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『秀吉の大陸進出の野望』 その119

『和議は決裂』

続いて、僧の玄蘇が漢文読みしたが、これまた難しい漢語ばかりでわからない。

秀吉は和議を切望していたが、いくつか条件を出して、それによって相談しまとめるよう命じ、最小限、自分

の面目の立つ条件なければならないと思っていた。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

ところが、明は秀吉の降伏を許し、日本国王とするということにしている。

この時は、秀吉は内容がわかっていないので、始終上機嫌であったという。

儀式は上首尾に終ったが、翌日、学者を呼んで意味をじっくり聞いた。

秀吉は、驚き、怒った。

「おれを日本国王にじゃと?日本は神武以来のみかどが王となりなさることに決まっているではないか。おれ

が日本の王となったらみかどをどう奉じるのじゃ。けしからん明の皇帝め!治部(三成)も治部、摂津(行長)

も摂津じゃ。何たる取り決めをするぞ!これのみならず、おれがかねがね言い含めておいたことは、何ひとつ

として、明はきいておらんではないか。こんなことで、和議など出来ることか!」

怒鳴り立て、三成と行長を散々に叱りつけ

「明の使者は、1日も日本に止めおくな!追い返せ!」

と、激怒した。

秀吉は本気で怒る人ではなかったが、この時は本気で激怒した。

本気であった証拠には、講和の糸を断ち切ってしまったのです。

秀吉の顕著な老化現象、耄碌(もうろく)の表れだったのでしょう。日本・朝鮮・中国3国の不幸であった。

文禄の役の和議は纏まらず、再出兵となり慶長の役がはじまります。

慶長の役は、別の機会に勉強してみたいと思います。


長い間、文禄の役にお付き合い戴きありがとうございました。




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pig 20160329




                                         <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>
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『秀吉の大陸進出の野望』 その118

『明使節への饗応』

8月半ば、明の使者が来た。和議が成立しての正式な使節であった。この使節は、今日の言葉でいえば

条約批准のための来日であった。

豊臣大坂城
oo,大阪城 000

持って来た明帝の文書には、日本の降伏を許すと書かれていた。

こんな屈辱的なものとは、秀吉はもちろん知らない。大名らも知らない。

知っているのは、石田三成、小西行長、宗義智らだけである。

あるいは三成と同僚の5奉行らは知っていたのかも知れません。

明使応接のために造った伏見城は、地震で大破損しているので、秀吉は大坂城で使節らに会った。

最初の日の饗応では、秀吉は赤い朝服を着、頭には明帝から贈られた中国の冠をつけて、上機嫌で

出席した。

饗応のテーブルには、牛、羊、鶏、魚などを材料とし、大いに中国式を気取っていた。

翌日は、明帝の勅書を受け取る日であった。

秀吉は明帝から贈られた冠服を着て出た。

明の使節は、秀吉の前で、勅書を読み上げた。

勅書の意味は

「なんじ秀吉、中国の尊むべきことを知り、使節を派して、万里の関をたたき、ねんごろに服属を願って

いる。感心である。故に特になんじを封じて日本国王とする」

というのであった。

シナ音で読まれたのだから、秀吉にも列席の諸大名にも、内容がわかる筈はない。

対等の立場に立っての和議であると、三成や行長らに聞かされているので、そうであるとばかり思い

込んでいる。



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pig 20160324-1



                                  <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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『秀吉の大陸進出の野望』 その117

