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加藤清正 Ⅱ その98

『竹中半兵衛の没』

黒田官兵衛とならんで、秀吉の左右の腕とまで評判された竹中半兵衛。

おしいことに三木城攻めの最中、肺結核が重態となって死んだ。

竹中半兵衛の墓(竹中半兵衛お墓詣りは「こちら」です。)
半兵衛の墓 006

天才的な智略はないが、そのかわりに忠実さがあって、秀吉にとっては最も大事な人物であった。

秀吉は蜂須賀正勝を呼んで、鳥取城の方をあごで示して

「なかなか堅固な城じゃな」

と言った。

「御意(ぎょい))、力攻めではいかがかと存じます」

と、正勝はいう。

「うむ、それもそうじゃが、少し思うところもある。搦手(からめて)の様子を見て来てくれまいか」

「かしこまりました。若い衆を連れてまいりたいと存じますが・・・」

「良かろう」

といって、秀吉が近習の方を振りかえった時、虎之介は進み出ていた。

「拙者をお連れくだされ」

「よし」

秀吉はうなずき、正勝は微笑した。



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robin 20230331




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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加藤清正 Ⅱ その97

『正勝は秀吉に忠実に仕える』

蜂須賀正勝は、秀吉の家来になったわけではなく、信長の家来になったのです。

しかし、本人の希望と、秀吉との昔からの関係を考慮されて、秀吉の寄騎とされた。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉 001

寄騎というのは、寄親の指揮にもとに立って働く将校のことです。この場合、寄親はもちろん秀吉

であった。

こんな訳で、厳密には秀吉と正勝は主従ではなかったが、正勝は主人に仕えるように忠実に秀吉に

仕えた。

昔と正反対になった訳ですが、正勝は少しもそんなことには構わなかったのです。

秀吉のように、土民から成り上がったために、一人の譜代の家来もなく、やっと弟の小一郎、妻の

一族に譜代の老臣を代用させている者にとって、正勝のような人物は実に得難いものであった。

尾州の片田舎の小豪族ではあるが、険しい戦国の世にもまれながら、ともかくも蜂須賀郷も領地を

失わないで持ち続けて来ただけあって、社会の機微、交渉の駆け引き、戦さの法等よく通じている。

いわゆる古つわものであった。



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robin 20230330




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加藤清正 Ⅱ その96

『彦右衛門正勝との再会』

その後、20年近く経って、秀吉は奇計をもって、秀吉のため墨俣城を築き、この城代を命ぜられ

た。

城は木曽川の対岸にあり、たえず美濃の斎藤勢の襲撃を受ける恐れがある。

蜂須賀正勝と藤吉郎(秀吉)の出会いの絵
ha.蜂須賀正勝と藤吉郎の出会いの絵

秀吉は蜂須賀村に行き、昔の小六正勝、今は蜂須賀正勝に会って、昔の礼を言い、今の自分の身分

を名のり、力を貸してもらいたいと頼んだ。

「よかろう。袖をすり合うも他生の縁という。そなたがこの家に居たのは、そう長い間ではなかっ

たが、そなたのことは奇妙に心の底に残っている。こうして20年にもなって、えらい出世して訪

ねて来てくれて、わしの力を借りたいと言ってくれるとは、浅からぬ縁(えにし)があればこその

ことと思う。そのうえ、わしはこの年まで一生懸命働いても、いっこうに芽が出ず、昔ながらに蜂

須賀一郷の主であいかないが、おことはあの身分から、20年の間に、織田信長殿の家中で、一城

をあずかる身分となった。よっぽど運に恵まれている生まれつきに相違ない。わしはおことについて、

運を開こうと思う。よろしゅうこちらから頼みます」

と、正勝はすぐ承知した。



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robin 20230329




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加藤清正 Ⅱ その95

『秀吉の生い立ち』

秀吉はまだ物心もつかない頃に実父と死別し、その後、母に入夫して来た継父とどうにも気が合わな

かったので、早くから家を飛び出し、尾張から、美濃、時によっては伊勢、江州、三河の辺まで、戦

災孤児のような姿で放浪して歩いたといいますが、蜂須賀村に行き、その家に厄介になり、飯を食わ

せてもらった時期があった。

秀吉誕生の地(名古屋市中村区)
to.豊臣秀吉誕生の地

戦場にも連れて行ってもらったし、ゲリラ働きにも一緒に行ったし、夜討強盗、放火などを党がする

時には、ヤマ見役を言いつかったりもした。

面白かったが、その頃の秀吉は、放浪のくせが身について、一か所に落ち着いていることが出来ない。

やがて飛び出して、また放浪の身になった。



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robin 20230328




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加藤清正 Ⅱ その94

『蜂須賀党』

秀吉は鳥取城下に着くと、蜂須賀正勝を召した。

蜂須賀氏は織田信長の父・信秀の居城があった、尾張の勝幡近くの蜂須賀郷の小豪族であった。

蜂須賀正勝(1526-1586年)
ha.蜂須賀正勝

弱肉強食の戦国の世には、有力な大名の家来分にならなければ、自存することが出来ないので、美濃

の斎藤氏仕えたり、信長の家と別系統である犬山の織田氏に仕えたりしたが、どこにも仕えなかった

時代もあった。

その時期には、同じような小豪族が集まって党(一揆ともいう)をつくって、雇兵団となって近くの

大名らに武力を売りつけて戦場働きをしたり、場合によっては敵国にゲリラ働きしたり、雇主のない

時には落武者狩りして武器武具を剥いだり、よっぽど暇な時は夜討強盗もしたり、つまり、野武士と

称せられる者となった。

蜂須賀党といえば、野武士としても相当名を響かせていた。



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robin 20230327




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加藤清正 Ⅱ その93

『鳥取城攻略』

三木の開城から4ヵ月、5月には秀吉は山陰方面の因幡に兵を進めます。

因幡は元来、山名氏が守護大名ちして栄えたところですが、この時代、山名氏はもうそれほどの勢

いはなく、その勢力が及ぶところはわずかに石見1郡だけで、他は諸豪族によって占められていた。

山名豊国(1548ー1626年)
ya.山名豊国

そのうえ、その山名氏も他の豪族らも、すべて毛利の旗風になびいて、一国全部が毛利の勢力範囲

になっていたのです。

秀吉は山名豊国が籠る鳥取城から16、7km西方の鹿野城を陥れ、ここに毛利勢がとりこめて人

質としていた豊国の娘を捕らえて、係りの者を定めて丁重に庇護するように命じておいて、鳥取城

に押し寄せた。

鳥取城は東に帝釈摩尼山をひかえ、西に賀露川を帯び、その中間の久松山の尾に築かれた、いたっ

て要害堅固な城であった。



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robin 20230326





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加藤清正 Ⅱ その92

『清正の体格容貌』

三木開城の天正8年に、清正は22歳で、すっかり成人していた訳ですが、どんな体格容貌になって

いたのでしょう。

彼の体格容貌については、若い頃のことは記述したものはありません。

加藤清正公像(本妙寺)
ka.加藤清正本妙寺像

ずっと後年にの江戸時代になってからのことですが、落穂集という書物に出てきます。

それによると、彼は三尺五寸の刀を常ざしの脇差にし、くじら尺四尺二寸に仕立てた着物を着て、裾

が三里(ひざ脇の灸点)の少し下にかかるくらいであったという。

この計算からすると、どうしても六尺五、六寸の身長でなければならない。

かりに肩と胸がうんと厚かったとしても、六尺二、三寸の身長はあったと思われます。

22歳なら、これ位の体格になっていたのでしょう。



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robin 20230325




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平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


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*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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