SMARTいじり その2

『シートベルトと仲良くするために』


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スマートくんの今週のアイテムはこれです。

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シートベルトが肩に食い込むのは辛いですよね。

先ずは、パットがはめられるように、「これ」(ロック止め)を下方にずらします。

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これでパットが入るスペースができました。

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う~ん。SMARTの文字だらけになってしまいました。

20170625 004


【郡上おどり in 青山】

今年も、6月23日(金)、24日(土)に秩父宮ラクビー場駐車場で、郡上おどりが開催され

ました。

今年は24日(土)に参加しましたが、天気が良かったのと土曜日ということで、会場は溢れる

人が郡上おどりを楽しまれていました。

例年は、ラクビー場入口の階段から写真が撮れるのですけど、今年は近づくこともできません。

従って、写真がありませんので、写真は2014年の郡上徹夜おどりの写真です。

20170625 005


郡上に、もう2年行っていません。今年は行ってみたいですね。



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『女城主・井伊直虎』 その23

『家康に恭順の意思』

甲冑に身を固めた直虎は、家臣を従えて馬を走らせていた。

井伊家領内に入って来た徳川家康に敬意を表し、国境まで出迎えるためであった。

これは井伊家一族が家康に味方することを、当主として正式に伝えるためであり、請われれば

一族のしかるべき者をつけて、道案内もさせるつもりであった。

直虎 016


記録として残っていませんが、こうして井伊家は家康軍の進軍を歓迎したのでしょう。

長年にわたって制圧され、苦しめられ、多くの犠牲を払わされてきた今川氏と決別する時が、

いままさに訪れたと直虎は判断したのです。

一族一門は井伊家領内に入って来た家康軍に武器を置いて道を貸し、恭順の意思を示した。

直虎は今川氏に地頭職を罷免されたとはいえ、その罷免した張本人の氏真自体が武田信玄に

攻め込まれ。駿河国はおろか、今川館のある駿府までも追われ、遠江の掛川城まで逃げて、

今川氏の政治機能は完全に崩壊していたのです。

だから今川氏が直轄領とした井伊谷は、小野但馬守が井伊谷城を抑えたものの、主家・今川氏

の崩壊でうやむやになり、事実上、領地はそのまま井伊家が所有したままであったと思われま

す。

つまり直虎は地頭職を罷免されて、徴税権、警察権、裁判権の権限を失ったが、井伊家が井伊

谷を追われて滅亡することは免れていたのでしょう。

そして井伊谷城の小野但馬守は、家康からも、また井伊家からも、許せぬ敵として攻撃の標的

になるのです。



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                      <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その26

『実家に帰される於長』

秀吉と秀次が争う。

仮にそういう事態になったとして、どちらの味方をするのがいいのか。

答えは、ひとつです。

秀吉だ。秀次だと答える者はいない。

誓書になんの意味があるというのか。

豊臣秀次(1568-1595年)
to.豊臣秀次

なのに、不安におののいた秀次は誓書というのを思い立ち、長重ら側近に誓書を差し出すように

いい、さらに諸将諸侍にも誓書をもらってこいと命じた。

長重はもちろん逆らった。

「誓書に意味はありません。またそのことが太閤殿下に知れたらただではすみません」

秀次は眉を引きつらせていう。

「口答えを致すな。余の命じたとおりにすればよい」

長重は側近の家来です。

それ以上は逆らえずに従ったが、恐れていた結果を迎えることになった。

屋敷に帰り着くと。

「一大事にござります」

長重が帰って来るのをいまや遅しと待ちかねていた家来がいう。長重がいう。

「父上の身になにかあったのか」

「そうです。伏見の屋敷から使いがあり、所領を返上して、御沙汰があるまで伏見の屋敷で蟄居

するとのことです」

「ついては、於長殿を実家にお返しするようにと」

「そのこと、於長には?」

「まだ申しておりませぬ。若殿からおっしゃってください」

長重は於長の部屋に向かう。

「いよいよ、来るべきときがきた」

於長は従容としていう。

「わたしもお供つかまつります」

「古来、夫になにかあったからといって、妻が夫の供をするという仕来りはない。また、そなたを

実家に帰すようにとの父上からのことづてだ。舅(忠興)殿は伏見の屋敷におられる。伏見の屋敷

にお届けする。支度をするがよい」

於長の目にはみるみる涙があふれ、泣き崩れる。



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pig 20170622


                  <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その25

『於長の不幸の始まり』

前野長重と於長の結婚生活が幸せだったのは、お拾が生まれるまでの2年4ヵ月に過ぎず、お拾

いが生まれてからはむしろ不安におののく毎日であったでしょう。

聚楽第
ju.聚楽第

行く手に不幸が立ち込めており、その不幸が訪れるのを今日か明日かと待つ毎日だったのです。

それでも秀次が思い直して、関白の座を返上してくれるかも知れないというかすかな期待があった

のでしょうが、長重が誓書を差し出され、それを於長に打ち明けてからは、不幸がいつ訪れるのか

を待つ毎日から、地獄がいつ訪れるのかを待つ毎日に変わった。

そしてとうとうその時がやってきた。

父・前野長康とともに伏見の評定所に呼ばれていった木村重茲が帰って来てしかじかだという。

すると、これから屋敷に帰り、死に支度をしなければならないということで、

「それがしはこれにて」

と長重は秀次に断って御前をさがった。

木村重茲も同じくさがる。長重は重茲に聞いた。

「父上は?」

「三成殿に呼び止められて、なにやら話し合っておられた。まだ帰って来られぬところから察する

に、なにかごたごたがあったのかも知れませぬ」

誓書のことで、三成から耳打ちされたに違いないと考えざるを得ない。

「失礼します」

と、言って長重は聚楽第を後にした。



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                 <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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SMARTいじり その1

