「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その10

『大名家の存続』

戦国の世に死に物狂いの陣取り合戦をやった諸大名の終局の目的は、子孫に美田を残すことに

あったのでしょう。

それぞれが一定の領土を確保して、子から孫へとゆずり続けようとした。

現存、岡山城月見櫓(2代藩主・池田忠雄が建築)
ok.岡山城 20150419 004

しかし、時間の流れは恐ろく、徳川260年の間に、血が絶えてしまうということが続出してい

ます。

大名は法人のようになり、家臣は法人を存続させるために、誰でもいい、適当な養子を探して

きて後釜にすえたのです。

ですから、なんであの大名家に、あんなゆかりもないところから養子がきて跡を継いでいるのだ

というおかしな相談が続出した。

第5子の五郎麿で、備前岡山池田家には薩摩の血が入ったり、おなじく水戸の血が入ったりとか

なりいい加減になり、最後の殿様・章政は肥後人吉・吉相良から入っているのです。

火花を散らした先妻・糸子や富子(督姫)にとっては思いがけない結果となっています。

ちなみに糸子の実家、豊後岡・中川家の12代の殿様・久昭も伊勢津・藤堂家から入っているの

です。



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                <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その9

『円満に収まった池田家』

富子の側の忠継の後を継いだのは、淡路に6万余石を与えられた忠雄で、忠継の遺領38万石

のうち、播州分の10万石を弟の輝澄、正綱、輝興に分与し、みずからは備前28万石と良正院

(富子)の化粧料(特別手当)であった備中領分の3万5千石を合わせて、31万5千石を領し

た。

池田家が領した備前岡山(岡山城登城記は「こちら」です。)
ok.岡山城 20120210 006

この池田忠雄もまた寛永9年(1632年)4月に死去する。

嗣子・光仲はわずか3歳。

そこで、光政が因幡・伯耆へ国替えとなったとおなじ、幼年だからという理由で、禄高がほぼ同

じだったところから、光政と入れ替わる。

糸子の係累の光政が備前岡山31万5千石を領することになる。

以後、池田家は幕末まで続く。

その後は、複雑ないきさつがあったので、両家の間に悶着があっても不思議ではないのでしょう

が、特にそういうこともなく、嫁のやりとりもしています。


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「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その8

『池田家ではなく督姫系譜』

その後の先妻・糸子の池田利隆家と富子(督姫)の池田忠継家がどうなったのか触れてみたいと

思います。

まず、池田利隆家では、利隆もまた義母や実母の後を追うように元和2年に没しています。

後を継いだのは有名な新太郎光政。

池田家の姫路城
hi.姫路城 20150421 004

光政の父・利隆は武蔵守を名乗っていた。光政も武蔵守を名乗ろうとしたが、武蔵は将軍家のお

膝元。武蔵守を名乗るのは遠慮するようにと達しがあり、だったらと光政は〇〇守と名乗るのを止

め、隠居するまで幼少年が名乗る新太郎のままで通した。

新太郎光政は学問好きで、過激な陽明学を信奉しており、そのことが公儀の耳に入って大老・酒井

忠勝から

「大勢あつまり候所、もよう悪くし候間、門しめ有るべく候」、修学はひかえめにするよう警告さ

れた。

そのころ、たまたま浪人・別記庄左衛門一党の陰謀が露顕し、詮議したところ、謀反を考えている

大名の一人として光政の名が挙げられ、一味のひとりが「おもてむきは儒者、内々はむほん心も

候」

といったので、その疑いをかけられたことを咎められ、光政の子(綱政)らがかかわって幕府から

厳重な訓戒を受けるというようなこともあった。

そんな光政が利隆の跡を継ぐようになったが、幕府は富子の子ではないことから光政には冷淡で、

光政は8歳と幼少でもあったこととて、「播州は中国の要地である。領主が幼少では不都合である」

との理由で、遺領を継いだ翌元和3年、播州42万石を取り上げられ、かわりに因幡・伯耆で32

万石と鳥取に城を与えられた。

ちなみに鳥取に6万石を与えられていた輝政の弟・長吉の子・長幸は備中松山に移されたあと、2

代で絶えています。



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「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その7

pigletとお別れしていましたので、督姫の記事がお休みになっていました。通常ブログに戻り

たいと思いますので、よろしくお願いします。



『富子の計略』

糸子も池田輝政に遅れること2年、元和元年(1615年)12月に死去した。

糸子の子・利隆はせめて分骨して貰って供養しようと、中川家に懇願する。

中川久盛はその懇願もすけなく断った。

督姫(1562-1515年)
to.督姫

富子(督姫)も糸子より10ヵ月ばかり早く、その年の2月に死去している。

おなじ年、備前28万石と播州の10万石、合計38万石を領していた富子の子・忠継も死去す

る。

そんなことから後年、こんな逸話が語られるようになったという。

輝政の播州42万石を利隆でなく、自分が腹を痛めた5人の子に分割して譲り渡したいと富子は

考えて一計を案じる。

富子は忠継の岡山城にいて、姫路から利隆を招いて饗応した。

その時、利隆の膳に載せる饅頭に毒をしのばせた。

忠継の女中が、毒をしのばせてありますと、そっと利隆に知らせる。

利隆は危うく難を逃れたのだが、忠継が母・富子の謀計を知って、日ごろ兄を尊敬していたこと

もあり、利隆の膳から饅頭を奪いとって口にし、悶え苦しみながら死んだ。

それを見て、富子はびっくり仰天。

恥じてみずからも毒入り饅頭を食べて死んだ。

出来の悪い筋書きで、こんな筋書きでは狂言にもかけられないのでしょうが、後に、昔、そんな

ことがあったとまことしやかに語り伝えられるほど、輝政・糸子夫婦への富子の割り込みは、理

不尽なものと、とくに利隆系の人たちには記憶されたのでしょう。



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「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その6

『相続問題』

池田輝政は慶長18年に50歳で没する。

輝政も晩年には富子(督姫)への遠慮もかなぐり捨てたようで、数人の女に手をつけ、女、女、

男、男とさらに4人の子をもうけています。

池田利隆(1584-1616年)
ik.池田利隆

輝政が死ぬと当然のことながら、その跡は先妻・糸子の嫡男・利隆が継いだ。

播州一国は52万石。

富子の子・忠継は備前28万石、つり合いがとれない。

富子は当然そう思う。

父・家康に掛け合い、家康は播州52万石のうちから、宍粟、赤穂、佐用のうちから、合計10

万石を割譲させて忠継に与える。

利隆は52万石から42万石になった。面白くはない。

だが、家康や富子に面と向かって盾をつくこともできない。

そこで、だったら自分もちょっぴりだが、わがままをさせて貰おうと、豊後岡にいる母・糸子に

帰って来てもらいたいと声をかけた。

中川家3代目の秀成(糸子の弟)は輝政の仕打ちをあまりといえばあまりと、憤慨し池田家と絶

縁していた。

その秀成も慶長17年に死に、当代は4代目の久盛となっており、話は久盛にあげられた。

なにを今さら、という思いが久盛にはあり、利隆の要請を頑なに拒んだ。

また、糸子も今さらといって首を縦に振らなかった。



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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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