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姉川の戦い その24

『宇佐山城陥落』

京都二条城にあった足利将軍・義昭は、あれほどまで頼りにしていた浅井・朝倉軍の敗北を知っ

て、おのれの魂胆が見透かされたかと思うと、信長が恐ろしくてならない。

そこで、今度は手当たりしだいに檄を飛ばし救いを求めた。

織田信治を抱えて奮戦する森可成
mo.森可成(織田信治を抱えて奮戦する可成)

摂津に待機している三好三人衆や、石山本願寺にもすがりついた。

本願寺は、朝倉義景の縁者だが、三好三人衆といえば、兄・義輝を殺した仇敵である。

しかし、足利義昭は、もうそんなことはいっておられなくなった。信長を倒すためには、誰でも

味方にせねばならない。

信長を追討せよという将軍・義昭の御内書を手にした三好の一党は、摂津の野田・福島に陣を取

り、徐々に上洛しようとした。

本願寺門主の顕如上人は、近畿と北陸の門徒に指令をくだし、信長との抗争を命じた。

この形勢を見てとった信長は、同年の8月20日、3万の大軍を率いて岐阜を出馬し、23日に

上洛、25日、河内の枚方に陣し、三好勢を撃退し、摂津に入り、野田・福島の砦を攻めた。

9月に入ると、天満に兵を進め、本願寺の僧徒と激戦を交えた。

この情勢を見てとった浅井・朝倉勢は3万の連合軍を組織し、江南の宇佐山城を猛攻した。

城将・織田信治と森可成は、防戦の末に討死をとげた。

浅井・朝倉軍の南下は、あらかじめ三好の一党と示し合わせての作戦であった。



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robin 20180330




                  <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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姉川の戦い その23

『姉川の戦いの勝者』

明け方の6時に火ぶたを切った戦いも、真柄十郎左衛門が斬られ、遠藤喜右衛門が討たれた

その頃から、勝利の神が、いつしか浅井・朝倉軍に背を向け、織田・徳川同盟軍の活躍舞台

と化していた。

浅井の猛将・磯野員昌が率いる一部隊も、しだいに衰えを見せ、安養寺三左衛門は織田方に

捕らえられ、また小林端周軒・魚住竜文寺・今村掃部助といった、朝倉家中きっての名将も、

次々と討死していった。

そうして、浅井長政は残兵をまとめ、小谷の城へ引きあげた。

細川幽斎(1534-1610年)
ho.細川幽斎 002

一瞬、危機にさらされたかに見えた織田・徳川軍も、信長の巧みな誘引戦術と、浅井・朝倉

1万8千余りに対して、織田・徳川軍の圧倒的な勝利に終わった。

戦いは激しかったが、それだけに、また勝利の感慨も無量であったでしょう。信長は、この

日の戦闘の模様を、すぐさま足利将軍・義昭の侍臣・細川藤孝(幽斎)に報じている。

もちろん、浅井・朝倉方の黒幕になっている義昭に、信長の強さを思い知らすためです。

皮肉いっぱいの手紙であった。

「敵の首数、果たしてどれだけ取ったか、書ききれない程である。野も畑も、死骸ばかり。

天下の大慶、これに過ぎることはありますまい。ついでに、浅井の小谷城を攻め崩したが、

山が険しいというので、これを遠巻きすることにした。落城も時間の問題でありましょう。

近江も、越前も、信長の武略をもってすれば、なにほどのことがありましょうか。江北は、

どうやら平定した。横山に立て籠もっている敵が、いろいろと泣き言をいってくるが、容赦

せず討ち果たす覚悟でいます。おそらく、今、明日のうちに陥落することでしょう。そうな

れば、ただちに佐和山城の守りを固めたうえで、上洛いたす。この旨を、よろしく将軍家に

お伝え願いたい」

と、誇らしげに報告した。

日付は6月28日になっているので、すぐその日に書いたのでしょう。

信長はそれほど、はやく、義昭の鼻をあかしたかったのでしょう。



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はじめてのお出かけ

『マザー牧場へ』

robinの初めてのお出かけは、マザー牧場へ行ってきました。

この牧場は、ブタさん、ヤギさん、ヒツジさん、ウシさんやウマさんなど家畜が飼育されている

関東では有名な牧場です。

ここに入場できる動物は犬限定ですので、tigerはお留守番です。

この牧場は山頂にありますので、起伏が多く園内の移動がたいへんです。

robin 20180328-001

この時期、菜の花は満開でしたが、桜は2分咲き程度でした。

robin 20180328-002

近所の散歩でもダッコの要求が多いのですが、殆ど歩いてくれません。

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この牧場、犬の入場料が600円。 しっかりしています。

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ウシさんを見るのも、抱っこしてみています。

robin 20180328-005

ムム・・・、いやなな予感・・・。

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やはりなぁ~

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やめてくれないかなぁ~

robin 20180328-009

世のなか、いじめが横行しているなぁ・・・。

そうじゃないでしょう。

かわいい可愛してくれたのでしょう。  もっと社会勉強をしなくちゃ!!

