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我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その18

『鹿介と棫木狼之介の一騎討ち』

鹿介が富田川の堤防を歩いているのを見つけた棫木狼之介は、川を隔てて呼びかけた。

「いかにそこを行き給うは山中鹿介殿ではござらぬか。かく申すは益田越中が郎党・棫木狼之介でござる。山中

殿はこの頃、武勇の誉をとりて、世にかくれなし。かように申すそれがしも、身不肖なりといえども、勇を好む点は

おとらず、願わくは一騎討ちの勝負をして、たがいの勇力のほどを試みん」

「望むところなり」

と鹿介は答え、武器は太刀、日時はいつ、場所は河中の中州と約束した。

鹿介と棫木狼之介の一騎打ちの碑
ya.山中鹿助の一騎打ちの碑

その日になると、富田城の若武者ら5、6百人、鹿介を先陣として富田川に出た。

益田方でも3百人ばかりが狼之介を先陣に立てて出た。

この話を聞き伝えて、寄せ手からも城方からも出て、目を輝かして見物にかかったという。

鹿介は赤糸おどしの鎧に、いつもの冑をかぶり三尺余(約1m)の太刀を差し、ただ一人馬に乗って中州に向かっ

た。

狼之介も馬に乗って、鹿介に先立って中州に向かったが、彼は強弓に雁股の矢を持っているので、こちらの岸か

ら見ていた秋上伊織助が大音声に

「いかに狼之介殿、望みかけての一騎討の合戦に、約にそむいて弓を持たれ候は、臆病に見え候ぞ。弓を捨て

候」

と呼びかけたが、狼之介は聞えぬふりして捨てない。

すでに矢をつがえて引きしぼうろうとしたので、秋上は怒って弓で矢を射放ち、狼之介の弦を射切った。(オリン

ピックに出ると金メダル間違いなし!)

仕方なく狼之介は弓を捨てた。

そこへ鹿介が乗りつけてきたので、2尺3寸(約73cm)の太刀を抜いて斬りかかった。

鹿介も剛刀を抜いてわたり合った。



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pig 20141224


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:大内氏
尼子氏は、毛利元就の居城であった吉田郡山城を攻撃。当時の毛利氏は、山陽地方の小豪族に過ぎず、山口を拠点とする大内氏に帰順していた。
大内氏から派遣された援軍もあり、尼子氏の撃退に成功。
その後、大内氏が尼子討伐の軍を起こし、毛利元就もこれに参加したのが、第一次月山富田城の戦いです。
結果は月山富田城を落城させることはできず撤退し、撤退後、大内義隆は、ふさぎ込み表に姿を現すことがなくなり、大内氏の没落を招いています。



