房総紅葉の名所「小松寺」
『房総の紅葉は12月』
房総の紅葉は全国一遅い、12月の初旬だといいます。
南房総紅葉の名所といわれる「小松寺」に立ち寄ってみました。
お寺の入り口には観光バスも止まっていたので、チョット期待しながら参道をあるきました。
うーん、やはり早かったですね。

山門には、りっぱな仁王様が鎮座しています。

確かに紅葉すると綺麗なんでしょうネ。

紅葉はしていないので、オレを見てくれや!

庭が一面コケむして、きれいです。

ガンバレ! モミジの木がたくましく、石垣を覆っていて、なんと逞しいのでしょう。
ほとんど血管状態です。 石垣もがんばれ!!

イチョウも「また来いよ~」と言っています。
はい。
じゃなくて、遠すぎます。

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いつもありがとうございます。
房総の紅葉は全国一遅い、12月の初旬だといいます。
南房総紅葉の名所といわれる「小松寺」に立ち寄ってみました。
お寺の入り口には観光バスも止まっていたので、チョット期待しながら参道をあるきました。
うーん、やはり早かったですね。

山門には、りっぱな仁王様が鎮座しています。

確かに紅葉すると綺麗なんでしょうネ。

紅葉はしていないので、オレを見てくれや!

庭が一面コケむして、きれいです。

ガンバレ! モミジの木がたくましく、石垣を覆っていて、なんと逞しいのでしょう。
ほとんど血管状態です。 石垣もがんばれ!!

イチョウも「また来いよ~」と言っています。
はい。
じゃなくて、遠すぎます。

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松陰神社
朱がまぶしい神田明神
『神田明神を崇敬する者は成田山・新勝寺にお参りしてはならぬ』
5月上旬に神田明神の近くに仕事で行きましたので、立ち寄ってみました。
神田明神は、730年に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)によって、武蔵国豊島郡芝崎
村(千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されています。
随神門
昭和天皇御即位50年の記念として総檜・入母屋造で建立されています。

戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名武将によって手厚く崇敬されてきたという。
1600年の天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ったとい
う。
御神殿
昭和9年に再建。残念ながら鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿です。


江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、1616年に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の
地に遷座し、幕府により社殿が造営されています。
以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民に至るまで崇敬されています。
鳳凰殿 (神札授与所・参集所)

明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定め
られています。

大正12年の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしまい、昭和9年に現在の鉄骨鉄筋
コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されています。
狛犬
関東大震災後に復興された現社殿とともに建立された、正面を向いている狛犬は珍しいとか。

こんな伝説があります。
神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブーが伝えられている。
これは朝廷に対して叛乱を起した平将門を討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動
明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ乱の鎮圧のため動護摩の儀式を行わせた、すなわち新勝寺参
拝は将門を苦しめる事となるためだそうです。
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いつもありがとうございます。
<参考文献:神田明神HP>
5月上旬に神田明神の近くに仕事で行きましたので、立ち寄ってみました。
神田明神は、730年に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)によって、武蔵国豊島郡芝崎
村(千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されています。
随神門
昭和天皇御即位50年の記念として総檜・入母屋造で建立されています。

戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名武将によって手厚く崇敬されてきたという。
1600年の天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ったとい
う。
御神殿
昭和9年に再建。残念ながら鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿です。


江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、1616年に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の
地に遷座し、幕府により社殿が造営されています。
以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民に至るまで崇敬されています。
鳳凰殿 (神札授与所・参集所)

明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定め
られています。

大正12年の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしまい、昭和9年に現在の鉄骨鉄筋
コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されています。
狛犬
関東大震災後に復興された現社殿とともに建立された、正面を向いている狛犬は珍しいとか。

