「近江国へ」 その6

『マキノ高原のメタセコイア並木』

滋賀県北西部に位置する高島市マキノ町。

山すその小さな町に、絶景を求めて訪れる人が増えているそうです。

春夏秋冬訪れる人を必ず感動させてくれるメタセコイア並木を見てきました。

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後ろもど~ん。

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関西でも随一の規模を誇る観光栗園「マキノピックランド」からマキノ高原へとまっすぐ伸びる道路

沿いに2.5kmも続く「メタセコイア並木」。

このメタセコイア並木は平成6年に読売新聞社の「新・日本街路樹百景」に選定された絶景ロード。

そして真っ直ぐに伸びた道の日本離れしたその景観は、遠景となる野坂山地とも調和し、訪れる

人々を魅了。

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ここは、どこですか。

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萌え出づる春。新緑眩しい初夏。緑深い夏。紅葉燃える秋。雪の花咲く冬。

春夏秋冬、四季折々に美しい姿を楽しませてくれるメタセコイア並木。

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今回の近江国への旅で、一番お気に入りのスポットでした。

アプローチが大変ですけど、また、ぜひ行ってみたい名所のひとつです。

みなさんは、どの季節を選ばれますか。  私の場合はやはり厳寒の冬がいいです🎶



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近江・大溝城

『浅井三姉妹の初が入城した近江・大溝城』

大溝城は、織田信長が、安土に壮大な城を築いたころ対岸の高島の地に築城されている。

この城は、琵琶湖とその内湖(乙女ヶ池)を巧みに取込んで築いた水城で、明智光秀が縄張を担当

したと伝承されます。

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天守台だけが残る大溝城
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乙女ヶ池を外堀に旨く利用しています。
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そのころ、高島郡一円を委ねられていた新庄城主・磯野員昌が、信長に背いて突然出奔したため、

信長は1578年(天正6)2月3日に甥の織田信澄を城主とした。

城主になった信澄は高島郡の開発・発展に尽力するとともに、信長の側近として、また、織田軍の

遊撃軍団の一つとして活躍した。

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ところが、1582年(天正10)6月3日、明智光秀が本能寺に謀反を起こすと、光秀の娘を妻として

いる信澄に嫌疑がかかる。

信澄の蜂起を恐れた織田信孝(信長の3男)は、丹羽長秀と謀って、6月5日、四国遠征途上にあっ

た信澄を、大坂城内二の丸千貫櫓に攻め込んだため、信澄は自害して果てた。

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信澄の死後、大溝城主は、丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親と目まぐるしく代わり、1587年には、

京極高次(妻:浅井三姉妹の次女・初)が入城した。

1590年(天正18年)、小田原征伐の功により、京極高次は近江八幡山城に入部しています。

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<クリックで拡大します>

1603年(慶長8年)に、一国一城で大溝城は破却され水口岡山城に部材が転用されています。



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                             <参考文献:現地案内板>

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『女城主・井伊直虎』 その11

『城主・直親謀殺される』

小野氏は父の和泉守直政が直満・直義兄弟を讒言したように、またもその子を・但馬守道好が、

直満の子の直親を訴えたのです。

直親は申し開きをするため駿府に出向き、いよいよ掛川城が近づいてきたときだった。

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『井伊家伝記』は

「掛川御通りの節朝比奈備中守取り囲み一戦に及び、直親主従共粉骨を尽くすといえども、無勢

故ついには傷害成され候」と記す。

直親が今川を攻めると誤認して討ったとするが、氏真の命令を受けて城下への入口で待ち伏せ、

問答無用に謀殺したのでしょう。

直親の遺骸は同行して生き残った足軽や中間に担がれ、直親の屋敷があった祝田(浜松市北区

細江町)まで運ばれた。

この遺骸は、南渓和尚が蜂崎神社の荻原宮司を使いに出して、掛川城からもらい受けてきた。

27歳の元許婚の短い人生は、今川家への怨嗟の生涯だったと、直虎は改めて思ったことでしょ

う。

火葬の現場に直親の妻はいたが、一粒種の息子・虎松の姿はなかった。

直親が殺された時、氏真から虎松も誅殺するよう命が出されたのです。

駿府にあった新野左馬助が、身命を賭し虎松の助命を嘆願し、やっと許されたが、いつ殺せとの

命令が出るかわからない。

左馬助は母親から虎松を預かり、まず井伊谷城の居館三の丸の南に隣接する新野屋敷に保護

した。

そして暫くして小野但馬守にわからないように、虎松を母親とともに安全な場所に匿った。

「礎石伝」は、虎松と母が隠れ住んだのは、新野左馬助の伯父が住職である引馬の浄土寺という。

直親を助けて信州松源寺まで従った忠臣の今村家が今回も供をした。



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              <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>

