加藤清正 Ⅱ その128
『黒田官兵衛につなぐ』
官兵衛は竹中半兵衛とともに、この頃、秀吉のブレーンとして、秀吉の陳平、張良と言われていた
が、半兵衛が三木城攻めの最中に持病の肺患で死んだ後は、ただ一人のブレーンであった。
竹中半兵衛のお墓(竹中半兵衛のお墓詣りは「こちら」です。)

官兵衛はもう寝ていたが、すぐ起きて来た。
清正を見て言う。
「そなた、一の宮からの帰りか」
「そうであります」
と、こちらは答えて、番所の長と捕虜の方をふり返って
「これは明智日向殿の家来で、日向殿の書面を持って毛利陣にまいる途中、当陣に迷い込んだ者
で、挙動不審のなめ、取り押さえられたのでありますが、ちょうどその時、拙者行き合わせました。
日向殿の書面を所持いたしておりましたので、それは番所の長がとり上げてお持ちであります」
と、てきぱきと説明した。
官兵衛は頷きながら聞き終わり、番所の長から、しっとりと濡れた封書を受取り、名前を聞き、ねぎ
らって帰した後、家来どもを呼んで、捕虜の世話を命じた。
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
官兵衛は竹中半兵衛とともに、この頃、秀吉のブレーンとして、秀吉の陳平、張良と言われていた
が、半兵衛が三木城攻めの最中に持病の肺患で死んだ後は、ただ一人のブレーンであった。
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清正を見て言う。
「そなた、一の宮からの帰りか」
「そうであります」
と、こちらは答えて、番所の長と捕虜の方をふり返って
「これは明智日向殿の家来で、日向殿の書面を持って毛利陣にまいる途中、当陣に迷い込んだ者
で、挙動不審のなめ、取り押さえられたのでありますが、ちょうどその時、拙者行き合わせました。
日向殿の書面を所持いたしておりましたので、それは番所の長がとり上げてお持ちであります」
と、てきぱきと説明した。
官兵衛は頷きながら聞き終わり、番所の長から、しっとりと濡れた封書を受取り、名前を聞き、ねぎ
らって帰した後、家来どもを呼んで、捕虜の世話を命じた。
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加藤清正 Ⅱ その127
『捕虜を本陣へ連行』
番所の長は受け取って、封じ目をはがそうとする。
「あ、しばらく」
清正はおしとどめた。
加藤清正像(名古屋妙行寺)

こまでして明智が毛利家へ送ろうとする書面である以上、よほどに機密的なものであるに相違ない。
「それはご覧になるべきではござるまい。封のままにして、この者とともに、ご本陣へお差出になる
がよいと存ずる」
「しかし、拙者の職分として・・・」
番所の長は未練げに手にした封筒を見た。披見したい誘惑を大いに感てるようだ。
「ご職分は不審な者を取り押さえ、その身分と名前を尋問しておつきとめになっただけで十分のはず。
あとはそのまま本陣へ差し出して、ご報告あればよいのでござる。拙者が同道したします。早やそう
なさるよう」
「さよう。なるほど仰せられる通りでござる」
未練げではあるが、番所の長はそういった。
清正は番所の長と捕虜を、黒田官兵衛のもとに連れて行った。
以前は小寺といっていたあの官兵衛です。
小寺姓は彼の主家の姓で、主家にもらってそう名のっていたが、小寺家が織田家を裏切って反抗して
滅ぼされたので、2、3年前から本姓にかえったのです。
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番所の長は受け取って、封じ目をはがそうとする。
「あ、しばらく」
清正はおしとどめた。
加藤清正像(名古屋妙行寺)

こまでして明智が毛利家へ送ろうとする書面である以上、よほどに機密的なものであるに相違ない。
「それはご覧になるべきではござるまい。封のままにして、この者とともに、ご本陣へお差出になる
がよいと存ずる」
「しかし、拙者の職分として・・・」
番所の長は未練げに手にした封筒を見た。披見したい誘惑を大いに感てるようだ。
「ご職分は不審な者を取り押さえ、その身分と名前を尋問しておつきとめになっただけで十分のはず。
あとはそのまま本陣へ差し出して、ご報告あればよいのでござる。拙者が同道したします。早やそう
なさるよう」
「さよう。なるほど仰せられる通りでござる」
未練げではあるが、番所の長はそういった。
清正は番所の長と捕虜を、黒田官兵衛のもとに連れて行った。
以前は小寺といっていたあの官兵衛です。
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加藤清正 Ⅱ その126
『当時者はわかろう筈がない』
当時の歴史を知っている私たちは、ここまで聞くと、なぜ、織田信長の幕下である明智光秀の使者が、
光秀の同僚である羽柴の陣所をことさら避けて、敵方の毛利陣へ行こうとしたか、よくわかります。
本能寺で信長を襲殺したことを毛利に知らせ、毛利勢を勢いづけ、秀吉を苦しめ,、その間に中央をう
まく固める計略だったのです。
本能寺の変

