独眼流の懐刀 「片倉小十郎」 (3)

独眼流の懐刀にして奥州一の知将 片倉小十郎

『引き継がれる小十郎の意思』

病により倒れた小十郎に代わり「大坂の陣」で活躍したのは息子の重長であった

伊達軍の先鋒として出陣し 敵将の真田幸村と刃を交え猛将と名高い後藤又兵衛や薄田兼相など

を討ち取るという功績を立てて大いに名声をあげる

片倉家二代目当主の重長も代々受継がれていく「小十郎」の名を名乗り その勇猛さから「鬼の

小十郎」と称され 先代の景綱に劣らぬ忠義心で伊達家を盛り上げた

また大層な美男子であったようで 上洛した重長を見た大坂城内は大騒ぎとなり小早川秀秋など

は しつこく重長を求めて追い回したという逸話が残されています

そんな誰もが見惚れる重長が妻として迎えた女性は 真田幸村の娘・阿梅であった 婚姻を結ぶ

までの経緯は諸説ありますが 自分の命運は尽きかけていると感じていた幸村が「大坂の陣」で

の小十郎の活躍ぶりを見込んで娘を託したと言われています

他にも重長が戦の混乱に巻き込まれて彷徨っていた娘を保護し 話を聞いてみると偶然にも幸村の

娘であったという説やあらかじめ幸村との間に約束があり 重長が戦の最中に保護したという説など

があります

阿梅と同じく 幸村の6女・阿菖蒲や次男・大八らも重長が引き取って保護しているため 後者の方

が信憑性が高いと思われます

「大坂の陣」のとき 阿梅は12歳であったため実際に重長に迎えられたのは5年後のことです この

時すでに小十郎には正室がいたが その後他界したため阿梅は後妻として片倉家に入っています

こうして片倉家には真田の血筋も混ざり 武家の名門の色を濃くしている

その後も揺るがない忠誠心で伊達家を支えたが 1659年76歳で没します

小十郎の居城「白石城」
sh.白石城 20100620 002 sh.白石城 20100620 001

その後 小十郎の名を受継いだのは重長の子ではなく 松前藩主の子である松前安広と重長の娘

である喜佐との間に生まれた 片倉家の養子・景長であった

景長は伊達家のお家騒動の際 幼き主君・伊達綱村を側で支えている この内紛は当時の将軍・徳川

綱吉の耳に達しており 処罰として場合によっては伊達家から武士としての身分を剥奪し仙台藩の

領地を没収される恐れがあった

この伊達家解体の危機を救ったのが景長である 景長は幕府の命により事件の処理と動揺する領内

の沈静化を図り 伊達家の混乱を見事に収めた

以降も「小十郎」の名は片倉家で代々引き継がれていくことになるが 戦国時代近辺にこの名を名乗

ったのはこの3名で それぞれ伊達家繁栄のために力を尽くしている

その活躍のなかでも 景綱による「小田原征伐」参陣への進言 重長による「大坂の陣」での武功 

景長による伊達家のお家騒動の収拾 以上3つの功績は「片倉家三功」と呼ばれ 現代まで語り継

がれています

pig 20110102 001

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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 30万人
        織田信長がキリスト教の布教を容認していたので、信長が本能寺で倒れた1582年頃
        には15万人、関ヶ原の戦いの1600年には30万人の信徒がいたそうです。
        当時の人口は1,800万人程度と推測されているので、総人口の1.7%がキリシタンだった
        ことになります。
        現代を含めてキリシタンが全人口の1%を超えたのは、戦国時代以外はないそうです。

≪本日の問題≫


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独眼流の懐刀 「片倉小十郎」 (2)

