百名城57 篠山城
天下普請で築かれた高石垣造の丹波の堅城
『天守台石垣や角馬出に 高虎流築城術をみる』
1609年 丹波八上城主・松平康重が、徳川家康の命により築城
家康は 関ヶ原合戦後 豊臣恩顧の西国大名の勢力削減と 徳川幕府確立のため 天下普請で要衝の地に数ヵ所築城
篠山城もその1つである
東京より 阪神高速の渋滞を避けるため 敦賀、舞鶴経由で登城しました
高虎の石垣と 再建された大書院は 見ごたえがありました
火縄銃のイベントが行われようとしておりましたが 時間がないためパスして竹田城に向かいました
鉄門(くろがね)跡 奥は大書院資料館の玄関

築城400年際のフィナーレ行事で 火縄銃の実演が行われようとしてました

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縄張は 築城の名手 藤堂高虎です

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平成12年に 大書院が再建されています

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天守台はありますが 天守は築かれていません

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登城日:平成21年10月31日


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『天守台石垣や角馬出に 高虎流築城術をみる』
1609年 丹波八上城主・松平康重が、徳川家康の命により築城
家康は 関ヶ原合戦後 豊臣恩顧の西国大名の勢力削減と 徳川幕府確立のため 天下普請で要衝の地に数ヵ所築城
篠山城もその1つである
東京より 阪神高速の渋滞を避けるため 敦賀、舞鶴経由で登城しました
高虎の石垣と 再建された大書院は 見ごたえがありました
火縄銃のイベントが行われようとしておりましたが 時間がないためパスして竹田城に向かいました
鉄門(くろがね)跡 奥は大書院資料館の玄関

築城400年際のフィナーレ行事で 火縄銃の実演が行われようとしてました

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縄張は 築城の名手 藤堂高虎です

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平成12年に 大書院が再建されています

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天守台はありますが 天守は築かれていません

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登城日:平成21年10月31日


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忍城
沼の中に浮かぶ 水の城「忍城」
『「猿の猿真似をして」 三成くんが攻めました』
結果は 堤防が決壊して 将兵数百人が溺死したと言われている
湿地帯にある島を 城の敷地として利用し 「忍の浮城」と呼ばれた
不落の奇城として有名だが 現在は博物館が残るのみ

謙信の軍に 城下を無差別に放火されています

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『「猿の猿真似をして」 三成くんが攻めました』
結果は 堤防が決壊して 将兵数百人が溺死したと言われている
湿地帯にある島を 城の敷地として利用し 「忍の浮城」と呼ばれた
不落の奇城として有名だが 現在は博物館が残るのみ

謙信の軍に 城下を無差別に放火されています

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百名城17 金山城
幾多の戦乱を切り抜けた 巨大山城
『石垣や大手虎口などが復元整備され 石造の山城がよみがえる』
武田氏 上杉氏 後北条氏を撃退し 堅城を証明
駐車場まで車で行くと 10分程度で登城できます
石垣や大手虎口などが復元整備され 石造りの山城が蘇っています
武田氏や上杉氏を撃退した 堅城は見所が満載です
スタンプは 城内の休憩所に 放置状態で設置されています
復元整備された 大手虎口

馬場下通路

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大手虎口南大手曲輪の井戸

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百名城の碑

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眺望も良いです♪(大田市街)

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登城日:平成21年10月11日


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『石垣や大手虎口などが復元整備され 石造の山城がよみがえる』
武田氏 上杉氏 後北条氏を撃退し 堅城を証明
駐車場まで車で行くと 10分程度で登城できます
石垣や大手虎口などが復元整備され 石造りの山城が蘇っています
武田氏や上杉氏を撃退した 堅城は見所が満載です
スタンプは 城内の休憩所に 放置状態で設置されています
復元整備された 大手虎口

馬場下通路

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大手虎口南大手曲輪の井戸

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百名城の碑

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眺望も良いです♪(大田市街)

