ライトアップも日本一の「熊本城」
『ザ戦国時代・熊本城』
GWも終わった人も多いと思いますが、みなさんGWを楽しまれたでしょうか。
わたしは、清正公の熊本城のライトアップを撮るため、今年も熊本城にやってきました。
帰熊するたびに熊本城に立ち寄っていますので、記事にとりあげている回数が多いですけど、今年は城内
が夜間開放される日にあわせて来ましたので、城内からのライトアップ写真を撮ることができました。
今回は清正公の墓所である熊本妙本寺に最初に訪れましたが、メインの熊本城ライトアップから記事にした
いと思います。
今回の旅の相棒は、熊本空港で借りたスズキの車。小さい車ですがなんとスピードメータは200kmまであ
りました。

熊本城が青空をバックに微笑んでくれています。
到着したのは17時30分を過ぎていましたので、宇土櫓の窓も閉じてあります。

大きな城に簡素な門の「頬当門」から入城です。
春休みと夏休み期間は、3時間開門が延長され20時00分まで城内を楽しむことができます。

青空にそびえる大天守と小天守
姫路城の真っ白に対し、熊本城は黒でまさに戦う城って感じです。

後ろを振り向けば、現存の宇土櫓。
他の城郭では、天守の大きさを凌ぐ巨大な櫓です。

本丸で日没を待つことに。 5月1日の日没は19時です。

夕焼けでピンクに染まる空をバックに浮かぶ大天守・小天守

ライトアップが始まると、青色の空をバックに浮かびます。

御殿方向から見ると、立体的に見ることができます。

日没後30分もすれば、漆黒の空に天守が浮かびます。

お城には月が似合いますが、三日月の方がいいのでしょうか。

この場所から見ると、戦う城・熊本城を一番感じさせてくれます。
左から小天守・大天守・宇土櫓です。

二の丸から見る熊本城は「だんご3兄弟」です。
左から、宇土櫓・小天守・大天守。

熊本城は、御殿、城門、櫓が木造で復元され続けていますので、他に類をみない規模の城郭に変貌を
続けています。
熊本市に感謝するばかりです。
日本一の城だと思っているのは私だけでしょうか。
5月に入り、私のブログが攻撃を受けたとかで、セキュリティが厳しくなり暫くログインができなくなり、
みなさまのブログに遊びに行けなかったり、コメントの返信ができなく申し訳ございませんでした。
完全に復旧しましたので、通常の運用ができるようになりました。 今後ともよろしくお願いします。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。
GWも終わった人も多いと思いますが、みなさんGWを楽しまれたでしょうか。
わたしは、清正公の熊本城のライトアップを撮るため、今年も熊本城にやってきました。
帰熊するたびに熊本城に立ち寄っていますので、記事にとりあげている回数が多いですけど、今年は城内
が夜間開放される日にあわせて来ましたので、城内からのライトアップ写真を撮ることができました。
今回は清正公の墓所である熊本妙本寺に最初に訪れましたが、メインの熊本城ライトアップから記事にした
いと思います。
今回の旅の相棒は、熊本空港で借りたスズキの車。小さい車ですがなんとスピードメータは200kmまであ
りました。

熊本城が青空をバックに微笑んでくれています。
到着したのは17時30分を過ぎていましたので、宇土櫓の窓も閉じてあります。

大きな城に簡素な門の「頬当門」から入城です。
春休みと夏休み期間は、3時間開門が延長され20時00分まで城内を楽しむことができます。

青空にそびえる大天守と小天守
姫路城の真っ白に対し、熊本城は黒でまさに戦う城って感じです。

後ろを振り向けば、現存の宇土櫓。
他の城郭では、天守の大きさを凌ぐ巨大な櫓です。

本丸で日没を待つことに。 5月1日の日没は19時です。

夕焼けでピンクに染まる空をバックに浮かぶ大天守・小天守

ライトアップが始まると、青色の空をバックに浮かびます。

御殿方向から見ると、立体的に見ることができます。

日没後30分もすれば、漆黒の空に天守が浮かびます。

お城には月が似合いますが、三日月の方がいいのでしょうか。

この場所から見ると、戦う城・熊本城を一番感じさせてくれます。
左から小天守・大天守・宇土櫓です。

二の丸から見る熊本城は「だんご3兄弟」です。
左から、宇土櫓・小天守・大天守。

熊本城は、御殿、城門、櫓が木造で復元され続けていますので、他に類をみない規模の城郭に変貌を
続けています。
熊本市に感謝するばかりです。
日本一の城だと思っているのは私だけでしょうか。
5月に入り、私のブログが攻撃を受けたとかで、セキュリティが厳しくなり暫くログインができなくなり、
みなさまのブログに遊びに行けなかったり、コメントの返信ができなく申し訳ございませんでした。
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日本百名城92 ライトアップの熊本城
『闇夜に幻想的に浮かぶ 熊本城』
地方都市に巨大な熊本城を築造してくれた加藤清正公と、年々に復元を進めてくれる熊本市に感謝しながら、
ライトアップされた熊本城をカメラに収めてみました。
ライトアップ写真は7月5日に撮ったもので、昼間の写真は7月7日に撮ったものです。
今回のライトアップ撮影は、次の順序で熊本城の本丸を一周しました。
「西出丸」→「加藤神社」→「行幸橋」→「熊本市役所」→「五問櫓」→「KKR熊本」