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「近江国へ」 その5

『乙女ヶ池』

「乙女ヶ池」、この名から、その昔に乙女の悲しい逸話があるのだろうと思っていました。

しかし、調べてみると「恵美押勝の乱」、「壬申の乱」と日本の古代史上の二大戦乱の場であった

のだという。

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昔は「洞海」と呼んでいたそうですが、昭和初期、淡水真珠の養殖場として利用された頃から

「乙女ヶ池」と呼ぶようになったというのです。

太鼓橋
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この池に乙女の悲しい逸話があったのではなく、乙女が好物の真珠の生産地だったのですね

この池に、おしゃれな太鼓橋が架けれているのか調べてみましたが、わかりませんでした。

ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

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この太鼓橋はNHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』のロケで使用され、当時、人気スポットに

なっていたそうです。

このシーンを覚えていらっしゃいますか。

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近世に入ると、軍事上この地を重視した織田信長は、甥の信澄に大溝城を築かせて城主として配し

ています。

この乙女ヶ池は、びわ湖に通じる大溝城の外濠としての務めを果たしていたといいます。

じゃ、大溝城に行ってみましょう。



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「近江国へ」 その4

『湖中大鳥居が有名な白髭神社』

大津からR161(西近江路)を北上し、高島市に入ると「湖中大鳥居」で有名な白髭神社が

あります。

白髭といえば東京に地名がありますが、なにかゆかりがあるのでしょうね。 (支社がある?)

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威厳がある狛さんです。

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風格ある拝殿です。 こちらは拝殿は明治12年(1879年)の建築。

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拝殿に屋根続きの本殿(後ろ側)、この本殿は豊臣秀吉の遺命を受け、秀頼公の寄進により

慶長8年(1603年)に建立。

本殿は檜皮葺きで入母屋造り。桃山時代特有の建築で、国の重要文化財(昭和13年指定)です。

記事を書くために調べました。桃山文化であるなら本殿をもう少しチェックすべきでした。

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境内の全体図です。

紫式部の歌碑や松尾芭蕉の句碑もあります。(クリック拡大でみえます)

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これ三社と表記してありますが、神様のマンションでしょうか。

「つねまるさん」にお聞きすると、詳しく説明してくださいますね。

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この白髭神社から少し走ると、乙女が池があります。

なにか期待できそうな池ですね。 次回に・・・。



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「近江国へ」 その3

『プチ贅沢な大津の夜』

長かった一日が終わり、やっと大津にたどり着きました。

こよいの宿はここ。

高所は苦手ですけど、勇気をもっての宿泊です。

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やって来たのは、創業明治30年、近江牛の老舗「かね吉」さん

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なんと、お茶も出ないで待っているだけです。 もちろんビールも・・・。

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しかし、これを見たら思わずニコリとするしかありません。

すでに仲居さんが鍋に入れてくれていますので、形が崩れています。

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びわ湖噴水の時間は、食事中だったので見ることはできませんでした。

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朝はこんな感じで、正面が比叡山のようです。

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さあ2日目は、びわ湖西岸を走って長浜まで北上します。

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「近江国へ」 その2

『旧竹林院と穴太衆の石垣』

比叡山のふもとにある大津市坂本は、門前町として古来から栄え、一帯は国の重要伝統的

建造物郡保存地区に選定されています。

なかでも里坊は、歴史の街・坂本ならではの町並みをつくっています。

おおつ光ル(みつる)クンが迎えてくれました。
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里坊は延暦寺の僧侶の隠居所で今も数多く残され、ここ旧竹林院もその里坊のひとつでです。

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つまり隠居所というのは、今でいう養老院だと思えばいいのでしょうかね。

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邸内には3,300㎡の庭園が広がり、2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。

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苔が見事です。

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四阿(あずまや)で、茶室はもう閉められていました。

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実は、ここの駐車場をお借りして穴太衆の石垣巡りをする予定でしたが、誰もいない庭園をゆっくり
廻ってくださいということでしたので時間を費やしてしまいました。

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駐車場は、ちょうど閉められる時間で、意味がない駐車になってしまいました。

街全体が穴太衆の石垣です。

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なるほど・・・。

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一見崩れてしまいそうな石垣ですが、熊本大地震でもその堅牢さが証明されています。

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穴太衆の末裔たちは、熊本城石垣修復の応援に行かれているそうです。

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次回は、プチ贅沢な大津の夜です。


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プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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