百名城23 小田原城
東海道筋の関東入口の 要衝を占めた堅城
『小田原城は 上杉謙信や武田信玄の侵略も退けた 難攻不落の城』
豊臣秀吉の来襲にそなえて 城下町をも含む全周9Kmの大規模な総構を構築 しかし 秀吉軍の大包囲
によって開城
徳川の譜代大名 大久保忠世 忠隣によって 近代城郭として整備される
城内には グループで登城のオバさま方が沢山おられたので 間を取りながらシャッターをきりました
≪登城余記≫
登城52城目です
復元に力を入れていることが感じられましたが おしいことに天守が鉄筋コンクリートです
天守以外は 木造で再建されており 鉄筋コンクリートの天守が残念!!
城内の動物園はどうなんでしょうかね
スタンプは何度押しても綺麗に写すことができませんでした
100台以上収容できる駐車場が城の直ぐ傍にあります。
★★★☆☆

銅門(一の門)

<クリックで画像が大きくなります>
平成9年に復元された銅門(二の門)

<クリックで画像が大きくなります>
「天守へのentrance」小田原城で 一番好きなところです

<クリックで画像が大きくなります>
昭和46年に再建された 常磐木門

<クリックで画像が大きくなります>
登城日:平成21年11月24日


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『小田原城は 上杉謙信や武田信玄の侵略も退けた 難攻不落の城』
豊臣秀吉の来襲にそなえて 城下町をも含む全周9Kmの大規模な総構を構築 しかし 秀吉軍の大包囲
によって開城
徳川の譜代大名 大久保忠世 忠隣によって 近代城郭として整備される
城内には グループで登城のオバさま方が沢山おられたので 間を取りながらシャッターをきりました
≪登城余記≫
登城52城目です
復元に力を入れていることが感じられましたが おしいことに天守が鉄筋コンクリートです
天守以外は 木造で再建されており 鉄筋コンクリートの天守が残念!!
城内の動物園はどうなんでしょうかね
スタンプは何度押しても綺麗に写すことができませんでした
100台以上収容できる駐車場が城の直ぐ傍にあります。
★★★☆☆

銅門(一の門)

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平成9年に復元された銅門(二の門)

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「天守へのentrance」小田原城で 一番好きなところです

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昭和46年に再建された 常磐木門

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登城日:平成21年11月24日


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百名城40 山中城
小田原防備の要となった 箱根口の関門
『豊臣秀吉の7万という圧倒的な大軍で 4000の城兵が守る山中城は一気に陥落』
戦国末期 関東の覇者 後北条氏が 西方に対する防備の要塞として 箱根外輪山の西側斜面に築いた
山中城は 尾根筋を巧みに利用して 曲輪を配置し 街道も城域に取り込んでいた
秀吉の大軍7万に攻められ 半日で陥落した 土造山中城が痛々しく感じられました
障子堀の復元整備が良かったです
≪登城余記≫
登城51城目です
秀吉の大軍7万に攻められ半日で陥落した 土造山中城が痛々しく感じられました
障子堀の復元整備が良かったです
スタンプが置いてある売店で売っている熱々の「寒ざらし団子」は美味しかったです 寒くなるこれからの時期にお勧めです
伊東に宿泊後、小田原城に向かいます
★★★☆☆

国道1号線に面した駐車場です スタンプの設置場所の茶屋は 1号線を挟んだ反対側にあります
私は城内を探してしまいました

<クリックで拡大します>
二の丸へ

<クリックで拡大します>
本丸跡は 傾斜があってフラットでないですね

<クリックで拡大します>
単列型の障子堀

<クリックで拡大します>
宿泊地の大室山(伊東市)近くのホテルに向かいます
伊豆スカイラインは 全線走って200円でした
明日は 小田原城へ向かいます
登城日:平成21年11月23日


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『豊臣秀吉の7万という圧倒的な大軍で 4000の城兵が守る山中城は一気に陥落』
戦国末期 関東の覇者 後北条氏が 西方に対する防備の要塞として 箱根外輪山の西側斜面に築いた
山中城は 尾根筋を巧みに利用して 曲輪を配置し 街道も城域に取り込んでいた
秀吉の大軍7万に攻められ 半日で陥落した 土造山中城が痛々しく感じられました
障子堀の復元整備が良かったです
≪登城余記≫
登城51城目です
秀吉の大軍7万に攻められ半日で陥落した 土造山中城が痛々しく感じられました
障子堀の復元整備が良かったです
スタンプが置いてある売店で売っている熱々の「寒ざらし団子」は美味しかったです 寒くなるこれからの時期にお勧めです
伊東に宿泊後、小田原城に向かいます
★★★☆☆

