百名城75 萩城
海と指月山を背後の守りとした 毛利氏の堅城
『「扇の勾配」の天守台石垣が 水堀に映える』
関ヶ原の戦いで西軍総大将となった毛利輝元は、敗戦により120万石から防長2国36.9万石に減封され
山陰の僻遠地に押込められる
早朝9時30分の登城でしたので、車はおみやげ屋さんの無料駐車場に止め登城しましたが、貸切状態
でした。
石垣は、古いものと新しい石が混在していて、「ふ~ん」という感じでした。
登城後は萩の街並み見学のため、レンタルサイクルで武家屋敷を廻りました。
城は詰の丸を指月山に築き、山麓に本丸・二の丸を設け、五層の天守を建てられていたそうです。

現在は指月公園として整備され、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が現存し、松下村塾や侍
屋敷などが萩市の観光名所となっています。

<クリックで拡大します>
本丸内門前から 天守台方向を望む

<クリックで拡大します>
天守台石垣の高さは 7m程である

<クリックで拡大します>
天守台から本丸大手門方向を望む

<クリックで拡大します>
登城日:平成21年10月3日


にほんブログ村
『「扇の勾配」の天守台石垣が 水堀に映える』
関ヶ原の戦いで西軍総大将となった毛利輝元は、敗戦により120万石から防長2国36.9万石に減封され
山陰の僻遠地に押込められる
早朝9時30分の登城でしたので、車はおみやげ屋さんの無料駐車場に止め登城しましたが、貸切状態
でした。
石垣は、古いものと新しい石が混在していて、「ふ~ん」という感じでした。
登城後は萩の街並み見学のため、レンタルサイクルで武家屋敷を廻りました。
城は詰の丸を指月山に築き、山麓に本丸・二の丸を設け、五層の天守を建てられていたそうです。

現在は指月公園として整備され、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が現存し、松下村塾や侍
屋敷などが萩市の観光名所となっています。

<クリックで拡大します>
本丸内門前から 天守台方向を望む

<クリックで拡大します>
天守台石垣の高さは 7m程である

<クリックで拡大します>
天守台から本丸大手門方向を望む

<クリックで拡大します>
登城日:平成21年10月3日


にほんブログ村
スポンサーサイト
百名城74 岩国城
毛利領国の東の要衝に築かれた要の城
『山上にそびえる「南蛮造」の天守が錦帯橋を見下ろす』
関ヶ原合戦後 長門・周防の2国に減封された毛利家存続のため 1603年 築城を開始
10年の歳月をかけ築城し 横山山頂に山城の横山城したが 1615年の一国一城令により 山頂の横山城は破却
現在の復興天守は 錦帯橋からの景観を配慮して 本の丸から50m南側に立つ
本の丸北側には 本来の天守台が残っている
ロープウェイ山麓駅から 20分毎に運行されています(往復540円) また、山麓駅に駐車場もありました

錦川にかかる 日本三名橋・三奇橋の「錦帯橋」

<クリックで拡大します>
「南蛮造り」と呼ばれる復興天守

<クリックで拡大します>
本来の天守台が残っている(南側から)

<クリックで拡大します>
本丸から望む眺望は 素晴らしいです

<クリックで拡大します>
登城日:平成21年7月14日


にほんブログ村
『山上にそびえる「南蛮造」の天守が錦帯橋を見下ろす』
関ヶ原合戦後 長門・周防の2国に減封された毛利家存続のため 1603年 築城を開始
10年の歳月をかけ築城し 横山山頂に山城の横山城したが 1615年の一国一城令により 山頂の横山城は破却
現在の復興天守は 錦帯橋からの景観を配慮して 本の丸から50m南側に立つ
本の丸北側には 本来の天守台が残っている
ロープウェイ山麓駅から 20分毎に運行されています(往復540円) また、山麓駅に駐車場もありました

錦川にかかる 日本三名橋・三奇橋の「錦帯橋」

<クリックで拡大します>
「南蛮造り」と呼ばれる復興天守

<クリックで拡大します>
本来の天守台が残っている(南側から)

<クリックで拡大します>
本丸から望む眺望は 素晴らしいです

<クリックで拡大します>
登城日:平成21年7月14日


にほんブログ村