『江戸大納言と加賀大納言の取りなし』

家康は、清正の純情で真っ正直な気に入り、利家は清正を少年の頃からよく知っていて、その重厚で誠実

な人柄を気に入っていて、秀吉子飼いの大名のなかで最も秀吉に忠誠なのは、この男だと見ていたという。

加賀大納言(前田利家) (1539-1599年)
ma.前田利家 001

家康と利家が、とりなしに始めると、秀吉はカラカラと笑って

「江戸と加賀の両大納言から、取りなしされるとは、虎(清正)も果報な奴ですわい。口から出放題なことを

申して、捨ておきがたい奴ではござるが、折角のお取りなし故、今度は許してやりましょうわい」

「ありがたき仕合せ」

2人は礼を言って、早速、清正を呼んだ。

家康は榊原康政を遣わし、利家は篠原伊賀を遣わした。いずれも両家の重臣で、以前から清正と面識ある

人物であった。

清正は、すぐ登城して来た。

秀吉は、両大納言を従えて、仮小屋で引見した。

「せっかく許したのに、ろくろく礼も申さず、言いたい放題のことを言い、許しがたい奴じゃが、江戸大納言と

加賀大納言とが、取りなされた。こんどだけは許してやる。以後はこうはゆかんぞ」

と言って、付け加えた。

「おれの知恵の鏡はまだ曇っておらん。何もかもよう知っている。いらぬ心配するな」



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pig 20160323




                                      <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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『秀吉の大陸進出の野望』 その116

『たぬきの家康』

秀吉政権は考えてみると、磐石なものでなかったのです。

秀吉が、大仏殿造営、北野天満宮大茶会、金銀配り、豪華雄大な城や邸宅の造営、そして最後に外戦と

いう、やたらに派手なことばかりしたのは、その弱体をカバーして人の心を引きつけるためのものであった

と思われます。

徳川家康(1543-1616年)
to.徳川家康

また、名護屋にいる時、明の皇帝の使者だというふれこみで明人らが来たとき、この明人らの接待役を家

康と利家に命じている。

この時代の2大長老である2人に特に命じたのは、秀吉が和議を切望していた証なのでしょう。

利家は正直な人で、人を疑いの目をもって見るのは男らしくないと信じる人だから、ほんとに明の皇帝から

遣わされた使者と信じきって、歓待したという。

しかし、家康は海千山千の男です。

「ニセ者じゃわ。元来の身分も低い下っぱの青二才よ」

と、直ぐ見抜いたが、知らんふりでいた。

秀吉が騙されることは、その器量を下げることであり、それは自分の値打ちを上げることだからです。

丁重にもてなしした。秀吉の機嫌を損ねないことは必要だから。

こんな家康です。

和議問題について、石田三成一派と清正が意見を異にして揉み合うことは、非常に望ましいことであった。

こじれに拗れて、ますます外戦が泥沼に嵌まり込み、秀吉の人気が益々下落し、ついに勢力を失落すれば、

この上ないことなのです。



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sa-ko 20160322



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『秀吉の大陸進出の野望』 その115

『家康の黒腹』

秀吉の外征の失敗は、家康にとって最も好ましいことであった。

外征の当初、トントン拍子に運んでいる頃は、秀吉は朝鮮に渡って自ら指揮をとうろうと言い出していた。

徳川家康(1543-1616年)
to.徳川家康

家康と利家は、2人揃って秀吉の前に出て諫言した。

「若い連中だけが行っていること故、ご心配なことはよくわかりますが、ご自身ご渡海とは勿体のうござる。

それはいずれ、われら両名のうち一人が、ご名代としてまいりましょう。なにとぞ思いとどまりください」

これで秀吉の渡海は中止になったというが、2人とも行く気はない。

無理に所望されれば、利家はいやいやながら行ったのでしょうが、家康は絶対にいかなかったのでしょう。


こんな話があります。

外戦がはじまり、家康も名護屋の大本営まで行かなければならなくなった時、家康の重臣・本多正信が

「太閤様ご渡海ということになりますれば・・・」

と、言ったところ、家康は

「さればよ、それを思案中じゃ」

と言った。正信は

「ご思案ならば、よろしゅうござる」

と言ったというのです。

秀吉にしても、家康には行ってくれと言えなかったのでしょう。

命令を出して断れたら、引っ込みがつかないことになる。命令を聞かなければ、処罰しなければ天下人

の権威が立たないが、それはとうてい出来ることではない。

反抗されて、合戦さわぎになれば、兵の大部分は外地に行っていて、もし合戦が長引けば天下の形勢

がどう変わるかわからないからです。



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pig 20160317




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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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