                                     <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>

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ジャンル : 学問・文化・芸術

我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その17

『第二次月山富田城の戦い』

白鹿城の開城によって尼子家はいよいよ勢いが衰えた。

毛利家は尼子の本城・富田城攻めにかかったが、毛利元就の戦術はあくまで堅実です。

城攻めはせず、はるか遠で富田城への糧道を断つ作戦に出て、あらゆる道を遮断し、ついに富田城近くまで

迫ったのが、1565年4月中旬であった。

月山富田城 (月山富田城の登城記は「こちら」です。)
ga,月山富田城 000

白鹿城の落城から1年半もかかっており、元就の気の長さと堅実さは無類だったのです。

もちろん、この間には度々の戦闘が行われており、鹿介は数々の武功を立て、武名は随分あがっていたという。

鹿介伝記中の有名な事件である品川大善と鹿介との一騎討ちが行われたのは、毛利勢の富田城攻囲中のこと

で、1565年9月20日のことです。

品川大善は、毛利方の武将である石見の豪族・益田藤包の郎党であって、陰徳太平記では

「勇猛世に鳴り、力量人に越え、生ける猪の肩を裂き、乳虎の怒りにもあたる血気の兵なり」

評しています。

「尼子の家中・尼子鹿介を味方の人々は鬼神のように言いなしで恐れている。おれは必ず鹿介と手詰の勝負を

して討取ってくれよう」

と高言し、名を棫木狼之介勝盛(たらぎ おおかみのすけかつもり)と改めたという。

春になって鹿の角が落ちるのは棫(たら)の新芽を食うためであり、鹿に勝つ者はオオカミであり、幸盛(鹿介)に

勝つということから勝盛、すべて縁起をかついでの改名であったのです。


*陰徳太平記:室町時代13代将軍足利義輝の時代(1507年頃)から、慶長の役(1598年))頃までの約90

年間を書く軍記物語。山口県文書館蔵本と毛利家蔵本が現存しています。



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sakura 20141222


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:長州藩
吉川広家が東軍と内通した際、毛利氏は担ぎ上げられただけとの弁明により所領安堵の約定を得ていたが、大坂城で押収された書状に連判状に輝元の名があったことから家康は約束を反故にし、輝元は責任を問われ領国を1/4に減封され、周防国・長門国(長州藩)のみになっています。



                                      <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>

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我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その16

『白鹿城の開城』

毛利元就が長追いをさせなかったのが、尼子方の幸いであった。

尼子方は、どうにか戦場を離脱し、途中、末次(松山市内)の城に毛利方に属する伯耆の武士らが篭っていた

のを攻めて首を5つ討取り、それを面目にして富田に帰った。

誠に不真面目な戦争で、折角の援軍がこんな調子だったのです。

白鹿城遠景
si.白鹿城 001

白鹿城は食糧も尽き水も不足したので、ついに開城となった。

元就はむごいことはしない人です。

城内の将士はみな助命したので、将士らはみな自分の武具や財産を携えて富田に帰ったが、主将・松田だけ

は面目がないと、壱岐に去ったという。

尼子家の損失は合戦に敗けたことよりも、その後にあった。

この時以後、老臣や大身衆と若者らとの間が不和になり、それが深刻化していったのです。

「いつしか積憤となり、近習の者ども大身のために讒言をかまへて、あるひは誅を加へ、または一生懸命の采

配地を没収しければ、外様の者ども、みな義久を恨み、元就に服しける間、城中日々の勢ひおとろへ」(陰徳太

平記)

景気が悪くなると家庭さえ不和となるといいます、運が衰える時というものは誠に余儀のないものなのでしょう。



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pig 20141221


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:1
1:尼子氏 2:毛利氏 3:大内氏 です。



                                       <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>

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sa-ko嬢、修行から帰る

『sa-ko嬢、甲賀の修行から帰る』

pigletの妻・sa-ko嬢が「くノ一」の修行から帰ってきました♪

sa-ko 20141220







                       pig 20141220





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我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その15

『名将・毛利元就』

さすがに毛利元就は名将であった。

尼子方が弓鉄砲を射かけても静まりかえって相手にならず、罵倒しても返事もせず、備えを固くして6時間ばかり

も尼子勢をじらせた。

やがて夕方近くになったので、尼子勢は

「今はもう敵も出でじ、明日こそまた打って出でめ」

と、引き上げにかかった。

吉田郡山城の毛利元就
mo.毛利元就 002

元就が待っていたのはこの時であった。

猛然として采配をふった。

「かかれ! 今ぞ!」

小早川隆景の勢が真先きかけて疾駆して出る。

その後を吉川元春の勢が兵鼓を打って静々と進む。

「すわや、敵打って出たり」

尼子方は返し合わせようとしたが、退き足立っている勢は混乱するばかりであった。

そこへ突っ込んで来られて、ドッと崩れた。

陰徳太平記では、この時、後陣にひかえた立原や鹿介らは憤激して、先陣に入れ替わって進もうとしたが、

逃げ来る味方の勢におされて進むことが出来ない。

あせりにあせっているところに大身衆の一人湯ノ佐渡守が退いて来た。

鹿介はその鎧の袖をつかんで

「いかに佐渡殿、きたなくも逃げのがれるものかな。先日の広言、恥ずかしゅうはござらぬか。返し合わせて

一戦あれ」

と、ののしると、湯はニコリと笑って

「敵も敵にこそよれ、元就という大将に逢うては、戦うことも出来ねば、死のうとしても死なせぬわ、もうどうにも

ならんぞ、そなたも一緒に退かれよ」

と言って、突き退けて通ったので、鹿介らも力なく退却にかかったという。


上昇中の軍勢と、縮退を続ける軍勢のちがいなのでしょう。


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大久野島で野生のうさぎと、ラビランで遊ぶpiglet。 この違いはどこからくるのでしょうね。

pig 20141219 001 pig 20141219 002


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:170年
月山富田城は、、山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間(1396年~1566年)の尼子氏6代の盛衰の舞台となっています。
尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となっています。