robin 20180328-010



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姉川の戦い その23

『浅井軍総崩れ』

崩れたった浅井軍の中に、名を惜しみ、ここを死に場所と決めて、踏み止まり、阿修羅のごとく

奮闘した武将も多かったが、その殆どが壮烈な討死した。

なかでも浅井雅楽助・斎助の兄弟は、日ごろ仲が悪く行き来もあまりしなかったが、決戦と知っ

た前夜、兄の雅楽助は、弟・斎助の陣所を訪ね

「明日は、討死せんことを必定と思う。かくなっては遺恨も、よしなきことである。名残の盃を

酌み交わそう。父の尊霊を見たくば、互いの顔を見るほかはあるまい」

といって、兄弟が目と目を合わせ、郎党らも交えて盃を酌み交わし、明け方の戦いには、目ざま

しい働きを遂げ、2人とも討死したという。

遠藤喜右衛門(1531-1570年)
en.遠藤喜右衛門

また、遠藤喜右衛門の目ざましい奮戦ぶりも、後の世の語り草となった。

彼は、北国に鳴り響いた剛の者であったから、味方の敗戦に怒りたち、まなこを吊り上げ、髪を

乱し、味方の武士の首をつかみ、信長公への見参と見せかけて敵の陣中に紛れ込み、たとえ叶わ

ぬまでも、信長と刺し違えようと考え、「御大将はいずこにおわすか」と呼ばわりながら、探し

回った。

それを織田方の竹中重虎が見つけ、得たりとばかりに跳びかかり、上を下にと組み合った末、つ

いに遠藤喜右衛門の首を討ち取った。

『信長公記』によれば、竹中重虎は、かねてから、「遠藤の首は、必ず、拙者が討ち取ってく

れる」と高言を吐いていたというから、遠藤喜右衛門の行動を注目していたのでしょう。

この遠藤喜右衛門に、富田才八という郎党がいた。

喜右衛門が討たれたと聞くと「主人を失ったからには、なんで生き永らえようか。お供つかま

つる」といって、取って返し、敵中に飛び込み、散々に斬り結んだ末に壮烈な最期を遂げた。

これを聞いた浅井の部将たちも「若年なれど、義を守るとは、我ながらはずかしい。いざ、引

き返し、同じ道に従わん」

といって、馬の首をたて直し、敵中に斬り入り、思い思いの働きをした末に、戦場の屍になっ

たという。

これは、小瀬甫庵の「信長記」に記された話です。



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robin 20180326




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姉川の戦い その22

『浅井勢の猛攻』

織田方でも、8千の人数が一丸となり、捨て身の戦法で攻めかかる浅井勢のために、12段の構

えが、わずか1段を残すばかりに破られ、信長の本陣も危機に瀕した。

浅井長政(1545-1573年)
as.浅井長政 001

寄せ手の総大将・浅井長政は、みずから鎗をふるい織田の本陣を突破するかの勢いをみせた。

去る4月、信長が越前に進入したときには、愛妻・お市の兄を敵にするに偲べず、あれほど悩ん

だ長政だったが、この合戦では強気だった。

昨夜の軍議の際にも、攻勢に出ることの不利を説く朝倉の老臣たちを押しのけ、あえて信長の本

陣営を急襲することを主張している。

朽木峠での勝利が、長政の自負心をかきたてていたのでしょう。

それにしても、1万2千の朝倉軍が、その半数にも足りない徳川の精鋭に切り崩されたことは、

まったく以外であった。

いま一息で信長の本陣を突破できるというときに、朝倉軍が後退したため、浅井軍の右側面は完

全に弱体化した。

これを見た織田方の第3陣・稲葉一鉄の約1千の軍勢は、すかさず浅井勢の右翼にまわり、さら

に急を聞いて横山城から駆け付けた、氏家ト全・安東守就らの1千の新手が、左翼に食いつき、

挟撃を加えたため、さすがの浅井勢の猛攻もピタリと止まってしまった。

そのうえ、朝倉軍敗走の報に接すると、にわかに浮足立ち小谷山へ逃げ込み始めた。

この形勢を見てとった信長は、旗本らを中心に総攻撃の采配をくだし、三方から衝かれた浅井

軍の陣中はみるみるうちに、死人の山をきずいたという。


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robin 20180325




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姉川の戦い その21

