高野山
『多くの戦国武将たちが眠る高野山』
京都から、京奈和自動車道で高野山を目指し南下しましたが、キャンピングカーであるため入浴
施設を探す必要があります、
食事と入浴が一緒にできる施設として、白羽の矢が当たったのが、橿原市の「あすかの湯」、丁度
日没の時間で車の中で待つtiggerとrobinにも負担がかかりません。
あすかの湯(橿原市)

この「あすかの湯」から、約90分も走ると高野山に着くことができます。
じゃ、今夜のうちに高野山まで行こうということになり、高野山の中の橋駐車場にむけ出発です。
中の橋駐車場には22時頃に到着しましたが、すでに10台以上の車が到着していました。
早朝に寒くて目が覚めましたが、この高野山は標高が800mもあるそうです。

高野山は、約1200年前の弘仁7年(816年)に弘法大師空海が開いた真言密教の修行道場
であり、高野山真言宗の総本山ですが、今や観光地であるため、欧米人の観光客が多く来場さ
れていました。(大阪城の東洋人が多いのと違いました)
私の場合は弘法大師よりも、関白秀次か自刃した、青巌寺(現:金剛峯寺)と戦国武将たちのお
墓に興味があります。
tiggerはマイカーで、robinは徒歩で奥の院を目指しました。
御供所

これより先、写真撮影とペット入場禁止の看板があり、急いで御廟橋を渡り弘法大師御廟まで行って
きました。
織田信長墓所

豊臣家墓所

英霊殿は春でも紅葉を楽しむことができます。

ボクは疲れたので、tiggerのマイカーに乗せてもらっています。

ボクは窮屈していました。

また、山道を走り白浜に向かいますので、十分な休憩をとりました。

金剛峯寺の柳の間は、“関白秀次自刃の間”として知られています。

高野山の豊臣秀次

早朝から高野山を廻りましたので、10時には南紀白浜へ向け出発することができました。
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いつもありがとうございます。
京都から、京奈和自動車道で高野山を目指し南下しましたが、キャンピングカーであるため入浴
施設を探す必要があります、
食事と入浴が一緒にできる施設として、白羽の矢が当たったのが、橿原市の「あすかの湯」、丁度
日没の時間で車の中で待つtiggerとrobinにも負担がかかりません。
あすかの湯(橿原市)

この「あすかの湯」から、約90分も走ると高野山に着くことができます。
じゃ、今夜のうちに高野山まで行こうということになり、高野山の中の橋駐車場にむけ出発です。
中の橋駐車場には22時頃に到着しましたが、すでに10台以上の車が到着していました。
早朝に寒くて目が覚めましたが、この高野山は標高が800mもあるそうです。

高野山は、約1200年前の弘仁7年(816年)に弘法大師空海が開いた真言密教の修行道場
であり、高野山真言宗の総本山ですが、今や観光地であるため、欧米人の観光客が多く来場さ
れていました。(大阪城の東洋人が多いのと違いました)
私の場合は弘法大師よりも、関白秀次か自刃した、青巌寺(現:金剛峯寺)と戦国武将たちのお
墓に興味があります。
tiggerはマイカーで、robinは徒歩で奥の院を目指しました。
御供所

これより先、写真撮影とペット入場禁止の看板があり、急いで御廟橋を渡り弘法大師御廟まで行って
きました。
織田信長墓所

豊臣家墓所

英霊殿は春でも紅葉を楽しむことができます。

ボクは疲れたので、tiggerのマイカーに乗せてもらっています。

ボクは窮屈していました。

また、山道を走り白浜に向かいますので、十分な休憩をとりました。

金剛峯寺の柳の間は、“関白秀次自刃の間”として知られています。

高野山の豊臣秀次

早朝から高野山を廻りましたので、10時には南紀白浜へ向け出発することができました。
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「近江国へ」 その4
『湖中大鳥居が有名な白髭神社』
大津からR161(西近江路)を北上し、高島市に入ると「湖中大鳥居」で有名な白髭神社が
あります。
白髭といえば東京に地名がありますが、なにかゆかりがあるのでしょうね。 (支社がある?)


