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島津義弘の関ヶ原 その177

『必死は必生につながる その13』

人の気配がしてふりむくと、陣幕の横に三成が立っていた。

西軍最高位の謀将が、一介の使番となって島津陣営を訪れ、馬から下乗して義弘との面談を乞うている。

「何たること・・・」

天地人の三成・小栗さん
is.石田三成 小栗002

義弘は眉をひそめ、小柄な佐和山城主を見やった。

わずか19万4千石の身で、家康打倒の兵を組織し、関ケ原に迎撃した。

今日の戦いに大勝し、家康を打ち取れば『天下人』ともなる男である。

しかし、義弘の眼の前でたたずむのは、憔悴しきった哀れな小男にすぎない。

兜をとった才槌頭が左右に揺れ、まるで叱られた童のようであった。

「惟新どの、逢えてよかった」

肩で息をしながら、三成はゆっくり近づいてきた。

見張りの島津兵も、謀将がみずから訪れて来ては、むやみに追い返すことはできなかったのです。

義弘は感情を表に出さず、声を低めていった。

「して、ご用件は」



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robin 20210930




<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>
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島津義弘の関ヶ原 その176

『必死は必生につながる その12』

聞く耳はもたぬ。義弘は西軍総参謀の三成を見限っている。島津の将兵たちの心も西軍から離れてい

た。

島津義弘(1535ー1619年)
sh.島津義弘

開戦にいたる軍議において、動員兵の少ない島津は軽んじられた。

前哨戦においても、島津隊は墨俣の最前線に置き去りにされた。

義弘が奉じた『家康陣夜襲』の奇策も、田舎戦法にすぎぬと嘲られた。

情におぼれ、将としての三成の資質を見誤った。しょせん三成は、秀吉に仕える忠臣にすぎなかった。

百戦錬磨の武将連を束ね、その上に立つには了見がせますぎる。

何よりも不動心が足りなかった。

悔やんでもおそい。

すでにサイは投げられ、東西両軍は血戦のさなかにある。長くは傍観できない。

いずれは島津陣営にも東軍の矢弾がとんでくる。



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robin 20210929




<参考文献:島津義弘(加野厚志・Wikipedia>

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島津義弘の関ヶ原 その175

『必死は必生につながる その11』

東国大名の徳川家康とは縁がうすく、肌もあわない。

苦労人の家康は『実』をめざし、義弘は『義』に生きている。

徳川家康(1543-1616年)
to.徳川家康

会津出征のおり、義弘には伏見城の留守居役について家康に虚言を食わられた。

同世代の老人同士なのだが、両人はなぜか話が通じない。

互いに意志の齟齬があったにせよ、また無かったにせよ、義弘が小狡い家康に背を向けるのは当然の

ことだったのでしょう。

「家康に一矢むくいる」

そでが老将・島津義弘の意地であった。それもまた家康との因果かもしれない。

豊久からの伝令が走り寄ってきた。

「大殿、先ほど石田三成さまの陣営より、催促の軍使が来もうした」

「で、何と応えた」

「八十島助左衛門なる者が、馬を降りぬまま横柄に言伝いたしましたので、物頭が斬りつけましたとこ

ろ自陣へと逃げ帰りました」

「それでよか」

「また催促が参ったときは」

「追い帰せ」

義弘は短く命じた」



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robin 20210928





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島津義弘の関ヶ原 その174

『必死は必生につながる その10』

「勤め人は、主人からもらう禄高をすべて使いきらねばならない。自身や子孫のために金を残すのは、

主人の禄を盗むのにひとしい」

三成には金銭への欲がない。

水口城
mi.水口城 001

まだ、水口4万石の小領主にすぎなかった時代、禄高の1万5千石を割いて島左近を迎えたのも、秀

吉への忠節心のあらわれだった。

また、三成は和漢を学びおさめ、教養が高かったという。

主人・秀吉の望むことを先に読んで実行した。それを鼻持ちならず『茶坊主』と見る者も多い。

奉行職の三成は、傲慢な豊臣家の武将たちにはきびしくあたっていた。

そのかわり、敗者や弱者への思いやりはが深い。稲枯れや朝鮮出兵で財政難に陥った島津氏に、さり

