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九州平定 その16

『大友氏と毛利氏との和睦成立』

宗麟の文化趣味は手紙にも書き示され、何よりも関白秀吉の衣装に好奇心を燃やし、しゃれた

きらびやかさ、贅沢さに驚いています。

毛利輝元(1553-1625年)
mo.毛利輝元 001

関白秀吉からは宗麟の上国について米3百石が送られ、祝儀として黄金作りの太刀一腰、馬具、

そのほか酒・肴など驚くべき上等品が数多く送り届けられた。

宗麟への接待は厚遇を極めたものであり、宗麟の心を完全に捉えたという。

この間、宗麟はもちろん島津氏を滅ぼすための援兵を求めるのが使命であったから、秀吉は接

待の間にも宗麟と親しく征西のことを議し、毛利輝元との和睦のことを諭した。

こうして宗麟は立花宗茂とその父親・高橋紹運とを秀吉の直参にすることを請うて認められ、

やがて帰国した。

その正月、毛利輝元は秀吉の命令に承服して大友氏との和睦が成立した。



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<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>

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九州平定 その15

『辺境の地の島津氏との違い』

秀吉の気のおけない接待に宗麟は非常な感銘を覚えた。

しかも大坂新城の築城工事中であったので、その壮大な濠や石垣の大きさに肝をつぶし、豪華

な調度衣類、ぜいを極めた茶室や名器に圧倒された。

大友宗麟
oo.大友宗麟 006

このことが秀吉への依頼心を強めるとともに、実情を知らぬ辺境にあって頼朝以来の名家を誇

る島津義久との違いであった。

義久は歴史的由緒のない秀吉を関白として尊敬することを拒否したが、関白の名の無力なこと

は実力者の秀吉が一番よく承知していたのです。

それがわからないのが九州の辺境島津氏であったのでしょう。

大友宗麟は瀬戸内海交通を通じて大内氏・一条氏・毛利氏などと接触を経験していたし、中央

京都の公家文化にもふれていたので、この機会に秀吉が名実ともに日本の覇権を握る実力者で

あることを理解していたのでしょう。



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九州平定 その14

『宗麟からの手紙 その7』

美濃守秀長は仮屋におられたが、ことのほか宗麟に好意を示し、お酒なども数回勧めてくださっ

た。

豊臣秀長(1540-1591年)
to.豊臣秀長

酉の刻(午後6時)頃になって、別れを告げたが、ねんごろに宗麟の手を握り

「何よりも美濃守がこのように貴下に好意を抱いているのであるから、万事御安心ください、内

々のことは千利休、公儀のことは秀長がよろしく取り計らうので、決して宗麟のために悪いこと

はありません。今後はなんでも打ち明けて話をしよう」

と、多くの人々が見ているなかで手を握り、入魂にしていただいたので非常にかたじけなく思っ

たことである。

今度、秀吉公に直接に拝謁して九州遠征のこと懇願したのは利休の御奔走のおかげで感銘このう

えないことである。

実際に大坂に出てみて、やはり利休でなければ秀吉に意見を申し上げることのできる人はいない

ことが明らかにわかった。

従ってこれから後、秀長と利休へはさらに隔心なく親しむことが肝要であるとわかった。

さてすぐに豊後に帰国したいと言ったが、宮内卿法院がしばらくは立ち寄って欲しいとしきりに

勧めるので立ち寄り、薄暮をすぎる頃、堺の妙国寺に帰着した。

明後4月8日の朝は、同じ大坂城内につくられている黄金の茶室と対照的な山里の茶室において、

お茶をくださることになった。



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九州平定 その13

『宗麟からの手紙 その6』

その後、ふだんの御座所である奥を見せようと仰せられた。

御衣装所には言語に及ばず、筆にもつくし得ない豪華なものばかりで、女房衆の小袖も目を驚

かす色で、あまり見事なので近くに寄って見たほどであった。

大友宗麟(臼杵城のレリーフ) (臼杵城登城記は「こちら」です。)
us.臼杵城 008


納戸のような部屋の内に30貫目ほどの金子がおいてあったが、これははした銭として雑用に

費やすためで、規模の大きさに驚いた。

関白秀吉の御召料と見えるものは黒染の櫃の上に色々の小袖を重ねて置いてあり、すべてが光

り輝き金銀をちりばめるとはこういうことかと感心した次第であった。

こうして種々隅々まで拝見したあと、お茶をくだされ、いろいろのお菓子も賜った。

秀吉は、秘蔵の脇刀を2つ持っているけれども、2つのうち、こちらが第一の秘蔵品であると

おっしゃって、それを御手ずから宗麟に手渡しで賜った。

まったく皆の衆の前での名誉で、このうえない光栄であった。

秀吉の前には、12、3歳ばかりの女の子が2、3人、眉を美しくひき、きれいな衣装を着け、

お茶の給仕や菓子を勧めたりし、秀吉の佩刀(はいとう)を持っており、次の間には幸蔵主と

いう坊主や東殿という女房衆が差し控えており、美々しい限りである。

秀吉はいろいろと物語されたが

