島津義弘の関ケ原 その94
『南海にきらめく真珠 その31』
夜明け前に雨はあがったが、関ケ原の広野をすっぽりと濃霧が覆っている。
身支度を済ませた義弘の前に、副将の島津豊久が足早に報告にきた。
島津軍陣地

「敵地深く偵察に出た藤井兄弟の知らせによれば、東軍も早や布陣を完了したとのこと、わが島津
軍の前面にはためく紋章を見れば、黒田長政、細川忠興らの軍と対峙しているやに思われます」
「夜が白めば、すぐさま朝霧の中で戦いとなりもそ、黒田長政、細川忠興らは手強くあなどりがた
い。柵を作りて陣を固め、こちらからは仕掛けるな」
「仰せのとおりにいたします」
「島津隊は独立独歩、自儘に戦場を駆け抜ける。合戦は修羅場ゆえ、いったん火口を切れば、西軍
謀将・石田三成の下知には従わぬ。して、松尾山に籠る小早川勢の動きはいかに」
「秀秋様の了見、まことに見定めがたく、先ほど三成どのが松尾山に出向きましたが、不調に終わっ
たと聞き及びます」
「ならば毛利勢は」
「山頂より一歩も動きませぬ」
豊久は不満げに言った。
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<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
夜明け前に雨はあがったが、関ケ原の広野をすっぽりと濃霧が覆っている。
身支度を済ませた義弘の前に、副将の島津豊久が足早に報告にきた。
島津軍陣地

「敵地深く偵察に出た藤井兄弟の知らせによれば、東軍も早や布陣を完了したとのこと、わが島津
軍の前面にはためく紋章を見れば、黒田長政、細川忠興らの軍と対峙しているやに思われます」
「夜が白めば、すぐさま朝霧の中で戦いとなりもそ、黒田長政、細川忠興らは手強くあなどりがた
い。柵を作りて陣を固め、こちらからは仕掛けるな」
「仰せのとおりにいたします」
「島津隊は独立独歩、自儘に戦場を駆け抜ける。合戦は修羅場ゆえ、いったん火口を切れば、西軍
謀将・石田三成の下知には従わぬ。して、松尾山に籠る小早川勢の動きはいかに」
「秀秋様の了見、まことに見定めがたく、先ほど三成どのが松尾山に出向きましたが、不調に終わっ
たと聞き及びます」
「ならば毛利勢は」
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島津義弘の関ケ原 その93
『南海にきらめく真珠 その30』
勝久の側に控えた国家老がおもむろに話を切り出した。
「されば全権委任の証として、こなたの長子・虎寿丸どのを、勝久さまの御養子として島津本家に迎
えたいのじゃ」
「虎寿丸を御本家に・・・」
島津虎寿(貴久)

「いずれは守護職を譲りもそ、老臣一同の誓書もある。争乱の薩州を仕切れるのは、気高い常盤さま
の血をひく男子しかおるまいて」
「身にあまる光栄でありもす。それに御老臣の方々の誓書までとは、草葉の陰で母もさぞ喜んでおり
ましょう」
忠良は袴を強く握りしめ、母を偲んで落涙した。
前年の秋、常盤は54歳の生涯をとじていた。
死に顔まで端麗だったという。
法名は梅窓、常盤が求めていたものは、女としてのささやかな美意識だった。
だからこそ梅窓と号し、庵の小窓から見える一輪の梅に自身の思いを託したのでしょう。
ひとり殻然として、戦乱の世に誇り高く生きた美姫の血脈は、忠良、貴久、義弘と受け継がれた。
以後、明治維新に至るまで、歴代藩主の体内に連綿と流れゆくのは、『南海の真珠』といわれた常盤
の熱く健やかな血潮であったのです。
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勝久の側に控えた国家老がおもむろに話を切り出した。
「されば全権委任の証として、こなたの長子・虎寿丸どのを、勝久さまの御養子として島津本家に迎
えたいのじゃ」
「虎寿丸を御本家に・・・」
島津虎寿(貴久)

