金森御坊

『史上初めての一向一揆があった金森御坊』

大津の「びわ湖花噴水」を見に行った時のホテルが草津でしたので、前から興味を持っていた、その隣街・

守山の金森御坊に寄ってみました。


1465年、本願寺は「一向専修念仏を唱え、念仏以外の三宝である仏,法,僧を誹る邪法を流布している」

として、延暦寺西塔院の僧達によって東山・大谷本願寺が打ち壊しされた。

この打ち壊しを機に本願寺第8世法主蓮如は、堅田衆の援助を得て布教の拠点を近江・金森に移し道場を

開いた。(金ヶ森城:金森御坊)

ka.金森御坊 001

この時に道場を主宰し野洲郡、栗太郡地域で門徒集団の中心になっていたのが、蓮如の高弟・道西です。

1570年6月の姉川の戦い後、9月になると本願寺11世法主・顕如は三好三人衆、および浅井・朝倉氏と手

を結び各地の一向宗門徒に檄を飛ばし、信長に宣戦布告(石山合戦)している。

翌、1571年になると、信長の一向一揆に対する攻撃は本格化し、伊勢長島の一向一揆に対し第1次長島攻

めが行われる一方で、近江の一向一揆の本拠である金森は攻め落とされています。

善立寺の前が金森御坊で金森が寺内町として要塞化した時の中心となっていたところです。

善立寺
ka.金森御坊 005

金山御坊
ka.金森御坊 002

ka.金森御坊 004

金森御坊は通常施錠されていて入ることは出来ませんが、善立寺にお願いすれば見せて頂くことが出来るそ

うです。

この後、関ヶ原に向かう予定があったので、塀越に中を覗いただけでした。



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pig 20160509
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大坂の陣 その12

『豊臣氏最後の生き残り、天秀尼』

豊臣秀頼と千姫の間には子はなかったが、側室の成田氏との間には一男一女があった。

男子は国松と名づけられ、1615年当時、8歳。女子は7歳になっていた。

東慶寺山門(鎌倉)
to.東慶寺山門

大坂城落城後、2人は捕らえられ、国松は豊臣氏の血を根絶やしにするため、京の六条河原で斬首された。

しかし、さすがの家康も7歳の童女を殺すには忍びがたかったのか、とはいえ大坂方の残党に担ぎ出されて

は再び乱の種になると思い、千姫の養女にして男子禁制の尼寺に入れています。

この秀頼の娘が修行を終え、住持となったのが、東慶寺20世天秀尼です。

東慶寺は、俗に「駆込寺」、「縁切寺」と呼ばれた女人救済で有名な尼寺です。

天秀尼が入寺する際、開山以来の女人救済・駆け込みの寺法の永の許しを願い、家康がそれを聞き入れ、

「権現様のお声かかり」ということで、徳川期を通じ、虐げられた女たちの最後の拠り所となったのです。

天秀尼は、その生涯を不幸な女たちの救済に捧げ、1645年に37歳の若さで没しています。

彼女自身も、女としての幸せを手にすることなく、一生を終えた不幸な女のひとりであったのでしょう。

そして、天秀尼の死により、豊臣氏の血は完全に歴史から消えたのです。


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千姫が寄進した東慶寺仏殿【重要文化財】 (現在は横浜三渓園に移設されています)

to.東慶寺仏殿(三渓園)


