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『秀吉の大陸進出の野望』 その86

『碧蹄館の戦い』

清正は続ける。

「かくして40万の軍勢を討取ったうえは、直ちに北京へ討ち入り、城に乗り入れ、恐れながら大明皇帝を

虜に申すこと、拙者においては何でもないことでござる。早々40万の軍勢を押し寄せて、真の日本の武

将加藤の武辺のほどをご覧ありますように」

馮仲纓(ひょうちゅうえい)は震え上がった。

清正軍の武勇絶倫は北京でも噂が高かったのです。

北京乗っ取りとまではいかなくても、それに近いことはすると思ったのでしょう。

「後悔なさっても、もう遅いですぞ」

と、捨てゼリフして早々に退散した。

立花誾千代&宗茂
ta.立花宗茂&ぎん千代

清正は雪が少し消えるのを待って、2月中旬に安辺を出て京城に向かった。

2月29日に京城に到着したが、この1ヵ月前の正月26日、京城の北20kmにある碧蹄館で日本軍と明

軍の大合戦が行なわれていた。

日本軍は小早川隆景、毛利秀包、宇喜多秀家、立花宗茂など約2万の明軍を痛破敗走させ、特に立花

宗茂の働きが顕著であったという。

この戦は、前期朝鮮役中の最大規模のもので、これに日本軍が大勝したので明国側は講和を本気で考

えるようになったという。

清正が京城に帰着した時、諸将の間に釜山まで撤退しようという相談がまとまっていた。

理由は兵糧の欠乏であった。

朝鮮水軍の勢いが強いため、本国からの輸送は途絶えているし、徴発に行くと抵抗されるので、どうにも

ならなかったのです。

折角、碧蹄館で大勝しても、その勝利を生かすことが出来なかったのです。

清正は、相談がそうなっていると聞くと、すぐ再軍議を要求した。



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pig 20160122




                                  <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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『秀吉の大陸進出の野望』 その85

