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加藤清正 Ⅱ その416

『日本軍は講和の意志があるのか?』

「どうなされた?」

「いや、何でもありません」

中富としては、そうでござるかでは済まされない。鋭く言った。

京城府
ke.京城府

「何でもないことはござるまい。包まずに言われよ」

「…申すも恥ずかしいことです。李徳馨殿とともに使をうけたまわった今一人の大官が、恐怖のあ

まりに死んでしまったのです」

中富は相槌も打てない。はて、さてとあきれるばかりであった。

「そこで?」

「李徳馨殿は歯がみして憤られましたが、仕方はありません。『ままよ、2人で参ろうとのこと』

と、黄州を立ち出、開城まで参りましたところ、はや日本軍は京城に入っていることがわかりまし

た。李徳馨殿は、『陛下がわしにこの使いを命ぜられたのは、京城の向こうで日本軍を停止させ、

講和の相談をなさりたいためであったのに、こうなってはそれは叶わぬこととなった。一体、日本

軍は真に講和の意志があるのかどうか、疑わしくもある。その方ひとり行って、小西殿に会って、

よく問いただしてまいれ』と仰せられたのでございます。そこで、わたくしただ一人、こうして参

ったのでございますが、はしなくも貴下に捕らえられたのでございます。」



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robin 20240225




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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加藤清正 Ⅱ その415

『景応舜の説明』

景応舜の言葉はさらに続く

「わたしは小西殿の仰せられることを承諾いたしました。小西殿は書面をしたためて、わたくしに

お渡しになりました。わたくしは京城に帰りましたが、もはや国王は京城にはおられず、京城は乱

小西行長(1558-1600年)
ko.小西行長 04

民のために混乱しきっています。わたくしはすぐ国王の後を慕って、さまざまな難儀の後、やっと

黄州で追いつきました。李徳馨殿に会って、小西殿のことばを伝え、書面を渡しました。李徳馨殿

は『ともかくも、陛下に申し上げてみる。もし、陛下が行けと仰せられるなら、わしは行こう。国

のためには、死はいとうところではない』とお失せられ、もはや夜陰ではありましたが、わたくしを

お連れになって、行在所に参られた。陛下は大官方とともに、わたくしをも御前に召して、委細の

ことをお聞き取りになった後、わたくしには遠慮を仰せつけられました。定めし、ご相談が行われた

のでございましょう。数時間の後、李徳馨殿が出てまいられ、わたくしに仰せられました。『わしと

今一人とが使者を仰せつけられて参ることになった。ついては、その方も供せよ』もちろん、わたく

しはお受けしました。わたくしは、そのお二人のお支度のお支度が出来るのを待っておりましと…」

と、ここまで語ると、にわかに景応舜の表情が変わった。

いかにも苦々しげな笑いが浮かんで、言葉をとぎらせた。



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robin 20240224




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>

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加藤清正 Ⅱ その414

『小西行長の手紙』

景応舜は思案しているように、ぱちぱちとまばたきしていたが、やがて言う。

「手短には答えることができません。少し長くなりますが、お聞き願います」

と、前置きして語り出したのは、ずいぶん長い話であった。

宇土城の小西行長公
ko.小西行長

「自分は尚州で、小西軍の捕虜になりました。行長殿は自分が倭学通事で、達者に日本語が話せ

るのを知られると、自分を前に召して、こう言われました。」

「わたしは先年日本の太閤の使節となって朝鮮に来たことがある。その時、当国の大官の李徳馨

殿と懇意になったが、徳馨殿は壮健でおられるだろうか」

自分は壮健でおられると答えました。

すると小西殿は

「一体、今度のわが国の出兵はあくまでも貴国を攻め取ろうというつもりで始まったものではな

い。太閤の意志は大明国に使を通じようというだけのことで、そのとりなしを貴国に頼んだのだ

が、貴国が疑心をはさんで承諾しないので、つこの不祥事になったのである。もし、貴国が日本

のこの願いを聞いてくれるなら、和睦は直ちになるのである。ついては、貴下を保釈するから、

京城に帰って、わしの手紙を李徳馨殿に届けてくれまいか。決して貴国のために不利になること

でないから」

と申されました。



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robin 20240223




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加藤清正 Ⅱ その413

『景応舜を尋問』

村人らを釈放したが、念のために兵を屋内に入れて探索させた。

その家の女・子供が3人いるだけで、その他には変わったことはなかったという。

漢城府(現在のソウル)
ka.漢城府

中富は少し離れた辻に、景応舜と名乗る男を連れて行った。

緑の枝を広げた涼しい木陰で、尋問した。

「貴下は国王の命を受けて、小西摂津守殿の陣中に行く途中であると言われたが、今、国王はどこ

においでなのです」

「わたくしが国王の命を受けたのは黄州においてでありました。それはすでに5日前のことであり

ます。王はなお北に向かわれる予定でありましたから、今ではすでに大同江を越えて平壌か、あるい

はもっと北方に行っておられるかでありましょう」

「平壌というのは、ここから何里でござるか」

「3百5、60里ありましょう」

「この国の里でござるな」

「そうです」

「ところで、貴下は小西殿の陣中に行くと仰せられたが、その用は何であるか、伺いたい」

相手は急には返事しない。



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robin 20240222




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加藤清正 Ⅱ その412

『国王の使者』

兵士らが捕らえにかかった時、不意に屋内から飛び出して来たものがあった。

「待った! 待った! 待ったっしゃれ!」

鮮やかな日本語で叫んで、中に割って入った。

朝鮮代国王・宣祖
ch.朝鮮14代国王 宣祖

朝鮮人の服装をした男で、しかも、土民の服装ではない。

折り目は乱れているが、上流官人の服装である。

あっけにとられて、まじまじと見つめた。

年ごろ、35、6の色白で薄いひげを生やしているところは、たしかに朝鮮人である。

その男は両手を組んで、中富に言った。

「わたくし、朝廷の倭学通事の景応舜という者です。国王の命を受けて、小西殿の陣中に行くために、

ここまで来て、この家で休憩していたのでした。そんな詳しいことは、わたくしはこの村人どもに話

しませんので、あなた方がお出になったのを見て、見つかったら、官人をかくまっているとして罰さ

れはしないかと、恐れたのでしょう。この者どもには何の罪もありません。許してやってください」

「今、申された貴下の身分を証明するものがござるか」

と、中富は言った。

「あります。あります」

相手はふところから、一枚の書付を取り出して、中富に渡した。

朱肉の官印のすわった身分証明書であった。

確かに倭学通事景応舜という名が書いてある。

その朱印が本当のものであるかまでは中富にはわからないが、この際としては信ずるより他はなかっ

た。



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robin 20240221




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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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