日本百名城77 高松城
瀬戸内の海に臨んで築かれた全国屈指の海城
『三重4階地下1階の南蛮造りの天守再建計画がもちあがる』
高松城は羽柴(豊臣)秀吉の武将生駒親正が讃岐一国を与えられ 1588年瀬戸内海に面した
地に築城を開始した平城です
海水を取り入れた幅の広い水堀が本丸や二の丸・三の丸を巡る本格的な海城であった
内堀に島のように浮かぶ本丸に建てられた天守は松平頼重によって三重4階地下1階に改築され
最上階が下の階より張り出した南蛮造り(唐造)と呼ばれる形式であった
天守は1884年(明治17年)に取り壊されてしまいましたが、城跡には月見櫓や艮櫓(うしとら
やぐら)などが残っています
月見櫓や艮櫓は それぞれ意匠的にも特色のある三重櫓です
地元では天守の復元計画が進行し 現在 天守台石垣の修復工事を行っていて本丸に立ちること
はできません
現存する月見櫓
船の到着を監視するための櫓で着見櫓とも呼ばれていました。
多くの破風や窓の上下に長押型などを設けており装飾性が高い櫓です。
写真は、百名城めぐりで平成22年9月19日に撮ったものです。

現存する旧東の丸艮櫓
昭和42年 東の丸から太鼓櫓跡に移設現存しています。
大きく張り出した石落と大型の千鳥破風が特徴的です。

天守台
天守台は平成17年から修復工事のため解体(写真の左部分)されています。

本丸
天守台と同様に工事が行われていますので、立ち入ることはできません。

水堀の水門
水堀には海水を利用しているため、この水門で海水を導入しています。

百名城スタンプ
西入口(旧東の丸艮櫓側)でゲットしました。(64城目)

次は、徳島城に向かいます。
「四国のお土産は?」by sa-ko嬢
「龍馬マツボックリぜよ~」 桂浜で龍馬さまが美味しいと言っていたから・・・

「そんなものお土産じゃないし! 龍馬には興味ないし・・・」by piglet

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応援ありがとうございました
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解は:豊前
秀吉が最も警戒していたのが家康と官兵衛であり、官兵衛に百万石を与えたら、
わしの天下が奪われると、豊前で12万石しか与えていません
≪本日の問題≫
『三重4階地下1階の南蛮造りの天守再建計画がもちあがる』
高松城は羽柴(豊臣)秀吉の武将生駒親正が讃岐一国を与えられ 1588年瀬戸内海に面した
地に築城を開始した平城です
海水を取り入れた幅の広い水堀が本丸や二の丸・三の丸を巡る本格的な海城であった
内堀に島のように浮かぶ本丸に建てられた天守は松平頼重によって三重4階地下1階に改築され
最上階が下の階より張り出した南蛮造り(唐造)と呼ばれる形式であった
天守は1884年(明治17年)に取り壊されてしまいましたが、城跡には月見櫓や艮櫓(うしとら
やぐら)などが残っています
月見櫓や艮櫓は それぞれ意匠的にも特色のある三重櫓です
地元では天守の復元計画が進行し 現在 天守台石垣の修復工事を行っていて本丸に立ちること
はできません
現存する月見櫓
船の到着を監視するための櫓で着見櫓とも呼ばれていました。
多くの破風や窓の上下に長押型などを設けており装飾性が高い櫓です。
写真は、百名城めぐりで平成22年9月19日に撮ったものです。

現存する旧東の丸艮櫓
昭和42年 東の丸から太鼓櫓跡に移設現存しています。
大きく張り出した石落と大型の千鳥破風が特徴的です。


天守台
天守台は平成17年から修復工事のため解体(写真の左部分)されています。

本丸
天守台と同様に工事が行われていますので、立ち入ることはできません。

水堀の水門
水堀には海水を利用しているため、この水門で海水を導入しています。


百名城スタンプ
西入口(旧東の丸艮櫓側)でゲットしました。(64城目)

