竹中半兵衛の墓
『三木合戦で陣没した竹中半兵衛』
信長から、中国攻めの総大将に秀吉が任じられると、半兵衛は秀吉に従って中国遠征に参加。
1578年、宇喜多氏の備前八幡山城を調略によって落城させ、信長に賞賛される。
竹中重治(半兵衛)(1544-1579年)

同年、信長に対して謀反を起こした荒木村重に対して、黒田官兵衛が有岡城へ赴き帰服を呼びかけるが、
城内で捕縛されたため、信長は単独で有岡城に向かった官兵衛が裏切ったと思いこみ、秀吉に松寿丸を
殺害するように命じた。
そこに半兵衛が進み出て「その役目手前がつかまつる」として長浜城に向い、松寿丸を自分の領地である
菩提山城に移動させ、そこで信長の命に逆らってかくまった。
1579年4月、播磨三木城の包囲(三木合戦)中に病に倒れた。秀吉は重治の病状を心配して京都で療養
させたが、半兵衛はすでに自らの死期を悟り、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して播磨三木の平
井山秀吉本陣に戻り、陣中にて6月13日に死去した。
享年36歳。死因は肺の病気だったという。
秀吉の平井山本陣 (平井山本陣訪問記は「こちら」です。)

この年の10月に助け出された官兵衛は、松寿丸が助けられていたことを非常に感謝し、竹中家の家紋を
貰い受けています。
墓所は秀吉の陣地があった兵庫県三木市平井山の観光ぶどう園内にあります。

訪問日:平成26年5月4日


450年過ぎた今も、生花が絶えていません。
秀吉さんも官兵衛さんも、ここで泣いたのでしょうね。

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いつもありがとうございます。

『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:6回
鳥取城は、山中幸盛に2度、吉川元春に2度、豊臣秀吉に2度、と合計6度の降伏や力攻めによる落城があった城です。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
信長から、中国攻めの総大将に秀吉が任じられると、半兵衛は秀吉に従って中国遠征に参加。
1578年、宇喜多氏の備前八幡山城を調略によって落城させ、信長に賞賛される。
竹中重治(半兵衛)(1544-1579年)

同年、信長に対して謀反を起こした荒木村重に対して、黒田官兵衛が有岡城へ赴き帰服を呼びかけるが、
城内で捕縛されたため、信長は単独で有岡城に向かった官兵衛が裏切ったと思いこみ、秀吉に松寿丸を
殺害するように命じた。
そこに半兵衛が進み出て「その役目手前がつかまつる」として長浜城に向い、松寿丸を自分の領地である
菩提山城に移動させ、そこで信長の命に逆らってかくまった。
1579年4月、播磨三木城の包囲(三木合戦)中に病に倒れた。秀吉は重治の病状を心配して京都で療養
させたが、半兵衛はすでに自らの死期を悟り、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して播磨三木の平
井山秀吉本陣に戻り、陣中にて6月13日に死去した。
享年36歳。死因は肺の病気だったという。
秀吉の平井山本陣 (平井山本陣訪問記は「こちら」です。)

この年の10月に助け出された官兵衛は、松寿丸が助けられていたことを非常に感謝し、竹中家の家紋を
貰い受けています。
墓所は秀吉の陣地があった兵庫県三木市平井山の観光ぶどう園内にあります。


訪問日:平成26年5月4日


450年過ぎた今も、生花が絶えていません。
秀吉さんも官兵衛さんも、ここで泣いたのでしょうね。

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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:6回
鳥取城は、山中幸盛に2度、吉川元春に2度、豊臣秀吉に2度、と合計6度の降伏や力攻めによる落城があった城です。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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『天才軍師・竹中半兵衛』 その28
『粗相は家の名誉』
半兵衛が武士としても心掛けを語るような話が、名将言語禄(江戸末期)などにありますので、これを少
し記事にしてみたいと思います。
竹中半兵衛(1544-1579年)

