「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その28

『秀吉の惨殺』

於長は、その時おなじ伏見にいた。

婿の死、舅の死と相次いで悲報が寄せられ、寄せられるたびに嘆き悲しみ、からだを打ち震わせ

ていたでしょう。

三条大橋
sa.三条大橋

そこへ、秀吉から父・忠興にこういってきた。

「出雲守の嫁だった娘を差し出し、黄金100枚を返上しろ」

忠興も秀次から黄金100枚を借りていた。それを返上しろというのは分かる。

しかし、娘・於長を差し出せというのは分からない。

忠興は言った。

「黄金100枚は返上します。しかし娘を差し出す訳にはまいりません」

秀吉は前野長康にこう言っていた。

「玄旨入道の孫娘は、まこと器量すぐれたる娘と聞き及ぶ」

美人だと評判だから、忠興が黄金を借りていたことに事寄せて、どんな器量なのか、その目で見よ

うとしたのです。

このことについて、再度の要求はしなかったという。

秀吉は秀次を自害させたおよそ半月後の8月2日、秀次の寵妾・侍女34人と遺児5人を三条の河

原で惨殺させた。

このむごい光景は三条の河原で半日に渡って繰り広げられたという。



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                   <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その27

『戦国時代の恐ろしさ』

秀次にはすぐ御沙汰があり、御沙汰には罪状がいくつも並べられていて、次のことが強調されて

いた。

「諸将を城(聚楽第)中に集め、書付(誓書)せしめ、あまつさえ太閤殿下万一に備え。長年蓄

え置き候御金蔵を開き、故なく乱用、不届き至極の所業、逆位あるは明白」

聚楽第も譲り渡したのだ。そこにある御金蔵だって譲り渡したも同然なのに、そのことをも秀吉

はあげつらったのです。

高野山の秀次
to.豊臣秀次高野山

罪状を申し渡されて、秀次はすぐに高野山に追放された。

7月8日のことで、秀吉は追っかけるように福島正則らを高野山に遣わし、切腹を申しつけた。

これが7月15日、秀次自害の報がまだ届かない翌16日に、秀吉は長重にも謀叛のかどで切腹

を申しつけた。

長重の父・前野長康は豊家創業の功臣で、蜂須賀正勝とともに秀吉を押し立て、結果として秀吉

に天下を取らせたのです。

また、長康の大事な一人息子を、秀次に付かせたのはほかならぬ秀吉なのです。

長重は誓書一件に深く関わったが、長重は秀次の家来で、家来は主君の命ずることに逆らえない。

長重にとってほかにとるべき道はない。

なのに、なんのためらいもなく。情け容赦なく、秀吉は長重を死に追いやったのです。

たった一人の倅の命を奪われ、所領地も失い、長康は悔しいと思う前にむしろ空しさにうちひし

がれ、3日後の19日に近くの寺の庭を借りて静かに腹を切ったという。



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pig 20170628




                      <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その26

『秀次窮地に』

於長は支度を整え、駕籠にゆられて伏見に向かった。

そのすぐあと、伏見から秀吉の側近、石田三成、増田長盛、長束正家3人連盟の、長重宛の書状

が届き、こうあった。

「明日早々に、伏見の評定所に出頭するよう」

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 001

秀次の供をするつもりでいたが、早々とある。長重は朝まだ明けぬうちに聚楽第に出向き、秀次

と木村重茲とに別れの挨拶をして、伏見に向かった。

「まいりました」

評定所の門をくぐり、到着した旨を告げると、壇上にいた増田長盛がいう。

「中村式部少輔殿にあずける。御沙汰があるまで、神妙に控えておるよう」

「かしこまりました」

駿州府中で14万5千石をとる中村一氏の伏見の屋敷に長重は預けられた。

同じころ、行列を仕立てて伏見に向かっていた秀次は五条の橋を渡り、東山の大仏前にさしかか

った。

そこへ

「上意である」

と声がかかり、行列は差し止められ、秀次もまた若州小浜で6万2千石をとる木下勝俊の伏見

の屋敷に預けられた。



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                <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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SMARTいじり その2

