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島津義弘の関ケ原 その94

『南海にきらめく真珠 その31』

夜明け前に雨はあがったが、関ケ原の広野をすっぽりと濃霧が覆っている。

身支度を済ませた義弘の前に、副将の島津豊久が足早に報告にきた。

島津軍陣地
島津義弘陣跡

「敵地深く偵察に出た藤井兄弟の知らせによれば、東軍も早や布陣を完了したとのこと、わが島津

軍の前面にはためく紋章を見れば、黒田長政、細川忠興らの軍と対峙しているやに思われます」

「夜が白めば、すぐさま朝霧の中で戦いとなりもそ、黒田長政、細川忠興らは手強くあなどりがた

い。柵を作りて陣を固め、こちらからは仕掛けるな」

「仰せのとおりにいたします」

「島津隊は独立独歩、自儘に戦場を駆け抜ける。合戦は修羅場ゆえ、いったん火口を切れば、西軍

謀将・石田三成の下知には従わぬ。して、松尾山に籠る小早川勢の動きはいかに」

「秀秋様の了見、まことに見定めがたく、先ほど三成どのが松尾山に出向きましたが、不調に終わっ

たと聞き及びます」

「ならば毛利勢は」

「山頂より一歩も動きませぬ」

豊久は不満げに言った。



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robin 20210630




<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>

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島津義弘の関ケ原 その93

『南海にきらめく真珠 その30』

勝久の側に控えた国家老がおもむろに話を切り出した。

「されば全権委任の証として、こなたの長子・虎寿丸どのを、勝久さまの御養子として島津本家に迎

えたいのじゃ」

「虎寿丸を御本家に・・・」

島津虎寿(貴久)
sh.島津貴久(虎寿丸)

