『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その25
『秘密裏のキリスト教国建設の計画』
別天地のキリスト教国には、宗麟の新婦人をはじめ、親家夫婦、親虎、師父・カブラルなどが移っています。
宗麟の新都市建設の記述は日本の書物には出てきません。
大友宗麟(1530-1587年)

高橋紹運(立花宗茂の実父)記に
「1578年8月中旬の頃、大友宗麟公は豊・肥・筑の大軍を催して、日州へ馬を向けられた。日向は大友家
の分国として豪族共皆大友家に服従していたのだが、近年はやっと半分位が服従して、他は服従していな
い。そこで、日向北部の土持氏の城を御隠居所としておうつりになった。かくして、のこる半国を切り従える
ために大軍をおこして合戦をあそぼうとするのであった。『欲の熊鷹股さかす』という諺そのままになるとは、
後にわかった」
とあるだけです。
キリスト教国建設の計画は宗麟とその家族と宣教師らだけが知って、一般的には知られなかったのでしょう。
しかし、宗麟はどういう料簡で新婦人を伴い、次男夫婦を伴ったのでしょう。
この日向への発向は平和な移転ではないのです。島津氏と一大決戦を覚悟しなければならないのです。
おのれに心を通わしてきた土持氏を討たれた以上、島津氏が出て来ない筈がないのですから。
宗麟は島津氏を見くびって、鎧袖一触にも価しないと思ったのでしょうか。

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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:高山右近
前田家の庇護を受けて、加賀で暮らしていた高山右近は、1614年、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、加賀を退去し長崎から家族と共にマニラに国外追放されています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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特に絵文字など・・・。
別天地のキリスト教国には、宗麟の新婦人をはじめ、親家夫婦、親虎、師父・カブラルなどが移っています。
宗麟の新都市建設の記述は日本の書物には出てきません。
大友宗麟(1530-1587年)

高橋紹運(立花宗茂の実父)記に
「1578年8月中旬の頃、大友宗麟公は豊・肥・筑の大軍を催して、日州へ馬を向けられた。日向は大友家
の分国として豪族共皆大友家に服従していたのだが、近年はやっと半分位が服従して、他は服従していな
い。そこで、日向北部の土持氏の城を御隠居所としておうつりになった。かくして、のこる半国を切り従える
ために大軍をおこして合戦をあそぼうとするのであった。『欲の熊鷹股さかす』という諺そのままになるとは、
後にわかった」
とあるだけです。
キリスト教国建設の計画は宗麟とその家族と宣教師らだけが知って、一般的には知られなかったのでしょう。
しかし、宗麟はどういう料簡で新婦人を伴い、次男夫婦を伴ったのでしょう。
この日向への発向は平和な移転ではないのです。島津氏と一大決戦を覚悟しなければならないのです。
おのれに心を通わしてきた土持氏を討たれた以上、島津氏が出て来ない筈がないのですから。
宗麟は島津氏を見くびって、鎧袖一触にも価しないと思ったのでしょうか。

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正解:高山右近
前田家の庇護を受けて、加賀で暮らしていた高山右近は、1614年、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、加賀を退去し長崎から家族と共にマニラに国外追放されています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その24
『キリスト教国の建設』
日向の伊藤氏は数代前から薩摩の島津氏と攻戦を繰返していた。
最初のうちは伊藤氏の方が形勢が良かったが、次第に島津氏の勢いが良くなり、ついにその全領域を奪わ
れて豊後に来て、宗麟にすがった。
宗麟がキリスト教に入信した前年の12月であった。
宗麟は伊藤氏と姻戚の関係にある。また、当時日向の半分は大友氏の属領であった。
宗麟としては、直接、島津氏と境を接することが不安でもあったでしょうし、後の半分も自分のものにしたかっ
たのでしょう。
「よろしい」
と、承知して、1579年3月、日向に兵を出して島津氏に心を通わしている北日向の土持親成を撃って伊藤
氏の旧領を回復した。
宗麟はこの地方の務志賀(今の延岡市無鹿町)という土地に新都市の建設にかかり、出来上がると、家督
を嫡子・義統に譲って、ここに移った。

