100万回

『みなさまに感謝です!』

ブログを始めたのが2009年5月6日ですから8年足らずで、アクセスカウンターが100万回

を突破しようとしています。

ka.カウンター


こんな拙いブログにお付き合い戴けることに、『感謝』するばかりです。

たぶん、1,000,000回の数字が出るのは、今週の日曜になると思いますが、100万回目に

訪問頂いた方には記念品でも出さないといけないですね。

カウンターは右下に設置してありますので、チョット確認して戴けると嬉しいです。


100万回を区切りに、数年前は「休止かな?」とか思っていましたが、現在は皆さまのブログ

を楽しく拝見させて頂いておりますので、もう少し続ける予定です。

お付き合い戴ければ嬉しいです。

100万回の声掛けをお待ちしております。

よろしくお願いいたします。



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pig 20170225
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テーマ : あれこれ
ジャンル : 学問・文化・芸術

「夫を餓死させられた満天姫」 その29

『三従の教え』

明治から昭和にかけての歴史学者で渡辺世祐という人がいます。

先学の書をなぞっているに過ぎない学者が多いなか異彩をおられた学者です。

渡辺氏はわざわざ弘前まで出かけていって杉山氏(石田)の後裔を訪ねています。

弘前城辰巳櫓
hi.弘前城辰巳櫓

勇んで弘前まで出かけて行ったが、期待した収穫はなかったとされています。

三成について調べ始めたら、その子孫が生き残っていて、なんと大坂から気の遠くなるほど離れ

ている。

津軽の津軽家の旧臣・杉山氏がそうだと教えてくれた人がいたということです。

情報を入手することが困難であった明治時代末期の渡辺氏に耳に入るくらいだから、同じ時代を

生きた満天姫の耳にそのことが入ったとしても不思議ではなかったのです。

入ったとして満天姫は、腰をぬかさんばかりに驚いたことでしょう。

三成の養父(家康)の仇敵である。またかつての舅(福島正則)にとっても仇敵だった。

その三成の娘が御国御前になって、婿殿が寵愛しているというのです。

「信じられない。嘘でしょう」

反問するように、教えてくれた者を問い詰めたことでしょう。

「本当です」

教えてくれた者はいう。
では直ぐに教えなければ…という訳にはいかない。

教えれば夫・信枚の立場がなくなる。なんらかのお咎めを受ける。

家にあっては父に従い、嫁いでは夫に従い、夫の死後は子に従う。

「儀礼」にある三従の教えですが、三従の教えを知らなくても、室としてやってはならないこ

とぐらいは分かる。

教えてくれた者に、このことは口外無用といって口止めしたのでしょうか。



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ah.アヒル


                  <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫を餓死させられた満天姫」 その28

『三成の娘は美人であった?』

津軽家もずいぶんと大胆不敵なことをやってのけたものです。

問題は江戸の満天姫が、三成の娘・辰子の存在を知っていたかどうかでしょうが、知っていたら

どう対処したのでしょう。

弘前城
hi.弘前城 005

満点姫は26歳の姥桜になって信枚に嫁いだから引け目があるとはいえ、むろん女ですから気

になります。

弘前には正室同然の扱いを受けている大館御前(辰子)といわれている御国御前がいるらしい

がどんな女性なのうだろう?

いくつなのか?

お付きの侍女にそれとなく尋ねる。

侍女はむろん満天姫の味方です。

探る。

探って、大館御前は何者かと分かったのでしょうか。

津軽の杉山家は石田三成の流れであることをひた隠しに隠していたという。

それはそうでしょう。

東照宮君家康公に逆らった逆賊の流れというのは、どんなことがあっても表沙汰にできない。

ですから大館御前も素性もひた隠しに隠したのでしょう。

しかし、人の口に戸は立てられません。




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              <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫を餓死させられた満天姫」 その27

