自分の城と領地を差し出す

『盗んだ「一言」で一国を得た山内一豊』

関ヶ原で戦闘らしい戦闘もすることなく、遠州掛川城から、一躍、土佐一国20万石の太守にまで出世

したのが山内一豊です。

一豊は、三成挙兵を知らされた小山評定の席上で、家康に自分の城と領地を差し出すと発言した。

この前代未分の申し出には、はじめは驚嘆していた海道筋の諸将も、遅れてはならじと我も吾れもと

城と領地を差し出した。

小山評定碑 (小山市役所駐車場)
ko.小山評定碑

家康は、一豊の一言によって、戦わずして東海道の諸城と関ヶ原のまでの安全な道のりを手に入れ

ることができたのです。

しかし、実はこのアイデアは、一豊のものではなく、遠州浜松に城を持つ堀尾吉晴のものであったの

です。

小山の軍議に向かう途上、一豊が隣に宿陣していた吉晴を誘い、道中、家康に城と領地を差し出す

と、得意げに話すアイデアを一豊が盗んで自分のものにしたのです。

一豊に先を越された吉晴も、家康に城と領地を差し出すことを申し出るが、もはや後の祭り。

吉晴は、たいした加増を受けなかった。

吉晴が口は災いのものと言ったかどうかわかりませんが、他人のアイデアを盗み、それも舌先一枚で

20万石を得た一豊は、笑いが止まらなかったことでしょう。



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山内一豊の高知城 (高知城登城記は「こちら」です。)
ko.高知城 001




                         <参考文献:戦国武将おもしろ辞典(監修奈良本辰也)>
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戦国最大の名誉挽回劇を演じた「仙石秀久」 その3

『より大きな成功の扉をあけた秀久』

戦国の世で、失態から転落した武将が、その地位を回復した例は殆んどいません。

まして秀久は負け戦を招きながら自分だけ逃げ出したことで、臆病者のレッテルまで貼られていたのです。

それを壮大なパフォーマンスと自らの力によって、勇猛果敢な生き様を取り戻したのです。

小諸城 (小諸城登城記は「こちら」です。)
ko.小諸城 002

原動力となったのは、出世への執念か、秀吉への忠義なのか。いづれにしても、最後に信じたのは秀久自

身の力だけであったのです。

秀吉亡き後は、小田原参陣の恩もある家康に近づき、秀忠をサポートする役目に就いた。

後に家康の天下が訪れると、小諸藩の初代藩主に任命され、秀忠か将軍になってからも絶大な信頼を得、

63年で没するまで、秀忠から破格の待遇を受けたという。

小諸城といったら、秀忠が上田城攻めの時に、投宿した城ですね。

もし秀久が秀吉の下で成功を続けていたなら、関ヶ原の戦いでは家康と敵対関係にあったかもしれず、晩

年は違っていたのでしょう。

そう考えれば、秀久は死に物狂いで失敗を乗り越えたことで、より大きな成功への扉を開いたともいえるの

でしょう

仙石秀久は、好き、嫌いで意見が別れる武将かも知れません。



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                            <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)>

