「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その14

『出石城では祝言だけ』

出石は代々守護大名・山名氏の支配下にあった当時でも古い城下町であった。

秀吉が播州を制圧すると、弟の秀長がそのあとすぐに南から但州に攻め入り、秀長は出石の山名

氏を追い出して、但州出石の支配者はその後、青木勘兵衛、前野長康と変わった。

出石(いずし)城
iz.出石城02

出石城下や近在の者にとってここ数年めまぐるしく支配者が交替したということになったが、祝言

などというめでたい行事は城下や近在の者にとって迷惑なことではない。

於長の入輿を大手御門までの道の両側に列をなして迎えた。

長康も小太郎も大手御門の前に出て於長を迎えた。

2人の幸せは永久に続くように思われた。2人はそれを疑うことはなかったでしょう。

前野長康には聚楽第の主人となっている秀吉の側近としての仕事がある。また、大名の妻子は

聚楽第周辺の屋敷に住むことを義務づけられている。

いつまでも出石に居続けるわけにはいかない。祝言がとどこおりなく終わると、長康は小太郎・

於長のういういしい夫婦をうながし、ともに京をめざした。



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pig 20170530




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smartがやってきた

『smart fortwo』

久しぶりに夕日の写真でもと、いつも海浜公園にやってきましたが、川崎側の雲が厚く夕日の写真

になりませんでした。

20170528 001

それならと、先週納車された高年齢車smart fortwoの写真を撮ることに。

20170528 002

ゲタ代わりに使える車を探していたのですが、中古屋さんで目に留まったのが、この車。

20170528 003

この可愛さだけで決めています。

ナンバーは、お月様に帰ったsa-ko嬢を偲んで「さこさん」です。

20170528 004

ゲタ代わりの車ですから、2人乗りです。

車長は2.5mしかありませんので、2車線あればUターンができます。

20170528 005

後ろも可愛いでしょう!

20170528 006

リアガラスのシールはこれです。

20170528 007

現在、シートカバーとナビしか取り付けていませんが、この車かなりイジルことのできる車のようです

から、故障が少ないことを念じながら手を入れていきたいと思います。

20170528 008



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『女城主・井伊直虎』 その19

『井伊谷』

ドラマの方は停滞していますので、今後、このような時には直虎とその一族が生きた時代と触

れ合う旅に出てみたいと思います。

なお、井伊一族については、古文書などの史料が十分ではなく、確実な情報が限られるため、

どうしても曖昧で、すっきりしない点も多いかと思います。

直虎 013

井伊谷という地名は、この一帯が“井”と呼ばれる地域に該当し、山に囲まれた川沿いの平地

であることから付けられているようです。

引佐多目的研修センターの北の位置する標高114mの城山とその山麓が、井伊氏の本城の

ひとつに数えられる井伊谷城です。

井伊氏は、この城山を戦争が起きた際の要塞とし、普段はその麓に建てられた居住用の館で、

日常生活を送っていたといいます。

麓から10分で行ける山頂の広場の北側で一段高くなっている場所には、後醍醐天皇の皇子で

あり「新葉和歌集」を編纂した優れた歌人としても知られる宗良親王が、歌を詠んでいたとされ

る御所丸の跡があります。



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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その13

『ガラシャの娘・於長の縁談』

2年後に、前野長康はまたまた聚楽第普請の創建奉行に任じられた。

その時も長康は利休と幽斎に協力要請した。

出石城
iz.出石城

ほぼ丸3年、そうやって顔を合わせていると、互いの家族のことなども口にする。

「わたしには16歳の嫡男がおります」

「わたしには8つになる孫娘がおります」

などと語り合う。

そしていつしか、どちらか言いだすともなく、幽斎の孫娘・於長を前野長康の嫡男・小太郎の嫁

にと縁談がととのい、婚約までこじつけた。

秀吉が小田原の北条氏を亡ぼしたのは天正18年。

ここにようやく秀吉は天下統一を果たした。

翌天正19年、於長は13歳、小太郎は21歳になっていた。

それまでも何度か、於長が京の千本の屋敷に小太郎を、小太郎が大坂玉造の屋敷に於長を訪

ねて親密になっており、4月にいよいよ祝言という運びになった。

もとよりこの縁談については、前野長康からも細川忠興からもただちに秀吉に報告して許しを得

ていた。

前野長康も小太郎もいつもは京の千本の屋敷にいる。

だが長康は但馬守を名乗っていることでもあり、城のなる出石は但馬の国府でもあるからと、祝

言は出石で挙げることとし、長康も小太郎も出石に帰って、新妻を迎える支度にかかった。

於長はいったん千本の父・忠興の屋敷に寄り、父に別れの挨拶をした後、丹後道をとって出石に

向かった。



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20170526.jpg





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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その12