『朝倉勢Vs徳川勢』

家康の期待に反して、攻めかかる精鋭1万余騎の前には、さしもの三河武士も押され気味だった。

だが、そのうちに稲葉一鉄が率いる1千の新手(第3陣)が加わり、榊原康政が姉川の下流から、

備え薄しと見えた朝倉勢の側面に廻ると、にわかに徳川勢の勝算が濃くなり、朝倉勢の大将・朝

倉景健も乱軍の中に引き込まれ、川を渡って退く朝倉勢が多くなってきた。

姉川の戦い古戦場
an.姉川の戦い 002

このあしさまを見て、いきどおり徳川勢の中に踏みとどまって奮闘する豪傑が朝倉方にいた。

真柄直隆と名のる荒武者です。

『信長記』(小瀬甫庵)の記すところによると、彼は太郎太刀と銘打った、5尺3寸の大太刀を

水車のように振り回し、群がる徳川勢をなぎ倒し

「志(こころざし)の者あらば、ひっ組んで勝負はせずか」と、返り血で真っ赤に染まったから

だに、髪をふり乱し、天地も裂けんばかり怒声を張り上げ、あばれまわった。

かれを取り囲んだ徳川勢も、次第に遠巻きになり近寄る者がいない。

ところが、そこへ

「徳川が野党、匂坂式部(こうさかしきぶ)という者なり」

と、手鎗をふるって、立ち向かった者がいる。

これに続いて3、4人が真柄直隆を取り巻いた。

匂坂兄弟であった。

姉川合戦の中心舞台は、この一点に絞られた観があったからというから、当時の戦争はのん気で

あったのでしょう。

なにを小癪(こしゃく)なと、真柄が振りかぶった大太刀は、突き出す匂坂式部の鎗を打ち落と

し、余る力で、兜の吹返を打ち割った。

と思った瞬間、その脇から弟の匂坂五郎次郎、郎党の山田宗六などが、主を討たせじと、隙をう

かがって突っ込んだ。

このチームワークの見事さに、さすがの真柄直隆も、力つき果て

「今はこれまでなり。真柄が首取って、男子の本懐とせよ」

とさけび、ガラリと大太刀を投げ捨てた。

直隆の子・真柄十郎も、父の討死を知り、死なばもろともと、父の最後の場を探して、引き返した

が、青木一重と激しく渡り合って、斬り死を遂げた。

真柄父子が、このようにして最後を遂げたころ、朝倉勢の大方は姉川の戦場から脱落していた。


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姉川の戦い その20

『三河武士の根性』


織田軍は、丹羽長秀の率いる5千の一隊を初めとして、横山城から信長の本陣の竜ヶ鼻まで、

12段に渡る鉄壁の守りを見せていた。

姉川の戦い布陣図(朝日新聞社よりお借りしています)
an.姉川の戦い

この陣地の背後、つまり姉川を渡る手前に、横山城がある臥竜山が横たわり、雲雀山にある小

谷城も、浅井・朝倉両軍の背後を守るかのように、朝もやの中に浮かび上がっていた。

『信長公記』では、卯の刻と記しているから、午前6時頃のことでしょうか。

まず、朝倉方の陣所がある三田村付近の地面が、にわかに鳴動した。

「すわ、敵の来襲ぞ」

と、叫ぶ間もなく、朝倉勢は、徳川の先陣・酒井忠次の兵と、姉川のまんなかで激しくぶつか

り合っていた。

しかし、それもつかぬ間のことで、やがて徳川勢が大将・家康を本隊とし、右翼に榊原康政、

左翼に本多忠勝・大久保忠世の軍勢が一斉に川に乗り入れてきたため、たちまち乱軍となっ

た。

家康も必死である。

是が非でも、三河武士の根性を見せてやらなければならない。

昨夜の軍議で、信長は初め、第一陣には、麾下の柴田勝家と明智光秀を選んだが、家康は

「是非とも、一番合戦はわれらに」

と願い出たので、信長も、しかたなく改めて、家康を第一陣に、柴田・明智を第二陣に、そし

て第三陣には、稲葉一鉄、氏家卜全など、美濃衆をすえた。

なんとしても、勝たねばならぬ家康だった。



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robin 20180323-1



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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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I LOVE 郡上おどり













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