国道1号線に面した駐車場です スタンプの設置場所の茶屋は 1号線を挟んだ反対側にあります
私は城内を探してしまいました

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二の丸へ

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本丸跡は 傾斜があってフラットでないですね

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単列型の障子堀

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宿泊地の大室山(伊東市)近くのホテルに向かいます
伊豆スカイラインは 全線走って200円でした
明日は 小田原城へ向かいます
登城日:平成21年11月23日


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百名城47 駿府城
富士を望む地に構えられた 徳川家康の隠居城
『巽櫓や二の丸東御門など 駿河の大城郭の再建が進む』
今川氏の居館を 隠居した家康が1607年に改築
西国の大名たちに負担させて 3重の堀と6重7階の天守を持つ城に大改築
その後 1635年に出火で焼失し 以降は再建されていない
≪登城余記≫
登城50城目です
記念すべき50城は家康でした 駐車場は文化会館の地下駐車場(300円/1時間)を利用しました
お城というより駿府公園で 崩壊した石垣が放置され覆いのカバーも破れていました
家康公のすぐ傍に家康が植えたという「みかんの木」があり いっぱい実を付けていました
次は山中城に向かいます。
★★☆☆☆

東御門は 櫓門・高麗門・多門櫓から構成される 枡形門が復元されています

<クリックで拡大します>
巽櫓の近くの石垣が崩壊しています 長く放置しているのでしょうか カバーも破けています

<クリックで拡大します>
十返舎 一九の『東海道中膝栗毛』です 見ていて微笑んでしまいますね

<クリックで拡大します>
平成元年に復元された巽櫓です 公開されていますが 今回は時間がなく断念しました

<クリックで拡大します>
次は 山中城に向かいます
登城日:平成21年11月23日


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『巽櫓や二の丸東御門など 駿河の大城郭の再建が進む』
今川氏の居館を 隠居した家康が1607年に改築
西国の大名たちに負担させて 3重の堀と6重7階の天守を持つ城に大改築
その後 1635年に出火で焼失し 以降は再建されていない
≪登城余記≫
登城50城目です
記念すべき50城は家康でした 駐車場は文化会館の地下駐車場(300円/1時間)を利用しました
お城というより駿府公園で 崩壊した石垣が放置され覆いのカバーも破れていました
家康公のすぐ傍に家康が植えたという「みかんの木」があり いっぱい実を付けていました
次は山中城に向かいます。
★★☆☆☆

東御門は 櫓門・高麗門・多門櫓から構成される 枡形門が復元されています

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巽櫓の近くの石垣が崩壊しています 長く放置しているのでしょうか カバーも破けています

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十返舎 一九の『東海道中膝栗毛』です 見ていて微笑んでしまいますね

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平成元年に復元された巽櫓です 公開されていますが 今回は時間がなく断念しました

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次は 山中城に向かいます
登城日:平成21年11月23日


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百名城52 観音寺城
佐々木六角氏が 繖山全域に築いた巨大山城
『日本の城で初めて築かれた 本格的な高石垣が山中に残る』
1556年 六角義賢は石垣を巡らすなど 城を大改修
1568年 織田信長が足利義昭を15代将軍として上洛する際 近隣の城を猛攻するそのすさまじしさに
義賢・義弼父子は観音寺城を捨てて逃げ出し その後 観音寺城は城主が無く廃城となる
最近まで 石田三成と大谷吉継が居た寺だと思ってました
あいにくの雨でしたので 「石寺楽市会館」でスタンプのみゲット 登城は次回です
「石寺楽市会館」は 産地直売所でした

「石寺楽市会館」に掲げられた案内です

<クリックで拡大します>
「石寺楽市会館」に掲げられた案内です

<クリックで拡大します>
「石寺楽市会館」から見る繖山です

<クリックで拡大します>
名神・東名高速で帰ります

御殿場からの 富士山が綺麗でした!
登城日:平成21年11月3日


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『日本の城で初めて築かれた 本格的な高石垣が山中に残る』
1556年 六角義賢は石垣を巡らすなど 城を大改修
1568年 織田信長が足利義昭を15代将軍として上洛する際 近隣の城を猛攻するそのすさまじしさに
義賢・義弼父子は観音寺城を捨てて逃げ出し その後 観音寺城は城主が無く廃城となる
最近まで 石田三成と大谷吉継が居た寺だと思ってました
あいにくの雨でしたので 「石寺楽市会館」でスタンプのみゲット 登城は次回です
「石寺楽市会館」は 産地直売所でした