      1              2              3
ka.家紋 ka.家紋1 ka.家紋3


                                  <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>

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我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿介」 その14

『毛利、尼子軍の対峙』

この軍議に出て来る立原源太兵衛は、鹿介の母の弟、鹿介にとっては外叔父なのです。

近習か馬廻りであったのでしょうから、まだ若かった筈です。

現在の松江大橋
ma.松江大橋

この若者らの主張は、家老や大身衆には受入れなかった。

「そなたらの意見は一応道理のようじゃが、そなたらは身軽な一騎働きは得意でも、大合戦の駈け引きは無

案内であろう。粗忽な戦さしてそなたらが敗れたらどうなるぞ、先陣の敗れが総軍の敗れとなるのは戦の習

いじゃ。先陣はわれらが承る。そなたらはまだまだじゃ。後陣にひかえて、戦さ馴れたわれらの合戦ぶりを見

て、後学にせい」

と一蹴した。

尼子家では当主・義久は富田城に止まり、弟の倫久が総大将となって先陣は家老大身衆7千人余、後陣に

は近習・馬廻りの者ども3千余人の合計1万余人が9月13日に富田を出発、松江の加羅加羅橋(松江大橋

)を渡って、白鹿に打って出た。

尼子勢が来たとの報告に接して、元就は城の攻め口に適当な勢を残し

「どんなことがあっても後方の合戦に馳せ加わってはならん。必ずともここの攻め口を離れるな」

と固く命じ、残りの兵を率いて、尼子勢に対して陣取りした。



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pig 20141218


『戦国クイズ』

≪前回の解答≫
正解:大将の護衛や伝令
馬廻りは、大将の廻りに付き護衛や伝令及び決戦兵力として主に若者の職制のひとつです。
また、平時にも大名の護衛となり、事務の取次ぎなど大名の側近として吏僚的な職務を果していたようです。

≪本日の問題≫


                                 <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>

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我に七難八苦を与えたまえ「山中鹿助」 その13

冬花火、ラビットランで、鹿介さんが止まっていました。 先に進めたいと思います。


『尼子家、若者どもの特攻隊』

城鹿城を救援する軍議の席上、鹿介は立原源太兵衛久綱らとともに

「この度の合戦には、家老衆や代身衆は暫く後陣にひかえられて、われら御近習お馬廻りの若者どもを先手に

立てられたく存ずる。合戦始まって足軽どものせり合い半ばに、われら無二無三に突進し、毛利勢の2陣まで

斬り崩しましょう。その時、後陣に控えられた方々突撃に出ていただきたい。敵は必ず総敗軍におよびましょう。

また、もし敵の先陣強くとも、われら一歩も退かず一人残らず討死して、必ず敵の備えをかき乱しますゆえ、大

身衆突撃に出られなば、これまた味方の勝利となることでござろう」

と、主張し、また

「敵あまりに大軍なるゆえ、白昼の合戦心もとなしと思召されるならば、われら若き者どもが夜討ちをいたします

ゆえ、敵の驚きうろたえたるところを、大身衆の勢をもって切り崩しくだされよ。とかく、先陣は、われら若き者ども

に仰せつけ下されたい」

と主張した。

月山富田城(山中御殿)
ga.月山富田城 002

若者らの主張するこの作戦は特攻隊的のものです。

毛利家の軍勢と尼子家の軍勢がいかに差があったかがわかります。

尼子家が本国にいながら、旅戦さに来ている毛利軍に対抗し得る兵力を持っていなかったことがわかります。

尼子家の衰勢は想察すべき状態であったのです。



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pig 20141217



『戦国クイズ』

≪前回の解答≫ (12月13日の問題)
正解:大友宗麟に領地を脅かされたため
元就は3人の息子と軍勢を率いて吉田郡山城を出陣。途中、九州の大友宗麟が豊前の毛利氏領を脅かしたため、毛利隆元は遠征軍から離れてその対応に当たり、幕府の仲介を利用して大友氏と和議を結び、尼子攻めに参加する途上、毛利氏傘下の備後の和智誠春からの饗応の直後、安芸の佐々部で急死しています。

≪本日の問題≫


                                    <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>

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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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I LOVE 郡上おどり













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