『SMARTクンをクルマらしく』

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SMARTクンがわが家にやってきて3週間がたちました。

プリウスを近くの駐車場に追い出し、ゲタ代わりのSMARTクンが自宅駐車場に鎮座しています。

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SMARTくんは、600CCでありながらターボ搭載で、アクセルを踏むと軽い車体もあいまって

元気よく走ってくれます。

しかし、高年齢の車ですから装備や消耗品の部品等はメンテナンスが必要な状態です。

ゲタ代わりの車ですが、安全性を考えるとバックモニタが必要であろうと、モニター(ナビ)と

カメラを設置することに。

カメラ取付をショップに依頼しようとするも、極小車でも外車です。想定外の値段を提示され、

自分で取り付けることに。

なんと、この車は車内配線をするにも内装を外すのではなく、樹脂でできた外装パネルを外す

のです。

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このように外れます。

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バックカメラというより、監視カメラのようです。

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ナビはメモリナビですからポン付けできますが、カメラにバック信号を供給するのに、苦労しました。

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さて、次はこれです。 なんでしょう?

純正品は高いので、社外品をネットで購入しました。

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リアハッチのダンパーが、ガスが抜けて止まってくれません。

この写真は右を交換した後ですから、片方で支えてくれています。

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このダンパー交換は簡単にできますので、社外品ですから長持ちしないと思うますが、また交換

すればいいやーですね。

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古い外車を維持するには、社外部品の利用とDo it myselfで楽しみながら可愛がっていこうと思い

ます。



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『女城主・井伊直虎』 その22

『武田氏の駿河攻略』

武田信玄は永禄11年(1568年)12月6日、駿河攻略を果たすため甲府を出発した。

但馬守は井伊谷の城代として栄達にひたる余裕もなく氏真に駿府に呼び出され、命じられるまま、

今川勢の一翼を担って薩摩峠に出陣した。

だが12日、信玄の甲州勢は今川勢を撃ち破った。

直虎 015

そして翌日、駿府に乱入し、氏真は抗戦する軍勢も整わないまま、駿府を捨てて、忠人の朝比奈

氏を頼って掛川城に逃げ込んだ。

但馬守も必死に逃げて井伊谷に脱兎のごとく逃げ帰ってきた。

「それ見たことか」

直虎も井伊一族の者たちも、その体たらくを笑った。

信玄は簡単に駿河を掌中にした。今川氏の滅亡を誰でもが予測する。

一方、27歳の家康も自ら動いた。

永禄11年12月、家康は信玄が駿府に攻め入ろうとしていると聞き、遠州を経略しようと岡崎城

を出馬した。

『改正三河後風土記』は、次のように述べている。

まず井伊谷の城を攻めようと三河野田城(新城市)の城主・菅沼貞盈に案内役を命じた。

そもそも井伊谷城とは今川の被官である井伊信濃守直盛の居城だったが、直盛は永禄3年の桶狭間

での今川義元の最後と時を同じくして討ち死に。その一族の肥後守直親が遺跡を継いで城を守った

が、これも被官の小野但馬守にあえなく討たれ、幼児の虎松は三河方面に漂泊した。家康はこの月

の朔日、大井川辺(これは違うとの指摘があります)へ陣を張ったが、ここへ菅沼貞盈が参陣して

「この城(三岳城)は、はなはだ要害の地に築いた城なので、力攻めすれば空しく月日を費やし、

将兵も多く損ないましょう。私の一族に菅沼忠久、近藤康用、鈴木重時の3人がいますが、3人は

いずれも井伊谷の豪傑です。この3人に恩を施し味方に招けば、この城は戦わずして手に入りまし

ょう」

と申し上げた。

家康は

「その申すところ、もっともである」

として、井伊谷の近くまで馬を進められ、菅沼・近藤・鈴木の3人に知行の宛行状を渡した。

と記しています。

迫る家康の軍馬の音に小野但馬守は怯え、直虎は期待に胸を弾ませたことでしょう。



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その24

『古参の家来』

木村重茲は江州駆付衆、秀吉が長浜に城を持ったとき以来の古参の家来で、詰問はどれも噂の類。

そんなことを問題にされるのは心外だと反駁した。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 002

そこで三成は止めを刺すようにいった。

「誓書一件は如何。これについてどう弁明されるのか」

前野長重も木村重茲も誓書の一件は知らなかった。

弁明ができず、評定所を出ようとしたところへ三成が前野長康を呼び止めた。

「ひと足お先に」

と木村重茲は聚楽第に向かい、前野長康は

「なんでしょう?」

と三成に聞いた。

「実は・・・」

と三成は出雲守(小太郎)長重が誓書を差し出しており、また諸将諸侍に誓書を差し出すように求

めたと言った。

長康は聚楽第に向かわず、新しく建てた伏見の屋敷に帰って家来に言った。

「所領を返上して、(秀吉の)御沙汰があるまで蟄居する」

木村重茲は聚楽第に戻り、秀次に事の次第を報告して言った。

「このうえは伏見に赴かれ、みずから弁明なされませ」

「相分かった」

と秀次は言った。

普通なら、すぐさま一騎駆けしてでも伏見に出かけなければならないのだが、この期におよんでも

腰が重い。

秀次は言った。

「明日、でかける」



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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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