「石寺楽市会館」に掲げられた案内です

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「石寺楽市会館」に掲げられた案内です

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名神・東名高速で帰ります

御殿場からの 富士山が綺麗でした!
登城日:平成21年11月3日


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百名城51 安土城
近代城郭の先駆となった信長の幻の城
『整備された大手道などが 信長の栄華を彷彿させる』
織田信長が 天下布武の拠点として 1579年に琵琶湖を望む安土山に築城
天守は 外観5重で内部は地上6階地下1階で 高さ33mの高層建築で 建具や壁には鮮やかな
金色の障壁画が描かれる
☆初めての 本格的天守
☆総石垣の 本丸
☆城内に豪華で 巨大な御殿
近江八幡に宿泊していたので 8時半には到着しましたが 既に数組の観光客が・・・
周りは田畑ですけど、駐車場 入城料 信長の館の 全てが500円なり
信長さんは 人気ありますけどね~

安土城 入口です

<クリックで拡大します>
「信長の館」は JR東海道本線を挟んだ 少し離れた場所にあります

<クリックで拡大します>
安土城は ハデハデ だったんですね~

<クリックで拡大します>

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登城日:平成21年11月3日


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『整備された大手道などが 信長の栄華を彷彿させる』
織田信長が 天下布武の拠点として 1579年に琵琶湖を望む安土山に築城
天守は 外観5重で内部は地上6階地下1階で 高さ33mの高層建築で 建具や壁には鮮やかな
金色の障壁画が描かれる
☆初めての 本格的天守
☆総石垣の 本丸
☆城内に豪華で 巨大な御殿
近江八幡に宿泊していたので 8時半には到着しましたが 既に数組の観光客が・・・
周りは田畑ですけど、駐車場 入城料 信長の館の 全てが500円なり
信長さんは 人気ありますけどね~

安土城 入口です

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「信長の館」は JR東海道本線を挟んだ 少し離れた場所にあります

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安土城は ハデハデ だったんですね~

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登城日:平成21年11月3日


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百名城58 明石城
3重の堀に囲まれた西国押さえの堅城
『陽光に映える 2基の三重櫓が現存する』
1617年 小笠原忠真が信州松本から移封となり 船上城に入って明石藩ができる
1618年 徳川秀忠が西国諸藩への備えとして 姫路城主・本多忠政の協力を得て 明石城が築く
築城には 一国一城令で廃城となった 伏見城や三木城などの用材が用いられたと言われている
明石駅前立体駐車場に駐車し登城 城内では 菊まつりの準備中で雑然としていました
スタンプは 明石駅前から入城すると 右手にすぐある「明石公園サービスセンター」に設置してあります

東入口から見た 正面入口側の堀です

<クリックで拡大します>
坤櫓(ひつじやぐら) 伏見城から移築されたと言われています

<クリックで拡大します>
巽櫓(たつみやぐら)

<クリックで拡大します>
正面(明石駅)入口です

<クリックで拡大します>
登城日:平成21年11月2日


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『陽光に映える 2基の三重櫓が現存する』
1617年 小笠原忠真が信州松本から移封となり 船上城に入って明石藩ができる
1618年 徳川秀忠が西国諸藩への備えとして 姫路城主・本多忠政の協力を得て 明石城が築く
築城には 一国一城令で廃城となった 伏見城や三木城などの用材が用いられたと言われている
明石駅前立体駐車場に駐車し登城 城内では 菊まつりの準備中で雑然としていました
スタンプは 明石駅前から入城すると 右手にすぐある「明石公園サービスセンター」に設置してあります

東入口から見た 正面入口側の堀です

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坤櫓(ひつじやぐら) 伏見城から移築されたと言われています

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巽櫓(たつみやぐら)

