2015年 日本百名城巡りのまとめ

「2015年の城巡りは、日本百名城など7城を攻略」

今年の城廻は、ライトアップを中心に廻る予定でしたが、下半期が忙しく城廻りができませんでした

ので、目標の半分の7城でした。

しかし、リニュアル後の姫路城、夜間入城の熊本城のライトアップを撮ることができましたので、満足の

一年でした。

1月2日 小田原城
0102 小田原城

1月11日 栃木・飛山城
0111 飛山城

1月11日 宇都宮城
0111 宇都宮城

2月1日 江戸城
0201 江戸城

4月19日 岡山城
0419 岡山城

4月20日 姫路城
0420 姫路城

5月1日 熊本城
0501 熊本城


今年も一年、毎日のご訪問やたくさんのコメントを戴き、ありがとうございました。

来年も1月1日から営業の予定です。 来年もよろしくお願いいたします。

みなさま、よいお年をお迎えください!



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pig 20151231
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『秀吉の大陸進出の野望』 その81

『あほなのか、小西行長』

小西行長は、また待っていた。

すでに酷寒の季節になっています。日本人が経験したことのない寒さです。

小西行長(1558-1600年)
ko.小西行長02

そのうえ食糧も欠乏して、兵士らは毎日ごく少量の粟と黍(きび)を食べるだけで、酒類もなく、しかも朝鮮

人民のレジスタンスが盛んで、危険で食糧調達もままならない有様で、病人が続出した。

年が明け、正月3日、沈惟敬の使者が来て、明の大将軍・李如松が講和使として来ると知らせた。

小西の喜びはひとかたではない。

家臣30人程を選んで、迎えのため順安まで出した。

李如松の先鋒はこれを迎え、歓待と称して酒を饗し、宴半ばにわざと口論をしかけ、四方から襲って殺害

した。

やっと助かった者が3人いて逃げ帰って、報告した。

小西は驚いたが、まだ疑う気にならなかったというから、その心理は不可解なものです。

酒の上で喧嘩になってこうなったのかも知れないと思い、一族で重臣である小西飛騨守を李如松の元につ

かわした。



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pig 20151229




                                 <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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『秀吉の大陸進出の野望』 その80

『読めない小西行長』

寧夏征伐に行っていた将軍・李如松が北京に凱旋して帰ってきた。この男は、度々の辺境の乱を平定し、

名将の名の高い人物であった。

明朝では、ついに日本軍と決戦することになり李如松を大将軍として、朝鮮に向かわすことになったが、

日本軍に油断をさせるため、沈惟敬も従うことになった。

宇土城の小西行長 (宇土城登城記は「こちら」です。)
ut.宇土城 003

小西行長は、惟敬を信用しきっていたので、宗義智や松浦鎮信などが忠告もしたが、停戦約束の期限

内は斥候も出さず、偵察もせず、防御の設備をせず、ひたすらに惟敬からの便りを待った。

約束の期間が過ぎた頃に、沈惟敬からの使いが来た。

「沈将軍は、11月20日頃には当地に到着するでありましょう」

という。

20日を数日過ぎて、惟敬は来た。

小西は喜んで迎え早速談判にかかったが、惟敬は言う。

「朝貢のことは確かに許しを貰って参ったが、その前にそちらの誠意を見せて貰わなければならない」

「誠意とは?」

「1つ、朝鮮の2王子が咸鏡道の日本軍に捕らえられている。これを返還すること。2つ、日本軍が朝鮮

から先ず撤退すること。この2条を行なって貰えば、朝貢のことは許すとの勅定である」

普通は立腹するところだが、あくまで講和に執着している小西は怒らない。

「2王子は咸鏡道の主将である加藤の捕虜でござれば、拙者の一存では叶いません。また、朝鮮の各

道にはそれぞれ主将が任命され、拙者はこの平安道だけの主将でござる。拙者の一存でできるのはこ

こだけです。されば、この一道をかえし、大同江以南に撤退しましょう。それで承知ありたい」

今の惟敬の使命は和議をまとめることではない。小西を安心させ油断させることにあるのです。

「平安道一道だけか。それで誠意を見てくれとは、ずいぶん虫がよい。しかし、日本の誠意は別として、

貴殿の誠意だけは十分に見える。よろしい。何とかそれで骨をおりましょう」

などと、調子のよいことを言って、また帰っていった。



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sakura 20151228




                                  <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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『秀吉の大陸進出の野望』 その79

『三成からの指令』

石田三成は秀吉のこの外征は豊臣家のためにならないと信じ、秀吉の顔が立つような条件をつかんだなら

講和に持って行きたいと思い、その旨を小西や宗に言い渡しており、玄蘇もまたこの線に沿い動いていた。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 002

