宇都宮城のライトアップ
『関東七名城のひとつ宇都宮城のライトアップ』
鎌倉時代から戦国時代までの中世は、宇都宮氏が城主でしたが、宇都宮氏は豊臣秀吉によって滅ぼされて
います。
江戸時代初期に本多正純が城と城下町の大改修を行い、今日の宇都宮市街地の骨格を作り上げたといわ
れています。 (宇都宮城全体については、前回の登城記「こちら」を参照ください。)
宇都宮城古図

宇都宮城は平城ですから、高い土塁に囲まれた窮屈な城だったのですね。

日没前の宇都宮城・清明台

平成26年1月11日 17時13分

宇都宮城は、歴代の将軍が徳川家康の祀られている日光東照宮にお参りする途中の宿泊場所となり、その
ため、宇都宮城本丸には将軍のための「御成御殿」が建てられました。
宇都宮城主・本多正純が、日光社参のために宇都宮を訪れた2代目将軍秀忠公を、からくり仕掛けの天井で
暗殺しようと企てた釣天井事件がありますが、事実と反するといいます。
この事件は、家康の死後、幕府内の権力闘争によって古い権力層が追い落とされていくなど、当時の社会状
況を反映しつつ、読物や講談の題材になって、世間に広まった伝説です。
高い土塁上の櫓、塀を照らす、ライトたち

1868年に起こった幕末の戊辰戦争で、新撰組の土方歳三ら率いる旧幕府軍と新政府軍との激しい攻防の
舞台となり、残念ながらその戦火によって建物の多くは焼失しています。

上の写真の右端の櫓(富士見櫓)

富士見櫓

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鎌倉時代から戦国時代までの中世は、宇都宮氏が城主でしたが、宇都宮氏は豊臣秀吉によって滅ぼされて
います。
江戸時代初期に本多正純が城と城下町の大改修を行い、今日の宇都宮市街地の骨格を作り上げたといわ
れています。 (宇都宮城全体については、前回の登城記「こちら」を参照ください。)
宇都宮城古図

宇都宮城は平城ですから、高い土塁に囲まれた窮屈な城だったのですね。

日没前の宇都宮城・清明台

平成26年1月11日 17時13分

宇都宮城は、歴代の将軍が徳川家康の祀られている日光東照宮にお参りする途中の宿泊場所となり、その
ため、宇都宮城本丸には将軍のための「御成御殿」が建てられました。
宇都宮城主・本多正純が、日光社参のために宇都宮を訪れた2代目将軍秀忠公を、からくり仕掛けの天井で
暗殺しようと企てた釣天井事件がありますが、事実と反するといいます。
この事件は、家康の死後、幕府内の権力闘争によって古い権力層が追い落とされていくなど、当時の社会状
況を反映しつつ、読物や講談の題材になって、世間に広まった伝説です。
高い土塁上の櫓、塀を照らす、ライトたち

1868年に起こった幕末の戊辰戦争で、新撰組の土方歳三ら率いる旧幕府軍と新政府軍との激しい攻防の
舞台となり、残念ながらその戦火によって建物の多くは焼失しています。

上の写真の右端の櫓(富士見櫓)

富士見櫓

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今年最初の城郭ライトアップ 「小田原城」
『上杉謙信や武田信玄も落とせなかった小田原城』
今年、最初の城郭ライトアップ撮影は
北条氏康の時代には、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐え、難攻不落、無敵の城といわれた小田原城に
行ってきました。


豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭は、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9km
の土塁と空堀で取り囲み、豊臣大坂城の惣構を凌いでいたそうです。
左下が秀吉の一夜城「石垣山城」 (「こちら」)

<クリックで拡大します>
今回は本丸で日没を待ちましたので、本丸から銅門へと進んでいます。
ライトアップはなく通路の水銀灯の光に浮かぶ常盤木門です。

城内からの光源は全くない銅門です。 シャッタを開けすぎて、お月さんが太陽みたいになっています。

枡形から見る銅門。 光源がひとつですから白トビになってしまい旨く撮れません ͒˃⌂˂

二の丸から見る銅門、ここも光源はひとつです。

城郭のライトアップ巡りは、まだ少ないですけど、これまで撮影した城のライトアップは熊本城(「こちら」)と
広島城(「こちら」)のライトアップが撮影し易かったです。
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北条氏康の時代には、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐え、難攻不落、無敵の城といわれた小田原城に
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豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭は、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9km
の土塁と空堀で取り囲み、豊臣大坂城の惣構を凌いでいたそうです。
左下が秀吉の一夜城「石垣山城」 (「こちら」)

<クリックで拡大します>
今回は本丸で日没を待ちましたので、本丸から銅門へと進んでいます。
ライトアップはなく通路の水銀灯の光に浮かぶ常盤木門です。

城内からの光源は全くない銅門です。 シャッタを開けすぎて、お月さんが太陽みたいになっています。

枡形から見る銅門。 光源がひとつですから白トビになってしまい旨く撮れません ͒˃⌂˂

二の丸から見る銅門、ここも光源はひとつです。

城郭のライトアップ巡りは、まだ少ないですけど、これまで撮影した城のライトアップは熊本城(「こちら」)と
広島城(「こちら」)のライトアップが撮影し易かったです。
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「のぼうの城」ライトアップ
『三成が水攻めした忍城のライトアップ』
10月11日(土)に、今年最後であろう鴻巣市の花火大会に向かいましたが、会場まであと5kmという所から
渋滞で車が動きません。
せっかく2時間もかけて走ってきたのだからと、近くにある忍城のライトアップ撮影に向かいました。
忍城は秀吉の小田原征伐で石田三成が水攻めするも失敗。一昨年はそれを映画化した「のぼうの城」で全国
的に有名になった城です。
(のぼうの城の記事は「こちら」です。)

忍城に到着したのは20時過ぎ、幸いなことに駐車場も城内もクローズすることなく出入りが自由になっています。


きれいな御三階櫓です。

写りこみも綺麗に撮れました。

この城には関東唯一のおもてなし隊「忍城おもてなし甲冑隊」があります。(忍城おもてなし甲冑隊の記事は「こちら」です。)
今年7月に「古代はすの里」で、演舞をみました。 中央が有名な甲斐姫で、みぎ端がのぼう様です。


短い撮影時間でしたけど、空振りに終わった花火大会を十分にフォローしてくれました。

現在は「行田市郷土博物館」が本丸跡にあります。
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渋滞で車が動きません。
せっかく2時間もかけて走ってきたのだからと、近くにある忍城のライトアップ撮影に向かいました。
忍城は秀吉の小田原征伐で石田三成が水攻めするも失敗。一昨年はそれを映画化した「のぼうの城」で全国
的に有名になった城です。
(のぼうの城の記事は「こちら」です。)

忍城に到着したのは20時過ぎ、幸いなことに駐車場も城内もクローズすることなく出入りが自由になっています。



きれいな御三階櫓です。

写りこみも綺麗に撮れました。

この城には関東唯一のおもてなし隊「忍城おもてなし甲冑隊」があります。(忍城おもてなし甲冑隊の記事は「こちら」です。)
今年7月に「古代はすの里」で、演舞をみました。 中央が有名な甲斐姫で、みぎ端がのぼう様です。


短い撮影時間でしたけど、空振りに終わった花火大会を十分にフォローしてくれました。

現在は「行田市郷土博物館」が本丸跡にあります。
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