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正面(明石駅)入口です

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登城日:平成21年11月2日


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百名城59 姫路城
白鷺にたとえられる 世界遺産の白亜の城
『現存する城郭建築として 日本一の規模を誇る』
大天守 西小天守 乾小天守など 4基の天守を渡櫓で繋げた 史上最大の連立式天守を持つ白亜の名城
今残る姫路城の姿にしたのは 徳川家康の娘婿池田輝政で 9年の歳月を費やし 大城郭を完成させています。
シルバーウィークには 混雑のため駐車場にも入れず登城できませんでしたので 今回は近隣のホテルに
前泊しての登城です
ライトアップは 深夜まで続いていました
菱の門から一番で入城しましたが さすが 世界遺産の姫路城です 早朝にもかかわらず「老若男女&外人
さん」で 城内は直ぐに混雑状態になりました
特別公開の西・東小天主 および西の丸など3時間かけてゆっくり見て廻りました
今回の改修は大天主のみだそうですが 5年後に綺麗になった白鷺城に また登城したいと思います
ホテルの窓からの一枚です ライトアップは 深夜まで続いていました

早朝の姫路城です ライトアップ写真と同じくホテルの窓から

<クリックで拡大します>
大手門駐車場に車を止め 8時30分に桜門橋から登城です

<クリックで拡大します>
大手門を入ると 大天守が迎えてくれます

<クリックで拡大します>
9時の開城前に広場から

<クリックで拡大します>
菱の門を入ったところから

<クリックで拡大します>
備前丸から

<クリックで拡大します>
天守の「西の心柱」

<クリックで拡大します>
大天守からの西の丸

<クリックで拡大します>
特別公開の乾小天守から

<クリックで拡大します>
西の丸化粧櫓前から 最高ですね~ 写真でなく姫路城が、、

<クリックで拡大します>
西の丸からもう一枚 西の丸からの姫路城が お気に入りです

<クリックで拡大します>
長局の廊下:千姫に声をかけられた気がします 気のせいではないと思います

<クリックで拡大します>
再度 西の丸から 最高ですね~

<クリックで拡大します>
ちょうど3時間をかけて姫路城を堪能しました これまでのNo1は熊本城でしたが お互いに譲らずですね

<クリックで拡大します>
みなさんは 姫路城VS熊本城は どちらがNo1ですか?
5年後に綺麗になった 大天守との再会を約束です
番外 昨夜もホテル近くのアーケードで 楽しげに頑張ってました 拍手です!

<クリックで拡大します>
次は 明石城に向かいます
登城日:平成21年11月2日


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『現存する城郭建築として 日本一の規模を誇る』
大天守 西小天守 乾小天守など 4基の天守を渡櫓で繋げた 史上最大の連立式天守を持つ白亜の名城
今残る姫路城の姿にしたのは 徳川家康の娘婿池田輝政で 9年の歳月を費やし 大城郭を完成させています。
シルバーウィークには 混雑のため駐車場にも入れず登城できませんでしたので 今回は近隣のホテルに
前泊しての登城です
ライトアップは 深夜まで続いていました
菱の門から一番で入城しましたが さすが 世界遺産の姫路城です 早朝にもかかわらず「老若男女&外人
さん」で 城内は直ぐに混雑状態になりました
特別公開の西・東小天主 および西の丸など3時間かけてゆっくり見て廻りました
今回の改修は大天主のみだそうですが 5年後に綺麗になった白鷺城に また登城したいと思います
ホテルの窓からの一枚です ライトアップは 深夜まで続いていました

早朝の姫路城です ライトアップ写真と同じくホテルの窓から

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大手門駐車場に車を止め 8時30分に桜門橋から登城です

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大手門を入ると 大天守が迎えてくれます

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9時の開城前に広場から

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菱の門を入ったところから

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備前丸から

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天守の「西の心柱」

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大天守からの西の丸

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特別公開の乾小天守から

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西の丸化粧櫓前から 最高ですね~ 写真でなく姫路城が、、

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西の丸からもう一枚 西の丸からの姫路城が お気に入りです

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長局の廊下:千姫に声をかけられた気がします 気のせいではないと思います

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再度 西の丸から 最高ですね~

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ちょうど3時間をかけて姫路城を堪能しました これまでのNo1は熊本城でしたが お互いに譲らずですね

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みなさんは 姫路城VS熊本城は どちらがNo1ですか?
5年後に綺麗になった 大天守との再会を約束です
番外 昨夜もホテル近くのアーケードで 楽しげに頑張ってました 拍手です!

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次は 明石城に向かいます
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