「いずれは守護職を譲りもそ、老臣一同の誓書もある。争乱の薩州を仕切れるのは、気高い常盤さま
の血をひく男子しかおるまいて」
「身にあまる光栄でありもす。それに御老臣の方々の誓書までとは、草葉の陰で母もさぞ喜んでおり
ましょう」
忠良は袴を強く握りしめ、母を偲んで落涙した。
前年の秋、常盤は54歳の生涯をとじていた。
死に顔まで端麗だったという。
法名は梅窓、常盤が求めていたものは、女としてのささやかな美意識だった。
だからこそ梅窓と号し、庵の小窓から見える一輪の梅に自身の思いを託したのでしょう。
ひとり殻然として、戦乱の世に誇り高く生きた美姫の血脈は、忠良、貴久、義弘と受け継がれた。
以後、明治維新に至るまで、歴代藩主の体内に連綿と流れゆくのは、『南海の真珠』といわれた常盤
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島津義弘の関ケ原 その92
『南海にきらめく真珠 その29』
島津は名君の産地であるといわれる。
それは、『南海の真珠』と呼ばれた美姫の熱く気高い血脈が、島津家の本流として脈々と流れている
からであった。
常盤の一子・島津忠良は伊作領と田布施を合わせて譲り受け、分家の中でも抜き出た勢力を手中に
した。
島津忠良(1492-1568年)

内乱が続発し、すでに島津本家には薩州を統治する力がなかった。
15代当主の島津勝久は、知勇を兼ね備えた分家の忠良を頼り、居城の清水城へ呼び寄せた。
戦に飽きた本家当主は、反乱を起こした義弟の島津実久を討つため、島津全軍の指揮権を忠良に任
せるとまでいった。
そして戦功の報奨ととして、本家直轄の領地を忠良にさずけると確約した。
守護職にとって、治める領地を割譲することは、自身の命を削るに等しく、旨い話には必ず裏があ
る。
堅実な忠良は固く辞退した。
15代当主・島津勝久は、分家の忠良に頭を下げて切望した。
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島津は名君の産地であるといわれる。
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からであった。
常盤の一子・島津忠良は伊作領と田布施を合わせて譲り受け、分家の中でも抜き出た勢力を手中に
した。
島津忠良(1492-1568年)

内乱が続発し、すでに島津本家には薩州を統治する力がなかった。
15代当主の島津勝久は、知勇を兼ね備えた分家の忠良を頼り、居城の清水城へ呼び寄せた。
戦に飽きた本家当主は、反乱を起こした義弟の島津実久を討つため、島津全軍の指揮権を忠良に任
せるとまでいった。
そして戦功の報奨ととして、本家直轄の領地を忠良にさずけると確約した。
守護職にとって、治める領地を割譲することは、自身の命を削るに等しく、旨い話には必ず裏があ
る。
堅実な忠良は固く辞退した。
15代当主・島津勝久は、分家の忠良に頭を下げて切望した。
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島津義弘の関ケ原 その91
『南海にきらめく真珠 その28』
武辺者の領主は、ひとりの美姫に出会って刀を捨てた。
庵を訪れた老臣と茶を喫しながら、一瓢斎はこう言い述べたという。
「野心も栄達も不要。わしが得たものは不変の磐(いわお)。美しく心やすまる常なる禄ぞ、その名
を《常盤》と申す」
島津運久(1468ー1539年)

世俗を離れた運久と常盤は、忠良の政道に口をはさむことはなかったという。
ただ、忠良の子が田布施城内で生れたときは大いに喜んだ。
老夫婦揃って城内に入り、初孫の虎寿丸の誕生を祝った。
虎寿丸こそ、後に戦国島津氏を隆盛にみちびく島津貴久なのです。
そして20年後、稀代の英傑・島津義弘は、貴久の次男として伊作城で生れることになります。
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武辺者の領主は、ひとりの美姫に出会って刀を捨てた。
庵を訪れた老臣と茶を喫しながら、一瓢斎はこう言い述べたという。
「野心も栄達も不要。わしが得たものは不変の磐(いわお)。美しく心やすまる常なる禄ぞ、その名
を《常盤》と申す」
島津運久(1468ー1539年)

世俗を離れた運久と常盤は、忠良の政道に口をはさむことはなかったという。
ただ、忠良の子が田布施城内で生れたときは大いに喜んだ。
老夫婦揃って城内に入り、初孫の虎寿丸の誕生を祝った。
虎寿丸こそ、後に戦国島津氏を隆盛にみちびく島津貴久なのです。
そして20年後、稀代の英傑・島津義弘は、貴久の次男として伊作城で生れることになります。
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島津義弘の関ケ原 その90
『南海にきらめく真珠 その27』
きれいごとを言っても、再婚にはそれなりの打算があった。
物狂いした運久のほうが潔いともいえます。
伊作川河口