宗麟が洗礼を受けて間もなくの時期です。この時、義統も父の勧めによって洗礼を受けています。
西教史では、この新都市のことをこう言っています。
「この都市は国王が余生を平穏に送るためのものであり、住民はキリスト教信者だけにし、ひとつのキリスト
教寺院とひとつの聖教12会友のための家を建て、ここでは日本の法律によらずして、他の法律を以って収
める計画であった。」
つまり、別天地であるキリスト教国を建設する予定であったというのです。

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≪前回の解答≫
正解:総合病院
宗麟は領内に、宣教師が伝えた西洋医学の病院を作り、領民は無料で診察を受けることが出来たそうです。これは日本最初の総合病院と言われています。
大分県庁舎本館前には「日本における西洋外科手術発祥の地」の記念碑が立っています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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日向の伊藤氏は数代前から薩摩の島津氏と攻戦を繰返していた。
最初のうちは伊藤氏の方が形勢が良かったが、次第に島津氏の勢いが良くなり、ついにその全領域を奪わ
れて豊後に来て、宗麟にすがった。
宗麟がキリスト教に入信した前年の12月であった。
宗麟は伊藤氏と姻戚の関係にある。また、当時日向の半分は大友氏の属領であった。
宗麟としては、直接、島津氏と境を接することが不安でもあったでしょうし、後の半分も自分のものにしたかっ
たのでしょう。
「よろしい」
と、承知して、1579年3月、日向に兵を出して島津氏に心を通わしている北日向の土持親成を撃って伊藤
氏の旧領を回復した。
宗麟はこの地方の務志賀(今の延岡市無鹿町)という土地に新都市の建設にかかり、出来上がると、家督
を嫡子・義統に譲って、ここに移った。

宗麟が洗礼を受けて間もなくの時期です。この時、義統も父の勧めによって洗礼を受けています。
西教史では、この新都市のことをこう言っています。
「この都市は国王が余生を平穏に送るためのものであり、住民はキリスト教信者だけにし、ひとつのキリスト
教寺院とひとつの聖教12会友のための家を建て、ここでは日本の法律によらずして、他の法律を以って収
める計画であった。」
つまり、別天地であるキリスト教国を建設する予定であったというのです。

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正解:総合病院
宗麟は領内に、宣教師が伝えた西洋医学の病院を作り、領民は無料で診察を受けることが出来たそうです。これは日本最初の総合病院と言われています。
大分県庁舎本館前には「日本における西洋外科手術発祥の地」の記念碑が立っています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その23
『宗麟のキリスト教入信』
宗麟は再婚した後、暫くして新婦人と次男・親家の夫人(新婦人の娘)とに命じて、キリスト教の講義を受け
させた後、洗礼を受けさせた。
宗麟はその後数ヶ月間、自分も講義を聞き、断食・勤行・誓言等の行を忠実に続けてから、師父カブラルに
よって洗礼を受けた。
大友宗麟(1530-1587年)

洗礼に先立って、彼は
「わしの教名はフランシスコと付けて貰いたい。フランシスコ・ザビエル師は日本に初めて聖教を伝えた人
であり、わしが上帝の恵みを受けることが出来るようになったのは、この人のお陰である故、わしはこの人
に感謝せねばならん。それで、この人の名をいただきたい」
1578年7月28日、彼の名はドン・フランシスコと付けられた。
宗麟は49歳。彼がザビエルと最初に会ってから27年目のことであった。


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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:味方の到着が遅れた
後藤又兵衛は、大坂夏の陣の道明寺の戦いで、迎撃作戦の先鋒として2,800の兵を率いて出陣。
しかし、後続の明石全登、真田幸村(信繁)らの軍が霧の発生により到着が遅れたが、伊達政宗の鉄砲隊など10倍以上に突撃を敢行し、乱戦の中に討死した伝わります。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
宗麟は再婚した後、暫くして新婦人と次男・親家の夫人(新婦人の娘)とに命じて、キリスト教の講義を受け
させた後、洗礼を受けさせた。
宗麟はその後数ヶ月間、自分も講義を聞き、断食・勤行・誓言等の行を忠実に続けてから、師父カブラルに
よって洗礼を受けた。
大友宗麟(1530-1587年)