『秀吉の大坂城』

秀吉は、その後の鳥取城攻めでも同じく大規模土木工事を行って城を攻め落とす。

備中高松城攻めはそれらの大規模土木工事の集大成のような大規模工事によるもので、そのころ

の秀吉の戦争は兵刃を交えるのではなく、大規模土木工事によって城を封鎖し、敵を飢餓地獄に

陥らせて旗を挙げるという、それまでの戦争とはまったく異質の戦争を行っていた。

大坂城
大坂城大手門と西の丸

従って、ずっと一緒に戦ってきた蜂須賀正勝にしても前野長康にしても、大規模土木工事には慣

れっこになっている。

秀吉が新しく造営する大坂城普請の創建奉行に任じられても、長康にはなんの戸惑いもなかった。

秀吉が練り上げた大坂城の構想はこうであったという。

七層の天守を中心に、大廈高楼、金殿玉楼を建て並べ、城外には諸将の屋敷を天王寺筋辺りまで

数百棟連ねさせ、周囲に幾重にも堀を巡らせる。さらに天守の北に広大な一画を設け、そこに茶

室あり草庵ありの山里という庭を造る。

山里は後に普請された江戸城にも設けられていますが、大坂城に設けられたのが最初であったの

でしょう。

それまでの城は防御を主眼としており、茶室あり草庵ありの山里など思いもつかぬ構想で、信長

が精魂を傾けた安土城にもありません。

はじめての近代的な城といわれている松永久秀の多聞城にもそれらしきものはありません。

この新しいタイプの城を築くのに、前野長康は千利休や故事来歴に詳しい幽斎の力を借りたとい

われます。



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江戸城のpiglet
ed.江戸城 20110306 005




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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その11

『秀吉の台頭』

Sa-ko嬢とのお別れに、時間をとってしまいましたので、「ガラシャさんの娘」おろそかになっ

てしまいました。先に進めたいと思います。


石山は信長の相続人を取り決めた清須会議で、隣接する尼崎や伊丹を領する池田信輝の領地とさ

れた。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

秀吉は柴田勝家を賤ケ岳で破ると、一気に北ノ庄(福井)まで柴田を追い詰めて自害させた。

岐阜城にはその頃、信長の倅の三七信孝が入っていて、信孝は柴田と手を結んでなにかと秀吉に

抗していたが、勝家が賤ケ岳で敗れると信孝のもとにいた家来たちは、くしの歯が抜けるように

逃げ、信孝もまた逃げた。

これで秀吉は美濃一国も支配下におさめた。

秀吉は池田信輝に石山を含む伊丹・攝津の所領を美濃大垣13万石と交換してもらえないかと持

ちかけ、二つ返事で受け入れて大垣に移った。

秀吉は9月に、石山に城、大坂城を築こうと普請にかかり、これを創建奉行として前野長康に命

じた。

秀吉は墨俣に一夜城を築城した。信長はそれを真似て、浅井長政の小谷城攻めに大規模な土木工

事を行って長堤を築いた。

これは実は、小谷城攻めにそれほどてこずっていると信玄に思わるためのジャスチャーで、つら

れて信玄が信長の背後を衝くべく遠州に姿を現したとき、信長は難なく兵を尾張に返した。

小谷城の包囲は秀吉の軍団だけで事足りている。

そうと知らされた信玄は尾張に兵を進めることができず、行く当てがなく、一帯をふらふらと彷

徨ことになったが、この小谷城攻めの長堤の構築を、今度は秀吉が真似て、三木の陣で大規模

土木工事を行い、大包囲網を築いて城を落とした。



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pig 20170524


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「10歳を目の前にして」 その9

『元気に過ごせた8歳と9歳』

sa-ko嬢は、6歳、7歳に病院通いが続きましたが、症状が安定し元気に過ごすことができました。

2016年の年明けは、サッカーから始まりました。

1月1日
sa-ko 20160101

早春の館山ファミリーパークで、pigletと水入らずのデートです。

2月3日
sa-ko 20160203

ラブラブの2人です。

3月3日
sa-ko 20160303

早すぎるハロウィンの準備

9月9日
sa-ko 20160903

ハロウィンの準備完了

10月26日
sa-ko 20161026

やっとハロウィンがやってきました。

10月30日
sa-ko 20161030

sakuraとのお別れ

11月3日
sa-ko 20161103

悪ガキ、tiggerが浜松からやってきました。

12月2日
sa-ko 20161202

ボクは9年も一緒にいたので、悲しいです。

2017年5月1日
sa-ko 20170501

4月に入り食欲を落としていたので、「10歳オーバーまで頑張ろうネ」と励ましていましたが、

愛娘やsakuraが待つお月様に帰ってしまいました。

長年に渡り、みなさまに可愛がって戴いたことに感謝いたします。

残されたpigletは、sa-ko嬢が果せなかった10歳越えをするのだと頑張っていますので、期待

しております。

今後とも、pigletとtiggerの応援をよろしくお願い致します。



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プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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