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名古屋城燃ゆる

『名古屋城燃ゆる そして復興』

2013年3月28日に、2010年5月の毎日新聞の記事として紹介されていましたので、木造の名古屋城が

見れますので、その一部を紹介したいと思います。

名古屋城全景(明治37年)
na.名古屋城 明治37年

昭和11年の名古屋城全景 (徳川家が天下普請で建てた名古屋城です)
na.名古屋城 昭和11年

1945年5月14日、焼夷弾を満載したB29は480機で名古屋市を大空襲しています。

この空襲は、東京大空襲(325機)を上回り、本土空襲で最大規模だったそうです。

後に名古屋大空襲と呼ばれるこの空襲で、名古屋城も被弾し炎上。 わずか2時間で天守は金のシャチホコ

もろとも焼け落ちています。


炎上する名古屋城。 残ったのは3つの隅櫓と表二正門など3門と石垣のみ。 残念です!

na.名古屋城 昭和20年5月11日

当時、名古屋城では金のシャチホコを“疎開“させるため、地上に下ろす作業が続けられていた。空襲当日の

14日はやぐらを使ってメスのシャチホコが城の2層部分まで下ろされていて、これが災いしたといいます。

作業のために城の窓が開けられており、そこから飛び込んだ焼夷弾が火の手を広げたそうです。


終戦直後の名古屋城
na.名古屋城 昭和20年 終戦直後


再建中の名古屋城(昭和32年9月)
na.名古屋城 昭和32年9月 再建中

城が再建されたのは昭和34年9月
na.名古屋城 昭和34年9月 完工式

約2年の歳月をかけ、また、シャチホコも大阪造幣局で新たに制作され、再び城の頂に鎮座しています。

na.名古屋城 昭和34年8月 金の鯱取付け

「尾張名古屋は城でもつ」とうたわれる名古屋城

na.名古屋城 平成19年10月

現在は本丸御殿の再建も進み、平成30年度には全体公開が予定されています。

na.名古屋城 本丸御殿工事

木造の本丸御殿を早く見たいものですね。

名古屋城登城記は「こちら」です。



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名古屋城の金のシャチホコ

加藤清正の霊に守られて生き長らえた?

尾張名古屋城のシンボルといえば 名古屋城のてっぺんに燦然と輝く金のシャチホコ

加藤清正が慶長小判1940枚を投じて造ったものである

日本には城は多いが これほど豪華な飾りをつけた城は 他にはないだろう

この金のシャチホコについて江戸時代以降 こんな噂が流れた

「金シャチに手を触れた者は末代まで凶運に見舞われる」

豊臣家の安泰のために家康の機嫌をとろうと 清正が金のシャチホコを造って献じたのにもかかわらず

豊臣家が滅ぼされたため そんな噂が流れたのである

では 噂のシャチホコにその後 手を触れたものはいなかったのだろうか

1712年 金助という泥棒が「手を触れなければいいんだ」と大きな凧にのり 棒の先でシャチホコの鱗3枚

をはがして盗み出した(これは逸話のようです)

さらに1726年 金に困った尾張藩は シャチホコの金の鱗をこっそりはがし 純度の低い金に変えてしまった

これに味をしめた尾張藩は 何度も同じようなことをして シャチホコの金の純度はどんどん落ちていった

いよいよ 1871年にはシャチホコを鋳つぶして旧藩士の救済金に当てようという案が出る始末

シャチホコは屋根から下ろされ 陸軍名古屋分室に保管されたが そのとき番兵が鱗を3枚盗み バレて銃殺

にされている

さらにその直後 東京博物館に委託保管中に 鱗が一部盗まれている

そして1937年に天守閣に登って鱗58枚を盗んだ男がいたが 売りさばこうとしたところを見つかって逮捕され 

盗品は買い戻され修理された

清正の霊もなんのそので盗人に狙われ続けた金シャチだったが 1945年 空襲のためついに灰燼に帰した

現在 名古屋城で輝いているのは 1959年に造幣局が「日本城郭図面集」に従って復元したものです


城内は工事中が多いため お城全体が撮れる場所が少なかったです。 
写真は、平成22年5月9日に百名城めぐりで撮ったものです。
シャチホコ 001

上の写真のシャチホコのみの画像です。
シャチホコ 002

西から堀越しに、シャチホコをアップで撮った画像です。
シャチホコ 003

屋根に「さかな」が飛びついたのかぁ~
シャチホコ pig

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                                           <参考文献:歴史の意外な結末>