威厳がある狛さんです。

風格ある拝殿です。 こちらは拝殿は明治12年(1879年)の建築。

拝殿に屋根続きの本殿(後ろ側)、この本殿は豊臣秀吉の遺命を受け、秀頼公の寄進により
慶長8年(1603年)に建立。
本殿は檜皮葺きで入母屋造り。桃山時代特有の建築で、国の重要文化財(昭和13年指定)です。
記事を書くために調べました。桃山文化であるなら本殿をもう少しチェックすべきでした。

境内の全体図です。
紫式部の歌碑や松尾芭蕉の句碑もあります。(クリック拡大でみえます)

これ三社と表記してありますが、神様のマンションでしょうか。
「つねまるさん」にお聞きすると、詳しく説明してくださいますね。

この白髭神社から少し走ると、乙女が池があります。
なにか期待できそうな池ですね。 次回に・・・。
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大津からR161(西近江路)を北上し、高島市に入ると「湖中大鳥居」で有名な白髭神社が
あります。
白髭といえば東京に地名がありますが、なにかゆかりがあるのでしょうね。 (支社がある?)


威厳がある狛さんです。


風格ある拝殿です。 こちらは拝殿は明治12年(1879年)の建築。

拝殿に屋根続きの本殿(後ろ側)、この本殿は豊臣秀吉の遺命を受け、秀頼公の寄進により
慶長8年(1603年)に建立。
本殿は檜皮葺きで入母屋造り。桃山時代特有の建築で、国の重要文化財(昭和13年指定)です。
記事を書くために調べました。桃山文化であるなら本殿をもう少しチェックすべきでした。

境内の全体図です。
紫式部の歌碑や松尾芭蕉の句碑もあります。(クリック拡大でみえます)

これ三社と表記してありますが、神様のマンションでしょうか。
「つねまるさん」にお聞きすると、詳しく説明してくださいますね。

この白髭神社から少し走ると、乙女が池があります。
なにか期待できそうな池ですね。 次回に・・・。
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「近江国へ」 その2
『旧竹林院と穴太衆の石垣』
比叡山のふもとにある大津市坂本は、門前町として古来から栄え、一帯は国の重要伝統的
建造物郡保存地区に選定されています。
なかでも里坊は、歴史の街・坂本ならではの町並みをつくっています。
おおつ光ル(みつる)クンが迎えてくれました。

里坊は延暦寺の僧侶の隠居所で今も数多く残され、ここ旧竹林院もその里坊のひとつでです。

つまり隠居所というのは、今でいう養老院だと思えばいいのでしょうかね。

邸内には3,300㎡の庭園が広がり、2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。

苔が見事です。

四阿(あずまや)で、茶室はもう閉められていました。

実は、ここの駐車場をお借りして穴太衆の石垣巡りをする予定でしたが、誰もいない庭園をゆっくり
廻ってくださいということでしたので時間を費やしてしまいました。

駐車場は、ちょうど閉められる時間で、意味がない駐車になってしまいました。
街全体が穴太衆の石垣です。

なるほど・・・。

一見崩れてしまいそうな石垣ですが、熊本大地震でもその堅牢さが証明されています。

穴太衆の末裔たちは、熊本城石垣修復の応援に行かれているそうです。

次回は、プチ贅沢な大津の夜です。
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比叡山のふもとにある大津市坂本は、門前町として古来から栄え、一帯は国の重要伝統的
建造物郡保存地区に選定されています。
なかでも里坊は、歴史の街・坂本ならではの町並みをつくっています。
おおつ光ル(みつる)クンが迎えてくれました。

里坊は延暦寺の僧侶の隠居所で今も数多く残され、ここ旧竹林院もその里坊のひとつでです。

つまり隠居所というのは、今でいう養老院だと思えばいいのでしょうかね。

邸内には3,300㎡の庭園が広がり、2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。

苔が見事です。

四阿(あずまや)で、茶室はもう閉められていました。

実は、ここの駐車場をお借りして穴太衆の石垣巡りをする予定でしたが、誰もいない庭園をゆっくり
廻ってくださいということでしたので時間を費やしてしまいました。

駐車場は、ちょうど閉められる時間で、意味がない駐車になってしまいました。
街全体が穴太衆の石垣です。

なるほど・・・。

一見崩れてしまいそうな石垣ですが、熊本大地震でもその堅牢さが証明されています。

穴太衆の末裔たちは、熊本城石垣修復の応援に行かれているそうです。

次回は、プチ贅沢な大津の夜です。
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「近江国へ」 その1
和テイスト作家「ねこやすみ」さんが、『ねこうさぎ』というブランド名で、うさぎハーネスプロジェクトを立ち上げてくださいました「こちら」です。)
『浮御堂』
戦国時代の宝庫・近江国へ。
今回は観光も兼ねて琵琶湖を一周する予定で、日曜日に出発しました。
今回の旅のお伴は「tigger」です。
やんちゃな彼は、後部座席で走り廻っています。