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百名城15 足利氏館
中世地方武士の典型的な居館
『方形居館を守る 大規模な土塁と水堀が 館の四周を巡る』
四方に門を設け 寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており 鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている
現在は 真言宗大日派の本山「鑁阿寺(ばんなじ)」
う~ん 百名城でなかったら 来る機会はなかったかも・・・

楼門と反橋 (現存)

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楼門

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多宝塔

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周囲を廻る土塁と堀 大きな鯉とアヒルがいます

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登城日:平成21年10月11日


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『方形居館を守る 大規模な土塁と水堀が 館の四周を巡る』
四方に門を設け 寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており 鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている
現在は 真言宗大日派の本山「鑁阿寺(ばんなじ)」
う~ん 百名城でなかったら 来る機会はなかったかも・・・

楼門と反橋 (現存)

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楼門

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多宝塔

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周囲を廻る土塁と堀 大きな鯉とアヒルがいます

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登城日:平成21年10月11日


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百名城16 箕輪城
山上に多数の曲輪が展開した 巨大平山城
『山中に大堀切や土塁・石垣も残る』
武田軍の総攻撃を受け 頼みの上杉謙信の援軍を待たずして落城
「箕輪城まつり」は この箕郷支所から 箕輪城へ武者たちが行進します
城跡は見るものもなく 短時間の登城でした
スタンプは この箕輪支所に設置してあります


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本丸と御前曲輪を隔てる堀

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御前曲輪に残る井戸

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登城日:平成21年10月11日


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『山中に大堀切や土塁・石垣も残る』
武田軍の総攻撃を受け 頼みの上杉謙信の援軍を待たずして落城
「箕輪城まつり」は この箕郷支所から 箕輪城へ武者たちが行進します
城跡は見るものもなく 短時間の登城でした
スタンプは この箕輪支所に設置してあります


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本丸と御前曲輪を隔てる堀

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御前曲輪に残る井戸

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登城日:平成21年10月11日


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百名城75 萩城
海と指月山を背後の守りとした 毛利氏の堅城
『「扇の勾配」の天守台石垣が 水堀に映える』
関ヶ原の戦いで西軍総大将となった毛利輝元は、敗戦により120万石から防長2国36.9万石に減封され
山陰の僻遠地に押込められる
早朝9時30分の登城でしたので、車はおみやげ屋さんの無料駐車場に止め登城しましたが、貸切状態
でした。
石垣は、古いものと新しい石が混在していて、「ふ~ん」という感じでした。
登城後は萩の街並み見学のため、レンタルサイクルで武家屋敷を廻りました。
城は詰の丸を指月山に築き、山麓に本丸・二の丸を設け、五層の天守を建てられていたそうです。

現在は指月公園として整備され、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が現存し、松下村塾や侍
屋敷などが萩市の観光名所となっています。

<クリックで拡大します>
本丸内門前から 天守台方向を望む

<クリックで拡大します>
天守台石垣の高さは 7m程である

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天守台から本丸大手門方向を望む

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登城日:平成21年10月3日


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『「扇の勾配」の天守台石垣が 水堀に映える』
関ヶ原の戦いで西軍総大将となった毛利輝元は、敗戦により120万石から防長2国36.9万石に減封され
山陰の僻遠地に押込められる
早朝9時30分の登城でしたので、車はおみやげ屋さんの無料駐車場に止め登城しましたが、貸切状態
でした。
石垣は、古いものと新しい石が混在していて、「ふ~ん」という感じでした。
登城後は萩の街並み見学のため、レンタルサイクルで武家屋敷を廻りました。
城は詰の丸を指月山に築き、山麓に本丸・二の丸を設け、五層の天守を建てられていたそうです。

現在は指月公園として整備され、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が現存し、松下村塾や侍
屋敷などが萩市の観光名所となっています。

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天守台石垣の高さは 7m程である

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天守台から本丸大手門方向を望む

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登城日:平成21年10月3日


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