<小さい画像は、クリックで全て拡大します>
【西出丸から】
左から宇土櫓、小天守、大天守
宇土櫓が傾いていますが、本物は傾いていないですからね。^^


【加藤神社から】
左から小天守、大天守、宇土櫓


【飯田丸】
飯田丸五階櫓

【行幸橋】
長塀と鎮座して出迎えてくれる清正公

【熊本市役所】
あまり知られていませんが、熊本市役所14階の展望所は、熊本城が良く見下ろせるスポットです。
手前の建物は、本丸御殿です。

【五問櫓】
石垣が、こんなに高いと攻める気になれませんよね!
櫓の下では、ライトアップの灯りで子供たちがサッカーを講じていました。

【KKRホテル熊本】
小天守を前にした大天守の写真は、このホテルのみからの写真になるため、今回、写真を撮るため一泊し
ました。 (昼間の写真は7月6日の朝、撮ったものです。)


如何でしたでしょうか。
熊本出身ですから、ひいきは十分にありますが、熊本城は日本一の城だと思っているのは私だけでしょうか。
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地方都市に巨大な熊本城を築造してくれた加藤清正公と、年々に復元を進めてくれる熊本市に感謝しながら、
ライトアップされた熊本城をカメラに収めてみました。
ライトアップ写真は7月5日に撮ったもので、昼間の写真は7月7日に撮ったものです。
今回のライトアップ撮影は、次の順序で熊本城の本丸を一周しました。
「西出丸」→「加藤神社」→「行幸橋」→「熊本市役所」→「五問櫓」→「KKR熊本」

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【西出丸から】
左から宇土櫓、小天守、大天守
宇土櫓が傾いていますが、本物は傾いていないですからね。^^


【加藤神社から】
左から小天守、大天守、宇土櫓


【飯田丸】
飯田丸五階櫓

【行幸橋】
長塀と鎮座して出迎えてくれる清正公


【熊本市役所】
あまり知られていませんが、熊本市役所14階の展望所は、熊本城が良く見下ろせるスポットです。
手前の建物は、本丸御殿です。

【五問櫓】
石垣が、こんなに高いと攻める気になれませんよね!
櫓の下では、ライトアップの灯りで子供たちがサッカーを講じていました。

【KKRホテル熊本】
小天守を前にした大天守の写真は、このホテルのみからの写真になるため、今回、写真を撮るため一泊し
ました。 (昼間の写真は7月6日の朝、撮ったものです。)


如何でしたでしょうか。
熊本出身ですから、ひいきは十分にありますが、熊本城は日本一の城だと思っているのは私だけでしょうか。
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日本百名城94 大分府内城
『西丸跡の文化会館は閉館』
府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城です。
平成24年6月1日に登城していますので、2回目の登城です。

安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高(長堯・妻は石田三成の妹)が府内の荷落に築城。
この地は大友氏の時代に船の荷役を行っていた場所で「荷落」という地名であったが、縁起を担ぎ地名を
「荷揚」に改め、名を荷揚城としたという。
撮影は7月5日早朝、夜間撮影は7月4日に撮ったものです。

<画像はクリックですべて拡大します>


まもなく福原氏は改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中
重利が完成させています。


本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、大分県の史跡に指定されています。
また、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元され、現在、城跡は大分城址公園になっております。

なんと朗報です。
前回の登城記には、西ノ丸に文化会館が建てられていたのでボロクソの評価をしましたが、なんと聞こえた
のでしょうか、今年の秋には文化会館は閉館するそうです。
天守の構造は不明のようですから、観光用の模擬天守構築などではなく、埋め立てられてしまった内堀など
を復元して欲しいものですね。


府内城の詳しい案内は、いつものことですがまーりたんさんのブログにお願いしましょう!
*途中に出てくる小さな像たちは、府内城近くの「遊歩公園」の像たちです。
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いつも応援ありがとうございます。
『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:49歳
大友宗麟がキリスト教徒になったのは、1578年8月28日、彼がザビエルと最初に会ってから27年目で49歳の時でした。教名はドン・フランシスコ。
≪本日の問題≫
府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城です。
平成24年6月1日に登城していますので、2回目の登城です。

安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高(長堯・妻は石田三成の妹)が府内の荷落に築城。
この地は大友氏の時代に船の荷役を行っていた場所で「荷落」という地名であったが、縁起を担ぎ地名を
「荷揚」に改め、名を荷揚城としたという。
撮影は7月5日早朝、夜間撮影は7月4日に撮ったものです。


<画像はクリックですべて拡大します>



まもなく福原氏は改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中
重利が完成させています。



本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、大分県の史跡に指定されています。
また、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元され、現在、城跡は大分城址公園になっております。


なんと朗報です。
前回の登城記には、西ノ丸に文化会館が建てられていたのでボロクソの評価をしましたが、なんと聞こえた
のでしょうか、今年の秋には文化会館は閉館するそうです。
天守の構造は不明のようですから、観光用の模擬天守構築などではなく、埋め立てられてしまった内堀など
を復元して欲しいものですね。


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*途中に出てくる小さな像たちは、府内城近くの「遊歩公園」の像たちです。
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正解:49歳
大友宗麟がキリスト教徒になったのは、1578年8月28日、彼がザビエルと最初に会ってから27年目で49歳の時でした。教名はドン・フランシスコ。
≪本日の問題≫