独眼流の懐刀にして奥州一の知将 片倉小十郎

『政宗の潰えぬ野望を見抜く小十郎』

のちに「智の小十郎 武の伊達茂実」と称された小十郎だが 政治面だけでなく武にも優れていた

政宗が対立勢力である蘆名・佐竹連合軍と激突した「摺上原の戦い」では 茂実とともに先陣を務めて

武功をあげている

兵力はほぼ互角であったが 敵軍には不満を持つものが多く 伊達軍に寝返るものが続出し結束力を

誇る伊達軍が勝利し奥州の南半分の支配権を確立する

「摺上原の戦い」で伊達最大のライバルである蘆名氏を滅亡させると 政宗は家臣団の身分を区分け

し封建的体制にまとめあげた

片倉家は 区分上は伊達家「一門」の身分ではなく次席の「一家」の身分となったが 小十郎が政宗

にとって特別な存在であることには変わりがなく 誰が見ても政宗の第一の家臣といえば小十郎の名

が挙がるほどに認められていた

政宗が奥州を纏め上げると 豊臣秀吉の天下はすでに間近に迫っており伊達家にも「小田原征伐」の

出陣要請が送られてきた

これに出陣すれば 秀吉に屈したこととほぼ同義であることから 家中では賛成派と成実を始めとする

反対派に分かれての大議論が発生する

仙台城
大手門と脇櫓                      大手門跡と復元された脇櫓

se.仙台城 100

秀吉が小田原の北条氏を制した後は 奥州までその手を伸ばして来るのは明らかである だが今なら

同盟を結んでいる北条・徳川の手を借りれば豊臣に勝てるかも知れない 議論が割れるなか小十郎は

時の趨勢を冷静に見定め小田原征伐へのより早い参陣を政宗に訴えた

すると徳川が北条との同盟を破棄し 早々に小田原への参陣を決めてしまう 小十郎がこの流れを

読んでいたとすれば少々でき過ぎ いずれにせよ小十郎の提言により政宗は小田原への参戦を決める

政宗には まだ超えなければならない壁があった 秀吉より「小田原征伐」参陣の要請が来てから

すでに数ヶ月の時が経過していたため伊達軍の遅参に怒った秀吉は政宗の面会を許さず箱根に蟄居

を命じてしまった

しかし その後の申し開きで小十郎はひとつの策を政宗に授ける

政宗に真っ白な白装束を着させ「政宗は死ぬ覚悟がある」ということを秀吉に見せつけた

その姿を見た秀吉は笑い 政宗の遅参を不問いにしたという

政宗の白装束
da.伊達政宗白装束
(伊達政宗歴史館HPからお借りしています)

小十郎の策により九死に一生を得た伊達家は 以降 豊臣配下の大名として存続することになる

後に 伊達家を支え続けた小十郎の才能を見抜いた秀吉は 5万石を条件に召抱えようとした しかし

小十郎は政宗への忠義を理由に断ったとされる また 徳川家康からも江戸に屋敷を与えると言われ

たが 同様の理由で固辞します

この時代の戦国武将ならば喉から手が出るほどの地位や領地であったが 時の権力者の法外な誘い

にも小十郎は応じることなく政宗との絆を重視した

天下の大勢はほぼ決したが「関ヶ原の戦い」に関連して親類の最上氏と上杉氏が争った際には「まず

上杉方に味方して最上氏を倒し 疲弊した上杉氏も倒せば双方の領国を得られる」と奇策を進言して

いる

いまだ消えぬ政宗の野心を十分に把握した小十郎ならではの進言といえるでしょう

この後 天下は徳川家康に傾いて「大坂の陣」が勃発 しかし小十郎は病で出陣できず 1615年に

病で没する 享年59歳

2号 20110101 001


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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 真田信繁
        信幸は兄の信之の改名前のもの、信綱は伯父(父・昌幸の兄)です。

≪本日の問題≫


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独眼流の懐刀 「片倉小十郎」 (1)

