関東を制した戦国最初の豪傑 「北条早雲」 その7

『早雲最後の戦い』

早雲の最後の戦いは、三浦半島に控える三浦氏の攻略であった。

80歳を越した早雲は、この戦いに4年の歳月を費やします。

鎌倉幕府重臣の子孫である三浦氏は、さすがに手ごわかった。伊豆、小田原を策略で乗っ取った早雲も、

最後の戦いには、人並みの苦労とエネルギーを費やさざるをえなかった。

しかし、別な見方もあります。

早雲の実力を持ってすれば、たやすかった筈です。

小田原占領以来、三浦氏討伐まで実に20年の歳月を費やしたのは、早雲は単に城を落とすのが目的でなく、

領地の侍から百姓までの心をつかみ、身も心も支配する、そして一度取った領土は絶対に他人に渡さない。

これが早雲のモットーだったようです。

小田原城
od.小田原城 a01

逸話があります。

ある時、馬泥棒が捕らえられて、裁判となった。

この裁判を傍で早雲が聞いていたそうです。

罪人が、

「確かに私は盗みました。しかし、私は馬を盗んだだけですけど、そこに座ってござるあの方は、国を盗み

なされました。あの方の罪に比べれば、ずんと軽い罪でございますわ」

と言ったら、

早雲は笑い出して、

「いかにもその通りである」

と言って、許してやったという。

こういうところは、やっぱり英雄の素質があったのでしょうね。


また、非常に細かいところまで気を配っていて、こういうことを言っています。

「人に褒美をやるには、よくよく考えなければならんもんだ。若いものは、武功があっても金をやって済ま

しておけ、領地をやってはいかん。年寄りにも、武功の褒美には領地をやってはいかん。金をやって済ま

しておけ。年寄りは、早く死ぬものだ。死ねばその領地は息子が相続することになるが、どんな息子が

それを相続するかわからんからだ。また、若い者はだんだん変わっていくものだ。どんな人間になるか

わからない。不覚でもあると、処罰して、領地を取り上げなければならんことになるが、領地を取り上げれ

ば、その家族が恨むし、一族の連中も恨む。いろいろ煩いの種が生ずることが多いが、最初から後腐れ

のないように金をやって済ませておくべきものだ」

と言ったという。

これは長生きして、世の中をずっと生きてきて、人情の機微に通じた人間でないと言えることでは言葉

ではないですね。


早雲は1519年88歳で亡くなった。

三浦三崎の舟遊びでひいた風邪が原因だったという。

三浦氏を滅ぼして3年後のことである。

彼が最後まで根拠としていた、伊豆の韮山城までたどりついて息を引き取ったという。

早雲に始まる北条5代の政権は、まもなく関東全体を制覇し、戦国時代を通じて最も安定した政権として、

のちに秀吉に滅ぼされるまで、100年の間続いたのです。

sakura 20111006 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 80歳
        早雲の最後の戦いは、三浦半島に控える三浦氏の攻略でありましたが、このとき80歳
        を越した早雲は、この戦いに4年の歳月を費やしています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:日本史探訪9(角川書店編)>
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関東を制した戦国最初の豪傑 「北条早雲」 その6