懸命な寡婦はつくづく思う。
城主が若い女では・・・・
かえって諸将の征服欲を刺激し、肥沃な領土を守り切れない。
強い男に嫁ぐことで、伊作と田布施の連盟を深め、軍事力を増強して領土拡大をもくろみ、常盤が一子
・菊三郎に託したのは、争乱がつづく薩州の再統一であったのです。
そのためには、島津運久の純な男気が必要であったのです。
清明な心身を母から受け継いだ菊三郎は、元服して島津忠良と改めた。永正9年(1512年)島津運久
は誓言を守って、所領のすべてを忠良に譲った。
40代半ばで隠居した運久は一瓢斎と号し、伊作川の畔に庵を結んで常盤と暮らしたといいます。
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物狂いした運久のほうが潔いともいえます。
伊作川河口

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城主が若い女では・・・・
かえって諸将の征服欲を刺激し、肥沃な領土を守り切れない。
強い男に嫁ぐことで、伊作と田布施の連盟を深め、軍事力を増強して領土拡大をもくろみ、常盤が一子
・菊三郎に託したのは、争乱がつづく薩州の再統一であったのです。
そのためには、島津運久の純な男気が必要であったのです。
清明な心身を母から受け継いだ菊三郎は、元服して島津忠良と改めた。永正9年(1512年)島津運久
は誓言を守って、所領のすべてを忠良に譲った。
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島津義弘の関ケ原 その89
『南海にきらめく真珠 その26』
常盤は、こっくりうなずいて、
「お受けいたしましょう」
「わが想い、ついに叶った・・・」
運久は、血走っていた両目が澄み、まるで憑き物が落ちたように爽やかな顔に戻った。
伊作城(日新(義弘)公誕生の地碑)

績年の想いが成就し、烈しい恋狂いから醒めたのでしょう。
運久は仏間に足を運び、先夫・島津善久の位牌の前で宣言した。
「伊作城の忠臣の方々に申し上ぐる。常盤どのとの婚儀のはなむけとして、その子・菊三郎どのが元
服の折、わが相州の所領をことごとくお譲りいたしもうす」
それを聞き、常盤はやさしく諭すように言った。
「互いに城主ゆえ、婚儀は五分、菊三郎のことは後の話といたしましょう。それよりも、お園の方の
菩提を弔い、焼け落ちた古堂跡に寺院の建立を」
運久は、しかと心得と答えた。
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常盤は、こっくりうなずいて、
「お受けいたしましょう」
「わが想い、ついに叶った・・・」
運久は、血走っていた両目が澄み、まるで憑き物が落ちたように爽やかな顔に戻った。
伊作城(日新(義弘)公誕生の地碑)

績年の想いが成就し、烈しい恋狂いから醒めたのでしょう。
運久は仏間に足を運び、先夫・島津善久の位牌の前で宣言した。
「伊作城の忠臣の方々に申し上ぐる。常盤どのとの婚儀のはなむけとして、その子・菊三郎どのが元
服の折、わが相州の所領をことごとくお譲りいたしもうす」
それを聞き、常盤はやさしく諭すように言った。
「互いに城主ゆえ、婚儀は五分、菊三郎のことは後の話といたしましょう。それよりも、お園の方の
菩提を弔い、焼け落ちた古堂跡に寺院の建立を」
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島津義弘の関ケ原 その88
『南海にきらめく真珠 その25』
うきふしに沈みもやらで川竹の
世にためしなき名をや流さむ
諫めの古歌を見て、運久の激情は逆にあぶりたてられた。
薩摩吹上浜

「わしに妻などおらぬ。近日、その証拠をば、お見せもうす」
思いつめたまなざしで言い放ち、運久は席を立った。
それから3日後、伊作城から間近に見える吹上浜で、無残な事件が起こった。
恋狂いした島津運久が、正室のお園の方を浜に建つ古堂に閉じ込めて、火を放ったのです。
お園の方は、侍女たちとともに古堂の中で焼け死んだ。
「見よ、わしに妻子などいない。あらためて、常盤どのを妻に迎え入れたい。断るなら是非もない。
わしをこの場で突き殺すがよか」
供も連れず、運久は身ひとつで伊作城に押し入ってきた。女城主を守る屈強の親衛隊が太刀を抜い
て運久を取り囲んだ。
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うきふしに沈みもやらで川竹の
世にためしなき名をや流さむ
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薩摩吹上浜

「わしに妻などおらぬ。近日、その証拠をば、お見せもうす」
思いつめたまなざしで言い放ち、運久は席を立った。
それから3日後、伊作城から間近に見える吹上浜で、無残な事件が起こった。
恋狂いした島津運久が、正室のお園の方を浜に建つ古堂に閉じ込めて、火を放ったのです。
お園の方は、侍女たちとともに古堂の中で焼け死んだ。
「見よ、わしに妻子などいない。あらためて、常盤どのを妻に迎え入れたい。断るなら是非もない。
わしをこの場で突き殺すがよか」
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