「風流人 塙団右衛門」 その7
『団右衛門の最後』
塙団右衛門は、大坂夏の陣では部将のひとりに任じられ、緒戦における紀州攻めで大野治房の
指揮下で出陣し、浅野長晟と対戦。
団右衛門の墓

4月29日、樫井の戦いで、一番槍の功名を狙い、仲が悪かった先陣の岡部大学(則綱)と競
い合って突出し、治房本隊や和泉国の一揆勢との連携が取れないまま、混戦に陥った。
団右衛門は浅野家臣の田子助左衛門、亀田大隅、八木新左衛門らと交戦。
一説では、団右衛門は田子の弓矢を額に受けて落馬したところを、八木に組付かれて首を打ち
取られたという。
団右衛門も死に場所を求めて集まったひとりだったのでしょうか。
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<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎)>
塙団右衛門は、大坂夏の陣では部将のひとりに任じられ、緒戦における紀州攻めで大野治房の
指揮下で出陣し、浅野長晟と対戦。
団右衛門の墓

4月29日、樫井の戦いで、一番槍の功名を狙い、仲が悪かった先陣の岡部大学(則綱)と競
い合って突出し、治房本隊や和泉国の一揆勢との連携が取れないまま、混戦に陥った。
団右衛門は浅野家臣の田子助左衛門、亀田大隅、八木新左衛門らと交戦。
一説では、団右衛門は田子の弓矢を額に受けて落馬したところを、八木に組付かれて首を打ち
取られたという。
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「風流人 塙団右衛門」 その6
『派手なダテ者』
とたんに、団右衛門は膝の上に引き裂きためた紙をパッと宙に投げた。
落花が散るような華やかさです。

団右衛門はすくっと立ち上がり、左手に弓を取り大音声に呼ばわった。
「これはこの手の大将、塙団右衛門直之である。お退屈しのぎに、日ごろ手慣れの矢を進上する。
受けてごろうぜよ」
そして、散々に射込んできた。
たちまち、数人が倒れた。
蜂須賀家の方では
「すわや、はかりごとにかかったぞ!」
と、驚き、狼狽して、やっと応射にかかったが、もうその時には、牛の革の盾が左右から閉まって、
引っ込んで行った。
この団右衛門の茶目気たくさんの、人を食ったしかも派手で豪快なやり方は、フランスのシラノ・
ド・ベルジュラック的伊達者です。
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<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎)>
とたんに、団右衛門は膝の上に引き裂きためた紙をパッと宙に投げた。
落花が散るような華やかさです。

団右衛門はすくっと立ち上がり、左手に弓を取り大音声に呼ばわった。
「これはこの手の大将、塙団右衛門直之である。お退屈しのぎに、日ごろ手慣れの矢を進上する。
受けてごろうぜよ」
そして、散々に射込んできた。
たちまち、数人が倒れた。
蜂須賀家の方では
「すわや、はかりごとにかかったぞ!」
と、驚き、狼狽して、やっと応射にかかったが、もうその時には、牛の革の盾が左右から閉まって、
引っ込んで行った。
この団右衛門の茶目気たくさんの、人を食ったしかも派手で豪快なやり方は、フランスのシラノ・
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「風流人 塙団右衛門」 その5
『何をやるんだ団右衛門』
塙団右衛門の行動の中で、それを最も良く示しているのは、大坂の陣におけるある日の彼の行動
です。
団右衛門が阿波橋と名付けられた橋の内側の陣所を守備し、彼に対して陣しているのは、阿波の
蜂須賀家です。
団右衛門VSハッチ―家です。

ある日、団右衛門の陣中から、阿波橋の上に牛の皮でこしらえた2枚の大楯を並べて押し出して来
て、橋の途中まで来ると、ピタリと止まった。
蜂須賀家の方では、いったい何であろうかと、不思議がって見ていると、その盾が両方に分かれた。
すると、そこに一人の武将が床冗に腰かけ、悠然と控えている。
黒糸おどしの鎧に、金襴の陣羽織を着、乱髪に白綾の鉢巻をしている。
これが団右衛門なのです。
「何だ、塙団右衛門じゃないか」
と、蜂須賀家の陣営でも知っている者が多数いるのです。
何をするかと見ていると、団右衛門は鎧の引き合わせから懐紙を出して、小さく引き裂きはじめ
た。
相当な時間をかけて、余念なく引き裂いているが、蜂須賀家の方ではまるでわけがわからない。
益々謎感をつのらせながた見ていた。
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うさぎの耳は声のする方向に向きます

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塙団右衛門の行動の中で、それを最も良く示しているのは、大坂の陣におけるある日の彼の行動
です。
団右衛門が阿波橋と名付けられた橋の内側の陣所を守備し、彼に対して陣しているのは、阿波の
蜂須賀家です。
団右衛門VSハッチ―家です。

