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徳川家光 その41

『家光、女性に目覚める』

家光は、おふりを見てぼう然となった。

生まれて初めて異性に対してこんな気になったのです。

おふりは、美少年的な、きりりと引きしまった凛々しい感じの少女だったのでしょう。

お福(春日局)
ka.春日の局

お目見えが済んで、尼公が退出したあと、家光はお福を呼んで

「慶光院のあの住職、おれは気にいった。なんとかせい」

と言った。

お福は驚いた。

尼さんなど興味がないと思っていたが、36歳にして初めて女に心を動かしたのだから、これは何と

かしなければならないと思った。

もっとも、お福はこの尼さんに家光の子供を生ませる気はないので、お福のこの時の気持ちは、親

バカのお袋が、わがまま息子の言い分をなんによらず通してやるに似ているのでしょう。

あるいは、これがきっかけとなって、家光が正常な性愛に目覚めるかと思ったのかも知れませんが、

それにしてもこの尼公は犠牲にされてしまうのです。

ともあれ、お福は

「かしこまりました。必ず仰せのようにはからいます」

と答えた



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robin 20220331




<参考文献:海音寺潮五郎(武将列伝)>
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徳川家光 その40

『おふり』

お福は『おふり』を大奥に入れて、家光に提供したといいますが、おふりが大奥勤めになったのは寛

永3年3月といいますから、枕席に侍するようになったのは、数年あとのようです。

家光はお福の言うことだから、ちょいちょい用いたらしいが、依然として同性に興味を示していたと

いう。

慶光院(伊勢市)
ke.慶光院

おふりが寛永14年3月5日に千代姫を生むと、もう用事はすんだとばかりに、男色専門になった。

ところが、千代姫を生んだ翌々年の寛永16年3月に、伊勢の慶光院の女住職が新しくあと目を相続

したお礼のために江戸に来て、家光に拝謁した。

伊勢の慶光院は禅寺だが尼寺です。

この寺は代々伊勢神宮を崇敬して、戦国時代に神宮の式年造営も思うにまかせなかった時期に、造営

に尽力し、また信長、秀吉、家康の時の権力者ともうまく結びついたので、これらの権力者から出す

神宮造営の朱印状は、この頃までは慶光院あてに下付されるほど重んぜられていた。

この時住職になった尼さんは、その素性は六条宰相有純の姫君で、7歳の時から慶光院に入室して得

度して、この時16歳、6代目の住職となったので、お礼のために江戸に下って来たのでした。



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robin 20220330




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徳川家光 その39

『家光も姉さん女房』

家光の女性関係を見てみましょう。

家光の正妻は関白・白鷹司信房の娘でした。

徳川家光(1604-1651年)
to.徳川家光

名前は家光の生前は中ノ丸殿、死後は落飾してからは本理院殿と伝わります。

元和9年12月に江戸に下って来て、西ノ丸に居た秀忠夫婦のもと居て、翌年12月に本丸に移って

結婚しています。

この時、23歳であったといいますから、家光より2つ年上です。

この頃の家光は、美少年にしか興味を感じないうえに、年上の女性です。

たいへん嫉妬深い女性であったといいますから、家光が心を傾けるはずがありません。

老中やお福は心痛したといいます。

男相手ではお世継ぎができないからです。

お福はやっと家光を説き伏せて、自分の縁者である祖心尼の外孫である『おふり』を枕席にすすめた。



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robin 20220329




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徳川家光 その38

『異性に興味がない家光』

また、家光が寵愛した少年のひとりに、水野成貞がいます。

備後福山の領主・水野勝成の3男で、有名な水野成之の父です。

水野成貞の墓(福山市)
mi.水野成貞の墓

ある時、堀田正盛とともに家光に呼ばれて茶をたまわっていたが、その時、家光が正盛の方に先に茶

を立ててやったというので成貞は怒り、畳を蹴り立ててそのまま退出し、それからはどう召されても

出仕いなかったというのです。

この他にも、家光の男色に関する話はたくさんあり、確かなものだけでも10人いたという。

人間は年頃になると、異性に対する愛恋の情が出て来て普通であり、正常な姿ですが、家光は女にな

