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『直江兼続』 その42

『現代人に示唆する兼続の誇り』 その2

【直江状で見せた勇気】

勇気には、有名な「直江状」が挙げられます。

直江状は現在では研究者によって偽書ともいわれますが、内容は兼続らしい。

直江兼続(1560-1619年)
na.直江兼継 001

豊臣秀吉が死んだ後、政権を支えていた五大老はそれぞれの思惑を前面に出しはじめ、特に徳川家康は

露骨だった。

上杉景勝は家康の勧めで領地の会津に戻った。

ところがにわかに武装を強化しはじめたことを、近くに領地を持つ、ごますり大名が家康にこのことを告げ

た。

家康は

「にわかに武備を強化するのは、豊臣家に対し謀叛を企てていると誤解される。至急上京し弁明されよ」

という旨の詰問状を送らせている。

これに対し、直江兼続は長々と反論を述べています。

直江状は長文ですので、要約すると

・上方の大名たちは、つまらぬ道具にうつつをぬかしているが、東北の田舎大名である上杉家は、武勇を

誇る家柄であるので、主人が上方にいたときに怠りがちだった部分を補完しているに過ぎない。

・もし、この申し立てに不満があれば、どうぞいつでも討伐の軍を差し向けられた。はばかりながら、上杉

家一丸となってお相手つかまつる。

詰問状よりも、兼続の返答のほうが挑戦的だったのです。



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pig 20150701


                                       <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

『直江兼続』 その41

『現代人に示唆する兼続の誇り』 その1

【兼続の気骨】

人間の魅力は、風格・人望・愛嬌などを混合した一種のオーラによることが多いのでしょう。

しかもその魅力は、必ずしも自然発生的なものではなく、本人が生まれつき持っているものでもなく、後天的

に、いわば生涯学習的に「自己努力によって生み出されたもの」もたくさんあると思います。

伊達政宗(1567-1636年)
da.伊達政宗

直江兼続の場合も正にその典型であったのでしょう。

直江兼続の他人を魅了するオーラは、気骨・勇気・決断力・行動力・愛・教養などの要素によって成り立ち、

時に応じて、これらの要素が力を発揮しています。

気骨の例としては、伊達政宗との確執があります。

政宗の黄金自慢については、以前、記事にしましたので、こちらをご覧ください。こちらをご覧ください

また、同じ政宗についてこんなエピソードがあります。

大坂城で政宗と兼続がすれ違った。

しかし、兼続は知らん顔して通り過ぎる。

政宗が呼び止めた。

「直江殿ではないか。なぜ挨拶ぬきで通られる?」

これを聞くと兼続は、はじめて気がついたように政宗を見てこう言った。

「これは失礼、伊達殿については、いつもうしろ姿(逃げる姿)ばかり見てまいりましたので、気づきません

でした」

周囲の人間は顔を見あわせ。

しかしこれは兼続にも計算があったのでしょう。

彼は会津の領主・上杉景勝が越後からここに移したのは、あくまで伊達政宗に対する押えとしてであり、

その辺をよく心得ている兼続は、相手が政宗であり突っ張ってみせたのです。

一種の駈け引きで、兼続の策謀家たる面白躍如であって、他の人間には対してはこんなことはなく、政宗

に対する意地と、上杉家家老としても誇りがそうさせたのでしょう。



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pig 20150630-3


                                       <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

『直江兼続』 その40

『上杉鷹山が師と仰ぐ』 その3

【景勝と兼続の二人三脚】

1604年9月、近江国および和泉国から鉄砲造りの職人を招き、白布高湯で鉄砲千丁を鍛造させています。

現在、白布温泉に「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」と刻まれた石碑を建て、その業績を讃えています。

