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小田原平定 その5

『後北条氏に上洛命令』

聚楽行幸の盛儀が終わると、秀吉は、この盛儀に挨拶さえもしようとしなかった北条氏政・氏直

父子に対して、富田知信・津田信勝・妙音院一鷗軒らを派遣して、次のように詰問したという。

豊臣秀吉
to.豊臣秀吉

「今日天下の諸侯は、一人として朝命を奉じないものはいない。しかるに氏政・氏直らは、五代

の威をかり、関八州を領有しながら、入朝しようともしない。これはまことに人臣の道にそむい

たけしからぬことである。氏政父子はすみやかに上京せよ」

聚楽第の盛儀を終えて、駿府城に帰った家康は、秀吉の強硬な言動を聞いて、心から憂虜したと

いう。



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<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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小田原平定 その4

『旭姫の死』

家康と秀吉の両雄は、たがいに老獪な妥協を行っていたのですが、このような状況のときでさえ

も、箱根山以東の関東では、北条氏政と氏直の父子らは、秀吉に臣従の会釈もしようとしなかっ

た。

北条氏政(1538-1590年)
ho.北条氏政

自分の娘・督姫を氏直のもとに嫁入らせていた家康にとっては、この後北条氏の態度は、まこと

に気がかりなものであったことでしょう。

なお、家康夫人の旭姫は、天正17年、聚楽第で病床に臥していた。

家康は、この夫人を見舞うために、この年は、3月上旬と11月下旬の2回、上京しただけで、

平素は駿府にいて、東の後北条氏の動きを見ていた。

旭姫は、後北条氏討伐令もくだって、秀吉が京都を出発しようとした直前の天正18年(159

0年)正月14日、聚楽第で没した。

ときに48歳であった。

旭姫の死は、秀吉の東征の直前であったため、秘して喪も発せられなかった。

墓は東福寺にある。

家康は、こののち正室を迎えていません。



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robin 20190629



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小田原平定 その3

『家康の臣従』

九州から帰った秀吉は、京都の聚楽第に移り、10月には有名な北野の大茶会を行なったりして

いる。

家康は九州から凱旋した秀吉を祝うため、8月に上京した。

徳川家康()
to.徳川家康

秀吉は8月5日、この家康をわざわざ近江の大津まで出迎えて、ともども入京している。

そして8月8日には、秀吉は家康を上奏して従二位権大納言に叙任した。

この秀吉の態度によって、家康の面目は完全につぐなわれたのでしょう。

家康は8月10日には京都を出発し、17日に駿河に帰った。

天正16年(1588年)における家康と秀吉の関係は、さらに緊密の度合いを深めていった。

秀吉は、4月14日から5日間、後陽成天皇を聚楽第に迎えて、一代の盛儀を行った。

家康はこの盛儀に参加するために、旭姫とともに3月下旬上京し、諸侯に率先して秀吉の命に背

かない旨の誓約をしている。

秀吉にしてみれば、ほかの諸侯よりも、家康の臣従がもっとも嬉しかったことでしょう。

ときに秀吉は52歳、家康は47歳であった。



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robin 20190628




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小田原平定 その2

『家康、駿府城へ』

天正12年(1584年)4月の小牧・長久手の合戦の勝利にもかかわらず、家康はこの合戦の

後、秀吉との対抗関係をすてて、秀吉の協力者として行動をはじめた。

駿府城 (駿府城の登城記は「こちら」です。)
su.駿府城 003

天正14年、45歳となっていた家康は、3月9には伊豆三島で北条氏政と会見して東方の背後

を安全にし、5月14日には秀吉の異父妹の旭姫と結婚し、12月4日には17年間住み慣れた

遠江の浜松城を離れて、駿河の府中城(駿府城)に移った。

家康の駿府移転から15日後の12月19日、秀吉は太政大臣に任ぜられ、豊臣の姓を賜ってい

る。

翌、天正15年3月、秀吉は九州の島津義久を征伐するために、大坂城を出発し、5月8日には

義久を降伏させて、7月14日には大坂城に凱旋している。

