どうにも進めない。

上月城
ko.上月城

上月城は、だんだんに弱ってきた。

この様子は、5月末付けで、吉川元春の嫡男・元長が、陣中から出した書状に

「城内には尼子勝久・久綱、山中鹿介以下の由に候、水兵糧一円これなき由、落人たしかに

申候」

と、いっていることで明らかです。

秀吉は尼子主従を救おうとして、配下にいた鹿介の義子・亀井新十郎を城内に潜入させて、

「明日のあけがたに、合図するから、囲みを破って脱出せよ」

といわせた。

しかし、鹿介は

「おのれ一人助かって、軍兵を見殺しにすることはできぬ」

と、答えたという。



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上月城の戦い その5

『上月城に入城』

尼子再興の第3回戦は、意外にも早くやってきた。

天正5年(1577年)10月、羽柴秀吉が織田信長の命を受け、播磨に出陣し姫路城に入った。

上月城
ko上月城 002

そして、12月には、備前・美作・播磨の境にある上月城を占領し、一旦、奪取されたが、翌6

年3月に奪還し、宇喜多直家の家来・上月十郎を斬り、尼子勝久・山中鹿介らをこの城に入れた。

この時、立原久綱は入城に反対したが、鹿介が羽柴秀吉の勢力を頼んで、ついにこの城に入った

という。

尼子の上月入城を知った毛利は、天正6年4月、吉川・小早川以下、総勢3万の海陸の大軍で、

城を囲んだ。

尼子の残党を根絶しようとする。毛利に決意がうかがわれます。



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上月城の戦い その4

『毛利の小手調べ』

年号は元亀から天正にかわった。

天正元年(1573年)12月、中山鹿介らは、尼子勝久を主将として但馬に入った。

柴田勝家(1522-1583年)
sh.柴田勝家 03

柴田勝家を通じて、織田信長の援助を受けたからであった。

しかし、この度もまた失敗して、京都に舞い戻った。

およそ2年半も因幡に進出していたところを察すれば、この第2回戦もよく戦ったといえるので

しょう。

なにしろ相手が毛利の両川(小早川・吉川)なのです。

ところで、因幡全体が毛利氏のものになると、毛利Vs尼子の対決ではすまされない。

織田と毛利の決戦にかわって行く。

鹿介らの因幡侵入は、信長からみれば、毛利に対する小手調べだったのでしょう。



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上月城の戦い その3

『尼子10勇士』

布部山の戦いでは、尼子10勇士のひとりである横道兵庫助が戦死した。

尼子10勇士の名は世に知られていますが、

山中鹿介、秋上庵介、横道兵庫助・上田早苗介の4人は確かのようですが、他ははっきりしませ

ん。

布部山の敗戦によって、尼子の勢力はにわかに縮まった。

毛利元就の墓所(元就公のお墓参りは「こちら」です。)
吉田郡山城 007

一方、毛利軍は毛利元就が病んだので、吉川勢だけを残して他は本国に引きあげた。

再び、尼子の反撃が期待されたが、秋上庵介が利をもって誘われ、毛利に内応したことなどもあ

って、その士気は上がらなかったという。

翌、元亀2年6月14日、毛利元就は吉田郡山城で、75年の歳月に別れを告げた。

出雲にいた吉川元春は、父の弔い合戦として、伯耆の末吉城の山中鹿介を攻め、これを降した。

元春は鹿介を斬ろうとしたが、諫める者があって一命を許され、尾高(西伯郡)に幽閉された。

ところが、ある夜、鹿介は赤痢といつわり厠に通うこと10数回、うまく脱走して京都に上っ

た。

新山城の尼子勝久も、8月に城が落ちたので、京都に逃れた。

こうして、尼子家再興の第1回戦は終わった。

尼子浪人が京都に走った頃、戦国の舞台は、一代の風雲児・織田信長の意思によって、回転し

ようとしていた。


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上月城の戦い その2

『毛利軍出雲へ進出』

出雲の一角に起った尼子勢は、あなどり難いのに驚いた毛利元就は、北九州の兵を急ぎ引きあ

げ、まず大内輝弘を攻めて自害させた。

毛利元就(1497-1571年)
mo.毛利元就 001

そして大友氏との講和を図りながら、翌元亀元年(1570年)正月、毛利輝元を総師として、

吉川元春、小早川隆景が副将となって、1万5千の大軍を出雲に進出させた。

尼子軍は6千7百の兵をもって、月山の南方12kmの布部山の麓で迎え撃った。

2月14日の未明、夜来の雪が猛吹雪になった頃、中山口を守っていた横道兄弟の陣から、毛

利勢の中へ撃ち込んだ鉄砲を合図に、尼子・毛利の天下分け目の戦が始まった。

輝元の近臣のなかで、武勇に優れた田門右衛門と粟屋又左衛門が、真っ先に突進した。

それを見た横道兄弟は、雪をけたてて進み出て、手練の鉾先に討ち取った。

一方の水谷口では、山中鹿介が

「一歩もひくな、毛利勢を斬る崩せ」

と、全軍を叱咤した。

両口ともに、初めは尼子軍が優勢であったが、中山口が先ず敗れ、ついに総退却のやむなきに

至った。

鹿介もかろうじて、末次の本陣に逃げ帰った。

しかし、この布部山の戦いは、尼子復興の意気地を示した一戦であったのでしょう。



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上月城の戦い その1

『尼子再興』

永禄12年(1569年)、山中鹿介・立原久綱らは、尼子勝久を奉じて、島根半島に押し寄

せた。

これより、2年半前、尼子の根拠地月山の富田落城の後、尼子の遺臣らは諸国に放浪していた。

中でも、鹿介・久綱らは京都に潜んで、風雲に乗じて尼子の再興をはかろうとしていた。

その時が来たのです。

中山鹿介(1545-1578年)
ya.山中鹿介 002

永禄11年以来、毛利・両川(小早川・吉川)の主力は九州に出陣し、筑前立花城を巡って、

豊後の大友宗麟勢と死闘をくり返したのです。

鹿介らは京都東福寺の僧であった新宮党の遺子を還俗させ、尼子勝久と名のらせ、主将に迎え

た。

そして、大友氏と連絡をとり、永禄12年の春、京都を出、但馬へ入り、海賊の頭目・奈佐日

本之介の兵船に乗って、隠岐へ渡った。

そうして、6月23日の夜半、尼子軍は出雲上陸をした。

尼子勝久らは千酌湾に入り、忠山に陣を据え、尼子再興の檄を八方へ伝えた。

3百の兵は、たちまち3千に増したので、尼子軍は新山城を抜き、末次(松江市)に城を築き、

6千になった兵力で、月山富田城に迫った。

しかし、戦は富田の城将・天野隆重の計略にひっかかり、たやすく落ちなかった。

やがて、山中鹿介らの戦略はだんだん効果をあらわし、備前の宇喜多直家が西進の機会を伺

い、豊後の大友氏が、大内の親族・輝弘を山口に進出させて、毛利挟撃の態勢は整った。



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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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