「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その29

『長重への愛を貫きとおした於長』

於長はその後、秀吉の目から逃げるように、家来に伴われて父・忠興の所領地、丹後に落ちて

幽居しています。

中津城
na.中津城 001

戦国の女はある意味たくましいのです。

女房がいるのに押しのけて、女房におさまった小田原後家富子。

亡き夫の形見ともいえる、のちに「津軽屏風」といわれるようになった屏風を嫁入り道具のひと

つにして輿入れした満天姫。

それぞれに事情はあるのでしょうが、結果として再婚しているのです。

家康の生母・於大もそんな一人で、再婚を拒否し、生涯を独身でとおした女性のほうがむしろ珍

しいのです。

そんな時代だったというのに、於長は長重への愛を貫き通しているのです。

夫の死を死ぬまで弔い続けるため、髪を切り仏門に入って、安昌院と名乗っています。

細川家は関ケ原の論功行賞として豊前一国と豊後2郡39万石を与えられ、とりあえず豊前中津

を主城とする。

於長はその中津で、関ケ原の戦いから3年後の慶長8年9月に死去した。

25歳という若さでした。



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pig 20170630





                 <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その28

『秀吉の惨殺』

於長は、その時おなじ伏見にいた。

婿の死、舅の死と相次いで悲報が寄せられ、寄せられるたびに嘆き悲しみ、からだを打ち震わせ

ていたでしょう。

三条大橋
sa.三条大橋

そこへ、秀吉から父・忠興にこういってきた。

「出雲守の嫁だった娘を差し出し、黄金100枚を返上しろ」

忠興も秀次から黄金100枚を借りていた。それを返上しろというのは分かる。

しかし、娘・於長を差し出せというのは分からない。

忠興は言った。

「黄金100枚は返上します。しかし娘を差し出す訳にはまいりません」

秀吉は前野長康にこう言っていた。

「玄旨入道の孫娘は、まこと器量すぐれたる娘と聞き及ぶ」

美人だと評判だから、忠興が黄金を借りていたことに事寄せて、どんな器量なのか、その目で見よ

うとしたのです。

このことについて、再度の要求はしなかったという。

秀吉は秀次を自害させたおよそ半月後の8月2日、秀次の寵妾・侍女34人と遺児5人を三条の河

原で惨殺させた。

このむごい光景は三条の河原で半日に渡って繰り広げられたという。



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その27

『戦国時代の恐ろしさ』

秀次にはすぐ御沙汰があり、御沙汰には罪状がいくつも並べられていて、次のことが強調されて

いた。

「諸将を城(聚楽第)中に集め、書付(誓書)せしめ、あまつさえ太閤殿下万一に備え。長年蓄

え置き候御金蔵を開き、故なく乱用、不届き至極の所業、逆位あるは明白」

聚楽第も譲り渡したのだ。そこにある御金蔵だって譲り渡したも同然なのに、そのことをも秀吉

はあげつらったのです。

高野山の秀次
to.豊臣秀次高野山

罪状を申し渡されて、秀次はすぐに高野山に追放された。

7月8日のことで、秀吉は追っかけるように福島正則らを高野山に遣わし、切腹を申しつけた。

これが7月15日、秀次自害の報がまだ届かない翌16日に、秀吉は長重にも謀叛のかどで切腹

を申しつけた。

長重の父・前野長康は豊家創業の功臣で、蜂須賀正勝とともに秀吉を押し立て、結果として秀吉

に天下を取らせたのです。

また、長康の大事な一人息子を、秀次に付かせたのはほかならぬ秀吉なのです。

長重は誓書一件に深く関わったが、長重は秀次の家来で、家来は主君の命ずることに逆らえない。

長重にとってほかにとるべき道はない。

なのに、なんのためらいもなく。情け容赦なく、秀吉は長重を死に追いやったのです。

たった一人の倅の命を奪われ、所領地も失い、長康は悔しいと思う前にむしろ空しさにうちひし

がれ、3日後の19日に近くの寺の庭を借りて静かに腹を切ったという。



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その26

『秀次窮地に』

於長は支度を整え、駕籠にゆられて伏見に向かった。

そのすぐあと、伏見から秀吉の側近、石田三成、増田長盛、長束正家3人連盟の、長重宛の書状

が届き、こうあった。

「明日早々に、伏見の評定所に出頭するよう」

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 001

秀次の供をするつもりでいたが、早々とある。長重は朝まだ明けぬうちに聚楽第に出向き、秀次

と木村重茲とに別れの挨拶をして、伏見に向かった。

「まいりました」

評定所の門をくぐり、到着した旨を告げると、壇上にいた増田長盛がいう。

「中村式部少輔殿にあずける。御沙汰があるまで、神妙に控えておるよう」

「かしこまりました」

駿州府中で14万5千石をとる中村一氏の伏見の屋敷に長重は預けられた。

同じころ、行列を仕立てて伏見に向かっていた秀次は五条の橋を渡り、東山の大仏前にさしかか

った。

そこへ

「上意である」

と声がかかり、行列は差し止められ、秀次もまた若州小浜で6万2千石をとる木下勝俊の伏見

の屋敷に預けられた。



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その26

『実家に帰される於長』

秀吉と秀次が争う。

仮にそういう事態になったとして、どちらの味方をするのがいいのか。

答えは、ひとつです。

秀吉だ。秀次だと答える者はいない。

誓書になんの意味があるというのか。

豊臣秀次(1568-1595年)
to.豊臣秀次

なのに、不安におののいた秀次は誓書というのを思い立ち、長重ら側近に誓書を差し出すように

いい、さらに諸将諸侍にも誓書をもらってこいと命じた。

長重はもちろん逆らった。

「誓書に意味はありません。またそのことが太閤殿下に知れたらただではすみません」

秀次は眉を引きつらせていう。

「口答えを致すな。余の命じたとおりにすればよい」

長重は側近の家来です。

それ以上は逆らえずに従ったが、恐れていた結果を迎えることになった。

屋敷に帰り着くと。

「一大事にござります」

長重が帰って来るのをいまや遅しと待ちかねていた家来がいう。長重がいう。

「父上の身になにかあったのか」

「そうです。伏見の屋敷から使いがあり、所領を返上して、御沙汰があるまで伏見の屋敷で蟄居

するとのことです」

「ついては、於長殿を実家にお返しするようにと」

「そのこと、於長には?」

「まだ申しておりませぬ。若殿からおっしゃってください」

長重は於長の部屋に向かう。

「いよいよ、来るべきときがきた」

於長は従容としていう。

「わたしもお供つかまつります」

「古来、夫になにかあったからといって、妻が夫の供をするという仕来りはない。また、そなたを

実家に帰すようにとの父上からのことづてだ。舅(忠興)殿は伏見の屋敷におられる。伏見の屋敷

にお届けする。支度をするがよい」

於長の目にはみるみる涙があふれ、泣き崩れる。



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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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