んの不自由もない境遇にいながら、いつまでも同性しか興味を感じなかったのです。

この時代の男色は社会一般の風であったので、今日考えられるほど変態的なものではなかったのでし

ょうが、それがいつまでも続き、異性に対して全然興味を感じないとあっては、異常だったのでしょう。



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robin 20220328




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徳川家光 その37

『堀田正盛』

堀田正盛の寵愛については、こんな話が伝わっています。

家光が将軍になって間もない頃の話のようです。

家光の死去に伴い殉死した正盛
ho.堀田正盛 02

酒井忠世が家光のもとに伺候すると、堀田正盛がそそくさと出て、あわてた風に他に去った。

入ってみると、家光が妙にそわついた顔で座っている。

忠世は用件を言上した後、ふと見ると、書院棚にその頃たいへん流行った刑部梨地の印籠がおいて

ある。

「あれは何でございますか」

と、忠世がたずねると、家光は顔を赤らめて

「加賀が…」

と言っただけで、あとは言えない。

正盛は16歳の時に加賀守に任官している。

忠世は

「いかほど寵愛の者でも、かかる所に印籠など置かせてはなりません。時と場合というものがござ

います」

と、諫言したという。



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robin 20220327




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徳川家光 その36

『美少年を寵愛』

家光の逸話として後世に伝わっていることは、その多くが感心できないものが多いです。

少し、その例を挙げてみましょう。

堀田正盛(1609-1651年)
ho.堀田正盛

家光は若い頃、女にたいして全然関心がなく、美少年ばかりを寵愛していたという。

彼の寵童は多数いるが、最も有名なのは堀田正盛と酒井重澄の2人です。

堀田は春日局のまま孫で、その養子分となった人物で、あとで老中になっています。

酒井重澄は本来は酒井姓ではなく、飛騨国守であった金森可重の7男であったが、非常に美少年

だったので、家光に寵愛された。

徳川家において酒井という苗字は容易ならないものであるのに、寵愛のあまりにその名前を名乗

らせ、3万石の大名にまで取り立てています。

この重澄が病気で引きこもっている間に、妻や側室に子供を生ませたことが家光にわかったので、

家光は嫉妬し、重澄を備後福山の水野日向守にあずけ、家は改易にしたという。



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robin 20220326




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徳川家光 その35

『お取合』

家光は小心で、どもりで、ものを言おうとする時は酒を飲んで、いくらか口がきけるようになった

人であったという。

20歳頃から元気がよくなったと伝えられますが、それでも諸大名が参勤交代する時には、出入り

には必ず将軍に謁見してあいさつをし、将軍もこれに返事するのですが、その際はいつも酒井忠勝

(若狭小浜藩主)が「お取合」としてついていた。

酒井忠勝(1587-1662年)
sa.酒井忠勝

お取合とは助手であり、助手がついてなければ、適当な受け答えができなかったのです。

こんな家光が、外様大名にたんかを切って、大見得が切れたのは、裏に演出者がいたからであろう

とは、容易に推察されます。

その演出者は誰なのでしょう。

土井利勝あたりではないのでしょうか。

利勝はなかなかの権謀家です。

この以前、秀忠の時代には計略にかけて千姫事件の坂崎出羽守を片付けており、この以後には家

光のかつての有力な競争者であった忠長を殺して家光を安心させ、その数年後に大老に任ぜられ

ています。

その利勝にとって、家光に芝居をさせて、幕府をこわがっている外様大名らの荒ぎもをひしぐくら

いのことは、何でもないことであったのでしょう。

こんな次第であるので、将軍職就任の始めに、外様大名らに恫喝した事実をもって、家光の英遇を

証明することはできないのでしょう。



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robin 20220325




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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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