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百名城43 犬山城

木曾川に臨む要害かつ景勝の地に築かれた城

『古調をたたえた望楼型天守が現存する』

犬山城は1537年 織田信長の叔父信康が木曾川沿いの標高88mの丘稜上に築いたことに始まる

城の縄張りは天守の建つ本丸から南へ 杉の丸 樅の丸 桐の丸 松の丸をほぼ連郭式に並べた形で

あった 本丸の背後は木曾川によって守られており いわゆる「後堅固」の構えとなっていた

小牧長久手合戦(1584年)では 豊臣秀吉は12万余りの大軍を率いてこの城に入り 小牧山に陣をしい

た徳川家康と戦った

城主はめまぐるしく交替し 1617年尾張徳川家の付家老の成瀬氏が城主となる

明治になって政府が城の修理・整備を条件に成瀬氏に譲渡し 個人所有というめずらしい形態が平成16年

3月まで続いたが 現在は財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています


国宝の犬山城 彦根城 姫路城 松本城の4城のなかで最も古い城です。
本丸内部から見た国宝天守
写真は、平成22年5月9日に撮ったものです。
犬山城 001

国宝 犬山城石碑
犬山城 002

この隅櫓は小さくてかわいいです
犬山城 004

天守の入口が敵兵に破られそうな時、側面から猛攻を加えて防備するのが付櫓
野面積みの石垣
犬山城 009

人気の城ですから 観光客がいっぱいでした
犬山城 003

階段口のある南東隅から南に出張っている付櫓の内部 木造はいいですね
犬山城 005

天守最上階からの本丸門(中央)と隅櫓(右側)
犬山城 008

北西対岸に信長が「対の城」を築いた伊木山とライン大橋の遠望
犬山城 007

人気キャラクター「わん丸君」がいましたが、チョット大きすぎかも・・・
犬山城 010

百名城スタンプ 59個目をゲットしました
犬山城スタンプ

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                                        <参考文献:犬山城HP&リーフレット>



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百名城44 名古屋城

徳川氏が西をにらんで築いた東海の巨城

『シンプルながら鉄壁の守りの縄張りが残る』

名古屋城は 織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の「那古野城」の跡周辺に 徳川家康が1609年に

9男徳川義直の尾張藩の居城として名古屋に城を天下普請で築くことを決定し 縄張は牧野助右衛門 石垣

は諸大名の分担によって築かれ 中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は加藤清正が築いて1612年に

大天守が完成し 以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された

天守は本丸の北西隅に位置し 連結式層塔型で大天守の屋根の上には徳川家の威光を表すためのものと

して金の板を貼り付けた金鯱が載せられた

大天守は層塔型で5層5階 地下1階、その高さは55.6m(天守台19.5m、本体36.1m)と 18階建ての

高層建築に相当する

層塔型であるため 下方に天守の台座となる大入母屋屋根を持たないが 末重部分が平面逓減に関係なく

大きく造られる構造は望楼型天守の名残を残しています

戦災を免れた3つの櫓と3つの門 二の丸庭園の一部が保存された また 一部の堀が埋め立てられるなど

改変も受けているが 土塁・堀・門の桝形などは三の丸を含めて比較的よく残されています

大坂城 熊本城ともに日本三名城に数えられ 戦後に天守などが復元され、現在は御殿の復元が進められて

います


名古屋城公式ホームページに「助役大名の苦悩」として 以下の文が紹介されています。(原文)

慶長15年(1610年)閏2月、助役を命じられた大名達は名古屋へやってきました。 当時、秀吉恩顧の大名

は、ここ数年のたび重なる天下普請により、経済的にも非常に苦しい状況となっていました。今回、助役を

命じられた福島正則(広島城主)と加藤清正(熊本城主)、池田輝政(姫路城主)の会話が伝えられています。

福島正則
このごろ城普請の手伝いが頻繁だ。江戸や駿府は将軍や大御所(家康)の城だから納得できるが、名古屋は
息子の城ではないか。こんなことにまで駆り出されては我慢できない。