「宗麟もくたびれたであろう」

と、宗麟の大儀そうな態度を目にとめていたわられ、罷(まか)り帰ることとなった。



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tiggerのお庭散歩です。

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九州平定 その12

『宗麟からの手紙 その5』

最後に天守の最上階に上がり、大きな眺望を指さしながら近国諸方の在々所々をいちいち教えて

くれた。

その間じゅう、秀吉は宗麟の手を握り、あるいは宗麟のうしろから手をかけ、親しく雑談してく

れたのがかたじけないことに思われた。

大分駅前の宗麟公
oo.大友宗麟 大分駅前

まったくその時は、このように親しくしてもらうことが多くの人の前で光栄至極であり、後まで

もその好意が身に染みて嬉しく記憶された。

方々を眺望した後、天守閣から下って、疲れたであろうと先刻の広間で、先刻同様にもてなし

てくださった。

その後、へだてのない態度で寝所を見せてやろうと仰せられ、一同にも拝見を許された。

秀吉自慢の寝室は、広さ9間ほどもあるかなりの広さで、なかには寝台が置かれている。

夜具には舶来の毛織物を使用し、枕には黄金で種々の模様を彫刻で施してあり、見事であった。

また枕もとには黒染で金具は黄金の笈(おい)の箱があり、その上に長刀が置かれているが、ほ

かには武具らしものは見当たらない。

その次の間は、やや狭く6間の寝所で、ここにも寝台が置いてある。

唐織物の夜具がたたんで置いてあり、小袖なども多く見えた。



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robin 20190518



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九州平定 その11

『宗麟からの手紙 その4』

その後、天守閣を見物させてやろうとの仰せで、黄金の茶室を出た。

秀吉の弟・秀長でさえも半造りのとき見物しただけだというのに、関白秀吉がじきじきに大友

宗麟を案内してくださる御意は、これまた言葉のおよびところではない。

城の内部(松山城) (松山城登城記は「こちら」です。
松ma.山城 内部

天守閣には桟敷以上9重あり、三国無双、変不可思議とはこの城をいうのであろう。

下から三重目には杉櫃が14、5あり、蓋にかなで御小袖とか白あや、紅御小袖上々などと書

いてあり、その豪華で数の多いことは驚くばかりである。

1階の下は、みなお蔵になっていて、その下に長櫃が15、6も並べられ。これにも御小袖が

入れてある。

その上に綿蔵または紙蔵が上下2つあり、ほかに手火矢(鉄砲)、玉薬の蔵もある。

1階ごとに赤い合羽が4、5着かけておかれ、総計20着もあったろう。

下から3重目以上には、大手火矢・大筒を6挺ずつ置き、5重6重目には長刀が2本かけられ、

いずれも朱塗の柄のものである。

ほかにこの天守閣には別の武具は格納してないが、金銀の蔵が多数あり、驚きいった次第であ

る。

秀吉自身、金銀の蔵、宝物の蔵を気軽に教え、説明してくれたが、その節に冗談をいったけれ

ども、極めて意味深長な冗談であると受け取れた。



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robin 20190517



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九州平定 その10

『宗麟からの手紙 その3』

食事の後、秀吉自慢のお茶室を見せてくださった。

この金屋のお座敷というのは、3畳敷であるが、天井・壁などすべて黄金を貼ってあり、明り障

子の骨までも黄金で、それに赤の紗をはり、その見事さは言い表すことはできない。

黄金の茶室(MAO美術館)
ou.黄金の茶室

お座敷の飾り棚は梨地で金物は黄金、茶道具もすべて黄金、柄杓がわずかに竹、茶筅竹が紫竹と

いう程度で黄金づくめである。

お茶は利休がたて、世にいう善美をつくすということであろう。

そのあと秀吉のじきじきの言葉で

「宗滴(宗麟)は茶がすきか」

と、お尋ねになったのに対し、利休が

「なかなか数寄(すき)であります」

と答えたところ、それでは一服たてて宗麟へ参らせよういって秀吉自身茶をされたが、お手前の

みごとさはたいしたものと見えた。

この間、種々の雑談や冗談など秀吉自身の口から聞いたが、ひとつひとつのことは帰国のうえで、

直接会って話をしなければ、筆では書けないことが多い。



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一夜明けて、元気が回復したrobinです。

robin 20190516



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piglet01

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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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