独眼流の懐刀にして奥州一の知将 片倉小十郎

『政宗の軍師として伊達家興隆に尽力する』

片倉小十郎の「小十郎」は片倉家の当主が代々名乗った通称で 単に「片倉小十郎」といった場合

武家としての片倉家を興した初代・片倉景綱を指すことが多い

小十郎は米沢にある八幡神社の神職の家に生まれ 若い頃 伊達家の当主だった伊達輝宗に見出

され小生として仕えています

片倉景綱(1557-1615年)
ka.片倉景綱 001

小十郎が19歳の時 伊達家の重臣・遠藤基信の推挙を得て 当時9歳だった伊達政宗の近侍とな

っている

政宗は天然痘を患ったため右目を失明しており また眼球が飛び出しているという醜い容貌であった

そのような容姿であったため常に劣等感を抱いており すでに周囲との心が離れかけていた

そんな政宗を小十郎は侍医のもとへ連れていくと なんと潰れた眼球を小刀で一気に抉り出したという

これを契機に政宗は快活な少年に変貌して 家中の者たちとのわだかまりが無くなったといいます

さらに無茶をやり遂げた小十郎とのあいだには 固い信頼関係が芽生えたそうです

そして政宗が初陣の日を迎えると小十郎もその傍らにあった 深追いし過ぎた政宗が敵に囲まれて

しまうと 機転を利かせた小十郎は「片倉よ怯むな!伊達政宗ここにあり!」と叫んで敵を引き付け

政宗の窮地を救うという活躍をみせた

咄嗟の判断力に優れているのも見事だが 主人・政宗に対する忠義ぶりにも感心します

こうして2人の絆はさらに深まっていき「政宗の傍らに常に小十郎あり」と内外から一目置かれる存在

となる

伊達政宗(1567-1636年)
da.伊達政宗公

当時 奥州はいくつかの勢力が割拠しており争乱が絶えなかった 輝宗が隠居して政宗が伊達家

の当主になると 小十郎は政宗の軍師として重用されるようなる

伊達家が世代交代するきっかけとなった「人取橋の戦い」では 政宗びいきだった輝宗が敵将・畠山

義継によって殺害されてしまい 政宗がその手腕を試されることになる

政宗は小十郎との絆を深めつつ眼前の難題に挑み 小十郎もまた期待に応えることで伊達家の結束

力をより強固なものとすることに成功する

1号 20101229 001


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『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
昨日の正解: 釣り野伏せ
        「釣り野伏せ」は島津独自の必殺戦法で、これは部隊を3つに分け1隊が先行し、
        残り2隊は後方に配置しておくという布陣方法です。先鋒隊が敵に攻撃を仕掛け
        劣勢と見せかけ後退、突出していた敵に対して残りの2隊で挟撃を仕掛ける戦法
        です。
        「車懸りの陣」は上杉謙信、「組撃ち鉄砲」は鈴木重秀の戦法といわれています。

≪本日の問題≫


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真田幸村(信繁)の娘の夫 片倉 重綱(重長)

父譲りの剛勇で名を馳せた二代目「小十郎」

『もう少し生まれが早かったら父「小十郎」を凌いだか』

伊達家臣団の中にあって その勇猛と機略で「伊達三傑」の一人とうたわれた白石城主の勇将こと

「小十郎」こと片倉景綱の子 この父景綱とともに「二人小十郎」として知られる

1600年 17歳のとき白石城攻撃には父と共に従軍して 父譲りの勇猛 機略で早くも功を挙げ評判を

とった

1614年には大阪冬の陣に従軍 翌1615年大阪夏の陣では伊達政宗軍の一翼を担い道明寺口に布陣

1000人余りの兵を率いて徳川方の先鋒を務めた

この戦いで豊臣方の後藤又兵衛 薄田兼相らの軍を撃破して重綱(重長)の隊は敵の首級91を取った

といわれ 「鬼小十郎」と呼ばれることになる

また この戦いが最終局面を迎える頃 それまで機略縦横の徳川方に対抗した豊臣方の名将真田幸村

(信繁)が 落城寸前の大阪城から娘のお梅を逃がし 重綱の陣に託したというエピソードが伝えられて

いる

重綱はこれを迎え 戦後白石に連れ帰り 自らの後添えに据えたという

領地では父景綱に続く第二代白石城主として 伊達政宗 忠宗に忠勤した

男にも惚れられるほどの美青年であり 小早川秀秋が彼をつけまわしたとの話が残る



白石城
1598年 会津に入封した上杉景勝の家臣・甘糟景継によって修築。
    *甘糟景継:天地人では、パパイヤ鈴木さんが演じていました。
1600年 関ヶ原の戦いの際、白石城の戦いが勃発し伊達政宗が上杉景勝から白石城を奪い取って再び
    伊達領とし、政宗の叔父、石川昭光が城代として入る。
1602年 伊達政宗の側近、片倉景綱(小十郎)が城主となる。
白石城 20100620 001

平成7年に三階櫓(天守閣)と大手門が再建されています。
白石城 20100620 002

『戦国クイズ』
Q2の正解:1.安宅船
 安宅船(あたけぶね)は、室町時代の後期から江戸時代初期にかけて日本で広く用いられた軍船です。

<今日の問題>
Q3.織田信長から丹後国は「親に遣わさず、汝に遣る」といわれた武将は?
  1.明智光秀 2.細川忠興 3.丹羽長秀


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                                                <参考文献:戦国時代>





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片倉 小十郎(景綱)

伊達政宗を奥州の覇者にした補佐役

『独眼竜の名参謀』

伊達政宗の小姓として取立てられ傳役となり のちに政宗に重用され常に陣列にあって功をあげた

疱瘡のため失明した政宗の片目をえぐり取ったといわれる

政宗の奥州平定では伊達成実と共に政宗の両腕となる

豊臣秀吉の小田原攻めの参陣を拒む政宗を説得し 政宗と共に死を覚悟して小田原へ参陣する

伊達家は秀吉に許されて臣従する 小十郎は1万3千石の白石城主となる

秀吉や徳川家康からの誘いを断り 伊達家の臣として通した忠臣 59歳で死去


片倉小十郎が仕えた 伊達政宗
写真は、平成21年5月7日に百名城めぐりで撮ったものです
仙台城のおみやげ屋さんに、片倉小十郎の清涼飲料水は沢山ありましたが、伊達政宗の飲料水は
売り切れで全くありませんでした。
伊達政宗 002

小十郎が入封した白石城です
写真は、平成21年5月6日に撮ったものです。
白石城 001

到着が17時を過ぎてましたので、入城することはできませんでした。残念です!
白石城 002

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プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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