前田慶次郎 その65 「総集編 2」

戦国風流武士「前田慶次郎」その65

【総集編2】

戦国時代の豪傑で学問のあった人物は、前田慶次郎と塙団右衛門くらいであったといわれます。

当時は学問どころか文字を全然知らなかった豪傑や武士が多かったという。その好例は、立花宗茂の名

家老だった小野泉です。

朝鮮の役の時、他から来た手紙を人の前で読みかねて、大変恥かしい思いをしたので、帰国後は女房に

頼んで「いろは」を書いて貰い、やっとかな文字だけ覚えたという。

戦場では功名手柄数かぎりなく、立花家の家老・小野泉といえば、天下誰知らぬ者がいなかったほどの

人物が、字を知らなかっただから、慶次郎の学問と文学的才能は相当のものであったと思われます。

堂森善光寺・慶次郎供養塔
ke.慶次郎 010

関が原の戦いの後、会津の上杉家が1/4に減封された後、慶次郎は他家から高禄を持って召抱えようと

いう多くの誘いを断り、

「今度の戦で諸大名の心を見限った。男は景勝ひとりだ。おれの主人はこの人以外はいない。当家に置

いてもらうのだ」

と言って、5百石の薄禄をもって依然として上杉家に仕え、穀蔵院忽々斎と称し、頭を丸めたまま世を終わ

ったという。

慶次郎が男として惚れ込んだ上杉景勝は、凛呼たる男性的意気の人物であった。この景勝が最も信頼し

ていた直江兼続も快男子のひとりであったという。


平成23年6月4日に、米沢堂森・善光寺で「前田慶次郎400回忌供養祭」が行われ、毎年6月4日に供養

祭が行われているそうです。(400回忌供養祭の模様は、「こちら」です。)


戦国の豪傑な快男子たちに思いを馳せ、10月初旬の「米沢~長谷堂(山形)」の小さな旅は、戦国武将を

訪ねての旅に1ページを追加してくれました。

長い間、前田慶次郎にお付き合い戴き、ありがとうございました。


pig 20121109

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
正解:尾張荒子城
慶次郎の養父・前田利久は、前田利家の長兄で、尾張国荒子城主でした。
しかし、1567年に信長の命により、利久は隠居させられ利家が荒子(約4千石)を継いでいます。このため慶次郎は養父に従って荒子城から退去しています。

≪本日の問題≫


                          <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>
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前田慶次郎 その64 「総集編 1」

戦国風流武士「前田慶次郎」その64

【 総集編 1 】

戦国時代から江戸時代の初期にかけて、英雄、豪傑が雲のように輩出しています。

英雄で快男子の代表は豊臣秀吉ですが、豪傑で快男子の典型的な人物が前田慶次郎なのでしょう。

慶次郎は武芸、文学、茶の湯、その他の芸に通じており、当時としては一流の風流人であったが、途方も

ない「いたずら者」で、世を屁とも思わず生涯を奔放、自由闊達に送っています。

ma.前田慶次郎&松風

彼の素性については3説があるようです。

・前田利家の兄の利久の子であったという説

・滝川儀太夫の妻が妊娠し離別した後、利久に再縁して生んだという説

・子のなかった利久が滝川儀太夫の子を貰って養子にした説

織田信長の命によって、利家が利久から家督を譲り受けたことは間違いないことでしょうが、このことが終

生、前田利家と仲が良くなかったという。

しかし、快男子・慶次郎の性行から見ても、彼が叔父へのうらみ、つらみを、いつまでも根に持っていたと

は思えませんが、みなさんは如何でしょうか。

慶次郎は利家の下で暫く禄を食んでいたが、生来の性格はいっこうに改まらないで、世を茶化して変なこ

とばかりする。

利家という人物は律儀な性格であったので、甥の性行が心配でならない。折に触れて説教をする。

天性の自由奔放な性質から、それには耐えられないので、妻子を残してついに利家のもとを飛び出してし

まう。

駿馬の松風に跨って、捨てセリフを残して駆け去ってゆく慶次郎には、まさに快男子ならではの痛快で意

気颯爽たるものがあります。

利家に冷水を浴びせた慶次郎が、利家自慢の愛馬を盗んで逃げ去ったかどうかは定かではありませんが、

実に痛快な逸話です。

sakura 20121108

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:史記に注釈をいれた
隠棲後は兼続とともに「史記」に注釈を入たり、和歌や連歌を詠むなど自適の生活を送ったといいます。