次は、徳島城に向かいます。
「四国のお土産は?」by sa-ko嬢
「龍馬マツボックリぜよ~」 桂浜で龍馬さまが美味しいと言っていたから・・・


「そんなものお土産じゃないし! 龍馬には興味ないし・・・」by piglet

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解は:豊前
秀吉が最も警戒していたのが家康と官兵衛であり、官兵衛に百万石を与えたら、
わしの天下が奪われると、豊前で12万石しか与えていません
≪本日の問題≫
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日本百名城78 丸亀城
亀山を3段の高石垣が巡る讃岐の要塞
『海をにらんで築かれた風格ある三重天守が今も残る』
丸亀城は 丸亀平野の海抜66mの亀山に生駒親正が隠居城として1597年から1602年にかけて
築城しています
しかし 元名の一国一城令で丸亀城はいったん廃城となっています
その後入封した山崎家治が1642年から再建に取り掛かったものの 跡継ぎがなく改易
その後に入った京極氏が城を完成させています
現在見られる天守は この京極氏がつくったもので三重の小規模ながら 3段に積み上げられた
石垣の上に築かれた姿は風格があります
丸亀城は城山全体の石垣がよく残っており 隅櫓や多聞櫓などを加えて かつての本丸や二の丸
などの主郭部を蘇らせる計画もあるようです
本丸南西から見た天守
三重三階の層塔型天守で 初重目の北・東・南面が下見板張になっている以外は漆喰白壁です
写真は、日本百名城めぐりで平成22年9月19日に撮ったものです。

大手枡形
石橋を渡り 高麗門形式の二の門を通り抜けた右側に渡櫓門があり 枡形虎口を形成しています

<クリックで拡大します>
高石垣で有名ですが、石垣の修復跡が良く分かる城としても有名です。

天守北面
初重板の下見板張 二重目の唐破風 三段目の格子窓が天守としての格式を高めています

御殿から見た天守
石垣が立派すぎて、天守は他の城の櫓程度にしか見えないですね。

百名城スタンプ
丸亀城天守の入城口でゲットしました。(63城目)

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解は:2代
秀忠は、1605年に征夷大将軍に任ぜられ、徳川幕府二代目将軍となっています。
≪本日の問題≫
『海をにらんで築かれた風格ある三重天守が今も残る』
丸亀城は 丸亀平野の海抜66mの亀山に生駒親正が隠居城として1597年から1602年にかけて
築城しています
しかし 元名の一国一城令で丸亀城はいったん廃城となっています
その後入封した山崎家治が1642年から再建に取り掛かったものの 跡継ぎがなく改易
その後に入った京極氏が城を完成させています
現在見られる天守は この京極氏がつくったもので三重の小規模ながら 3段に積み上げられた
石垣の上に築かれた姿は風格があります
丸亀城は城山全体の石垣がよく残っており 隅櫓や多聞櫓などを加えて かつての本丸や二の丸
などの主郭部を蘇らせる計画もあるようです
本丸南西から見た天守
三重三階の層塔型天守で 初重目の北・東・南面が下見板張になっている以外は漆喰白壁です
写真は、日本百名城めぐりで平成22年9月19日に撮ったものです。

大手枡形
石橋を渡り 高麗門形式の二の門を通り抜けた右側に渡櫓門があり 枡形虎口を形成しています


<クリックで拡大します>
高石垣で有名ですが、石垣の修復跡が良く分かる城としても有名です。


天守北面
初重板の下見板張 二重目の唐破風 三段目の格子窓が天守としての格式を高めています

御殿から見た天守
石垣が立派すぎて、天守は他の城の櫓程度にしか見えないですね。

百名城スタンプ
丸亀城天守の入城口でゲットしました。(63城目)

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解は:2代
秀忠は、1605年に征夷大将軍に任ぜられ、徳川幕府二代目将軍となっています。
≪本日の問題≫