洗礼に先立って、彼は
「わしの教名はフランシスコと付けて貰いたい。フランシスコ・ザビエル師は日本に初めて聖教を伝えた人
であり、わしが上帝の恵みを受けることが出来るようになったのは、この人のお陰である故、わしはこの人
に感謝せねばならん。それで、この人の名をいただきたい」
1578年7月28日、彼の名はドン・フランシスコと付けられた。
宗麟は49歳。彼がザビエルと最初に会ってから27年目のことであった。



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正解:味方の到着が遅れた
後藤又兵衛は、大坂夏の陣の道明寺の戦いで、迎撃作戦の先鋒として2,800の兵を率いて出陣。
しかし、後続の明石全登、真田幸村(信繁)らの軍が霧の発生により到着が遅れたが、伊達政宗の鉄砲隊など10倍以上に突撃を敢行し、乱戦の中に討死した伝わります。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その22
『宗麟、キリスト教を擁護』
宗麟はカブラルの手紙を読み、また次男の話を聞いて、多数の家臣らの前で
「わしは師父らの立派な人柄であることを良く知っている。その教えの正しいことも良く知っている。今度の
騒ぎの張本人が誰であるかも分かっている。わしは師父らと、教会とその教えを保護することを約束した。
臼杵城の宗麟公レリーフ

これを完全ならしむるのは、わしの義務だ。紹忍はわしの大事な家老だが、もし乱暴なことをしたら、わしは
決して許さん」
このことが夫人と紹忍に聞こえると、夫人はヒステリーを起こして狂乱状態になり、紹忍はすっかり恐れ入
って、親虎の禁固を解き、手のひらを返すように可愛がり始めた。
西教史は、宗麟がそれほどキリスト教に理解と愛情を示し、また自分の子の入信を喜んでいるくせに、自分
が入信しないのは、一つには夫人がキリスト教嫌いのためであり、二つめは政治上の配慮だといっている。
宗麟が田原夫人を離縁して新しい夫人を娶ったのも、隠居して嫡子・義統に家督を譲ったのも、すべてキリ
スト教に入信せんがためと言っている。
しかし、宣教師らのこの解釈はあたっているのでしょうか。
旧夫人を離縁し、新婦人と結婚するためにキリスト教を利用したとも思われます。
憎いと思い、欲しいと思い立つと、矢も楯もたまらなくなるのが宗麟の性質なのです。

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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:靖国神社
廃藩置県の際、国に献上した実物は、なんと現在は靖国神社に保存してあるそうです。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
宗麟はカブラルの手紙を読み、また次男の話を聞いて、多数の家臣らの前で
「わしは師父らの立派な人柄であることを良く知っている。その教えの正しいことも良く知っている。今度の
騒ぎの張本人が誰であるかも分かっている。わしは師父らと、教会とその教えを保護することを約束した。
臼杵城の宗麟公レリーフ

これを完全ならしむるのは、わしの義務だ。紹忍はわしの大事な家老だが、もし乱暴なことをしたら、わしは
決して許さん」
このことが夫人と紹忍に聞こえると、夫人はヒステリーを起こして狂乱状態になり、紹忍はすっかり恐れ入
って、親虎の禁固を解き、手のひらを返すように可愛がり始めた。
西教史は、宗麟がそれほどキリスト教に理解と愛情を示し、また自分の子の入信を喜んでいるくせに、自分
が入信しないのは、一つには夫人がキリスト教嫌いのためであり、二つめは政治上の配慮だといっている。
宗麟が田原夫人を離縁して新しい夫人を娶ったのも、隠居して嫡子・義統に家督を譲ったのも、すべてキリ
スト教に入信せんがためと言っている。
しかし、宣教師らのこの解釈はあたっているのでしょうか。
旧夫人を離縁し、新婦人と結婚するためにキリスト教を利用したとも思われます。
憎いと思い、欲しいと思い立つと、矢も楯もたまらなくなるのが宗麟の性質なのです。