≪本日の問題≫


                           <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>

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前田慶次郎 その63 「慶次郎、安息の日々」

戦国風流武士 「前田慶次郎」 その63

「慶次郎 安息の日々」

関ヶ原の戦いの後、上杉家はその戦後処理で大減封の憂き目を見ます。

慶次郎と同じく戦いの場を求めて上杉家に参集した浪人衆の多くは他家に仕官しましたが、慶次は大幅な

減封に甘んじて上杉家に残りました。

その後の日々が、慶次郎にとって本当に風流を楽しみ文事に親しむ退隠生活となったと思われます。

少し時間が経ってしまいましたが、10月5日に慶次郎の足跡を求めて米沢に行ってきましたので記事にし

てみたいと思います。


慶次郎の足跡は、米沢市街の東方に位置する万世町堂森に残っています。

慶次郎は、米沢の堂森に庵(無苦庵)を構え、悠々自適の生活を送りました。世俗にこだわらず、地元住民

と深く交わり自然とともに穏やかな生活を送ったと伝わります。

堂森には無苦庵に居した慶次郎が、日々の暮らしに使ったと伝わる慶次郎清水と呼ばれる清水が湧き出て

います。

「市営野球場にある案内板」
ke.慶次郎 001
<画像はクリックで全て拡大します>


「慶次郎清水」
慶次郎はこの清水を飲用水として使用したことからその名前で呼ばれ、傍らにある祠は水神様を祀ったもの
だそうです。
堂森では、今でも湧き出るこの慶次郎清水から水を引き、農業用水として現在も利用しています。

ke.慶次郎 002 ke.慶次郎 003


「無苦庵」
今では田んぼと民家が建つ風景ですが、この辺りに慶次郎は無苦庵を建て余生を過ごしたそうです。
友人の直江兼続や志駄修理らが、無苦庵を訪ねて来たといいます。

ke.慶次郎 004 ke.慶次郎 005
慶次郎のぼりは倒れていました。


「慶次郎供養塔」
堂森に1200年余り続く善光寺には、昭和55年に慶次郎の御霊を祀るため「前田慶次郎供養塔」が建立
されており、慶次郎が没した6月にはあじさい忌が行なわれています。

善光寺
ke.慶次郎 006 ke.慶次郎 007

慶次郎供養塔
ke.慶次郎 008 ke.慶次郎 009
ke.慶次郎 010

供養塔の碑文には、
「この地堂森に居を賜り邸を『無苦庵』と呼び悠々自適、この地を愛し郷民と親しみ、慶長17年6月4日70
才の生涯を閉じた」と刻まれています。


「月見平」
供養塔から山道を登ること約10分、山頂は瓢箪形をした狭い山頂です。
慶次郎は住民や友人をここに招き月見をしたそうですが、この場所で慶次郎は酒を傾けながら何を思った
のでしょうか。

ke.慶次郎 011 ke.慶次郎 012


「慶次郎が持ち上げた石」
慶次郎の力石は安山岩の石で、善光寺本堂の正面に置いてあります。
この石は慶次郎が、里人との力自慢で持ち上げたと伝わる石で、70kg程度の石だと思われます。
この力石は持ち上げ禁止と書いてありますが、チャレンジする人がいるのでしょうか。

ke.慶次郎 013


「宮坂考古館」
宮坂考古館には、米沢・置賜地方の考古、歴史、民俗資料など、約7百余点の貴重な資料を収蔵してい
ます。
そのなかには、上杉景勝所用具足や前田慶次郎所用と伝わる具足などが展示されています。

ke.慶次郎 014 ke.慶次郎 015

自動販売機も慶次郎でしたが、今年は慶次郎具足はメンテナンス中でレプリカが展示されたいました。
ke.慶次郎 016

伝前田慶次郎所用具足「朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式」(wik画像)
ke.慶次郎 017


米沢といったら、「米沢牛」
米沢駅前の「べこや」さんで、しゃぶしゃぶを食しました。
建物もおしゃれで、支払いを気にしなければ☆☆☆でした。
米沢に行ったら、また、ぜひ行きたいお店です!
ke.慶次郎 018 ke.慶次郎 019