いました。 武田信玄のようです。

関ケ原に立ち寄りたい気持ちを押さえて南下です。

伊吹山は、まだ真冬のようです。

最初の目的地は、八幡山城と八幡堀でしたがお祭りで市街地に入ることはできません。
したがって、画像もなしです。
目的地のひとつでしたけど、残念です。
じゃ、近くでバームクーヘンが美味しいという「ラコリーナ近江八幡」へ

ここはペット入場禁止と超混雑のため、3分で退散。
次は、大津の膳所城に向かう予定でしたが、ここも遺構は残っていない城址ですので、びわ湖
大橋を渡って湖西へ。

やって来たのは、浮御堂。

この浮御堂の正式名称は満月寺といい、その歴史は古く平安時代に遡るそうです。
この浮御堂は、よくロケで使われますので、みなさんも良くご存じではないでしょうか。

この後は、穴太衆の坂本へ向かいましたが、また次回に。
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戦国時代の宝庫・近江国へ。
今回は観光も兼ねて琵琶湖を一周する予定で、日曜日に出発しました。
今回の旅のお伴は「tigger」です。
やんちゃな彼は、後部座席で走り廻っています。

いました。 武田信玄のようです。

関ケ原に立ち寄りたい気持ちを押さえて南下です。

伊吹山は、まだ真冬のようです。

最初の目的地は、八幡山城と八幡堀でしたがお祭りで市街地に入ることはできません。
したがって、画像もなしです。
目的地のひとつでしたけど、残念です。
じゃ、近くでバームクーヘンが美味しいという「ラコリーナ近江八幡」へ

ここはペット入場禁止と超混雑のため、3分で退散。
次は、大津の膳所城に向かう予定でしたが、ここも遺構は残っていない城址ですので、びわ湖
大橋を渡って湖西へ。

やって来たのは、浮御堂。

この浮御堂の正式名称は満月寺といい、その歴史は古く平安時代に遡るそうです。
この浮御堂は、よくロケで使われますので、みなさんも良くご存じではないでしょうか。

この後は、穴太衆の坂本へ向かいましたが、また次回に。
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お菊に関係するスポット
『お菊神社』
姫路城にあるお菊井戸は、みなさん良くご存知だと思います。
室町時代中期(1500年頃)、姫路城主・小寺則職の執権の青山鉄山が、城の乗っ取りと、城主の毒殺を
計画した。
姫路城 お菊井戸

それを察した衣笠元信の蜜名を受け、青山家に奉公人として潜り込んだお菊は、見事に陰謀阻止に貢献。
しかし、潜入が露見し、お菊が預かっていた家宝の10枚の皿のうち1枚が無くなったとの無実の罪をきせ
られ、斬り殺されたうえに井戸に投げ込まれたというのです。
その後、井戸からは皿を数える悲しげな女性の声が聞こえるようになったといいます。

やがて、元信らが、鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社の境内に祀られたそうで
す。
お菊神社

お菊神社は、姫路城から南へ1kmほどのJR線路に近い場所にあります。



<クリックで拡大します>
「烈女」とは、必要な拷問に耐えたということでしょうか。

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姫路城にあるお菊井戸は、みなさん良くご存知だと思います。
室町時代中期(1500年頃)、姫路城主・小寺則職の執権の青山鉄山が、城の乗っ取りと、城主の毒殺を
計画した。
姫路城 お菊井戸


それを察した衣笠元信の蜜名を受け、青山家に奉公人として潜り込んだお菊は、見事に陰謀阻止に貢献。
しかし、潜入が露見し、お菊が預かっていた家宝の10枚の皿のうち1枚が無くなったとの無実の罪をきせ
られ、斬り殺されたうえに井戸に投げ込まれたというのです。
その後、井戸からは皿を数える悲しげな女性の声が聞こえるようになったといいます。

やがて、元信らが、鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社の境内に祀られたそうで
す。
お菊神社

お菊神社は、姫路城から南へ1kmほどのJR線路に近い場所にあります。



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「烈女」とは、必要な拷問に耐えたということでしょうか。

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