その7
ある時、半兵衛が人々を相手に合戦談をしている時、子の左京(重門)が席を立ってよそに行き、しばらく
して帰って来た。
「戦さ物語の途中で席を立つということがあるものか」
と、半兵衛が叱ると、
左京は
「小便にまいったのです」
と言い訳した。
半兵衛は一層腹を立て
「何でその場に垂れ流さぬぞ。竹中の子が武道の話に聞き惚れ、粗相をしてしまったと言われることは、
家の名誉になることぞ」
と、言ったという。
(名将言語禄)
こうして半兵衛の伝記を見てみると、小説で読みより伝記のほうが面白い人物と、その反対の人物とが
あることがわかります。
半兵衛の場合は、伝記よりも小説で読んだ方が面白い人物であることがわかります。
半兵衛の詳しいことが分からないこともありますが、彼の人物の面白さは外見的なところではなく、内面
的なところにあるからなのでしょう。
長い間、竹中半兵衛にお付き合い頂き、ありがとうございました。
次の戦国武将は、「逆臣の武将・明智光秀」を予定しております。

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いつもありがとうございます。
『戦国クイズ』
≪前回の解答≫(9月20日の解答)
正解:松風
前田利家を氷のような冷水風呂に入れて、慶次郎は利家の愛馬松風に乗って国を去ったという。
ちなみに、帝釈栗毛は加藤清正、鏡栗毛は山内一豊の愛馬です。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
半兵衛が武士としても心掛けを語るような話が、名将言語禄(江戸末期)などにありますので、これを少
し記事にしてみたいと思います。
竹中半兵衛(1544-1579年)

その7
ある時、半兵衛が人々を相手に合戦談をしている時、子の左京(重門)が席を立ってよそに行き、しばらく
して帰って来た。
「戦さ物語の途中で席を立つということがあるものか」
と、半兵衛が叱ると、
左京は
「小便にまいったのです」
と言い訳した。
半兵衛は一層腹を立て
「何でその場に垂れ流さぬぞ。竹中の子が武道の話に聞き惚れ、粗相をしてしまったと言われることは、
家の名誉になることぞ」
と、言ったという。
(名将言語禄)
こうして半兵衛の伝記を見てみると、小説で読みより伝記のほうが面白い人物と、その反対の人物とが
あることがわかります。
半兵衛の場合は、伝記よりも小説で読んだ方が面白い人物であることがわかります。
半兵衛の詳しいことが分からないこともありますが、彼の人物の面白さは外見的なところではなく、内面
的なところにあるからなのでしょう。
長い間、竹中半兵衛にお付き合い頂き、ありがとうございました。
次の戦国武将は、「逆臣の武将・明智光秀」を予定しております。

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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫(9月20日の解答)
正解:松風
前田利家を氷のような冷水風呂に入れて、慶次郎は利家の愛馬松風に乗って国を去ったという。
ちなみに、帝釈栗毛は加藤清正、鏡栗毛は山内一豊の愛馬です。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
『天才軍師・竹中半兵衛』 その27
『天才軍師・竹中半兵衛』 その27
半兵衛が武士としても心掛けを語るような話が、名将言語禄(江戸末期)などにありますので、これを少
し記事にしてみたいと思います。
『家を出る時、狙われる』
その5
「武士は自分の家の雨落ちをまたぐ時、早や敵がいて自分を狙っているとの覚悟を持つべきものである。
何の覚悟もなく、うかうかと外出するのは不覚である」
(名将言語禄)
関が原の戦い(CG画像)

『手柄話は役に立たない』
その6
「合戦談を聞く場合、多くの者が大事なことは問わず、枝葉のことばかり聞きたがる。誰が手柄を立て
たとか、誰を討取ったとか、そんなことばかり聞きたがる。
一人武者の手柄話を聞いたとて、何の役に立とう。部隊の駆け引き、戦の変化などを主眼にして聞い
てこそ、合戦談も役立つのだ」
(名将言語禄)
「軽井沢白糸の滝」
撮影用の三脚を持参していたのですが、見物の人が多く、三脚を使うことができずに手持ちで撮影
しました。

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半兵衛が武士としても心掛けを語るような話が、名将言語禄(江戸末期)などにありますので、これを少
し記事にしてみたいと思います。
『家を出る時、狙われる』
その5
「武士は自分の家の雨落ちをまたぐ時、早や敵がいて自分を狙っているとの覚悟を持つべきものである。
何の覚悟もなく、うかうかと外出するのは不覚である」
(名将言語禄)
関が原の戦い(CG画像)