鎌倉東慶寺





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大坂の陣 その11

『戦国の終焉 太平の世に冷えゆく血』

淀殿、秀頼母子およびその近臣や侍女たちは、山里郭に火を逃げ糒蔵の中に非難していた。

自害しなかったのは、秀頼の正室であり、家康の孫である千姫を家康、秀忠のもとに送り届け、千姫から命

乞いを頼んで貰おうとしていたためだったからだという。

しかし、家康は許さず、銃撃をもって自害の覚悟を促がし、ここに豊臣家はわずか2代で滅亡した。

5月8日であった。

秀頼・淀殿自刃の地 (大坂城山里曲輪訪問は「こちら」です。)
oo.大阪城 202

7月13日、元和と改元される。

世にいう「元和偃武(げんなえんぶ)」です。

偃とは「伏す」の意で、偃武とは、武器を収め、用いないことを表す。

豊臣家を滅ぼした家康が、徳川治下による太平の世の現出を意図した改元であったのです。

これによって、戦国の世は完全にピリオドが打たといっていいのでしょう。

家康は、これより数日前の7月7日に「武家諸法度」を、7月17日には「禁中並公家諸法度」を定めている。

幕府の法の下に、天皇、公家、武家を統するものです。

また、この前月には「一国一城令」が出され、大名は、その居城以外の城を破却しなければならなかった。

平和の世に、城は無用ということです。

戦国、それはおびただしい血が流れた酷烈無比な時代であったが、同時に、あらゆる可能性を秘め、たぎり

たつエネルギーが噴出する気宇壮大な時代でもあったのです。

しかし、この後、徳川太平の世が続くなか、武士は牙を失い、その血が再び沸騰するのは、幕末の世を待た

ねばならなかった。

元和2年(1616)4月17日、戦国最後の覇者・徳川家康永眠。75歳であった。



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pig 20160506




                            <参考文献:戦国武将おもしろ辞典(監修奈良本辰也)>

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大坂の陣 その10

『玉砕する大坂城 勝利なき栄光の代価は?』

5月7日、大坂城総攻撃の火蓋が切られる。

ひたひたと迫る徳川勢に対し、兵力を残存していた真田信繁部隊、毛利勝永隊が必死の反撃を加える。

一枚、二枚と、徳川方の厚い壁を蹴散らし、家康の首を狙い本陣に突撃を敢行。

信繁、勝永が家康本陣に突入するも、家康が本陣を捨てて逃げたため、目的を果たせず。


真田信繁(1567-1615年) (信繁終焉の地・安居神社訪問記は「こちら」です。)
sa.真田幸村 002


また、秀忠も大野治長に攻められ、本陣まで突き崩されているが、衆寡敵せず、大坂方の反撃もここまで

であった。

真田信繁も討死する。

紀州九度山に蟄居すること14年。武将としての己の才を、最後に華と開かせた一戦であった。享年48歳。

父親の昌幸は、徳川を相手に3度勝利を得ている稀代の戦術家だが、信繁も、また当代一流の智将であっ

た。

あるいは、その才は父以上であったのかも知れません。父子2代で家康を苦しめたのです。

この日、徳川方が得た首級は、1万4千以上だったという。大坂方が、この戦いに生き残るつもりがなかっ

たことを如実に物語っています。

午後4時頃、大坂城落城。

徳川方に内通した者が台所に火をつけ、天守閣は巨大な火柱となって崩れ落ちた。



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大坂城炎上(1663年絵図)
oo.大阪城 101




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大坂の陣 その9

『大坂夏の陣』

5月6日、大坂方は徳川方の気勢を制すべく、後藤又兵衛、長曾我部盛親、木村重成ら野外決戦部隊を

投入する。

後藤又兵衛(1560-1615年)
go.後藤基次

後藤又兵衛の2千8百は道明寺方面に、長曾我部盛親隊5千3百は八尾方面に、木村重成隊4千7百は

若江方面に、それぞれ敵を叩くために隊列を組んで進発していった。

しかし、濃霧のため戦線は分裂し、大坂方は兵力をさらに分裂され撃破されていく。

道明寺方面の後藤部隊は、霧のため後続部隊が延着し、孤軍となって水野勝成・伊達政宗・本多忠政ら

3万6千と激突。

激闘数時間におよぶが疲れきったところを、徳川方の圧倒的な兵力の前に討たれ、次々と数を減らして

いった。

後藤又兵衛討死。55歳とも60余歳だったともいう。

満身53ヶ所に刀槍、矢弾があったという兵で、真田信繁とともに大坂方にあっては重きをなしていた千軍

万馬の勇将であった。

長曾我部隊、木村隊も同様な経過をたどったという。

長曾我部隊は、籐堂高虎隊を相手に完全に近い勝利を収めていた。

一槍を交えることなく終った関ヶ原の積年の怨みを晴らすごとき働きであったという。



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pig 20160504





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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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