『天才軍師・竹中半兵衛』 その13

『半兵衛の三寸の舌頭』

半兵衛は調略の成功を秀吉に報告する。

秀吉は半兵衛を同伴して信長のところに行って報告した。

信長は大いに喜び

「その方どもの知略浅からず」

と、激賞して、半兵衛に具足一領と太刀一振り、黄金等を褒美として与えた。

ta.竹中半兵衛 004

また、半兵衛が樋口と多良を連れて信長のところに挨拶に来ると、機嫌よく対面して、堀氏の本領安堵状

を出し、2人に黄金50両と太刀一振りずつをくれた。

かくして、堀氏が固めている長亭軒の砦に、秀吉方から弓・鉄砲の者を50人ずつ入れたので、越前から

加勢に来ている朝倉式部大輔は怯え、朝倉家には何のことわりもなく、越前に引き上げてしまったという。

このようにして、せっかく浅井家が固めていた美濃から江州への攻め入れ口は、半兵衛の三寸の舌頭によ

って解消してしまった。

その後の姉崎合戦では、織田・徳川の連合軍が小谷近くの姉川のほとりで、浅井・朝倉の連合軍と痛戦し、

13段に構えた織田勢の陣が11段まで切り崩されたというほどの危ないところを、やっと勝つことがで

きたが、この合戦には半兵衛の名は出てきません。

しかし、竹中一族が相当に働いたことは、弟の久作が大手柄(遠藤喜左衛門を討つ等)を立てていることを

見て判ります。

sakura 20130829 002

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:記録に出てこない
姉崎合戦では、織田・徳川の連合軍が浅井・朝倉の連合軍と痛戦し、13段に構えた織田勢の陣が11段まで切り崩されたというほどの危ないところを、やっと勝つことができたが、この合戦には半兵衛の名は出てきません。

≪本日の問題≫


                                <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>
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『天才軍師・竹中半兵衛』 その12

『武士の道』

暫く閑談の後、半兵衛は

「かかる時節に、ご幼少たる主君を奉ぜられるご辺のご苦労、さこそと同情申し上げる。織田殿はご辺を味

方にしたいと、いろいろと仰せでござる。堀家のお家を末長く立つよう、ご勘考を願いたい」

と切り出した。

竹中半兵衛(1544-1579年)
ta.竹中半兵衛 001

樋口はなかなか承知しなかったが、半兵衛は懇々と道理と利害を説いた。

元来、堀家は時の勢いによって自存のために浅井家の被官となっているので、譜代の主従というなかでは

なかった。

樋口が半兵衛の説得に承服しないのは、一旦主従の契約をしたのに、ここで背いては武士の道に外れると

思うからである。

半兵衛は、その点を指摘して

「戦国乱離の世では、小身の大名は自立いたしがたい。われらの家が斎藤家の被官となったのも、堀家が

浅井家の被官になられたのも、同じでござる。しかし、先祖代々の恩を受けた主従とは違い申す。譜代の

家来ならば、主家と運命を共にすべきことでござるが、われらが家や堀家などは、違うのでござる。家を保つ

ことが本義と考えるべきです。さればこそ、われらは斎藤家頼むに足りずと思ったので、斎藤家と縁をきり、

その後織田家の被官となり申した。堀家とて、お家を保つことこそ、第一義と考えられるべきであろうと存ず

る。武士の意気地は大事なものでござるが、今それは第二、第三あたりに考えられて良いことではござるま

いか」

と、いうような具合に説いたという。

樋口は説きつけられて

「一々ごもっともな仰せでござる。ともかくも、同役多良右近などと相談のうえ、なにぶんの返事をいたします

れば、今日のところは一応お引取り願いたい」

と言って、半兵衛を帰したが、間もなく家中の主だった連中と相談して、半兵衛の勧めに同意すると返事し、

樋口は女の子、多良は男の子を人質として遣わした。

sakura 20130829 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:加増の書状を燃やした
黒田官兵衛が秀吉に、約束した知行の加増をいつまでたっても実行しないことに不満を覚え、秀吉の花押が入った書状を持って秀吉の前に現れて不満を述べた。
そのとき、秀吉の側にいた半兵衛が書状を手に取り、破って燃やしてしまったという。
驚く孝高に対して、「こんな文書があるから不満を感じるのだ。それに貴殿の身のためにもならない」と述べたという。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>

