日本百名城53 『二条城』
『天皇の行幸を仰いだ 絢爛豪華な京の城』
「世界遺産の二条城には、御殿をはじめ多くの櫓や門が残る」
二条城は徳川家康が1601年、京都における儀礼施設として築城に着手し、1603年にはここで征夷大将軍
拝賀の儀式を行っています。
この時の城は現在の二の丸に相当する場所にありました。
その後、改築が行われ家光のとき、後水尾天皇行幸を迎えるため本丸御殿と総塗籠の白亜の五重天守が
つくられ、今日の規模になっています。
天守は1750年に落雷で焼失。
現在、現存の二の丸御殿が徳川幕府の栄華を伝えますが、本丸御殿は市中の火災による類焼で失われた
ため、その場所に明治27年に京都御苑内の旧桂宮邸が移築されています。
平成6年には、「古都京都の文化財」のひとつとして世界文化遺産に登録されています。
東大手門
市内でレンタカーを借りて、開門(8:45)前に到着しました。
すでに多くの人たちが待っておられました。

東南隅櫓
大火の際に多くの櫓が焼失してしまい、今はこの東南隅櫓と西南隅櫓が残っているだけです。

二の丸御殿
今回の登城目的は、百名城スタンプのゲットにありましたので管理事務所で押印後、国宝の二の丸御殿
だけでもと足を運ぶも、9時開門ですから閉まっていました。
誰もいない二の丸御殿、いいですね!

唐門
二の丸御殿入口の唐門は現在工事中でした。
前回の登城時(2008.4.26)に撮ったものです。
切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。彫刻がふんだんに使われています。

二の丸庭園(撮影:2008.4.26)
1602~1603頃(家康時代)二条城が造営されたと きに、その建築に調和させて作庭されたものですが、
1626年(家光時代)の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられたといわれます。

天守台から望む内堀(撮影:2008.4.26)

百名城スタンプ(82城目)[登城日:2012.4.6]


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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
4月6日の正解: 脳溢血
1578年3月15日に遠征を開始する予定だったらしく、その6日前である3月9日、遠征の
準備中に春日山城で倒れ、3月13日、急死しています。享年49。
倒れてから昏睡状態にあったことから、死因は脳溢血との見方が強いといわれます。
≪本日の問題≫
「世界遺産の二条城には、御殿をはじめ多くの櫓や門が残る」
二条城は徳川家康が1601年、京都における儀礼施設として築城に着手し、1603年にはここで征夷大将軍
拝賀の儀式を行っています。
この時の城は現在の二の丸に相当する場所にありました。
その後、改築が行われ家光のとき、後水尾天皇行幸を迎えるため本丸御殿と総塗籠の白亜の五重天守が
つくられ、今日の規模になっています。
天守は1750年に落雷で焼失。
現在、現存の二の丸御殿が徳川幕府の栄華を伝えますが、本丸御殿は市中の火災による類焼で失われた
ため、その場所に明治27年に京都御苑内の旧桂宮邸が移築されています。
平成6年には、「古都京都の文化財」のひとつとして世界文化遺産に登録されています。
東大手門
市内でレンタカーを借りて、開門(8:45)前に到着しました。
すでに多くの人たちが待っておられました。

東南隅櫓
大火の際に多くの櫓が焼失してしまい、今はこの東南隅櫓と西南隅櫓が残っているだけです。

二の丸御殿
今回の登城目的は、百名城スタンプのゲットにありましたので管理事務所で押印後、国宝の二の丸御殿
だけでもと足を運ぶも、9時開門ですから閉まっていました。
誰もいない二の丸御殿、いいですね!

唐門
二の丸御殿入口の唐門は現在工事中でした。
前回の登城時(2008.4.26)に撮ったものです。
切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。彫刻がふんだんに使われています。

二の丸庭園(撮影:2008.4.26)
1602~1603頃(家康時代)二条城が造営されたと きに、その建築に調和させて作庭されたものですが、
1626年(家光時代)の御水尾天皇行幸のために一部改修を加えられたといわれます。

天守台から望む内堀(撮影:2008.4.26)

百名城スタンプ(82城目)[登城日:2012.4.6]


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≪昨日の解答≫
4月6日の正解: 脳溢血
1578年3月15日に遠征を開始する予定だったらしく、その6日前である3月9日、遠征の
準備中に春日山城で倒れ、3月13日、急死しています。享年49。
倒れてから昏睡状態にあったことから、死因は脳溢血との見方が強いといわれます。
≪本日の問題≫
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