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清正公の石垣も崩落

『国の重要文化財の櫓倒壊』

熊本地方の地震が収束せずに、被害が拡大しております。

罹災された方々に、あらためてお見舞い申上げます。


清正公が17世紀はじめに築城した、当初から残る建造物の東十八間櫓(やぐら)と北十八間櫓が

16日未明の地震で倒壊してしまいました。

せいこしょさんが造営した遺産を失うことは、熊本県人としては非常に残念なことです。

ku.熊本城 20160414 地震8


ライトアップ写真撮影時に写した、五間櫓・北十八間櫓
ku.熊本城 20160414 地震8-1




《平成17年に復興された飯田丸五階櫓》

崩壊寸前の飯田丸五階櫓

ku.熊本城 20160414 地震9

飯田丸だけでも小さな城の機能を持ち、その小さなお城の天守閣の役目を果たすのが飯田丸五階櫓でした。

ku.熊本城 20160414 地震9-1







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熊本城が壊れた

『お見舞い申上げます』

熊本地方大地震で被害にあわれた方々にお見舞い申上げます。

テレビ映像で、熊本城の石垣が崩れる動画が飛び込んできました。

ku.熊本城 20160414 地震

被害の詳細はわかりませんが、頬当門の石垣や天守閣入口の石垣などが崩壊したとの情報もあります。

ku.熊本城 20160414 地震2

ku.熊本城 20160414 地震3

ku.熊本城 20160414 地震4

ku.熊本城 20160414 地震6


頬当御門からの入城はできない状況です。
ku.熊本城 20160414 地震5



宇土櫓のこの石垣が一番お気に入りなのですけど、崩壊していなければいいのですけど。。。

石垣が10数箇所崩れているそうですけど、清正公が積み上げた石垣ではなく、後世に積んだ石垣が殆んどの

ようです。

宇土櫓は大丈夫のようです。  さすが清正公です!

ku.熊本城 20151104




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日本百名城92 「熊本城」

『梅雨の晴空に浮かぶ熊本城』

7月7日(日)の帰京日に、少し時間があったので、また熊本城に立ち寄りました。

登城ルートは、二の丸駐車場より西大手門からの入城です。

二の丸から望む熊本城(左から宇土櫓、小天守、大天守)
20130707 熊本城 001

西大手門
1632年、加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利は、この門の前で駕籠を降り「謹んで肥後54万石
を拝領仕まりまする」と深々と頭を下げたと伝わります。
20130707 熊本城 002