『あいつぐ幸運』

この頃の関東の動乱は、もともと堀越・古河両公方の争いから始まって、それらの執事役である扇谷・

山内両上杉の勢力争いまでに発展していた。

早雲は両者の誘いには、ちょっとした駆け引きでいつも優位に立つことができた。おまけに、ここぞと

いう時、扇谷定正や、その配下の小田原の大森氏頼、三浦の三浦時高や名武将といわれた人たち

があいついで死亡し、長命の早雲に自然と登板の機会が与えられた格好ともなった。

早雲が世に出るきっかけは、もともと今川義忠の急死による、今川家のお家騒動、堀越公方の足利

政知の死による茶々丸の騒動など、主の死による内紛があったのです。

小田原城・住吉橋と銅門
od.小田原城 20100619 001

歴史上の英雄を見渡すと、運の悪い英雄というのは、おそらく一人もいないのでしょうね。運が良くなけ

れば、英雄になれないといっても過言ではないのでしょう。

力がなければ英雄になれないのは勿論ですが、同時に運が良くないと英雄になれないのは確かだと思

われます。

しかも、運が回ってきて、ここぞという時にその運を絶対に逃がさない。これが英雄の条件ではないの

でしょうか。

早雲の場合、この運に加えて非常に慎重に物事を運んだといわれます。

40歳を超えてから、はじめて歴史の表に名前を出し、一国一城の主になったのは、もう60歳近くになっ

ていたので、もう十分に人生経験を積んでいたので、やり方に“そつ”がなかったのでしょう。


小田原に城を構えてから、何度も三浦半島の三浦氏の軍が戦を仕掛けてくるが、早雲の軍は絶対に城

から出ない。早雲の実力からすれば、十分に一戦を交えることが出来るのに、それをやらない。

三浦勢は散々に荒らしまわって引き揚げるが、いつ来ても小田原方が戦わないので、そのうちに引き揚

げる際に馬入川で甲冑を脱いで水浴びしたり、馬を洗ったりして帰ったという。

もちろんこれは、弱いと見せかけて敵を驕らせる早雲の策略なのです。

このように散々驕らせておいて、すきを見てどっと襲って撃ち破る。これが早雲の戦略だったのです。

織田信長には華々しさはあるが、常に危なさが付きまとっていたが、早雲の場合は用意周到で危かさが

なかったといいます。

ume 20111005 001

今年の秋に行こうと思いましたが、計画が立ちませんでした。
日本で一番好きな道:北海道・オロロンライン(R232)
オロロン03
写真は日本一周時に撮った、オロロンラインと日没前の利尻富士です。(一人旅ですから三脚使用です)
オロロン 01 オロロン利尻 02

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解:韮山城
        小田原城は後に後北条氏の本城となるが、早雲は終生、伊豆韮山城を居城としています。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:日本史探訪9(角川書店編)>

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関東を制した戦国最初の豪傑 「北条早雲」 その5

『小田原城攻略』

早雲の次の行動は、箱根を越えていよいよ関東への進出であった。

まず、目指すのは小田原の大森氏である。

大森氏は、名武将の誉れの高かった氏頼が急死し、暗遇な次男の藤頼が跡を継いでいた。

領民には誠実な領主様という側面を見せていた早雲は、この小田原城攻略では、それと裏腹に戦国武将

としてのずる賢さをさらけ出している。

早雲は鹿狩りを装い、小田原城近くの山々に狩人を入れさして貰う。小田原城の跡を継いだばかりの若い

領主・大森藤頼は、何の疑いも持たず快諾する。

ところが夜になると、狩人に化けていた武士たちが千頭の牛の角に松明を灯して駆け下り、城に向って

突っ走った。

海上から上陸した武者たちも、いっせいに城に向って走る。

皆が城に走りついた時が落城というほどの、あっという間の出来事であったという。

典型的な城盗りの物語で、似たような話は織田信秀の那古野城奪取、尼子経久の月山富田城奪取にも

あり、どこまで真実かは分かりません。

この小田原城攻略というのが、大森氏を騙して攻略したこの作戦が非常に目だってしまい、後世に悪評

をかうことになります。

早雲は戦国時代の梟雄(きょうゆう)に祭り上げられることになったのです。

小田原城(八幡山古郭東曲輪)
od.小田原城 八幡山古郭東曲輪

では、早雲はどのくらいの野望を持っていたのでしょうか。

“伊豆の国を取った早雲が、相模の国を狙った”というあたりまでで、この時点では、関八州を乗っ取る

などという大それた望みは持っていなかったと思います。

しかし、当時、扇谷の上杉氏と山内の上杉氏が戦っており、その戦いに扇谷の定正が早雲を誘い込んで

きます。

このような情勢で、早雲は自分では意識していなかったのに、だんだんと重要な人物になっていて、

やってみると勝つものだから意識が拡大していったものだろうと思われます。

sakura 20111004 001

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 子
        「二本の大きな杉の木を鼠が根本から食い倒し、やがて鼠は虎に変じる。」という
        霊夢を早雲が見たという話が『北条記』に書かれていますが、二本の杉とは関東管領
        の山内上杉家と扇谷上杉家、鼠とは“子の年”生まれの早雲のことです。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:日本史探訪9(角川書店編)>