「いずれは守護職を譲りもそ、老臣一同の誓書もある。争乱の薩州を仕切れるのは、気高い常盤さま

の血をひく男子しかおるまいて」

「身にあまる光栄でありもす。それに御老臣の方々の誓書までとは、草葉の陰で母もさぞ喜んでおり

ましょう」

忠良は袴を強く握りしめ、母を偲んで落涙した。

前年の秋、常盤は54歳の生涯をとじていた。

死に顔まで端麗だったという。

法名は梅窓、常盤が求めていたものは、女としてのささやかな美意識だった。

だからこそ梅窓と号し、庵の小窓から見える一輪の梅に自身の思いを託したのでしょう。

ひとり殻然として、戦乱の世に誇り高く生きた美姫の血脈は、忠良、貴久、義弘と受け継がれた。

以後、明治維新に至るまで、歴代藩主の体内に連綿と流れゆくのは、『南海の真珠』といわれた常盤

の熱く健やかな血潮であったのです。


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robin 20210629




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島津義弘の関ケ原 その92

『南海にきらめく真珠 その29』

島津は名君の産地であるといわれる。

それは、『南海の真珠』と呼ばれた美姫の熱く気高い血脈が、島津家の本流として脈々と流れている

からであった。

常盤の一子・島津忠良は伊作領と田布施を合わせて譲り受け、分家の中でも抜き出た勢力を手中に

した。

島津忠良(1492-1568年)
sh.島津忠良

内乱が続発し、すでに島津本家には薩州を統治する力がなかった。

15代当主の島津勝久は、知勇を兼ね備えた分家の忠良を頼り、居城の清水城へ呼び寄せた。

戦に飽きた本家当主は、反乱を起こした義弟の島津実久を討つため、島津全軍の指揮権を忠良に任

せるとまでいった。

そして戦功の報奨ととして、本家直轄の領地を忠良にさずけると確約した。

守護職にとって、治める領地を割譲することは、自身の命を削るに等しく、旨い話には必ず裏があ

る。

堅実な忠良は固く辞退した。

15代当主・島津勝久は、分家の忠良に頭を下げて切望した。


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robin 20210628




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島津義弘の関ケ原 その91

『南海にきらめく真珠 その28』

武辺者の領主は、ひとりの美姫に出会って刀を捨てた。

庵を訪れた老臣と茶を喫しながら、一瓢斎はこう言い述べたという。

「野心も栄達も不要。わしが得たものは不変の磐(いわお)。美しく心やすまる常なる禄ぞ、その名

を《常盤》と申す」

島津運久(1468ー1539年)
sh.島津運久

世俗を離れた運久と常盤は、忠良の政道に口をはさむことはなかったという。

ただ、忠良の子が田布施城内で生れたときは大いに喜んだ。

老夫婦揃って城内に入り、初孫の虎寿丸の誕生を祝った。

虎寿丸こそ、後に戦国島津氏を隆盛にみちびく島津貴久なのです。

そして20年後、稀代の英傑・島津義弘は、貴久の次男として伊作城で生れることになります。



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robin 20210627




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島津義弘の関ケ原 その90

『南海にきらめく真珠 その27』

きれいごとを言っても、再婚にはそれなりの打算があった。

物狂いした運久のほうが潔いともいえます。

伊作川河口
is.伊作川河口

懸命な寡婦はつくづく思う。

城主が若い女では・・・・

かえって諸将の征服欲を刺激し、肥沃な領土を守り切れない。

強い男に嫁ぐことで、伊作と田布施の連盟を深め、軍事力を増強して領土拡大をもくろみ、常盤が一子

・菊三郎に託したのは、争乱がつづく薩州の再統一であったのです。

そのためには、島津運久の純な男気が必要であったのです。

清明な心身を母から受け継いだ菊三郎は、元服して島津忠良と改めた。永正9年(1512年)島津運久

は誓言を守って、所領のすべてを忠良に譲った。

40代半ばで隠居した運久は一瓢斎と号し、伊作川の畔に庵を結んで常盤と暮らしたといいます。



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robin 20210626




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島津義弘の関ケ原 その89

『南海にきらめく真珠 その26』

常盤は、こっくりうなずいて、

「お受けいたしましょう」

「わが想い、ついに叶った・・・」

運久は、血走っていた両目が澄み、まるで憑き物が落ちたように爽やかな顔に戻った。

伊作城(日新(義弘)公誕生の地碑)
is.伊作城 10

績年の想いが成就し、烈しい恋狂いから醒めたのでしょう。

運久は仏間に足を運び、先夫・島津善久の位牌の前で宣言した。

「伊作城の忠臣の方々に申し上ぐる。常盤どのとの婚儀のはなむけとして、その子・菊三郎どのが元

服の折、わが相州の所領をことごとくお譲りいたしもうす」

それを聞き、常盤はやさしく諭すように言った。

「互いに城主ゆえ、婚儀は五分、菊三郎のことは後の話といたしましょう。それよりも、お園の方の

菩提を弔い、焼け落ちた古堂跡に寺院の建立を」

運久は、しかと心得と答えた。



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robin 20210625




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島津義弘の関ケ原 その88

『南海にきらめく真珠 その25』

うきふしに沈みもやらで川竹の

 世にためしなき名をや流さむ

諫めの古歌を見て、運久の激情は逆にあぶりたてられた。

薩摩吹上浜
fu.吹上浜(さつま)

「わしに妻などおらぬ。近日、その証拠をば、お見せもうす」

思いつめたまなざしで言い放ち、運久は席を立った。

それから3日後、伊作城から間近に見える吹上浜で、無残な事件が起こった。

恋狂いした島津運久が、正室のお園の方を浜に建つ古堂に閉じ込めて、火を放ったのです。

お園の方は、侍女たちとともに古堂の中で焼け死んだ。

「見よ、わしに妻子などいない。あらためて、常盤どのを妻に迎え入れたい。断るなら是非もない。

わしをこの場で突き殺すがよか」

供も連れず、運久は身ひとつで伊作城に押し入ってきた。女城主を守る屈強の親衛隊が太刀を抜い

て運久を取り囲んだ。



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robin 20210624




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piglet01

Author:piglet01
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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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