『凛と対応する清正』

明は、大明皇帝の勅使であるという、馮仲纓(ひょうちゅうえい)を清正のもとに使者としておくった。

清正は礼を備えて迎えた。

加藤清正(1562-1611年)
ka.加藤清正

仲纓の口上は、3ヵ条に要約できた。

1.捕らえている朝鮮の2王子をかえせ。

2.日本軍は今や平壌で敗れ、京城で敗れ、全軍が南走しつつある。明軍の追撃は急であり、各地には

 義軍が蜂起して、随所で日本軍を襲撃しているから、日本軍は釜山海に達せずに全部殺されるか、降

 伏するであろう。

3.汝清正は戦場においては猛勇比倫がないが、朝鮮に入っていらい民には仁慈をもととして、いささか

 も暴悪の行いがない。本性仁心ある者と思われる。むざむざ殺すのは不敏であるから、助命してつか

 わす。速やかに降伏せよ。汝の軍勢ともども大明より船をつかわして、日本に送り帰してやる。しからず

 ば、40万の大軍をさし向け一挙に攻めるぞ。

というのであった。

清正は恐喝であろうと思ったが、小西行正の敗戦と諸将が狼狽して京城に集まり善後策を相談している

ことは知っている。

あるいは再度の敗軍があったのかも知れないと思った。

しかし、彼の覚悟は日本を出るときから決まっていた。

丁重に饗応したうえで、落ち着きはらって返答した。

「2王子は、拙者が自ら捕らえたのでござるが、すでに太閤に報告いたしてあるものでござれば、もはや太

閤の捕虜でござる。自儘(じまま)な処置は出来申さぬ。次に平安道にて小西敗軍とのこと、それは承知し

ていますが、日本軍が再度敗軍したことは信じかねます。小西は元来堺の町人でござる。若年のおり朝

鮮に往来して、地理をよく存じている故、案内役として宗対馬守が陣中にいるだけのもの、これが敗れた

とて日本軍の鉾先は曲がりません。真の日本軍の武将とは、かく申す拙者でござる。40万の大軍を向け

ると仰せでござるが、山路険しいことでござる。たとえ雪がなくとも、日に1万がせいぜい。1日に1万を討

ち果たすこと、拙者においては易うござる。40日にてかたがつく勘定でござる。」

思い切った大言だが、あくまでも礼儀正しく、あくまでも物静かに言うのであった。

馮仲纓は知らず知らずに顔色がかわった。



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pig 20160121



                                <参考文献:加藤清正(海音寺潮五郎薯)>

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鹿野山九十九谷の雲海

『鹿野山九十九谷の雲海』

千葉の情報を探していたら、こんな写真を見つけましたので、先週末に早起きして行ってきました。

九十九谷公園 000

場所は鹿野山九十九谷展望公園。

鹿野山といったらマザー牧場が有名ですが、関東地方限定で有名なのでしょう。

現地に到着したのは、日の出前の5時30分。 日の出に滑り込みセーフです。

まったく雲海はないですね。 ただ見晴らしの良い展望台です。

20160116 九十九谷公園 001

しかたがないので、日の出写真でも撮って帰ろうと日の出を待つも、東の空には雲だらけです。

20160116 九十九谷公園 002

20160116 九十九谷公園 003

日の出とともに山々の様子が一変していきます。

20160116 九十九谷公園 004

カメラの位置が標高300m弱ですから、千葉の山といっても吹き出物程度なのでしょう。

20160116 九十九谷公園 005

かなり幻想的になってきました。

20160116 九十九谷公園 007

日の出から30分もすると、水墨画のように山々になってくれました。

20160116 九十九谷公園 010


残念ながら雲海は見ることができませんでしたけど、キレイな朝もや(?)を堪能することができました。

当日のカメラマンは10人程でした。

雲海といったら兵庫の竹田城が有名ですが、3度行きましたがカメラに収めることはできませんでした。

雲海には見放されていますが、再チャレンジしたいと思います。


写真ブログになっていますが、次回は戦国時代に戻りたいと思います。



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3回目の百里基地 その3

『いよいよ登場! F-15イーグル』

百里基地に来る目的は、F-15イーグルのアフターファイアを見るためですが、過去の2回は戦闘機は全く

飛ばず、その勇姿を見ることもできませんでした。

今回は、イーグルがうようよいるのです。

見てください!  「イーグルドライバー」が乗り込もうとしています。

<写真はクリックで拡大します>
20160113 百里基地 021

さあ、滑走開始です。 かなり緊張しています♪

20160113 百里基地 022

まちに待った、イーグルの登場です!  この時点で5機が動き出しています。

20160113 百里基地 023

贅肉をそぎ落とした、ファイティングマシンです。 美しいですね!

20160113 百里基地 024

2機並んで競争してくれるといいですねー♪♪

20160113 百里基地 025

「おい見てごらん。 今日のギャラリーは素人ばかりだねー」

「レンズがヘボイのもいるね」、「ちゃんと撮れよ!」

20160113 百里基地 026

「じゃ、行くかい。お先になぁ~

20160113 百里基地 027

美しいお姿です。

垂直翼の梅の花は、「偕楽園の梅」を表しているそうです。

20160113 百里基地 028

ベタ踏み込みー

20160113 百里基地 029

お~い。 アフタファイヤー出ていないよー。  残念!

20160113 百里基地 030

今度は、3機のいっき出しです。

20160113 百里基地 031-0

イーグルが3機も並ぶ、贅沢な写真です。

この後は、カメラを置いてゆっくりとイーグルを堪能しました。

20160113 百里基地 031

燃料は下がっただろうに、アフタファイヤーを見せてくれません。

節約優先なのでしょう^^

20160113 百里基地 032


次回のイーグル撮影時には、空中で乱舞するお姿とアフタファイヤーですね。

楽しみは残しておくものですね。 

百里は遠いなー。


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3回目の百里基地 その2

『迫力のF-4ファントム』

水戸で用件を済ませ、百里基地の北門に帰って来たのは、14時30分。

Tー4(練習機)がタッチ&ゴーを繰り返し練習しています。

20160113 百里基地 011

この飛行機どこかで見たことありませんか。

そう、現在のブルーインパルスでも使用している機体です。

20160113 百里基地 012

ブルーインパルス(入間基地で撮影したものです)

20160113 百里基地 000

これは別の機体です。

20160113 百里基地 013

この機体にカメラを向ける人は少なかったですね。

20160113 百里基地 014

go! ゴー!!