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≪前回の解答≫
正解:靖国神社
廃藩置県の際、国に献上した実物は、なんと現在は靖国神社に保存してあるそうです。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
『キリシタン王国を夢見た 大友宗麟』 その21
『田原夫人の計略』
親虎は行動の自由を奪われていたので、密書で師父に通じた。
教会では決戦し、殉教することを決意して信者全部が集まった。親家は国主の次男でありながら、馳せ加
わった。
臼杵の町は、今にも戦いが始まるかと大混乱に陥った。
ちょうどその頃、国主・宗麟は狩猟に出て1ヵ月以上も不在であった。

夫人は宗麟に急使を出した。
「キリスト教徒らは親家と親虎を首領と仰いで、謀反を企てている。今日、教徒はそれほど多いとは言えな
いが、このまま放置して教徒の数が増えた暁には、取り返しのつかないことになろう。速やかにこの邪教
を禁断して災いの根を絶つべきである」
国主は、この頃まだ信者になってはいなかったが、キリスト教に対する理解は十分ある人です。
夫人の訴えを受けてもこれを信ぜず、これは自分とキリスト教信者と不和ならしめようとする夫人の計略で
あろうと判断した。
しかし、いちおう書を以って師父・カブラルに問うた。
「キリスト教では、臣民が君主に背くを良しとするか、どうか」
カブラルは直ぐ返事を書いた。
「この前はしかじかの訳で、われわれは教会に集まった。しかし、これは反逆のためではなかった。教会の
焼滅を防ぎ、防ぐことが出来なかったら、神の前に膝まずいて死ぬつもりであった。わがキリスト教では、
臣民たるものはその君主に従順忠誠を持って仕え、兵乱にあたっては鮮血を注いで君主のために忠死する
を美徳とし、反逆徒党を持って国の安寧を害することを大罪とする」
カブラルは、この返書を親家に託した。
親家は狩場に行って父に会って返書を渡し、なお詳しく説明した。
悪そうな奴ですね~

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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:国崩し
1576年にポルトガルから贈られたもので、肥後国高瀬津(熊本県玉名郡)から台車に乗せ豊後国丹生島城(臼杵城)に運ばれた。
宗麟は大変喜びこの大砲を「 国崩し 」と命名した。この名の由来は、発砲した際に出る天地を揺るがす大音響に起因するという。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
親虎は行動の自由を奪われていたので、密書で師父に通じた。
教会では決戦し、殉教することを決意して信者全部が集まった。親家は国主の次男でありながら、馳せ加
わった。
臼杵の町は、今にも戦いが始まるかと大混乱に陥った。
ちょうどその頃、国主・宗麟は狩猟に出て1ヵ月以上も不在であった。

夫人は宗麟に急使を出した。
「キリスト教徒らは親家と親虎を首領と仰いで、謀反を企てている。今日、教徒はそれほど多いとは言えな
いが、このまま放置して教徒の数が増えた暁には、取り返しのつかないことになろう。速やかにこの邪教
を禁断して災いの根を絶つべきである」
国主は、この頃まだ信者になってはいなかったが、キリスト教に対する理解は十分ある人です。
夫人の訴えを受けてもこれを信ぜず、これは自分とキリスト教信者と不和ならしめようとする夫人の計略で
あろうと判断した。
しかし、いちおう書を以って師父・カブラルに問うた。
「キリスト教では、臣民が君主に背くを良しとするか、どうか」
カブラルは直ぐ返事を書いた。
「この前はしかじかの訳で、われわれは教会に集まった。しかし、これは反逆のためではなかった。教会の
焼滅を防ぎ、防ぐことが出来なかったら、神の前に膝まずいて死ぬつもりであった。わがキリスト教では、
臣民たるものはその君主に従順忠誠を持って仕え、兵乱にあたっては鮮血を注いで君主のために忠死する
を美徳とし、反逆徒党を持って国の安寧を害することを大罪とする」
カブラルは、この返書を親家に託した。
親家は狩場に行って父に会って返書を渡し、なお詳しく説明した。
悪そうな奴ですね~

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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:国崩し
1576年にポルトガルから贈られたもので、肥後国高瀬津(熊本県玉名郡)から台車に乗せ豊後国丹生島城(臼杵城)に運ばれた。
宗麟は大変喜びこの大砲を「 国崩し 」と命名した。この名の由来は、発砲した際に出る天地を揺るがす大音響に起因するという。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>