異色の外交僧「安国寺恵瓊」

『舌先三寸の人物』

安国寺恵瓊は、毛利元就に滅ぼされた安芸武田氏の縁者で、11歳の時に上洛して出家し僧になった。

南禅寺で修行して長老となった恵瓊は、安芸・安国寺に赴いて教えを受け住持を兼ねるようになったが、

武にも詳しかったことから毛利輝元の信頼を受け、外交僧として政治に参加するようになる。

秀吉に対面する安国寺恵瓊
an.安国寺恵瓊 02

「本能寺の変」で織田信長が討たれたとき、毛利氏と豊臣秀吉との和睦を取りまとめ、のちに毛利氏が

臣従する際にも奔走しとことで秀吉の信頼を得て、伊予に6万石の領地を与えられ(異説あり)、僧であ

りながら大名となった。

秀吉の側近も務めるようになった恵瓊は、やがて石田三成と懇意となり、関ヶ原の戦いでは毛利輝元を

総大将として参戦させることに成功する。

しかし、西軍についたことで毛利家の行く末を案じた吉川広家が、毛利軍の動きを止めたため戦闘には

参加できず、西軍が敗北したのち捕縛されて斬首された。

「毛利の両川」と呼ばれた小早川隆景や吉川元春は、恵瓊を信用できない人物と評し、「舌先三寸」の

人物として見ていたようです。



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pig 20160406





                       <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)>
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76戦して不敗の「吉川元春」

『毛利家興隆の原動力となる』

吉川元春は中国地方全域を支配することになる毛利元就の次男として生まれた。

優秀な兄弟とともに育ったことで、幼い頃から非凡な武才を垣間見せ、元服もしていない10歳の頃に初陣

を飾っています。

吉川元春(1530-1586年)
ki.吉川元春

その後、元春は安芸国人の吉川氏の養子となって吉川元春と名乗る。

間もなく家督を継いで当主になると、元就の策略もあって完全に吉川家を掌握。

同じように小早川家の養子から当主となった実弟・小早川隆景とともに、宗家を支える「毛利の両川」として

活躍。

ここから毛利一門は中国地方の新興勢力として拡大していきます。

大内氏、尼子氏というライバルがいたが、1555年には大内氏を破り、尼子氏を10年に渡る激戦の末に降

伏させる。

この間、吉川軍は次々と戦功をあげており、元春は一門きっての勇将として名を馳せる。

元就とその息子たちは揃って名将と呼ばれたが、こと武才に関しては元春が最も優れていた。

こうして中国地方の最大勢力となった毛利一門であったが、これまでない強大な敵と対面することになる。

織田信長の重臣・豊臣秀吉の軍である。

元春はここでも果敢に戦い、幾度となく秀吉軍を押し返すも、圧倒的な力の前に劣勢は明らか。

「本能寺の変」が起こって一時は和睦を結ぶが、やがて天下人となる秀吉に一門は従うことになる。

その後、秀吉の「九州征伐」に参加した元春は、陣中で病に倒れる。享年57歳。

生涯76度の合戦で負け知らずという天下無双の武将も病には勝てなかった。

侵略者である秀吉のもとで戦った屈辱は、戦いでの敗北以上に元春を苦しめていたのかも知れません。




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吉川元春館
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