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明智光秀 season2 その28

『光秀の性格を重視した場合の考察』

光秀が知識人で、古い文化を身につけた人物であったことから、行儀が正しく、態度に重々しいと

ころがあり、性格もまじめで誠実であったのでしょう。

これに比べ、信長は天性の野人で、いたずら好きで、わがまま者です。

彼は誰に対してもいたずらをし、無礼を働いた。

明智光秀(1528?ー1582年)
ak.明智光秀

甲州征伐から凱旋する時、信長は東海道を取って富士山を見たいと思った。

前関白で、この時期に太政大臣であった近衛前久は信長に同行して甲州に来ていたが、同行したい

と望んでところ、信長は馬上

「近衛、わごれ(和御料)などは木曽路をのぼりませ」

と言い捨てて通り過ぎたという。

天皇に次ぐ尊重な身分にある前関白、現太政大臣殿下に対してもこうだったのです。

信長は誰に対しても無礼であり、いたずらもしたのです。

その信長の目から見るとき、光秀のように生真面目で礼儀正しく、態度の重々しい人間は、もった

いぶっているように思われ、いたずら心がムズムズとそそられ、からかってみたくなり、苛めてみ

たくなりもしたのでしょう。

この意味では、秀吉もまた信長のいたずらのいい対象であったに違いないのでしょう。

チビで、サル眼で、色黒の醜悪な顔をして、こまめに走りまわっている秀吉が、いたずらの対象に

ならない筈がなかったと思います。

秀吉は、天性横着者で、ものにこだわらない性質なので、さらさらと受け流して、これを腹に残さ

なかったが、光秀はそうはいかなかった。

真面目な性質だけに、真正面から受取り、人一倍に苦悩したことでしょう。

そのため深い怨恨となって胸中に積み重ねられ、ついに無防備な姿でいる信長を見たことによって

爆発したとみてもいいのではないでしょうか。


私は個人的に、この「光秀の性格を重視した場合の考察」がお気に入りです。

光秀は、どんな思いで逆臣となったのでしょうかね。

来年の大河ドラマは「渋沢栄一さん」ですから、大河ドラマ記事は一年お休みいたします。

明智光秀 season2にお付き合い戴きありがとうございました。



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robin 20201227



<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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明智光秀 season2 その27