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関東を制した戦国最初の豪傑 「北条早雲」 その4

『巧みな領民操縦法』

興国寺城に続いて韮山城の主となった早雲は、着々と戦国武将としての地位を固めていきます。

早雲は直ちに、伊豆の国じゅうに高札を出して、自分に刃向わない限り所領や諸職を安堵すると公表

した。

それを聞いて関東上野に出陣していた侍までが、急いで帰国し、早雲に忠誠を誓ったという。

茶々丸を滅ぼして1ヵ月余りで、早雲は伊豆国全部を戦わずして手に入れています。

早雲の伊豆討入り
早雲の伊豆討入り

早雲は領民を説き付けるやり方、手なずける方法があまりにも巧みで、上手すぎて、優しすぎて、偽善

的な匂いさえします。

兵を挙げる前に入道して、早雲庵主宗瑞と号して、ここで伊勢新九郎が早雲となるわけです。

それで頭を剃った早雲は、病気療養とか、弘法大師の遺跡を尋ねるとか言って、修善寺温泉に行きま

す。

そこでお湯につかり、付近の猟師や木こりと接して、伊豆の地勢・人情・民の希望など十分に研究した

という。

そんな風に十分研究したうえで、兵を起こすのです。

彼は民に対して、

「自分は旅人なんだけれど、今やお前らの領主になった。つまり、親になったんだ、お前らは自分に対し

て子供として慕って欲しい。自分は必ず親として報いてやるだろう」

みたいなことを言うのです。

そして租税の税率も4公6民と非常に低くしたといいます。

伊豆に攻め入った最初のころでも、病人がいれば医者を遣わして、病人に薬をやるとか、部下に看病

させたりしたという。

それで初めのうちは逃げ散っていた者たちが、皆これを聞いて「情け深いかたじゃ」と安心して帰って

きたそうです。


基本的にデータは外付けH/Dに保管していますが、チョット異音がしている
気がしましたので、H/Dの交換をしました。
H/Dの価格にビックリしました!!
1テラの容量で、6,700円です。1、2年前には考えられない価格でした。
HD.jpg

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 後世に史家が区分のため付けた名前
        後北条氏は、伊勢氏の一族にあたる伊勢盛時(北条早雲)をその祖とします。
        正式にはただ「北条氏」ですが、代々鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏の後裔ではない
        ことから、後代の史家が両者を区別するため伊勢平氏の北条氏には「後」をつけて「後北
        条氏」と呼ぶようになっています。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:日本史探訪9(角川書店編)>

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関東を制した戦国最初の豪傑 「北条早雲」 その3

『戦国武将・北条早雲』

早雲の旗上げは、興国寺城主になって10年後の60歳に達した時であった。

1491年の伊豆の乱。

この時を持って早雲の名は初めて歴史の記録として登場します。

興国寺城から、駿河湾を隔てた伊豆堀越にある室町幕府の公方(くぼう)を攻略したのです。

室町幕府の関東総監である公方は、堀越公方と下総の古河公方と2つに分かれ対立した。

堀越公方の足利政知がこの年に死に、長男の茶々丸が腹違いの弟とその母を殺して後を継いだ。

しかし、旧臣たちは茶々丸に従わず、伊豆の国は混乱になったのです。

この時、伊豆の武士たちは殆どが関東管領の上杉家の争いで上野(こうずけ)の国までかり出されてお

り、伊豆一円は空家同然であった。

前々から、伊豆攻略の計画を練っていた早雲は、絶好の機会とばかり、いとも簡単に茶々丸を滅ぼした。

興国寺城(沼津市)
ko.興国寺城

注目すべきが早雲の軍隊組織で、戦国時代における軍隊組織が編成されているのです。

これ以前の守護大名の軍隊には農兵はいなかったが、早雲の軍隊には農民が戦争に参加しているの

です。

この後の戦争では、武士一人に対して農兵が3、4人の割合で参加し、さらに職人(工兵隊)も参加する

ようになります。

戦争はなぜ行われるのか。

経済的な裏づけ、民衆の悲惨さ等から、戦争というものは、武士だけの戦争じゃダメであり、領民一体と

なった戦争でなくてはいけないと、早くから研究していたのだろうと思われます。

pig 20111002 001
pig 20111002 002

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
昨日の正解: 羽柴秀勝
        お江の再婚は、秀吉の姉と三好吉房との間に生まれた3兄弟の次男の羽柴秀勝に嫁いで
        います。

≪本日の問題≫


                                     <参考文献:日本史探訪9(角川書店編)>

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Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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