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『天才軍師・竹中半兵衛』 その11

サンバのリズムから戦国時代は距離がありすぎて、一日では帰れませんでした。

『半兵衛の調略』

浅井三代記(架空の軍談が多いという)で、姉川合戦の始まる前の半兵衛の働きを記述しています。

浅井家では、越前に使者を派遣して、朝倉家の助勢を求めると同時に、美濃から江州へ入る道を塞いだ。

朝倉家から朝倉式部大輔が3千人を率いて助勢として来たので、長久寺と刈安に砦を立て、これを守備

させている。

竹中半兵衛(山本耕史さん)
ta.竹中半兵衛(山本耕史)

半兵衛は、この封鎖を解く計略を立て、長亭軒を守っている堀家に働きかけます。

堀家の当時の当主・次郎はわずかに8歳の幼年で、樋口三郎兵衛と多良右近という両家老がこれを補佐

していた。

樋口は大剛の士であるばかりでなく、節義を重んずる士で、かねてから半兵衛と親しい仲であったという。

半兵衛は秀吉と相談して、調略にかかります。

先ず樋口に書札を持って、貴殿に少々相談したいことがあれば、お暇を伺って参上したしたいと申し送っ

た。

樋口は心掛けある武士なので、

「年来ご懇意を願っている仲ではござるが、唯今敵味方となっていることでござれば、参会は出来申さず」

と返事した。

「あっぱれ、義理を知る者よ」

と、半兵衛は感心したが、密かに長亭軒に行き、面会を申し入れた。

樋口は驚きながらも出て来て、柵をへだてて対面した。

「このほど年来の夕垣でありながら、敵味方となって明日の命も知らぬ仕儀となってしまいました。久しく

対面しませんので、名残りを今一度申し入れたいと存じて参ったのでござる」

と、半兵衛は言う。

樋口は、先ずはお入りくだされと一室に通した。


こちらも和製パーカッションですね。 サンバの後に行きました!
to.轟太鼓

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:福島正則
福島正則は、母が豊臣秀吉の叔母だったため、その縁から幼少より小姓として秀吉に仕え、1578年に播磨三木城の攻撃で初陣を飾っています。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>

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サンバのリズムに誘われて

『サンバのパーカッションに誘われて』

日曜日は、友人の連が出演する「高円寺の阿波踊り」に行くか、「板橋のサンバ」に行くか迷いましたが、

今年は強烈な2/4拍子のパーカッションを選び、サンバに行ってきました。

(友人が踊っている「高円寺の阿波踊り」です。)

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さあ、友人には何と言い訳するか・・・。

来週末は、浅草のサンバとか、、。


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大口径の望遠レンズがやって来た!