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戦国最大の名誉挽回劇を演じた「仙石秀久」 その2

『鈴鳴り武者』

四国征伐でも期待どおりの活躍を見せた仙石秀久は、1586年の九州征伐の総大将の任を受けた。

敵は九州に一大勢力を築き勢い盛んな島津家で、その大将は家中きっての戦略家・島津家久です。

ライトアップの小田原城 (登城記は「こちら」です。)
od.小田原城 001

秀久には敵の戦力が少ないように見え、そして秀吉不在のこの戦いで勝利すれば、さらに武功をあげること

ができると考えたのでしょう。

部下の進言を無視して突撃したが、これは島津家久の罠。

あっという間に包囲され、大敗を喫してしまった。

しかも、あろうことか総大将の秀久が真っ先に逃げ出すという始末。

この失態に、当然のごとく秀吉は激怒した。

積み上げてきた信頼はあっけなく崩れ、追放処分を受けた秀久は地位も名誉も失った。

その後、しばらくは寂しく過ごしていた秀久だったが、ようやく名誉挽回のチャンスが訪れます。

徳川家康の口利きによって、小田原征伐に参加できるようになったのです。

もっとも、秀吉に許された訳ではなく、ここで活躍できなければ後はない。しかも誰もが認める戦功をあげ

る必要があり、決死の覚悟の秀久は、陣羽織全体に鈴を縫い付けて出陣した。

体を動かすたびに鈴が鳴ることで、敵からは格好の標的にされる。それでも次々と襲いかかる敵を退け、

あえて守備の厚い場所へ先陣を切って突破口を開いていった。

この姿は「鈴鳴り武者」と称され、秀吉軍の小田原征伐も成功。功績を認められた秀久は九州での失態を

許され、ついに大名の座に帰り咲くことができたのです。



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sakura 20160412




                        <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)>

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戦国最大の名誉挽回劇を演じた「仙石秀久」その1

『秀吉配下で出世街道を突き進む』

美濃の豪族出身の仙石秀久は、はじめ斎藤家に仕えていたが、斎藤家滅亡に伴い織田信長の家臣と

なった。

斎藤家臣時代に目立つ活躍はなかったが、長身で筋骨隆々という秀久の勇猛な姿は、信長に気に入ら

れたという。

仙石秀久(1552-1614年)
se.仙石秀久

家臣のなかで台頭著しい豊臣秀吉の下につくと、秀久は徐々に才能を開花させていった。

織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突した「姉川の戦い」での活躍を皮切りに、秀吉に従軍した

「中国討伐」でも次々と城を落し、秀吉の出世に大きく貢献。秀久に任せておけば安心と、全幅の信頼を

おかれるようになる。

1582年、信長が本能寺に倒れ、秀吉が天下取りに動き出してからも、秀久がその立場を変えることは

なかった。

本能寺の変の首謀者・明智光秀に味方した豪族を討伐する任務をこなし、秀吉が柴田勝家と争っている

あいだは、四国で反抗の意思を表した長曾我部元親を抑えていた。

秀久はこの戦いで何度となく劣勢を強いられたが、長曾我部軍が海を渡ることだけは許さなかったため、

秀吉は勝家との戦いに集中できたのです。

この功績を称えられた秀久は、淡路で一国一城の主に昇進。

秀吉の部下のなかで最も早く大名にのぼり詰め芽、順風満帆な出世街道を歩んでいった。



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pig 20160407



                           <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)>


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合理主義者「小西行長」

『味方を踏み台に功を稼ぐ』

薬商人の子に生まれた小西行長は、やがて宇喜多直家に仕える家臣となっていた。

明晰な頭脳をもって外交に手腕を発揮していた行長であったが、織田家臣として中国攻めに現われた豊臣

秀吉と出遭ったことで、運命は大きく変わる。

小西行長(1558-1600年)
ko.小西行長 003

この時、行長は秀吉との交渉にあたり、宇喜多方の降伏を成立させると同時に織田軍の人質になり、後に

秀吉配下へ転身する。

行長は秀吉のもとで水軍を任されると、すぐに非凡な軍才を発揮し、一躍主力に名乗り出る活躍で、出世を

果たしていく。

その後の朝鮮出兵では、先鋒として功を重ねる一方で、戦局が不利になると講和交渉を担当。

この交渉は失敗に終って、二度目の朝鮮出兵をひき起こすことになるが、ここでも加藤清正らを出し抜いて

功を上げる。

行長は常に抜け目なく合理的に立ち回り、味方を踏み台にしてでも功を稼いでいった。

しかし、関ヶ原の戦いでは、豊臣家を慕って西軍につく。

知勇を備えた合理主義者も恩義で時勢を見誤ったか、敗軍の将となって斬首される結末を招いた。



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小西行長の居城・宇土城
ut.宇土城 005


                          <参考文献:戦国武将がよくわかる本(編集者:レッカ社)>

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piglet01

Author:piglet01
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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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