こんな伝説があります。
神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブーが伝えられている。
これは朝廷に対して叛乱を起した平将門を討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動
明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせ乱の鎮圧のため動護摩の儀式を行わせた、すなわち新勝寺参
拝は将門を苦しめる事となるためだそうです。
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武士の守護神「鎌倉八幡宮」
『源頼朝ゆかりの神社・鶴岡八幡宮』
鶴岡八幡宮は、別称、鎌倉八幡宮とも呼ばれ、武家源氏、鎌倉武士の守護神であるとされます。
鎌倉初代将軍・源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では知名度が高く、境内は国の史跡に指定
されています。
1063年8月、河内国を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の
石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まりとされます。
1180年10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、宮を現在の地に移していま
す。
今回は、江ノ島に行くのが目的であったので、本宮裏の駐車場に車を止め、いきなり本宮に到着です。


本宮から見る下の宮舎が気になりますので行って見る事に。

すると笛の音とともに集団が歩いてきます。

幸せになってね~

ここ舞殿「下拝殿」では、結婚式も行われているのです。

さあ、階段を上って、本宮から駐車場に向おうとすると、声をかける人が

ここは「つねまるさん」流に


桃山文化に比べると、かなり質素な宮殿ですね。

境内には、北条政子が掘らせたと伝わる「源平池」や石造の橋「太鼓橋」があるそうですが、また次回
に見ることにして、江ノ島へ急ぎます。
ジャーン、これです。次回に!

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鶴岡八幡宮は、別称、鎌倉八幡宮とも呼ばれ、武家源氏、鎌倉武士の守護神であるとされます。
鎌倉初代将軍・源頼朝ゆかりの神社として全国の八幡社の中では知名度が高く、境内は国の史跡に指定
されています。
1063年8月、河内国を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の
石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まりとされます。
1180年10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、宮を現在の地に移していま
す。
今回は、江ノ島に行くのが目的であったので、本宮裏の駐車場に車を止め、いきなり本宮に到着です。


本宮から見る下の宮舎が気になりますので行って見る事に。

すると笛の音とともに集団が歩いてきます。

幸せになってね~

ここ舞殿「下拝殿」では、結婚式も行われているのです。

さあ、階段を上って、本宮から駐車場に向おうとすると、声をかける人が

ここは「つねまるさん」流に


桃山文化に比べると、かなり質素な宮殿ですね。

境内には、北条政子が掘らせたと伝わる「源平池」や石造の橋「太鼓橋」があるそうですが、また次回
に見ることにして、江ノ島へ急ぎます。
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東京大仏
『ご存知ですか、東京大仏』
みなさん、ご存知ですか「東京大仏」。 なんと日本で三番目の大きい大仏だそうです。

先週末、バラを探しに「赤塚植物園」に行ったとき、公園の入口近くにありましたので立ち寄ってみました。
立派なお門です。

この地は、赤塚城の二の丸ということで碑も建っています。 (赤塚城登城記は「こちら」です。)

青銅製の鋳造大仏では、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさで、高さは基壇が地上2m、蓮台2.3m、
座高8.2mで総高さは12.5mあるそうです。
一番と二番には、大きく水をあけられているかも知れませんが、優しい顔をした大仏さんです。

恐い顔の仁王さんもいますが、怒られてもガマンの鬼さんもいます。

鬼さんガマン中ですが肩こりがひどそうですね。 そのうち爆発しそうです!


年越し、初詣は賑うお寺だそうです。

紅葉が待ち遠しいですから、来週の連休には北関東に秋を迎えに行ってみたいと思っています。

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みなさん、ご存知ですか「東京大仏」。 なんと日本で三番目の大きい大仏だそうです。

先週末、バラを探しに「赤塚植物園」に行ったとき、公園の入口近くにありましたので立ち寄ってみました。
立派なお門です。

この地は、赤塚城の二の丸ということで碑も建っています。 (赤塚城登城記は「こちら」です。)

青銅製の鋳造大仏では、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさで、高さは基壇が地上2m、蓮台2.3m、
座高8.2mで総高さは12.5mあるそうです。
一番と二番には、大きく水をあけられているかも知れませんが、優しい顔をした大仏さんです。

恐い顔の仁王さんもいますが、怒られてもガマンの鬼さんもいます。

鬼さんガマン中ですが肩こりがひどそうですね。 そのうち爆発しそうです!


年越し、初詣は賑うお寺だそうです。

紅葉が待ち遠しいですから、来週の連休には北関東に秋を迎えに行ってみたいと思っています。

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