沈惟敬は、玄蘇の話に大様に頷いた。

「日本がそのような心であるなら、天朝がどうして朝貢をお許しにならないことがあろう。わしもおおいに取り

成してしんぜよう」

小西は喜んで、帯びていた刀と陣羽織を贈った。

惟敬は受け取り、50日の停戦を提議した。

その間に北京に帰って朝貢の許しを貰って来るというので、小西は承諾した。

惟敬は平壌の北方10里を両軍の停止線と定め、北へ帰った。

惟敬は大法螺吹きであるが、日明間の和議をまとめることが出来ると言い立て大出世しており、本気で和議

をまとめるために北京に帰ったが、帰ってみると朝廷の事情が一変していた。

寧夏の乱が平定された報告が入って、主戦論がさかんになり

「堂々たる中夏帝国が海東の小蛮国である日本と和議などということがあるものか。降伏させるべきであり、

一戦あって痛破した後であるべきだ。」

と、論じており、朝廷の大勢もそれに傾いている。

こうなれば、一介の悪者から、にわかに成り上がった沈惟敬など何の力もなくなってきた。

「沈惟敬など私利私欲のために何をやりだすかわかったものではない。斬ってしまうがよい」

と、激論する者もいて、惟敬は小さくなっているより、他はなかったという。




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石田三成の兜
is.石田三成 兜



                                     <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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お台場レインボー花火 2015

『お台場レインボー花火 2015』

今年は、最終日の「お台場レインボー花火」に行ってきました。

昨年は、毎週行っていたような気がしますが、千葉人となった今年は最終日にやっと行ってきました。

20151226 001

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20131130 RB 003

空を見上げれば、まんまるのお月様です。

20151226 000

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20151226 006


レインボー花火は終わりましたけど、木更津の5分花火は始まったばかりです。

冬の花火道場で、練習してみたいと思います。



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2015年 クリスマス

『piglet家のクリスマス』

今年、piglet家は引越しして新しい環境でクリスマスを迎えることができました。

20151224 000

新しい環境では、うさぎ専用の部屋を造ることができましたので、壁紙はスヌーピーです。

20151224 001

そして、昼間でもウサーズたちがゆっくり休めるように、カーテンは遮光のミッキー。

20151224 003

そんな環境でpiglet一家は、初めてのクリスマスを迎えています。

20151224 009

トナカイさんより、赤い服を着たかったようです。

20151224 010

凛々しいお姿ですが、こんな時期もありました。

20151224 013


わたしは、これ以外は着ないです。

20151224 012

わたしは、なにも着なくていいです。

20151224 011

さて、お待ちのクリスマスプレゼントは。

うさぽかヒーターは、試用に1個買ってきましたので、写真撮影後にsa-ko嬢に試させたら、すっかりお気に入り
の様子でしたので、全員に購入しました。

20151224 007


今年も一年が終わろうとしていますが、「今年一年で一番良かったことは?」とpigletに聞いてみたら

やはり、これだったそうです。

20151224 008

みなさんのクリスマスは如何でしたか。

今年も、pigletは毎月歯切りに通う一年でしたが、来年のクリスマスも3羽揃って元気で迎えて欲しいものです。



クリスマスでも変わりありません!
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『秀吉の大陸進出の野望』 その78

『巧妙な詐欺師』

巧妙な詐欺師は調子のよいことばかりは言わなく、時には叱りつけたり、脅したりする。硬軟を取り混ぜた

方が人を酔わせ信を得るに効果的であることを知っている。

沈惟敬もそうであった。

小西行長
ko.小西行長02

通事として座に連なっている僧・玄蘇を睨むや、いきなり怒鳴りつけた。

「そなたは髪を剃り、法衣をつけているところをみると仏僧であろう。仏陀の教えは慈悲をもととし、殺生残

害をかたく禁止している。何故に暴夷の軍勢に従って、大明国の忠順なる属国であるこの国を痛めつける

のか。

けしからんではないか。」

堂々たる風采をし、しかも大明国のえらい将軍という触れ込みの沈惟敬に、こう言われて、玄蘇は恐れ入

った。

「拙僧は決して大明国に逆意を抱いている訳ではございません。大明国に四明禅師という名僧がおられま

した。拙僧の師僧はかつて禅師の弟子になって修行しましたが、滞明中に当時の大明皇帝に拝謁を仰せ

つかり、袈裟一連を下賜されました。その袈裟は師僧から伝えられ、今に至るまで拙僧が宝蔵しています。

このような次第でございますから、拙僧は大明国に対して逆人などいささかも抱いていません。むしろ熱い

忠順の心を抱いているのでございます。拙僧がこの軍に従いましたのも、中国はよしみ給うて商船たがい

に往来しておりましたのに、少し前からそのことが無くなりました。わが豊臣太閤は昔の交際に復しようとし

て、朝鮮にその仲立ちを頼んだのでございますが、朝鮮はそれを拒みました。そのため、今日のこの戦さ

騒ぎになったのでございます。日本は中国に対して不逞の心を抱いている訳ではありません。ただ中国に

朝貢したいだけでございます。拙僧がこの軍に従いましたのも、日本のこの忠誠の意をあまりなく中国に

通ずるためなのです。ご諒察を願います」

随分と卑屈なことを言ったものですが、玄蘇としては仕方ないのでしょうか。



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朝鮮の役・前進基地「名護屋城天守台」
na.名護屋城天守台




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プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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