『三成の娘は美人であった?』

三成には正室との間に男子3人、女子3人がいた。

いずれも大坂の屋敷にいて、そのうち長男と3男は命をながらえるべく出家して命をながらえるが、

当時12歳だった次男は屋敷を抜け出て、遠く奥州津軽に落ちる。

三成の子孫を囲った津軽藩 (弘前城登城記は「こちら」です。)
hi.弘前城 001

三成が津軽家のために大いに便宜を図っていたから、庇護して貰えるかも知れないと伴の家来が

考えてことであったという。

三成の次男がはるばるやってくる。これは津軽為信も驚いたことだろうが、頼ってきた12歳の子供

をむげには扱えない。

杉山という姓を与えて保護したのです。

それが津軽杉山家の祖で、2代の八兵衛吉成には津軽家に仕えて、菜地千石を頂戴した。

千石といえばたいした高禄ですが訳があるのです。

3人いた娘のうち2人は、関ケ原の戦いの前に嫁いでいて、ひとりは妹で12歳の兄と一緒に奥州に

落ちて、津軽家を頼ったといいます。

その時9歳でした。

満点姫が津軽信枚に輿入れした慶長16年には20歳になっています。

この辰子という名の妹は満天姫と違って美人であったという。

三成は鼻筋の通った秀才面の2枚目だから、娘が美人に生まれても不思議ではなく、満天姫が信枚

に嫁いだとき、辰子にはすでに信枚の手がついていたのでしょう。



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               <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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三浦海岸桜まつり

『三浦半島はもう春でした』

2月11日~3月12日まで「三浦海岸桜まつり」が開催されていますので、行ってきました。

京浜急行の線路沿いに満開の河津桜が美しさを競演していました。

20170216 河津桜 001

20170216 河津桜 002

青空にピンク色の桜、きれいです

20170216 河津桜 003

ここは春です

20170216 河津桜 004

20170216 河津桜 005

ランチは友と一緒に、どぶ板通りで楽しく

20170216 河津桜 011

横須賀港は有数の軍港ですね。

20170216 河津桜 010

20170216 河津桜 006

河津桜は開花時期が早く、花が大きくピンク色

20170216 河津桜 007

20170216 河津桜 008

きれいですね

20170216 河津桜 009

帰りは時間が掛かりますけど、旅を楽しむためフェリーで

20170216 河津桜 012




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『女城主・井伊直虎』 その6

『束の間の井伊谷の平和』

直盛は娘が還俗して手元に帰ってくることをあきらめ、後継ぎとして亀之丞を養子に迎えること

を決め、直親の名を与え、一族の奥山因幡守朝利の娘と祝言を挙げさせた。

ii.井伊直虎 001

直親はこうして井伊宗家の人となったが、さすがに直虎のいる本丸に妻と一緒に住むことは、は

ばかられたのでしょう。

祝田村に新たに屋敷を構えます。

井伊谷城居館の本丸から南へ2.5kmほど離れたところのその屋敷はあったと推定されますが、

現在、具体的にはわかっていません。

娘との結婚は実現しなかったが、直親をわが子とすることができて直盛は安堵した。

直盛はもともと信仰心の篤い当主だったが、直虎が帰依したこともあり。30代の若さながら南

渓和尚に傾倒し、寺社への信心を深めたという。

始祖・共保の出生の井戸を中心に東西南北の境を決めて、往来の者は下馬して通ることを決め、

その場所を龍潭寺に寄進した。

また、龍潭寺の末寺の堂宇、さらに領内の八幡宮の社殿など次々に建立しています。

それは直盛の時代、束の間の井伊谷に平和が訪れたことを物語ることでしょう。



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               <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>

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「夫を餓死させられた満天姫」 その26

『三成の娘が津軽家に』

当初は気付かなかったと思われますが、弘前には夫・津軽信枚の御国御前がいて、その御国

御前はこともあろうことか、あの石田三成の娘であったのです。

石田三成
is.石田三成 001

伊豆から北に流れる鹿野川は西へ大きく迂回して太平洋に注ぎます。その手前に三枚橋という

橋がかかり、橋の西側に城があった。

沼津の三枚橋城で、江戸時代に入るといったん破却されたが、この三枚橋城で津軽為信は嫡子

・信建(信枚の兄)を伴って、秀吉に拝謁して津軽3郡を安堵されています。

その後、津軽為信は石田三成に烏帽子親になってもらって嫡子・信建の元服の儀式をとり行い、

それがきっかけで為信は三成に接近していたのです。

当時は三成と千利休が秀吉の秘書のような立場で幅を利かせており、以後、津軽為信はなにか

と三成の世話になっていたのです。

その三成が慶長5年に関ケ原で敗れたあと、その娘が遠く奥州津軽に落ちて来たのです。



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やんちゃ盛りでカメラに収めるのが難しいTiggerです。

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                <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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