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お世話になりました

『今年もお世話になりました』

2018年も今日で終わります。

今年も拙いブログに遊びに来て戴き、本当にありがとうございました。

わが家のうさぎのtigger、今年迎えたトイプーのrobinも、元気に2018年を駆け抜けてくれました。

20181231 001

10月には2歳を迎え、日常会話はほぼ理解しているようです。

20181231 002

2月に生後3ヵ月で、わが家のやって来た頃のrobinです。

robin 20181231 001

しつけ教室にも通い、やっと甘噛みも少なくなってきました。

こちらは、人間の言葉を100%理解し、冗談は言えない状況になってきました。

robin 20181231 002

毎日、たくさんの方々に訪問をいただき、本当にありがとうございました。

くる年も、皆様にとって良き年となられますよう、お祈り申し上げます。



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賤ヶ岳の戦い その39

『佐久間盛政の方策』

行市山で柴田軍前線の指揮にあたっていた勝家の甥・佐久間盛政は、秀吉が麾下の将兵を率い

て美濃に攻め入ったことを知ると同時に、堂木山から投降してきた山路将監から、賤ケ岳と大

岩山の防備工事が十分でないとの報告を受けた。

佐久間盛政(1554-1584年)
sa.佐久間盛政

そこで盛政は、大岩山一帯の羽柴方の砦の急襲を決意し、4月19日、弟の佐久間安政を連れ

て、内中尾山の本陣に柴田勝家を訪ねて、その方策を述べて賛意を求めた。

勝家は、はじめこれを危ぶみ同意しなかったが、ついに許可し、勝家自身は左禰山の堀秀政の

動向に備え、また、別所山にいた前田利家父子を茂山に移し、神明山の木村隼人、堂木山の木

下一元などに備えさせることにしたという。

勝家は、このとき盛政に対して

「くれぐれも、敵陣を撃破した後は、ただちに撤兵するように」

と戒めたという。

勝家としては、これによって敵を粉砕するのが目的でなく、秀吉を再び江北に呼び戻し、奔命

に疲れさせ、敵の士気をくじくにあったのです。

決戦は他日にまわし、それまでに敵を十分に疲労させ、戦意をなくさせるのが目的だったので

す。

だから敵の砦を撃砕したならば、ただちに撤退しなければならぬ。

もし敵の陣営に深入りした盛政が、撤退せずにそのまま強大なる敵勢の反撃を受けた場合、敵

に内応したり脱走したりする者がないとも限らない。

だから、この点、くれぐれも盛政に注意を与えたのだという。



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robin 20181229




<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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賤ヶ岳の戦い その38

『秀吉、大垣城へ』

北伊勢方面では、滝川一益が秀吉の虚に乗じて、織田信雄の属城となっていた美濃の今尾を

攻めたので、美濃方面でも織田信孝がこれに呼応して兵を出し、秀吉方に属する稲葉一鉄の

清水城と氏家直道の大垣城の城下に火を放った。

大垣城
oo.大垣城 006

この急報を聞いた秀吉は激高し、さきに信孝が提出した人質の老母と息女を安土で殺害し、

信孝の違約と不信を宣伝し、4月16日、2万の軍勢を率いて大垣城に入り、岐阜城攻撃の

軍議を催した。

同日、秀吉が今尾の城主・吉村又吉郎に与えた書状では、秀吉は又吉郎の善戦を褒め、

「滝川左近(一益)を、その地に引き留めておくことができれば、秀吉みずから早速駆けつ

け、これを討ち果たしたい。そのために、別に軍勢をかくしている」

と述べている。

この秀吉の書状にそえて、近習の大谷吉継も吉村又吉郎に書信を送り、

「秀吉公は岐阜城を攻めるために、合渡まで馳せつけられたが、川が深くて渡ることができ

ず、まず大垣まで討ち入られた」

と報告している。

秀吉は、木曽川氾濫のため、数日、大垣に滞在していたらしいが、4月20日を期して岐阜城

を攻撃する命令を出していたという。

ところが、秀吉のこの計画は中止となった。

それは賤ケ岳において、柴田軍の先鋒・佐久間盛政が羽柴軍の大岩山の砦を陥れ、中川清秀が

討死したからであった。



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robin 20181228



<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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賤ヶ岳の戦い その37