『手柄話は役に立たない』
その6
「合戦談を聞く場合、多くの者が大事なことは問わず、枝葉のことばかり聞きたがる。誰が手柄を立て
たとか、誰を討取ったとか、そんなことばかり聞きたがる。
一人武者の手柄話を聞いたとて、何の役に立とう。部隊の駆け引き、戦の変化などを主眼にして聞い
てこそ、合戦談も役立つのだ」
(名将言語禄)
「軽井沢白糸の滝」
撮影用の三脚を持参していたのですが、見物の人が多く、三脚を使うことができずに手持ちで撮影
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『天才軍師・竹中半兵衛』 その26
『刀は身辺から離してはならない』
半兵衛が武士としても心掛けを語るような話が、名将言語禄(江戸末期)などにありますので、これを少
し記事にしてみたいと思います。
その4
「武士はいついかなる場合でも、刀を身辺から離してはならないものであるが、近来は刀を別室において
座敷に通る風習となっている。そのため、多数が一座する時には、別室には刀がいくつも並んでいること
になる。
にわかの事変があった際、自分の刀の所在がわからず、つい不覚をとることがある。かかる際には、自
分の刀は人と逆に置くとか、立てかけて置くとか、離して置くとか、直ぐに分かるようにしておくべきもの
だ」
(名将言語禄)

これって今でもやっていません。
例えば、集会とか居酒屋などで靴がたくさん並ぶ時に、自分のがすぐ探せるように・・・。
でも、にわかの事変のためではないですけどね。
今、長野を旅しています。
小諸城

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その4
「武士はいついかなる場合でも、刀を身辺から離してはならないものであるが、近来は刀を別室において
座敷に通る風習となっている。そのため、多数が一座する時には、別室には刀がいくつも並んでいること
になる。
にわかの事変があった際、自分の刀の所在がわからず、つい不覚をとることがある。かかる際には、自
分の刀は人と逆に置くとか、立てかけて置くとか、離して置くとか、直ぐに分かるようにしておくべきもの
だ」
(名将言語禄)

これって今でもやっていません。
例えば、集会とか居酒屋などで靴がたくさん並ぶ時に、自分のがすぐ探せるように・・・。
でも、にわかの事変のためではないですけどね。
今、長野を旅しています。
小諸城

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『天才軍師・竹中半兵衛』 その25
『名馬を持てば好機を失う』
半兵衛が武士としても心掛けを語るような話が、名将言語禄(江戸末期)などにありますので、これを少
し記事にしてみたいと思います。
その3
半兵衛が言ったことがある。
「武士は分に過ぎた高価な馬を持ってはならない。戦場でよき敵を見かけて追い詰めて飛び降りて組ま
んとする時、あるいは槍をあわせんと降り立たんとする時、馬を奪われはしないかなどと考えて、つい心
がひるんで、タイミングを外してしまうものである。つまり、名馬ゆえに武名を失うことになる。だから、
十両で馬を買おうと思ったら、五両の馬にして、チャンスあれば、おしげなく乗捨てる覚悟あるべきである。
馬に限ったことではない。武士は名こそ惜しけれ、義のためには命をも惜しむべきではない。財宝など
塵あくたとも思わぬ覚悟が常にあるべきある。」
(名将言語禄)
腕が悪いのか、レンズが悪いのか・・・

シグマ135-400mmX1.4
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『戦国クイズ』
≪前回の解答≫
正解:禿げ鼠
信長のねねへの書状の中で秀吉を叱責する際に「あの禿げ鼠」と書かれているものが現存しています。
≪本日の問題≫
<参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
半兵衛が武士としても心掛けを語るような話が、名将言語禄(江戸末期)などにありますので、これを少
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その3
半兵衛が言ったことがある。
「武士は分に過ぎた高価な馬を持ってはならない。戦場でよき敵を見かけて追い詰めて飛び降りて組ま
んとする時、あるいは槍をあわせんと降り立たんとする時、馬を奪われはしないかなどと考えて、つい心
がひるんで、タイミングを外してしまうものである。つまり、名馬ゆえに武名を失うことになる。だから、
十両で馬を買おうと思ったら、五両の馬にして、チャンスあれば、おしげなく乗捨てる覚悟あるべきである。
馬に限ったことではない。武士は名こそ惜しけれ、義のためには命をも惜しむべきではない。財宝など
塵あくたとも思わぬ覚悟が常にあるべきある。」
(名将言語禄)
腕が悪いのか、レンズが悪いのか・・・

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信長のねねへの書状の中で秀吉を叱責する際に「あの禿げ鼠」と書かれているものが現存しています。
≪本日の問題≫
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