『シグマの大口径』

3日前に大口径の望遠レンズが届きました。

購入した目的は? と、聞かれたら「天空の城 竹田城」を立雲峡から撮るためですが、その他には何を

撮るのでしょうね。

「どんなものかい」と言うことで、近くの公園に持ち出してみました。

si.レンズ

静止している物であれば、マズマズです。
mi.三次 001

mi.三次 004

動くものは想定していませんでしたので、動くものの撮影は勉強しなければ、なりませぬ!!
mi.三次 002

mi.三次 005

mi.三次 008

pig 20130824 001

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『天才軍師・竹中半兵衛』 その10

『半兵衛、秀吉の与力衆に』

半兵衛の息子・竹中重門著の「豊鑑」には

「1580年の夏、江北の浅井備前守、越前の国の主朝倉義景と心を一にして信長を背き侍れば、軍を発

しかれを失はんとし給ふ。筑前守秀吉先がけを望みぬ。信長ゆるし給へり。勢も多かりけど、なほかれに

合すべきほどならねば(まだ浅井の力に対抗するほどには達していないのでの意)、美濃の国人竹中氏、

牧村氏、丸毛氏、三人を具せばやと請はれしにまかせ給ひしかば、彼らを相伴(与力・寄騎)にして江北

の軍の先がけし給へり」

とあり、さらに、浅井氏の滅亡後、秀吉が地を相して長浜に築城して居城としたという記事があるという。

長浜城 (長浜城登城記は「こちら」です。)
na.長浜城 001

秀吉が信長に願って自分の与力衆にした牧村は兵部大輔利貞といい、稲葉一鉄の婿であった。また、

丸毛の名は三郎兵衛兼頼といい、美濃では武勇の士であり、幾度も実戦に出て武功を立てていたが、

半兵衛には稲葉城乗っ取り以外はなかった。

秀吉が2人とともに半兵衛を与力衆として所望したのは、稲葉山城乗っ取りのことが、この当時はよほど

有名で、その知略と武勇とが語り草になっていたのでしょう。

絵本太閤記(江戸中期の浄瑠璃や歌舞伎)などの俗書に、秀吉が半兵衛の閑居を尋ねて、その知勇に

益々感心し、口説き落として軍師にしたなどとあるのは、秀吉の赤心を人の腹に敷く豪快でざっくばらん

な口説き方は半兵衛にも大いに魅力的であったろうし、どうせ竹中家は織田家に帰服しているのだから、

「同じ働くなら、この男とともに」

と思って、返事したのかも知れません。

また、牧村兵部大輔と丸毛三郎兵衛を推薦したのは、半兵衛だったのかも知れません。

ともあれ、半兵衛は秀吉の寄騎の一人になったのです。

この時、半兵衛27歳、秀吉35歳であった。

sakura 20130822 001

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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:一乗谷城
朝倉氏の居城・一乗谷城は、標高473mの一乗城山に築城された中世山城で、曲輪、空堀、堀切、竪堀、土塁や伏兵穴跡などの遺構が尾根や谷筋に沿って残っています。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:乱世の英雄(海音寺潮五郎薯)>

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『天才軍師・竹中半兵衛』 その9

『信長の越前討伐』

信長が1580年3月に、越前の朝倉氏を討つべく越前に入ったところ、妹婿の浅井長政が逆意を立てた。

浅井長政(1545-1573年)
as.浅井長政 001

浅井市は信長と和睦するに当たって

「拙者の家は、越前一乗谷の朝倉氏には昔大恩を受けたことがあって、臣従を誓っています。貴殿が将来

とも朝倉氏に敵意を含むことないとお誓いくださるなら、ご縁者とならせていただきましょう」

と言い、信長が誓言を立てて約束したので、長政はお市を嫁にしたのです。

ですから、信長が朝倉征伐をするのは明らかな契約違反だったのです。

浅井氏の居城小谷は北江州の要地です。

本国を離れて深く越前に入っている信長軍は、本国との連絡を断ち切られる恐れがあり、窮地に立った。

この窮地を脱し得たのは、この頃はまだ木下藤吉郎といっていた後の豊臣秀吉の働きであった。

「拙者しんがりをつかまる」

と、誰も引き受けようとしない“しんがり役”を買って出、信長をはじめ諸将を西近江の山岳地帯を経て京

都に引き取らせ、自らも無事に引きあがった。

これが発展して、後の姉川合戦となりますが、その時、秀吉は半兵衛を自分の与力衆にしています。

sa-ko 20130821 001


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『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:妹・お市を嫁がせた
信長の「娘分」として妹・お市を浅井長政に嫁がせています。この婚姻によって織田家と浅井家は同盟を結びます。

≪本日の問題≫


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プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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