この秀吉の九州征伐によって、西日本はすべて秀吉の支配下に収まっていた。



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robin 20190627



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小田原平定 その1

『徳川家と後北条家の結婚政略』

天正11年(1583年)8月15日、徳川家康の2女・督姫は、北条氏政の嫡男の氏直のもと

に嫁入りした。

氏直は22歳、督姫は19歳で、氏政は46歳、家康は42歳のときであったという。

督姫(1565-1615年)
to.督姫

督姫の結婚話は、その前年の10月29日、家康と氏政の和議に成立によって行われたものであ

り、このときの和議は、次のようなものであった。

1.甲斐と信濃の2国は、家康の占領にまかせる。後北条氏は、これに対して異議を申し立てな

 いこと。

2.上野国の沼田は、信濃の上田城主・真田昌幸の相伝の領地であるが、真田昌幸が北条方を離

 れて家康方に服属するうえは、沼田は氏直の所領とする。そのかわりに家康は、真田昌幸に沼

 田の替地を与えること。

3. 家康は、その第2女の督姫を氏直の嫁にすること。

この督姫の結婚は、今やその領国を5ヵ国(駿河・遠江・三河・甲斐・信濃)に拡大した家康が、

本能寺の変(天正10年6月)以後の政局を変転に対して、自分の領国の安定化をはかるために

採用した政略結婚であった。

家康は、政略結婚させた督姫の存在のために、これ以後、後北条氏の滅亡の後にいたるまで、秀

吉と後北条氏の間に位置して、思いもかけなかった苦心を味わうことになります。



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九州平定 その42

『伝統を誇る戦国大名』

義統の大坂・京都旅行の模様は、同行した浦上宗鉄が若林道関にあてた16年3月20日の書状

に明らかに具体的にあらわれています。

島津義弘(1535-1619年)
sh.島津義弘

なお、その4月14日、後陽成天皇の聚楽第行幸に参列、15日には29人の諸大名の一人とし

て起請文を書き、

一、 禁裡御料所地子以下、並に公家衆所々の知行等、若(もし)無道の旅有らば、各々為堅く

 異見を加へ、当分の儀は申すに及ばず、子々孫々異儀無き様、申し置くべき事

一、 関白殿仰せ出ざるの趣、何篇に於いても、いささかも違背申すべからざる事

などの3ヵ条を誓った。

29人のうち九州からは、大友義統だけがこれに加わっているから、なお室町戦国期の大名家の

門閥地位の意識は強かったのでしょう。

秀吉からみると大友氏のように中央政権に接近して領国への権威を高めようとする中世的な豪族

の統制は必ずしも困難ではなかった。

しかし、薩摩・大隅・日向3国を領して、辺境ながら南九州に雄飛し、鎌倉時代以来の伝統を誇

る戦国大名的な島津氏は、秀吉の統一政権にとって、なお心を許すことのできない脅威であった

のでしょう。



長い間、九州平定にお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回は、小田原征伐を勉強してみたいと思います。

よかったら、ぜひ、お付き合いください。




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あり日のpiglet (この写真の記事は「こちら」です。)

PETER RABBIT 2015 002

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九州平定 その41

『群雄割拠の終結』

肥後の国衆一揆の情報がしきりに入って頃、秀吉は京都に聚楽第を完成させた。

また、16年2月、大友義統は秀吉に直接に拝謁するため堺に行き、今井宗薫の家に着いて妙国

寺に宿泊した。

聚楽第
ju.聚楽第

今井宗薫のほか、小西隆左・藪内宗巴・津田宗及など堺の豪商茶人と会い、大坂では秀長に謁し、

ついで京都聚楽第で秀吉に拝謁した。

父・宗麟はすでに天正15年5月23日に58歳で逝去しており、秀吉の島津征服と時を同じく

して、群雄割拠の終結とともに世を去っていたのです。

宗麟が秀吉の救援を求めて大坂城に行った天正14年4月からわずか2年を経たばかりであった

が、時代はまったく一変していた。



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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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