西出丸から望む宇土櫓
20130707 熊本城 004

圧巻の宇土櫓の石垣
この宇土櫓は現存ですから、熊本城のなかでも人気の建物です。(左から小天守、大天守、宇土櫓)
20130707 熊本城 005

20130707 熊本城 008


加藤神社には、「加藤清正公を大河ドラマに」旗も立っています。
20130707 熊本城 006 20130707 熊本城 007

頬当御門
現在の熊本城のメインの入城門になっています。
20130707 熊本城 009

奉行丸から望む飯田丸五階櫓
この櫓からは出陣も出来たといいますから、立派な天守ですよね。
20130707 熊本城 010

熊本城案内図(クリックで拡大)
20130707 熊本城 100

可愛い熊本城巡回バスも走っています。
20130707 熊本城 011

7月5日には熊本城のライトアップをカメラに収めましたので、後日にアップしたいと思います。

pig 20130709 001

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早朝の熊本城

『早朝の熊本城』

一日遅れの記事になりました。

金曜日の夜にホテルから撮った熊本城のライトアップが、旨く撮れていませんでしたので、早朝に撮り直して

みました。

小天守を前にした写真を撮る場所は多くありませんので、再チャレンジです。

DSC_0271_convert_20130707015130.jpg

肥後国を2分割して、清正公の熊本城と関ヶ原の敗戦で三成くんと共に散った小西行長公の宇土城があり

ますので、宇土城に行ってみました。

こちらは、完全に破却され城址公園になっていますので、公園に銅像だけが建っています。

IMG_0304_convert_20130707022235.jpg

土曜日の城廻りは一城のみで、午後は実家に帰り休憩タイムになりました。

sakura 20130707 001

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日本百名城92 熊本城が不落の名城を実証

「わしは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と西郷どん

西南戦争で官軍3,500人が熊本城に籠城し、攻め方の薩軍は15,000人で総攻撃をしたものの、攻め

あぐね、城内にひとりも入ることはできませんでした。

官軍は52日間にも及ぶ籠城戦は終了し、加藤清正が築城した熊本城は270年後の戦いにも通用した

不落の名城を名実ともに実証した訳です。

西郷隆盛は、終焉の地城山(鹿児島)で「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」と独白

したと、まことしやかに今も伝えられています。

『現存する宇土櫓』
ku.熊本城 20110204 016


『宇土櫓』
小西行長に縁の「三の天守」。重要文化財ですが内部を一般公開しています。

ku.熊本城 20110204 017
ku.熊本城 20110204 034 ku.熊本城 20110204 035
この写真は、平成21年7月6日に撮ったものです。
ku.熊本城 20090706 宇土櫓002 ku.熊本城 20090706 宇土櫓003

本丸の西北隅、20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と

大きさを誇ります。

熊本城には天守とは別に、この規模の五階櫓が明治初年まで5棟(築城当時は6棟)存在しました。

宇土櫓の名前の由来は宇土の小西行長が関ヶ原で滅んだ後、小西の家臣の一部を清正が召し抱え

て櫓をこの一団に管理させたことから、こう呼ばれたのではないかと言われています。

かつては宇土城天守閣を移築したとの説がありましたが、平成元年の解体修理の際にその痕跡が見

つからなかったので、現在は否定されています。

宇土櫓の屋根には鯱が乗り、大小天守閣と並んで三の天守と呼ばれることもありますが、この鯱は旧

来からあったものではなく、昭和2年に陸軍が解体修理した際に城内に保管してあった鯱を取り付けた

ものです。

この鯱は青銅製で高96cm、重さ約60kgあります。国指定の重要文化財ですが、現在は内部を一般

公開しています。


『狭間・石落とし』
防備の固さを物語る熊本城の狭間と石落とし

ku.熊本城 20110204 狭間と石落し

敵から身を隠しながら鉄砲や矢を放つ小さな窓のことを狭間といい、櫓や塀の壁に設けられています。

熊本城の狭間は長方形で長短2種類あり、長いものが矢狭間、短いものが鉄砲狭間です。

櫓の角や塀の途中に設けられた壁面の出っ張りが石落しです。石垣を登ってくる敵に石を落とす仕掛

けです。

熊本城では櫓や塀、天守はもちろん、遊興の場である数寄屋丸二階御広間でさえ、南面の壁に狭間

や石落しが設けられており、防備の堅さを物語っています。


『首掛け石と井戸』
怪力無双の若者が、花岡山から首にかけて運んできた石

ku.熊本城 20110204 018 ku.熊本城 20110204 019

熊本城築城の折、横手の五郎という怪力無双の若者が花岡山から首にかけて運んできた石と伝えら

れ、重さは1800kgあります。五郎は天草国人一揆の際に、加藤清正と一騎打ちの末に殺された木山

弾正の遺児で、清正を父の仇と狙い、城内に人夫として入り込んでいましたが、見破られ殺されたと伝

えられています。

五郎は殺されるとき井戸に落とされて、上から大石を投げ込まれますが、次々と石を受け止めこれを足

場にして、どんどん上へ登ってきます。一計を案じた家臣が砂を流し込んでやっと生き埋めにしました。

その後いろんなたたりが続いたので、横手村に祠(ほこら)を造り、横手大明神として祀られたそうです。


『頬当御門』
門衛が待つ、お城の正面玄関

ku.熊本城 20090706 頬当御門

天守閣へ向かう正面入口です。

この門はお城を顔に見立てたとき、ちょうど顔の前に当てる甲冑の部品の頬当てに見えることから、頬当

御門と呼ばれるようになったと言われています。

頬当御門には鎧を着た門衛が迎えてくれます。(門衛は、天候等により配置されない場合もあります。)


頬当御門は、天下の名城の門としては貧弱ですよね。城外からの門としては「大手門」がありますので、

前回登城のこちらを参照されてください。


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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 嫌なら領国に帰って戦う準備しろ
        徳川家康から、子・徳川義直が入る尾張名古屋城の普請を命じられたとき、福島正則は
        「大御所の息子の城普請まで手伝わなければならないのか」と愚痴をこぼしたのに対し
        て、清正は「嫌なら領国に帰って戦う準備をしろ」と告げたといいます。

≪本日の問題≫


                                            <参考文献:現地案内板、熊本城HP>

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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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