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摺上原の戦い その16

『伊達軍猪苗代へ進軍』

郡山対陣の撤兵後、伊達氏の友邦田村氏は内部に動揺があり、天正17年(1589年)4月、

相馬氏や岩城氏が田村領に侵入した。

伊達氏の本拠米沢城
yo.米沢城 016

政宗は会津・岩城討伐のため米沢を発し、5月、安積郡の阿子島・高玉両城を攻略した。

これは芦名氏の支配する城で、仙道より猪苗代への入口にあたる要衝であった。

これに対し、佐竹・岩城・相馬の諸軍は田村領を侵略し、芦名義広も岩瀬郡に進み、諸軍と連合

して安積郡に進出しようとした。

こうして第2の郡山対陣が出現する形勢になったが、これを一挙に打破したものは、猪苗代盛国

の伊達氏への降服であった。

猪苗代氏はもともと芦名家にとっては半独立の外様的家臣であり、盛国は当主・義広と不仲だっ

たので、政宗は伊達成実・片倉景綱に盛国と密約を結ばせ、6月2日、猪苗代進軍を布告したの

です。



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<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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摺上原の戦い その15

『用兵の妙』

郡山対陣では伊達軍は劣勢であったが、守備を固めて連合軍に乗じる隙を与えず、政宗はしば

しば決戦を主張したが、諸将はこれを抑えて対陣のうちに連合軍の侵入の意図をくじいた。

伊達政宗()
da.伊達政宗yahoo辞書

人取橋の遭遇戦といい、郡山の対陣といい、結局は仙道の佐竹・芦名諸氏の伊達氏封じ込め作

戦ですが、これが失敗に帰していることは、伊達氏の勢力の強大と、政宗の用兵の妙を示すも

のにほかならなかったのです。



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robin 20200117




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摺上原の戦い その14

『郡山対陣』

7月4日、佐竹氏の部将・新国貞通が、兵100を率いて郡山の南から東を過ぎ、郡山の出城

と窪田城の間を通った。

伊達成実(1568-1646年)
da.伊達成実

伊達成実と片倉景綱は、片倉藤左衛門に挑戦させ、藤左衛門が勝ちに乗じて追撃すると佐竹軍

が援兵を出し、成実・景綱が戦いに加わると佐竹・芦名の全軍が両人をかこみ苦戦に陥った。

急を知った政宗は旗本を繰り出して味方の引き上げを助け、両軍の激突となり伊達の部将・伊

東重信は戦死した。

しかし、対陣が長びくにつれて、相馬義胤が、伊具・田村方面での活動を開始し、芦名領内で

も猪苗代盛国と盛胤の父子が私闘を起こし、内部動揺の兆しがあらわれた。

そこで岩城常陸と石川昭光が両軍の和をすすめ、7月21日、佐竹・伊達両軍は陣地を撤収し

た。

これを郡山対陣といっています。



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robin 20200116



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摺上原の戦い その13

『佐竹氏再び出兵』

天正16年、安達郡塩松の大内定綱が、芦名氏に背いて伊達氏に帰属した。

定綱は反復をくり返す武将であったが、その所領は仙道から会津に通じる入口にあったので、

佐竹義広は二階堂氏と呼応して安積郡に出兵し、安達郡本宮観音堂において伊達軍と戦った。

片倉景綱(小十郎)(1557-1615年)
ka.片倉景綱 001

6月に入り、佐竹・芦名・白河・二階堂の連合軍1万4千が、安積郡郡山に進出、付近の豪

族もそれに従い、軍勢3万に拡大し、郡山・窪田2城を包囲した。

政宗は伊達成実・片倉景綱を窪田に入城させ、郡山・福原・高倉の諸城を増強するとともに、

みずからは本営に陣して連合軍と対峙した。

政宗はまた郡山付近の三王山に塁を築き、防備をきびしくしたが、連合軍も郡山・窪田両城

の攻略に重点を置き、塁を設けて肉薄した。

伊達軍も柵を築いて防ぎ、小競り合いが続いた。



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robin 20200115




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摺上原の戦い その12

『芦名氏は伊達氏と敵対関係に』

天正12年(1586年)に芦名盛隆が殺害され、生まれて間もない亀王丸が19代の当主とな

り、母の伊達氏が政務をとった。

芦名氏居城(向羽黒山城縄張図)
mu.向羽黒山城縄張り

この人は輝宗の妹で、政宗にとっては叔母にあたります。

ところが亀王丸も14年11月に早死し、芦名家では再び養子を他家から迎えなければならなく

なったが、家中は伊達氏から迎えようとする者と、それに反対する者と両派に分かれて対立した。

しかし当時、政宗は畠山氏を滅ぼし、南下作戦を展開していたから、政宗の行動に疑惑をもつ者

が多く、白河義親らの主張で、佐竹義重の次男・義広を迎えて芦名氏20代の当主とした。

義広は佐竹氏の勢力を背景に、大縄・刎石らの重臣を従えて入国したが、富田・金上らの老臣は

これと和せず、16年には盛隆夫人も没したので、伊達氏とは完全に敵対関係に入り、義広の前

途は多難のように思われた。



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pig 20200114



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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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