ある日、団右衛門の陣中から、阿波橋の上に牛の皮でこしらえた2枚の大楯を並べて押し出して来
て、橋の途中まで来ると、ピタリと止まった。
蜂須賀家の方では、いったい何であろうかと、不思議がって見ていると、その盾が両方に分かれた。
すると、そこに一人の武将が床冗に腰かけ、悠然と控えている。
黒糸おどしの鎧に、金襴の陣羽織を着、乱髪に白綾の鉢巻をしている。
これが団右衛門なのです。
「何だ、塙団右衛門じゃないか」
と、蜂須賀家の陣営でも知っている者が多数いるのです。
何をするかと見ていると、団右衛門は鎧の引き合わせから懐紙を出して、小さく引き裂きはじめ
た。
相当な時間をかけて、余念なく引き裂いているが、蜂須賀家の方ではまるでわけがわからない。
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「風流人 塙団右衛門」 その4
『ダテ者』
厳島の大経堂には、彼が若い時(加藤家に仕える以前?)秀吉の命によって普請奉行として、
厳島の大修理をした時、柱に書き付けた和歌が江戸中期まで消えずに残っていたそうですが、
それがこうです。
「また来んとえこそは言はじ厳島 心にかなふいのちならねば」
再びこの厳島に来ようとは言うまい、いつなくなるか、人のいのちははかないものであるから。
という意味です。

今日あって明日をはかれない戦国武士の無常感が出ています。
当時の武士の作としては、よくできているのではないでしょうか。
団右衛門の生涯を考えてみると、痛快淋漓意気颯爽(さっそう)たるものを感じます。
実に派手です。
若年の時、坂井久蔵(信長の家臣)の戦功の証明に立った話、朝鮮唐島の海戦における敵船乗っ
取りの話、加藤家飛び出し経緯、大坂冬の陣における蜂須賀家の陣への夜討ちのかけ方、すべて
功名手柄に対する欲からというより、男の意気を示すことを第一の目的にしているように思われ
ます。
団右衛門のこうしたやり方は、彼が本質的に文学者であったから出ているような気がします。
彼は文学者の根性によって自由人的心境、ニヒリスト的心境によって達していたのかも知れませ
ん。
言い方が廻りくどかったようですが、つまりダテ者です。
功名富貴を目的としない。
おのれの心意気を高らかに示し、人目を驚かし、やんやと喝采されたいというただそれだけが目
的なのです。
う~っ。 団右衛門が怒っている顔が見えましたような気がします。
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厳島の大修理をした時、柱に書き付けた和歌が江戸中期まで消えずに残っていたそうですが、
それがこうです。
「また来んとえこそは言はじ厳島 心にかなふいのちならねば」
再びこの厳島に来ようとは言うまい、いつなくなるか、人のいのちははかないものであるから。
という意味です。

今日あって明日をはかれない戦国武士の無常感が出ています。
当時の武士の作としては、よくできているのではないでしょうか。
団右衛門の生涯を考えてみると、痛快淋漓意気颯爽(さっそう)たるものを感じます。
実に派手です。
若年の時、坂井久蔵(信長の家臣)の戦功の証明に立った話、朝鮮唐島の海戦における敵船乗っ
取りの話、加藤家飛び出し経緯、大坂冬の陣における蜂須賀家の陣への夜討ちのかけ方、すべて
功名手柄に対する欲からというより、男の意気を示すことを第一の目的にしているように思われ
ます。
団右衛門のこうしたやり方は、彼が本質的に文学者であったから出ているような気がします。
彼は文学者の根性によって自由人的心境、ニヒリスト的心境によって達していたのかも知れませ
ん。
言い方が廻りくどかったようですが、つまりダテ者です。
功名富貴を目的としない。
おのれの心意気を高らかに示し、人目を驚かし、やんやと喝采されたいというただそれだけが目
的なのです。
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「風流人 塙団右衛門」 その3
『鉄牛坊主』
加藤家の横槍で、どこへも召し抱えられることの出来なかった彼は、食うに困って京都妙心寺の
大竜和尚の弟子となって鉄牛(てつぎゅう)と名乗り、托鉢によって命の綱を繫いだ期間があり
ます。

ある時、大竜和尚と檀家で出会う約束をして、約束の時刻に遅れて行ったところ、和尚はカンカ
ンに怒っている。
「師と約束して遅参するとはなにごとだ」
と、どなりつけた。
すると、鉄牛坊主は、少しもあわてず、こう答えた。
「一鞭後レ至ルトモ君怒ル勿レ、君ハ大竜ニ駕シ、我ハ鉄牛」
当意即妙さに、大竜和尚はニコッと笑って叱るのをやめたという。
さすが団右衛門です。
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加藤家の横槍で、どこへも召し抱えられることの出来なかった彼は、食うに困って京都妙心寺の
大竜和尚の弟子となって鉄牛(てつぎゅう)と名乗り、托鉢によって命の綱を繫いだ期間があり
ます。

ある時、大竜和尚と檀家で出会う約束をして、約束の時刻に遅れて行ったところ、和尚はカンカ
ンに怒っている。
「師と約束して遅参するとはなにごとだ」
と、どなりつけた。
すると、鉄牛坊主は、少しもあわてず、こう答えた。
「一鞭後レ至ルトモ君怒ル勿レ、君ハ大竜ニ駕シ、我ハ鉄牛」
当意即妙さに、大竜和尚はニコッと笑って叱るのをやめたという。
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