『歴史学者の考察』

歴史学者の高柳光寿博士(1892-1969年)は、これらが記載された書物が信用できないも

のであることを説いて、これらの説を痛快なまでに否定しています。

しかし、怨恨説についての個々の通説は信じないが、光秀が信長に対して怨みを含んでいたことは

事実であろうと言っているのです。

本能寺の変(1582年)
ho.本能寺の変 002

そのよりどころは、光秀が信長を倒した後、小早川隆景に送った書状だという。これの原本は伝わ

っていないが、全文が別本川角太閤記に載っていて、

その一節に

「然れば、光秀のこと近年信長に対して憤りを抱き、遺恨黙止(もだ)しがたく、今月2月、本能

寺において信長父子を誅し、素懐(そかい)を達し候」

とあると言っている。

また、桑田博士は明智軍記の信長が光秀から近江・丹波の旧領を取り上げて、そのかわりに出雲・

石見を与えると言った記事も、ある程度認めて、そのよりどころを丹波の「人見文書」と「言継

(ときつぐ)卿記」に求めています。

「人見文書」中には織田信孝が四国出陣のため丹波の国侍に与えた天正10年5月14日付けの軍

令書があるから、この頃に光秀の丹波における軍事権は取り上げられたと見て、この処置に対して

斎藤利三が憤慨反抗したことが「言継卿記」にあると説いている。

それなら、高柳博士はどこに光秀の謀反を求めたかというと、信長が最も無防備な本能寺に来てい

たので、ふっと光秀の胸に天下取りの野望が兆したのだという。

当時の大名で力量才覚に自信ある者は、みな天下が欲しかったのだから、チャンスがあった場合は

何の不思議もないと説いています。



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robin 20201226




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明智光秀 season2 その26

『危惧説』

その1

ある時、信長が森蘭丸に

「どこでもそちの望む土地をやろう。どこが欲しいか」

と言ったところ、森蘭丸は

「亡父の領地をいただけますなら、この上のうれしいことはござりませぬ」

と答えた。蘭丸の亡父・森可成の旧領とは、光秀の領地近江滋賀郡です。可成は坂本の近くの宇佐山

城主であったが、1570年に浅井・朝倉の連合軍のために戦死したのであった。

森蘭丸(1565-1582年)
mo.森蘭丸

信長は蘭丸の孝心をあわれみ

「3年待て、3年たったらそちにやろう」

と言った。

このことを人づてに聞いた光秀は

「3年後には、おれの身はあぶないぞ」

と恐れ、先手を打ったという話。


その2

これは明智軍記に出ている説ですが、ご馳走役を取り上げられて光秀が憤懣しているところへ、信長の

上使が来て、中国出陣を命じた上

「その方に出雲・石見を与える。しかしながら、今の丹波・近江は召し上げる」

と、言い捨てて帰った。

出雲・石見は、まだ毛利の分国です。それを与えるから、今の土地は取り上げるというのです。

光秀も家臣も茫然として、闇夜に迷う心地がした。家臣らは憤激して

「沖にも出ず、磯にも寄らぬ風情の頼りなき身となり果て、所々屍をさらさんこと悔しき至り。佐久間信盛、林

通勝、荒木村重など、先例のなきことではござらぬ。当家を滅ぼさんと信長公の御所存のほど、明らかでござ

る。」

と謀叛を進めたので、光秀も決し

“人知らぬ人は何とも言えば言へ

 身をも惜まじ名をも惜しまず”

と、詠じて坂本城へ向かった。



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<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎)>

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明智光秀 season2 その24

『計画説』

次は久しい計画であったという説です。

その1

光秀は、武田勝頼と示し合わせて反逆しようとして、このことを勝頼に申し送ったが、勝頼は計略と

見て相手にしなかったという。(甲陽軍艦)

武田勝頼(1546-1582年))
ta.武田勝頼公

細川家記には、この説を発展させて、徳川家康に同道して武田の一族・穴山梅雪が安土に来たので、

以前、勝頼に内通を申し込んだことが、梅雪によって信長に告げられた、こと露見に及んだことを恐

れて、反逆したと書いている。


その2

これは老人談話にある説ですが、光秀の謀反の企ては久しいものであった。

その証拠に、光秀は亀山に城を築いた時、これを周山(しゅうざん)と名付けている。

すなわち、周の武王を気どり、信長を殷(いん)の紂王(ちゅうおう)に見立て、武王が諸侯の身を

もって暴悪な天子・紂王を伐った故事になぞらえたものであるといっている。

さらに、付け加えて

光秀という人物は、小心なきまじめな性質であり、秀吉は何でも明け透けに言う豪放な人柄であった。

光秀の亀山築城の頃、秀吉は光秀に

「ぬしは、謀反のために亀山に夜普請して城づくりをしているそうだの」

とからかうと、光秀は

「やくたいもないことを言われる」

と苦笑したと書いている。



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<参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎)>

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明智光秀 season2 その24

『怨恨説 Ⅳ』

家康のご馳走役を命ぜられて、光秀が準備に力を尽くしているとき、いよいよ明日家康が安土に到

着するという日、信長が光秀の屋敷に検分に行ったところ、門前まで差し掛かると、プーンと生臭

い魚の臭いが漂ってきた。

岡崎城の家康公
to.徳川家康 岡崎城

梅雨時のむしむしと暑い日のこと、吐き気をもよおすようであったという。

信長はカッと怒り、家に駆け込み

「うぬは腐った魚を徳川殿に食わすつもりか! この胸悪い臭気はなんだ。この様子では大事な客

人のご馳走役など思いもよらぬ」

とどなりつけ、ご馳走役をとり上げて堀久太郎に代わらせ、続いて中国へ出陣を命じた。

光秀は

「面目を失った」

と言って、用意した肴から諸道具に至るまで安土城の濠に投げ込んで安土を立ち、坂本城へ向かっ

たという。

(川角太閤記)

以上が、怨恨説の代表的なものになっています。



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