宮島・豊国神社
『秀吉公を祀る宮島・豊国神社』
豊臣秀吉を祀る「豊国神社」は、金沢市・名古屋市・長浜市・京都市・大阪市、そして、ここ宮島など全国に
数多くあります。
平成24年2月29日、厳島神社に行った際に立ち寄ってきました。(厳島神社の記事は、「こちら」です。)

厳島神社のすぐ隣の高台に建つ豊国神社は、1587年に豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養として毎
月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。
この大経堂は、秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、
板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。
畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれ、江戸時代には交流の場・納涼の場として人々に親しま
れていたようで、大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や川柳などが記されています。
明治の神仏分離令により仏像は、近くの大願寺に遷され、厳島神社末社で秀吉公を祀る豊国神社となっ
ています。
広い経堂には天井も壁もありませんが、風雨によく耐えているものですね。

現在は秀吉公が祀られています。

千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や
垂木のコントラストが美しい塔です。
1407年に建立されたものと伝えられ、高さは27.6mあります。
内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表
には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれているそうです。
この五重塔が建つ塔の丘は、厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。

厳島神社から、豊国神社の屋根と五重塔が望めます。


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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 佐賀県
名護屋城は、秀吉が朝鮮出兵のため、現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋(旧肥前国松浦郡
名護屋)に建てた城です。
≪本日の問題≫
豊臣秀吉を祀る「豊国神社」は、金沢市・名古屋市・長浜市・京都市・大阪市、そして、ここ宮島など全国に
数多くあります。
平成24年2月29日、厳島神社に行った際に立ち寄ってきました。(厳島神社の記事は、「こちら」です。)

厳島神社のすぐ隣の高台に建つ豊国神社は、1587年に豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養として毎
月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。
この大経堂は、秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、
板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。
畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれ、江戸時代には交流の場・納涼の場として人々に親しま
れていたようで、大きな柱には当時の歌舞伎役者一行の名や川柳などが記されています。
明治の神仏分離令により仏像は、近くの大願寺に遷され、厳島神社末社で秀吉公を祀る豊国神社となっ
ています。
広い経堂には天井も壁もありませんが、風雨によく耐えているものですね。


現在は秀吉公が祀られています。

千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や
垂木のコントラストが美しい塔です。
1407年に建立されたものと伝えられ、高さは27.6mあります。
内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表
には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれているそうです。
この五重塔が建つ塔の丘は、厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。


厳島神社から、豊国神社の屋根と五重塔が望めます。


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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 佐賀県
名護屋城は、秀吉が朝鮮出兵のため、現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋(旧肥前国松浦郡
名護屋)に建てた城です。
≪本日の問題≫
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平清盛が崇敬した 『厳島神社』
平清盛が崇敬した 『厳島神社』
2月29日に広島・厳島神社に行ってきました。
大河ドラマ、平清盛の影響で平日にも関らず、観光客の方が沢山こられていました。
嚴島神社の創建は、593年、佐伯鞍職によると伝えられます。
平安時代後期の1168年には、佐伯景弘が嚴島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で
結ばれた海上社殿を造営しています。
社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになったそうです。
鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、1555年の厳島の合戦
で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、社運は再び上昇。
大鳥居
朱塗りの大鳥居は、主柱は樹齢500~600年のクスノキの自然木で作られ、8代目にあたるそうです。
根元は海底に埋められているわけではなく、松材の杭を打って地盤を強化し、箱型の島木の中に石を詰め
て加重するなどして鳥居の重みだけで立っているそうです。

干潮時には、右の階段から鳥居まで歩いていけるそうです。
厳島神社全景

厳島神社入口

廻廊
廻廊は幅4m、長さは約275m。床板の間に目透しという隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる
海水の圧力を弱め、海水や雨水を海へ流す役目を果たしているそうです。