げなく多額の援助金を貸与してくれたのも石田三成であった。

『三成には恩義がある』

最終的には、その一点で島津義弘は西軍についたのでしょう。



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robin 20210927




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島津義弘の関ヶ原 その173

『必死は必生につながる その9』

銃声とどろく関ケ原の戦場で、義弘は一人沈思していた。

心ならずも西軍方についたののも、石田三成との因縁だった。

石田三成(1560-1600年)
is.石田三成 001

かつて義弘が太閤秀吉の軍門に下ったとき、その折衝役となったのが三成であった。

秀吉の前で敗将の義弘をねぎらい、まるで島津方の忠臣のごとく、三成は才槌頭をふりながら熱弁

した。

「島津に名君多しと聞きおよびまする。南九州の安定には、鎌倉期より源頼朝さまの尊い血をひく

島津一族の力が必要と存ずる」

降伏した島津の健闘を讃えられ、さほどの知行も削られずに済んだのも、若い三成の助言によるも

のであった。

三成はつねに秀吉の側にひかえ、取り次ぎ役をつとめていた。

才知に恵まれ、職務にも忠実だった。

暴君の秀吉に寵愛されたのも、その誠意を買われたからであったのでしょう。

三成は日夜の務めに励んだ。

暴風雨の夜半に登城して、すぐに翌朝には壁襖などの破損個所を修復した。

その精励ぶりは、信長に仕えていたころの若い秀吉と同じであった。



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robin 20210926




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島津義弘の関ヶ原 その172

『必死は必生につながる その8』

自陣内に戻っても、いっこうに震えは止まらない。

軍使の八十島は息を整え、それから小走りに本営へと向かった。

三成陣跡で遊ぶpiglet
関ヶ原004

待ちかねている三成への復命を、八十島は巧みにすりかえて申し述べた。

「島津の見聞せまく。戦況も見えず、軍使の話を聞く耳すらもちませぬ。惟新公への取次もはかどらず、

兵が抜刀して、追い立てられました」

「なんと無礼な・・・」

「田舎武士ゆえ大戦の気にのまれ、われも見失っておるかと存ずる」

平常心を失っているのは、使番の八十島自身であった。

そして、将の三成も腰が軽すぎた。

「わしが行く」

目の前の戦いが一進一退の膠着状態とはいえ、謀将が自陣を離れて使番になったのです。

「何を思うぞ、島津義弘」

鞍上で低くつぶやく。

応えはない。



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robin 20210925




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島津義弘の関ヶ原 その171

『必死は必生につながる その7』

高揚しきった八十島は自身の非礼に気づかない。

馬から下りず、流れるような弁舌を長々と続けた。

島津軍陣所跡
島津義弘陣跡

「にわかに霧も晴れ、合戦の法螺貝は鳴りもうした。また再三再四、西軍総攻撃の狼煙も上げまして

ござる。聞こえませぬか。見えませぬか。屈強の島津さまにおいて、何をためらうことがありましょ

うや。わが石田軍勢の果敢な突撃により、東軍の足並みは乱れておりまする。今こそ好機、島津隊が

立ち上がって柵内より連射し、猛攻を開始すれば・・・」

八十島の長広舌がとぎれた。

「不埒者、死ねや!」

物頭の原蔵人が抜刀して、三成の使番に斬りつけようとした。

一本気の原は、八十島の不遜な口上を聞いて激昂したらしい。

八十島はひるみ、蒼ざめて顔で言った。

「何をなさる、狂われたか。われは西軍総参謀・石田三成さまの軍使なるぞ」

「その方こそ物狂いじゃ。軍礼を忘れて馬上から助成を督促するとは。長居すれば、この豊久が斬り

捨てる」

「許されよ。心得ちがいでござった」

高揚した心が瞬時に凍りついた。あわてて馬首をまわし、ガチガチと奥歯を鳴らしながら駆け去った。



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robin 20210924




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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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