日本百名城84 高知城
土佐の太守山内一豊が築きあげた四重天守の城
『天守はじめ御殿・門・櫓など多くの現存建物が残る』
高知城が築かれた大高坂山は 南北朝時代には大高坂松王丸の居城があった
関ヶ原の戦い後 山内一豊が掛川より入封 大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築城し
四重6階の天守を建てています
山頂に本丸と二の丸 東側の一段下に三の丸が配され 二の丸には藩主の居住空間である御殿
が設けられていました
現存する天守は 1727年の大火で他の建物とともに焼失後 1747年に望楼型天守として再建さ
れたものです
築城当時の古い様式となっているのは 掛川5万石から一躍土佐24万石の太守となった藩主山内
一豊への思いからといわれています
また 天守に接続している本丸御殿は全国でも数少ない現存する御殿遺構として貴重となって
います
天守と本丸御殿
天守と御殿が一枚の写真に写る城で有名です。

山内一豊の銅像
一豊さんは追手門の外側で待ってくれています。

追手門
1801年に再建された追手門で、下見板張りの重厚な外観です。

山内千代の像
嫁入りの持参金または臍繰りで一豊の欲しがった名馬(鏡栗毛)を購入し、主君信長の馬揃え
(軍事パレード)の際に信長の目につき加増された話や、まな板代わりに枡を裏返して使い倹約
した話など、「内助の功」で夫を支えたエピソードで有名ですですよね。
どうも、高知では一豊より千代さんの方が人気が高いようです。

一豊と千代さんの結婚の碑は「岐阜城公園」にあります。
写真は、百名城めぐり(岐阜城)で、平成22年5月9日に撮ったものです。

野面積み石垣

石樋
高知城の排水設備には様々な工夫が見られ、石樋は石垣の上部からかなり突き出した設計になって
おり、集められた排水が石垣にあたり土台にしみ込んで、地盤が緩まないように工夫されています。

天守東面
二重目の大入母屋屋根の上に二重の望楼を載せた四重6階の望楼型天守で、大型の千鳥破風や
最上階の廻縁や高欄など古式な美しさを見せています

二の丸
二の丸の東南に本御殿があり、南西に藩主の居屋敷がありました。

詰門と廊下門
詰門は二の丸と本丸を結ぶ廊下になっており、侍の間、中老の間、家老の間があって本丸を警固する
武士たちの詰所があった。本丸の入口には廊下門があり、その上部に多聞櫓が建てられている。
詰門 詰門内部(右側が詰所)

廊下門

本丸正殿と納戸蔵
本丸の書院は正殿、溜の間、玄関からなり、右手に藩の重要書類を収蔵した納戸蔵がある
本丸正殿 納戸蔵

黒鉄門
柱、門扉に多数の小鉄板が打ちついてあるので黒鉄門と名付けられている

百名城スタンプは本丸御殿入口でゲットしました。(66城目です。)

1号は、おりこうさんで爪切りができました。^^

ランキングに参加しています

にほんブログ村
応援ありがとうございました
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解:制圧した地を最前線にした
信長は制圧した地に住み、そこを次の攻撃の最前線基地にしていました。
≪本日の問題≫
『天守はじめ御殿・門・櫓など多くの現存建物が残る』
高知城が築かれた大高坂山は 南北朝時代には大高坂松王丸の居城があった
関ヶ原の戦い後 山内一豊が掛川より入封 大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築城し
四重6階の天守を建てています
山頂に本丸と二の丸 東側の一段下に三の丸が配され 二の丸には藩主の居住空間である御殿
が設けられていました
現存する天守は 1727年の大火で他の建物とともに焼失後 1747年に望楼型天守として再建さ
れたものです
築城当時の古い様式となっているのは 掛川5万石から一躍土佐24万石の太守となった藩主山内
一豊への思いからといわれています
また 天守に接続している本丸御殿は全国でも数少ない現存する御殿遺構として貴重となって
います
天守と本丸御殿
天守と御殿が一枚の写真に写る城で有名です。

山内一豊の銅像
一豊さんは追手門の外側で待ってくれています。

追手門
1801年に再建された追手門で、下見板張りの重厚な外観です。


山内千代の像
嫁入りの持参金または臍繰りで一豊の欲しがった名馬(鏡栗毛)を購入し、主君信長の馬揃え
(軍事パレード)の際に信長の目につき加増された話や、まな板代わりに枡を裏返して使い倹約
した話など、「内助の功」で夫を支えたエピソードで有名ですですよね。
どうも、高知では一豊より千代さんの方が人気が高いようです。

一豊と千代さんの結婚の碑は「岐阜城公園」にあります。
写真は、百名城めぐり(岐阜城)で、平成22年5月9日に撮ったものです。

野面積み石垣

石樋
高知城の排水設備には様々な工夫が見られ、石樋は石垣の上部からかなり突き出した設計になって
おり、集められた排水が石垣にあたり土台にしみ込んで、地盤が緩まないように工夫されています。

天守東面
二重目の大入母屋屋根の上に二重の望楼を載せた四重6階の望楼型天守で、大型の千鳥破風や
最上階の廻縁や高欄など古式な美しさを見せています

二の丸
二の丸の東南に本御殿があり、南西に藩主の居屋敷がありました。

詰門と廊下門
詰門は二の丸と本丸を結ぶ廊下になっており、侍の間、中老の間、家老の間があって本丸を警固する
武士たちの詰所があった。本丸の入口には廊下門があり、その上部に多聞櫓が建てられている。
詰門 詰門内部(右側が詰所)


廊下門

本丸正殿と納戸蔵
本丸の書院は正殿、溜の間、玄関からなり、右手に藩の重要書類を収蔵した納戸蔵がある
本丸正殿 納戸蔵


黒鉄門
柱、門扉に多数の小鉄板が打ちついてあるので黒鉄門と名付けられている

百名城スタンプは本丸御殿入口でゲットしました。(66城目です。)

1号は、おりこうさんで爪切りができました。^^


ランキングに参加しています

にほんブログ村
応援ありがとうございました
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解:制圧した地を最前線にした
信長は制圧した地に住み、そこを次の攻撃の最前線基地にしていました。
≪本日の問題≫
スポンサーサイト