直江石堤 (兼続の功績を訪ねての記事は「こちら」です。)
na.直江石堤 001 na.直江石堤 002

また、兼続は米沢城下の拡張にあたって、松川の洪水から町や田畑を守るため、大規模な堤防を築いてい

ます。

これが直江石堤と呼ばれるもので、現在でも基礎が残っており、「直江堤公園」として整備されています。

兼続はさらに生き残り工作として、1604年、家康の腹心・本多正信の次男・政重を娘のお松と結婚させ、

直江家の婿養子に迎えています。

兼続は越後時代の1593年にも、本庄与次郎という男を養子にしています。本庄氏は、かつて上杉謙信に

反旗を翻した一族であったが、彼らを取り込むことで、景勝の越後支配体制を強化したのでしょう。

このように兼続はかつての敵であった者の子息でも、養子として取り込む度量の大きさがあったのです。

米沢城の景勝と兼続
ue.上杉景勝&直江兼続

こうして兼続の判断をすべて承認し、兼続のやりたいようにやらせてくれる主君・上杉景勝であり、彼はある

意味では、兼続以上の器量を持っていたのでしょう。

太田道灌はその能力が突出していたので、主君の上杉定正から、自分をしのんでしまうのではないかと

不安を抱かれ、暗殺される羽目になっていますが、その点、景勝は全面的に兼続を信頼し、2人の絶妙な

二人三脚で上杉家の危機を乗り切ったのです。



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pig 20150630



                                     <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>

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『直江兼続』 その39

『上杉鷹山が師と仰ぐ』 その2

【農産物増産の奨励】

上杉家の減封危機を乗り切るため、兼続はリーダーシップを発揮し、新田開発や水利事業、商工業の振興、

農産物の栽培援助、鉱山の採掘など、殖産事業に力をいれています。

青苧
ao.青苧

また青苧(あおそ)や漆、桑、楮(こうぞ:紙の原料)、紅花などの栽培を奨励しています。

青苧は苧(からむし)という野生の植物で、越後の代表的な特産であった。この植物の茎の皮から取り出した

繊維で織ったのが越後上布なのです。

木綿が普及していなかった戦国時代、一般庶民の衣料として大切であり、今日でも小千谷縮(おじやちじみ)、

塩沢紬として伝わっています。

これらの農産物の栽培は、もともと上杉謙信の時代から越後で奨励されていたもので、上杉家の財政を支え

ていたものです。

謙信が、上洛した際に、正親町天皇や足利将軍に莫大な金銀や宝物を献上できるほど豊かであったのは、

佐渡の鉱山のほかに、こうした農産物から得られる収入のおかげだったのです。

兼続は米沢でもこれを引き継ぎ、さらに「四季農戒書」という農業の手引書を出版し、さらなる農産物の増産

を図っています。



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pig 20150628


                                          <参考文献:実伝直江兼続(火坂雅志編)>

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『直江兼続』 その38

『上杉鷹山が師と仰ぐ』 その1

【米沢への転封】

上杉鷹山といえば、財政難で苦しんでいた米沢藩を藩政改革で見事に立ち直らせた米沢藩9代目の名君と

して有名です。

その鷹山が師と仰ぎ、政策上で参考にしたのが、直江兼続でした。

上杉鷹山(1751-1822年)
ue.上杉鷹山

兼続が政治力を発揮したのは、1600年の関ヶ原の戦いが徳川家康の勝利に終わり、上杉家が存亡の危

機に陥ったときのことです。

家康と敵対していた上杉景勝の居城・会津若松城では和戦両論が論議されたが、景勝と兼続は意を決し、

家康に謝罪することにした。

1601年7月1日、景勝と兼続は家康の子・結城秀康や家臣・本多正信、榊原康政を頼って上洛した。

本多正信はかねてから兼続と親交があり、上杉家に好意をもっていたようです。

1601年8月16日、結城秀康に伴われて伏見城で家康に謝罪。

翌17日、会津120万石から、兼続の居城があった米沢30万石を命じられています。

このときの兼続の情勢判断が見事であったといえるのでしょう。

上杉家は取潰されても仕方ない状況であったが、兼続の手腕で米沢30万石に留まったのです。

とはいえ、120万石から30万石へと、石高は1/4になってしまったのです。さらに会津時代の家臣の多く

が、景勝や兼続を慕って上杉家を見捨てずについてきたし、上杉家も減らそうとはしなかった。

そこで米沢転封にあたって、家臣には収入を1/3に減らすという条件をつけています。

兼続自身も5万石あった自分の所領の殆どを、家臣たちに分け与えています。



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pig 20150624



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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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