長い間お付き合い戴いた前田慶次郎も、今回が終回になりましたので、「まとめ」を3回程度して慶次郎

を終わりにしたいと思います。

次の戦国武将は「石田三成」の準備を始めていますので、お付き合いくだされば幸いです。

よろしくお願いします。


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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:加賀に残して出奔した
慶次郎は、前田家を出奔する際に、妻、1男3女(5女とも)は金沢に残しています。
嫡男・正虎は、義理の従兄弟にあたる前田利長、次いで前田利常に仕え、加賀藩士としては書家し、藩の故事を後生に伝えたといわれます。

≪本日の問題≫

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前田慶次郎 その62 「減封で米沢へ」

戦国風流武士 「前田慶次郎」 その62

【減封で米沢へ】

上杉家の大幅な減封で、家臣らの身代もまた大幅に減らさねばならなかった。

直江兼続が32万石から6万石、甘糟備後が2万石から5千石というように、また新規召抱えの武士らはみ

んな暇をだされた。

しかし、これらの武士たちの武勇は天下に響いている連中であるから、みんな相当の高禄で全国の大名に

召抱えられた。

前田利益(慶次郎)(1533?-1612?)
ma.前田慶次郎(利益)

慶次郎も暇を申し渡されたが、長谷堂城の戦いでの働きが天下に宣下されているので、方々の大名から高

禄を以って招かれたが、みな断って、

「俺は今度の戦で、諸大名を見限った。石田が負けたと同時に、皆降参し、追従軽薄、見苦しいことである

わ。さてさて、男はひとりも無し、景勝ばかりが気に入った。始終変わらず、男を張り通しての手強い抵抗、

あっぱれな男じゃ。俺が主と頼むはこの人より外にいない。禄などいくらでも結構、このまま当家に置いてい

ただく」

と言って、5百石を貰って、米沢へ移り田舎住まいして、弾正定高(上杉4代目上杉綱憲)の代に没したとい

う。

利益の亡骸は北寺町の一花院に葬られたというが、一花院は現在廃寺となっており、当時の痕跡は残って

いません。


次回は、慶次郎が隠棲した米沢・堂森に行ってきましたので、紹介したいと思います。

sa-ko 20121104

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:陣屋
大名のうち、3万石以下の城を持たない大名は無城大名あるいは陣屋大名と呼ばれ、城の代わりに陣屋と呼ばれる屋敷を構え「大名陣屋」と呼ばれていました。

≪本日の問題≫


                           <参考文献:戦国風流武士 前田慶次郎(海音寺潮五郎暑)>

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前田慶次郎 その61 「脇差は竹ベラだった!」

戦国風流武士 「前田慶次郎」 その61

【脇差は竹ベラだった】

風呂場を這い出した徳川武士たちは、そのまま逃げるつもりはありません。

それぞれに脱衣場から脇差をとって腰にうちこんで、風呂場に帰ってきた。

「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ…」

慶次郎が、またうなりだした。

「むーッ、むーッ、むーッ…」

脇差の柄に手をかけ、両眼をかっと見開いて、あたりを睨み廻している。

ma.前田けーじろー

人々は、脇差の柄に手をかけて身構える。

すると、慶次郎はまた気楽な姿勢にかえって、

「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ…」

数回、こんなことを繰り返した後、慶次郎は左右の手で自分の胸をなで、腿のあたりをつまんで見て、

「もういいな、よう蒸れたわ」

と、のどかに独り言をいうと、スラリと脇差を抜き、すかりスカリと股のあたりを撫で始めた。

「ほ、よう落ちるわ。やれ気持良や」

脇差のひと撫でごとに、かき出される垢がぽろりポロリとこぼれ落ちるのであった。

脇差の中身は、垢かき用の「竹ベラ」だったのです。

こうなると、青くなり、赤くなり、汗をかいて興奮し、脇差まで持ち込んで力んだ武士らは、きまりが悪く

てならない。

こそこそと立ち去り、入れ違いに上杉家の武士らが入って来た。

「早よう入りなされ、さあ、空いている。空いている。お入りなされ、お入りなされ」


“徳川家の武士たちの脇差は、蒸気で錆びてしまった。”

と、ご丁寧に書いている逸話も見かけますね。

sakura 20121101

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『戦国クイズ』

≪昨日の解答≫
正解:職人の居住区
神田は徳川氏の関東移封に従って江戸に移住した、三河国などの職人集団の居住区に割り当てられいた。

≪本日の問題≫


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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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