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耳川の戦い その13

『神罰仏罰』

田原紹忍は手兵および豊前宇佐郡の兵士を率いて退却したが、途中で田北鎮周の一族・田北三郎

に出会った。

oo.大友宗麟 004

三郎は、さきに鎮周の使者として無鹿の大友宗麟の陣に行き、その帰路たまたま紹忍に会ったが、

鎮周の戦死を聞き、その場で自殺して果てたという。

宗麟は小丸川の敗戦の情報を知り、無鹿を引き上げて丹生島に帰った。

この大戦の後、島津氏は日向国を領有し、大友氏の分国に錯乱の度を加えるようになる。

これまでの宗麟は戦争に強く、まったく敗戦を知らずに九州6ヵ国を従えていたのに、晩年はキ

リシタンを信じ、田北鎮周ら重臣も信者となり、日向出陣に際しては神社仏閣を片っぱしから破

壊して通過したので、神罰仏罰のために無勢の島津軍によって多勢の大友軍が惨敗を喫したとい

う噂が九州諸国に広がったという。



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robin 20191231




<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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耳川の戦い その12

『潰滅の大友軍』

12日早朝、田北鎮周は手兵を率いて川に沿い、瀬を渡りながら対岸の敵を攻撃した。

敵兵は敗けて退却すると見せかけた。

耳川の戦い屏風図
mi.耳川の戦い屏風図

昨夜から鎮周の行動を注意していた佐伯惟教は、鎮周が川を渡るのを見、やむを得ず上流の

方の瀬を渡って、敵が鎮周を撃つのを牽制した。

下流の浅瀬を鎮周軍、上流の浅瀬の惟教軍の両方が小丸川を渡ると、城内の山田新介の兵と、

救援の島津義久の軍兵を加えた島津家久は、矢を放ち鉄砲を撃ち、大激戦となった。

大友の本隊もこの戦闘に参加したが、数回の激烈な合戦の結果、鎮周・惟教はいうにおよば

ず、大友方の諸将武士の重要な者は殆ど戦死した。

もちろん薩摩軍にも戦死者は多かったが、大友軍の損害は甚大で、ほとんど潰滅状態になっ

た。

大友軍は耳川・名貫原の戦いには勝ったが、小丸川に臨む高城の戦いで大敗したのです。

この3つの戦いをあわせて耳川の戦いといっています。



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robin 20191230



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耳川の戦い その11

『戦術がない大友軍』

11日夜、大友軍では佐伯惟教・田北鎮周をはじめとする諸将は高城攻撃の戦術を議したが、

一致することはなかったという。

つまり惟教は進んで攻めるよりも敵の来襲を待ち、これを迎え撃つべしといい、鎮周はこれ

と逆に先鋒軍として強敵をも恐れず積極的戦法に出て強襲すべしというのであった。

角限石宗も惟教の戦術に賛成して鎮周の意見を止めたが、鎮周は明朝自分が先頭をきって戦

場で戦死しようといいきり、自分の陣営に帰ってしまった。

軍議が両巨頭の間においてまるで反対のまま対立し、妥協せぬまま明日、戦闘を開始すると

いうので、大友軍先鋒になかには、不安の気がみなぎったことでしょう。

両大将の不一致を憤慨して豊後の臼杵・柴田・斎藤という3人の武士は、ただちに子丸川を

渡って敵に撃たれ、戦死してしまった。

大友軍大敗のきざしはすでにここに予見されているかのようであった。

この間、大友宗麟は無鹿の本営に宣教師を伴い、祈祷にふけって、まるで戦争を忘れている

かのようであったという。



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robin 20191229



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耳川の戦い その10

『島津義久の出陣』

田北鎮周とその一族と星野鎮豊・蒲池鑑種・三池鎮実ら筑後の武士、桑野春元ら筑前の武士を

率いて高城の北方に到着した。

島津義久(1533-1611年)
sh.島津義久

また田原親貫・田原紹忍・吉弘鎮信・木付親慶・斎藤鎮実・臼杵鎮次のほか、宗像・田村・鶴

原・大神・奈多らの諸氏、その他諸国の武士らは高城の東部に進出した。

高城の下には子丸川の本・支流が流れて自然の濠をなしている。

島津・大友両軍ともに川岸に歩兵を出して相対し、鉄砲を撃ち矢を放った。

この頃、島津義久は大軍を指揮して薩摩を出発、日向高城を救援するため佐土原に陣取って本

営とした。



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robin 20191228



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耳川の戦い その9

『耳川の戦い』

一方、島津義久の弟・家久は延岡に北上して、大友軍の佐伯惟教らが南下襲来することを聞き、

兵を名貫川に集結して大友軍が来着するのを待ち受けた。

耳川
mi.耳川

11月9日、はじめて島津・大友両軍の大合戦があり、耳川において惟教は大いに家久を破っ

た。

これを耳川の役という。

家久は名貫原から後退して財部城に逃げ入り、惟教軍はさらにこれを追って、翌30日名貫原

に陣し、勢いに乗じて翌31日、子・惟貞はじめ豊後大野郡三重・宇目、日向の塩見・日知也・

門川・山毛・田代などの兵士を率いて、島津軍の部将・山田新介がいる高城の南方に進出した。

高城は児湯郡の小丸川に沿う要点であった。



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