池田輝政
(沈黙)

加藤清正
お前様は、考えずにものを言うから困ったものだ。名古屋のことが我慢できないなら、さっさと国へ帰って
謀反の旗揚げでもしたらどうだ。そんな力がないなら、黙って命令に従うしかないだろうが。



朝9時の登城でしたので、未だ観光客も少なくゆっくりと見学することができました。
百名城57城目の登城になります。
写真は、平成22年5月9日に撮ったものです。
名古屋城 001

正門
明治43年に旧江戸城内の蓮池御門が移築されていましたが、太平洋戦争(昭和20年5月)で焼失したため、
昭和34年に天守閣とともに再建されています。
名古屋城 002
<クリックで拡大します>

西南隅櫓
この櫓は創建当時の姿を伝えています。
名古屋城 003

東南隅櫓
規模・構造は西南隅櫓と同じですが、石落しの破風が異なっています。
名古屋城 004

表二之門から西南隅櫓方向の堀です。
名古屋城 005

清正石
天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣を歌わせ民衆の老若を問わず鋼をとって運んだと伝えられていますが、この石塁の施工大名は黒田長政なので単なる説話のようです。
名古屋城 006

天守は巨大な容積
高さでは江戸城や徳川大坂城の天守に及ばないが、その内部には1,759畳の大京間畳が敷き詰められていた。
名古屋城 007

天守台
最も高度な技術を要した天守台石垣は、加藤清正が築いています。
名古屋城 008

焼失前の天守閣と本丸御殿
平成21年から本丸御殿の復元工事が始まっています。
名古屋城 009

百名城スタンプラリー 57城目をゲットしました。
名古屋城スタンプ

金鯱
名古屋城といったら、『シャチホコ』!説明は不要だと思います。
名古屋城 010


次は、岐阜城に向かいます。


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                               <参考文献:名古屋城公式HP・リーフレット>

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百名城45 岡崎城

長らく聖地となった 徳川家康の誕生の城

『複雑な縄張りに巨大な穴堀が残る』

岡崎城は 徳川家康(竹千代)が生まれた城として有名であるが 竹千代が生まれた1542年頃は櫓や

門の屋根も茅葺で 当地は石の産地ながら石垣などもなく ただ堀を掘ったその土をかきあげて芝を植えた

だけの土塁がめぐっていたという

桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると松平元康(後の徳川家康)は岡崎城を取り戻し 今川家から独立

する その後家康は本拠を浜松城に移し 岡崎城は子の松平信康が入った

1590年の秀吉による小田原征伐後 家康が関東に移封となると、豊臣家臣・田中吉政が入る

吉政は家康に対する抑えの拠点の一つとして 城を拡張し強固な石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備

した

また 城下町の整備も積極的に行い岡崎の郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を通るように変更し

「岡崎の二十七曲がり」といわれるクランク状の道に整備し 現在の岡崎城の原型を造った

関が原合戦後の1602年 徳川氏譜代の重臣である本多康重が上野国白井より5万石で入城する

1607年には3重の天主が完成し 以降の徳川政権下では家康誕生の城として重要視され 譜代大名が

歴代の城主を務めている

現在の岡崎城は 鉄筋コンクリート造 三層5階 付櫓・井戸櫓が付属する再建の複合天守閣で1959年(昭

和34年)に建てられた復興天守です

今回は、バスツアーで愛知・岐阜の5城を攻めてきましたので、順番にアップしたいと思います。
岡崎城の登城は、平成22年5月8日です。
岡崎城は、平成21年9月22日に登城しておりますので、百名城スタンプは前回ゲット済です。
岡崎城 20100508 001

大手門は、平成5年に再建されています。
岡崎城 20100508 006
<クリックで拡大します>

岡崎城といったら、天守北側の深堀ですよね。
岡崎城 20100508 004

今回、運用よく家康のからくり時計を見ることができました。
岡崎城 20100508 002

家康が誕生したときに産湯として使われた井戸です。
岡崎城 20100508 005

徳川四天王の一人である「本多忠勝」の銅像です。戦国無双では痛めつけられました。ハイ
岡崎城 20100508 003

次は、清洲城に向かいます。

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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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