『シートベルトと仲良くするために』


20170528 004

スマートくんの今週のアイテムはこれです。

20170625 001

シートベルトが肩に食い込むのは辛いですよね。

先ずは、パットがはめられるように、「これ」(ロック止め)を下方にずらします。

20170625 002

これでパットが入るスペースができました。

20170625 003

う~ん。SMARTの文字だらけになってしまいました。

20170625 004


【郡上おどり in 青山】

今年も、6月23日(金)、24日(土)に秩父宮ラクビー場駐車場で、郡上おどりが開催され

ました。

今年は24日(土)に参加しましたが、天気が良かったのと土曜日ということで、会場は溢れる

人が郡上おどりを楽しまれていました。

例年は、ラクビー場入口の階段から写真が撮れるのですけど、今年は近づくこともできません。

従って、写真がありませんので、写真は2014年の郡上徹夜おどりの写真です。

20170625 005


郡上に、もう2年行っていません。今年は行ってみたいですね。



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『女城主・井伊直虎』 その23

『家康に恭順の意思』

甲冑に身を固めた直虎は、家臣を従えて馬を走らせていた。

井伊家領内に入って来た徳川家康に敬意を表し、国境まで出迎えるためであった。

これは井伊家一族が家康に味方することを、当主として正式に伝えるためであり、請われれば

一族のしかるべき者をつけて、道案内もさせるつもりであった。

直虎 016


記録として残っていませんが、こうして井伊家は家康軍の進軍を歓迎したのでしょう。

長年にわたって制圧され、苦しめられ、多くの犠牲を払わされてきた今川氏と決別する時が、

いままさに訪れたと直虎は判断したのです。

一族一門は井伊家領内に入って来た家康軍に武器を置いて道を貸し、恭順の意思を示した。

直虎は今川氏に地頭職を罷免されたとはいえ、その罷免した張本人の氏真自体が武田信玄に

攻め込まれ。駿河国はおろか、今川館のある駿府までも追われ、遠江の掛川城まで逃げて、

今川氏の政治機能は完全に崩壊していたのです。

だから今川氏が直轄領とした井伊谷は、小野但馬守が井伊谷城を抑えたものの、主家・今川氏

の崩壊でうやむやになり、事実上、領地はそのまま井伊家が所有したままであったと思われま

す。

つまり直虎は地頭職を罷免されて、徴税権、警察権、裁判権の権限を失ったが、井伊家が井伊

谷を追われて滅亡することは免れていたのでしょう。

そして井伊谷城の小野但馬守は、家康からも、また井伊家からも、許せぬ敵として攻撃の標的

になるのです。



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                      <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その26

『実家に帰される於長』

秀吉と秀次が争う。

仮にそういう事態になったとして、どちらの味方をするのがいいのか。

答えは、ひとつです。

秀吉だ。秀次だと答える者はいない。

誓書になんの意味があるというのか。

豊臣秀次(1568-1595年)
to.豊臣秀次

なのに、不安におののいた秀次は誓書というのを思い立ち、長重ら側近に誓書を差し出すように

いい、さらに諸将諸侍にも誓書をもらってこいと命じた。

長重はもちろん逆らった。

「誓書に意味はありません。またそのことが太閤殿下に知れたらただではすみません」

秀次は眉を引きつらせていう。

「口答えを致すな。余の命じたとおりにすればよい」

長重は側近の家来です。

それ以上は逆らえずに従ったが、恐れていた結果を迎えることになった。

屋敷に帰り着くと。

「一大事にござります」

長重が帰って来るのをいまや遅しと待ちかねていた家来がいう。長重がいう。

「父上の身になにかあったのか」

「そうです。伏見の屋敷から使いがあり、所領を返上して、御沙汰があるまで伏見の屋敷で蟄居

するとのことです」

「ついては、於長殿を実家にお返しするようにと」

「そのこと、於長には?」

「まだ申しておりませぬ。若殿からおっしゃってください」

長重は於長の部屋に向かう。

「いよいよ、来るべきときがきた」

於長は従容としていう。

「わたしもお供つかまつります」

「古来、夫になにかあったからといって、妻が夫の供をするという仕来りはない。また、そなたを

実家に帰すようにとの父上からのことづてだ。舅(忠興)殿は伏見の屋敷におられる。伏見の屋敷

にお届けする。支度をするがよい」

於長の目にはみるみる涙があふれ、泣き崩れる。



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pig 20170622


                  <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その25

『於長の不幸の始まり』

前野長重と於長の結婚生活が幸せだったのは、お拾が生まれるまでの2年4ヵ月に過ぎず、お拾

いが生まれてからはむしろ不安におののく毎日であったでしょう。

聚楽第
ju.聚楽第

行く手に不幸が立ち込めており、その不幸が訪れるのを今日か明日かと待つ毎日だったのです。

それでも秀次が思い直して、関白の座を返上してくれるかも知れないというかすかな期待があった

のでしょうが、長重が誓書を差し出され、それを於長に打ち明けてからは、不幸がいつ訪れるのか

を待つ毎日から、地獄がいつ訪れるのかを待つ毎日に変わった。

そしてとうとうその時がやってきた。

父・前野長康とともに伏見の評定所に呼ばれていった木村重茲が帰って来てしかじかだという。

すると、これから屋敷に帰り、死に支度をしなければならないということで、

「それがしはこれにて」

と長重は秀次に断って御前をさがった。

木村重茲も同じくさがる。長重は重茲に聞いた。

「父上は?」

「三成殿に呼び止められて、なにやら話し合っておられた。まだ帰って来られぬところから察する

に、なにかごたごたがあったのかも知れませぬ」

誓書のことで、三成から耳打ちされたに違いないと考えざるを得ない。

「失礼します」

と、言って長重は聚楽第を後にした。



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piglet01

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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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