『勝家の思惑』

4月5日の朝、勝家は兵を進め、勝家自身も金の馬標をたて、堀秀政が陣する左禰山の砦に迫

ってきた。

柴田勝家(1522-1583年)
sh.柴田勝家 03

秀政は、これを迎え撃ち両軍が激しく鉄砲の撃ち合いをしたが、午後になって勝家は柳ヶ瀬方

面に退却した。

この戦いで、勝家方の死傷者が数百であったと、秀政は報告している。

勝家のこの日の行動は、なにが目的であったか判明しないが、秀吉方の陣地の入れ替えなどの

混乱に乗じたのかもしれないし、あるいは勝家に内通している長浜衆に対する秀吉方の注意を、

他にそらすための偽装的行動であったのかもしれません。

ともかく勝家は、秀吉の兵力を賤ケ岳方面に牽制し、織田信孝と滝川一益の行動を活発にさせ

ようとし、このような積極的行動に出る必要があったのでしょう。



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20181227.jpg


<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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賤ヶ岳の戦い その36

『長浜衆離反?』

秀吉と勝家は、江北の木ノ本と柳ヶ瀬にそれぞれ本陣を構え、備えを固くして相対峙していた

が、秀吉は情勢が急変しないと判断し、羽柴長秀を彼に代わって木ノ本の本陣に置き、秀吉自

身は、3月28日に長浜城に入って休息している。

ついで筒井順慶などに帰国を命じ、順慶は4月4日に大和に帰った。

長浜城
na.長浜城 005

そのころ、柴田勝豊の部下・山路将監・大金藤八郎らが、勝家に反応するという風説が流れた

ので、秀吉は堀尾吉晴・木村隼人祐・木下昌利などを神明山の砦に入れ、神明山にいた山路大

金を、その外構えの堂木山の砦に移し、木下一元と同陣させた。

4月4日になって、柴田勢が明神山に対して攻撃を開始してきた。

これはおそらく勝家が、反応の約束を交わしていた山路と大金が、まだこの砦にいると思った

からなのでしょう。

柴田勢はまもなく引き揚げている。

この日の夜、堀秀政は木下昌利を堂木山の砦に入れて、木下一元・山路将監・大金藤八郎など

と同陣させている。

これは秀吉から、長浜衆(柴田勝豊の部下)の態度に不審な点があることを再三いってきたか

らであるという。



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robin 20181226



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賤ヶ岳の戦い その35

『秀吉本陣は木ノ本』

第二線としては、街道の西側、余呉湖東方の大岩山に中川清秀を置き、その北方約700mの

岩崎山に高山重友を置いて、北国街道の交通を確保させた。

賤ケ岳かた見る余呉湖
yo.余呉湖

また、大岩山の後方、南西約1kmの賤ケ岳には、余呉湖を前にして、丹羽長秀の部将・桑山

重晴を置き、これに羽柴秀長の部将・羽田長門守らを加え、左背からの敵の迂回に備えさせた。

さらに街道の東側には、木ノ本部落の北方約1.5kmの田上山に羽柴秀長を陣させ、秀吉自

身は、木ノ本に本陣を構え、蜂須賀・神子田・生駒・小寺・赤松・明石・一柳など、部将が率

いる大部隊を控えさせ、いざという時の突撃に備えていた。

別に琵琶湖の西北端、敦賀街道の要衝の海津方面には丹羽長秀を置いて、警護にあたらせると

ともに、細川忠興を帰国させ、丹後方面から水軍をもって、越前の沿岸に放火させ、勝家の後

方かく乱を策した。



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robin 20181225



<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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賤ヶ岳の戦い その34

『第一線の見直し』

前に築いた天神山の砦は、佐久間盛政らの布陣のために、ほとんどその存在価値を失ったの

北ノ庄城の柴田勝家
sh.柴田勝家像 01

で、これを撤廃し、天神山にいた柴田勝豊の部下の大金藤八郎と山路将監を街道の西側にあ

る天神山の南方約1kmの神明山に移し、また、同じく天神山にいた勝豊の配下の木下一元

を、神明山東北約500mの堂木山に移し、これらと連絡をするため、その中間の街道上の中ノ

郷部落に、勝豊の部将・小川祐忠を置き、これらを第一線とした。



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robin 20181223




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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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