火焼前
記念撮影の人気スポットで、撮影の順番待ちができています。

高舞台《国宝・平安時代》
本社祓殿前にあり、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪
・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられます。
現在の舞台は1546年、棚守房顕によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に
現在のような作り付け構造になったと考えられています。

本社祓殿前の狛犬

これは、百名城廻りの同士“みったさん”へのおみやげです。
本殿《国宝・平安時代》
繊細かつ華麗な切妻両流造りで、正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられた本殿には、
市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。
現在の本殿は1571年、毛利元就によって改築されたものです。

能舞台《重要文化財・江戸時代》
国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。
現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つです。
厳島での演能は、1568年の観世太夫の来演がその始まりとされ、1605年には福島正則が常設の能舞台を
寄進し、現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは藩主が浅野氏に代わった1680年のものです。

反橋《重要文化財》
かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋とも呼ばれました。
現在の橋は、1557年に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っています。

出口

鹿さんには、トウモロコシの餌をまいていますが、野生の鹿だそうです。

五重の塔と豊国神社にも立ち寄って来ましたが、別途、記事にしたいと思います。

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 領地拡大のため
秀吉の朝鮮出兵目的は、かつて仕えた織田信長の支那征服構想を継いだとも、武士や足軽
の人数が過剰になっており将来の内乱や反乱を誘発する可能性を憂慮したためとも、国内
の統一戦争の延長として考えていたとも言われています。
≪本日の問題≫
2月29日に広島・厳島神社に行ってきました。
大河ドラマ、平清盛の影響で平日にも関らず、観光客の方が沢山こられていました。
嚴島神社の創建は、593年、佐伯鞍職によると伝えられます。
平安時代後期の1168年には、佐伯景弘が嚴島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で
結ばれた海上社殿を造営しています。
社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになったそうです。
鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、1555年の厳島の合戦
で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、社運は再び上昇。
大鳥居
朱塗りの大鳥居は、主柱は樹齢500~600年のクスノキの自然木で作られ、8代目にあたるそうです。
根元は海底に埋められているわけではなく、松材の杭を打って地盤を強化し、箱型の島木の中に石を詰め
て加重するなどして鳥居の重みだけで立っているそうです。


干潮時には、右の階段から鳥居まで歩いていけるそうです。
厳島神社全景

厳島神社入口

廻廊
廻廊は幅4m、長さは約275m。床板の間に目透しという隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる
海水の圧力を弱め、海水や雨水を海へ流す役目を果たしているそうです。


火焼前
記念撮影の人気スポットで、撮影の順番待ちができています。

高舞台《国宝・平安時代》
本社祓殿前にあり、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪
・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられます。
現在の舞台は1546年、棚守房顕によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に
現在のような作り付け構造になったと考えられています。

本社祓殿前の狛犬

これは、百名城廻りの同士“みったさん”へのおみやげです。
本殿《国宝・平安時代》
繊細かつ華麗な切妻両流造りで、正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられた本殿には、
市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。
現在の本殿は1571年、毛利元就によって改築されたものです。

能舞台《重要文化財・江戸時代》
国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。
現在、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台のうちの1つです。
厳島での演能は、1568年の観世太夫の来演がその始まりとされ、1605年には福島正則が常設の能舞台を
寄進し、現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは藩主が浅野氏に代わった1680年のものです。


反橋《重要文化財》
かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋とも呼ばれました。
現在の橋は、1557年に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っています。

出口

鹿さんには、トウモロコシの餌をまいていますが、野生の鹿だそうです。


五重の塔と豊国神社にも立ち寄って来ましたが、別途、記事にしたいと思います。

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 領地拡大のため
秀吉の朝鮮出兵目的は、かつて仕えた織田信長の支那征服構想を継いだとも、武士や足軽
の人数が過剰になっており将来の内乱や反乱を誘発する可能性を憂慮したためとも、国内
の統一戦争の延長として考えていたとも言われています。
≪本日の問題≫