20160113 百里基地 016

F-15イーグル登場

20160113 百里基地 020

F-15の登場に気を獲られていると、いきなりファントムが着陸してきました。

20160113 百里基地 017

カメラまでの距離30m程度、大迫力です。

20160113 百里基地 018

ファントムはベトナム戦争で活躍した戦闘機ですから、設計・初飛行から約40年を経過し、1990年代半ばに
開発国のアメリカでは全機退役しています。

しかし、日本の航空自衛隊をはじめとした諸外国では現在でも多くの機体が現役のまま使用されています。

【F-4ファントムのプロフィール】
全長:19.7m
全幅:11.7m
全高:5m
重量:26t
最大速度:マッハ2.2(東京大阪約11分)
最大航続距離:約2,900km

20160113 百里基地 019-1

20160113 百里基地 019-2

20160113 百里基地 019-3


次回は、長年まじかで見たかった「F-15イーグル」の登場です。




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3回目の百里基地 その1

『イーグル見たさに、3回目の百里基地へ』

先週、水戸に用事があったので、3回目の百里基地へ行ってきました。

東関東自動車道・大栄ICから下路をトコトコ走って、百里基地北門に到着したのは10時30分過ぎ。

途中、戦闘機が飛んでいるのを見ることができなかったので、今日も諦めムードで北門に到着すると、

ギャラリーで混雑していました。


ウヒョー~、イーグルだらけです。

20160113 百里基地 001
<写真はすべてクリックで拡大します>

旅客機なみに大きいのは、空中給油機(KC-767)です。 

帰ってから勉強しました。

20160113 百里基地 002

空を見上げると、イーグルの乱舞です。

20160113 百里基地 003

空中給油機の離陸です。  百里基地の所属ではなく、他の基地の所属だと思います。

お腹の後方に管が見えますが、これを下方にビローンと垂らして空中給油をするそうです。

クリックで拡大すると良く見えます。

20160113 百里基地 004

乱舞していたイーグルたちの着陸ですが、距離が遠いのと、逆光で着陸の写真はきれいに撮れ

ませんでした。

20160113 百里基地 005

勇士です。 

20160113 百里基地 006

逆光ですからキレイに撮れませんが、午後は順光になるとか。

20160113 百里基地 008

爆音が聞きたいです!

20160113 百里基地 007


12:00~12:30は静粛タイムとかで、飛行機は飛びませんので、水戸で用件を済ますために水戸に

向かい、もう一度帰りに寄ることにしました。



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真田丸 その2

『信繁の略歴』

真田信繁(幸村)は真田昌幸の次男として、1567年8月に生まれ、幼名をお弁丸、後に源次郎と称している。

現在でも「真田幸村」の名で広く知られていますが、直筆の書状を始め、生前の史料で「幸村」の名が使われ

ているものは無く、実名においては「信繁」が正しいようです。

真田信繁(1567-1615年)
sa.真田幸村 001

「幸村」の名が見られるようになったのは、大坂夏の陣以後で、60年近く経た、1672年に成立の軍記物語

『難波戦記』で初めて使用されたという。

時代が下るにつれ「幸村」の名が広まり、江戸幕府編纂の系図資料集である『寛政重修諸家譜』や兄・信之

の子孫が代々藩主を務めた松代藩の正史においても「幸村」が採用されています。

1582年3月の織田・徳川連合軍の甲斐侵攻により、武田氏は滅亡したが、真田氏は織田信長に恭順して

上野国吾妻郡・利根郡、信濃国小県郡の所領を安堵されている。

同年6月に本能寺の変により信長が横死すると武田遺領は空白域化し、越後国の上杉氏、相模の後北条氏

、三河国の徳川家康の三者で武田遺領を巡る争いが発生する(天正壬午の乱)。

真田氏は上杉氏に帰属して自立し、1585年8月には第一次上田合戦において徳川氏と戦っている。この際

に信繁は上杉氏のもとに人質として置かれ、信繁には徳川方に帰属した信濃国衆である屋代氏の旧領が与

えられたという。

この時、信繁20歳。

1589年11月、昌幸は上杉景勝が豊臣秀吉に見参すべく京都に上った不在をうかがって、信繁を呼び返し、

大谷吉継によって秀吉のもとに差出し勤仕させている。

これも人質の意味であった。

景勝は怒って秀吉に訴え返還を乞うが、秀吉は景勝をなだめて手もとに留め置いた。

信繁、24歳の時である。



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上田城を攻めるpiglet
ue.20100529 上田城 002



                                <参考文献:武将列伝(海音寺潮五郎薯)>

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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













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