しかし、これは後世に生まれたため、その頃の歴史を鳥瞰的に熟知することが出来る私たちあればこ
そのことで、時代の波間に漂わされている清正や番所の長がわかろう筈がないことでした。
番所の長は首をひねりながら
「明智日向殿が、なぜ敵である毛利陣へ・・・」
と、清正の方を向いた。途方に暮れたようなにぶい表情であった。
清正には、なにかはっと胸にひらめくものがあった。
「書面を持っていると申しましたな」
と言った。
「あ、さようで!」
くるりと向きなおり
「その書面。いずれにあるぞ。きりきり出せい!」
と、どなりつけた。
明智の家来は、いたってもの静かだ。
「ここにござる」
と言って、雨に濡れた襟をバリッと引き裂くと、一封の書面を引き出して、さし出した。
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当時の歴史を知っている私たちは、ここまで聞くと、なぜ、織田信長の幕下である明智光秀の使者が、
光秀の同僚である羽柴の陣所をことさら避けて、敵方の毛利陣へ行こうとしたか、よくわかります。
本能寺で信長を襲殺したことを毛利に知らせ、毛利勢を勢いづけ、秀吉を苦しめ,、その間に中央をう
まく固める計略だったのです。
本能寺の変

しかし、これは後世に生まれたため、その頃の歴史を鳥瞰的に熟知することが出来る私たちあればこ
そのことで、時代の波間に漂わされている清正や番所の長がわかろう筈がないことでした。
番所の長は首をひねりながら
「明智日向殿が、なぜ敵である毛利陣へ・・・」
と、清正の方を向いた。途方に暮れたようなにぶい表情であった。
清正には、なにかはっと胸にひらめくものがあった。
「書面を持っていると申しましたな」
と言った。
「あ、さようで!」
くるりと向きなおり
「その書面。いずれにあるぞ。きりきり出せい!」
と、どなりつけた。
明智の家来は、いたってもの静かだ。
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加藤清正 Ⅱ その125
『旅人は明智光秀の遣いだった』
少し歩くと番所がある。
士分の者一人と足軽が10人ほど詰めている。巡視の兵はここから出されたのであるから、その怪し
い旅人も、そこで一応の取り調べを受けることになる。
明智光秀(1528-1582年)

清正は、番所の長の武士に名のって、取り調べを傍観する許しを乞うた。
「どうぞ、どうぞ」
番所の長は、清正のためにとくに別に床机をおかせて、座るように言った。
尋問が始まった。
番所の土間に座らせられた旅人は、ひざに手をおき、目をつぶり、きびしく口をむすんでいた。
目がくぼみ、頬がこけ、口もとや顎にひげが少しのびて、病人のように顔色が悪い。
着物はしぼるばかりに濡れていた。
その姿勢で、番所の長の尋問の言葉をしばらく聞いていたが、ふと目をあけて
「もはや、かくし申す気は毛頭ござらぬ。拙者は・・・」
と、言って、清正の方に目を向け
「このお人が見えて、筑前守が馬廻りなにがしと名のりあってから、かくす気はなくなったのでご
ざる」
男のやつれた顔にも、ことばの調子にも、自らを嘲るようなものがあった。
番所の長は緊張した顔になった。清正はもとよりのことだ。
ともに、男の顔を見つめ、耳を澄ました。
男の唇が重々しく動く。
「拙者は明智日向守の家来。杉野孫六と申す者でござる。日向に遣わされ、その書面を持って、毛利
陣へ参る途中でござったが、土地不案内のため、不覚にも羽柴殿ご陣所に迷いこみ。かかることにな
ってしましました」
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士分の者一人と足軽が10人ほど詰めている。巡視の兵はここから出されたのであるから、その怪し
い旅人も、そこで一応の取り調べを受けることになる。
明智光秀(1528-1582年)

清正は、番所の長の武士に名のって、取り調べを傍観する許しを乞うた。
「どうぞ、どうぞ」
番所の長は、清正のためにとくに別に床机をおかせて、座るように言った。
尋問が始まった。
番所の土間に座らせられた旅人は、ひざに手をおき、目をつぶり、きびしく口をむすんでいた。
目がくぼみ、頬がこけ、口もとや顎にひげが少しのびて、病人のように顔色が悪い。
着物はしぼるばかりに濡れていた。
その姿勢で、番所の長の尋問の言葉をしばらく聞いていたが、ふと目をあけて
「もはや、かくし申す気は毛頭ござらぬ。拙者は・・・」
と、言って、清正の方に目を向け
「このお人が見えて、筑前守が馬廻りなにがしと名のりあってから、かくす気はなくなったのでご
ざる」
男のやつれた顔にも、ことばの調子にも、自らを嘲るようなものがあった。
番所の長は緊張した顔になった。清正はもとよりのことだ。
ともに、男の顔を見つめ、耳を澄ました。
男の唇が重々しく動く。
「拙者は明智日向守の家来。杉野孫六と申す者でござる。日向に遣わされ、その書面を持って、毛利
陣へ参る途中でござったが、土地不案内のため、不覚にも羽柴殿ご陣所に迷いこみ。かかることにな
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加藤清正 Ⅱ その124
『旅人風不審者』
降り続ける雨の中、蓑笠をつけた見回りの兵卒が、片手に槍をにぎり、片手に一人の男の襟をつかま
えて、ゆすぶっている。
その男も蓑と笠をつけているが、あまりにきつくこづきまわされるので、いずれも脱げかかっている。
旅姿のようであった。
清正くまモン

ひどく顔色が悪いようであった。顔色ばかりでなく、体力もないようであった。
兵卒のゆさぶり立てる手につれて、くなくなと動くのが、今にもくずれおちそうであった。
「どうしたので」
と、清正は馬を乗りつけて言った。
兵卒は清正を仰いだ。
「あなたはどなたです」
と、叫ぶように言った。
「筑前守様お馬廻りの加藤虎之介だ。お使者に行って、帰るところだ」
「ああ、そうでありますか。こいつ・・・」
「こいつは、あやしいやつであります。わたくしが来るのを見て、道のわきにしゃがんで、やり過ご
そうとしたのでございます。わたくしが見とがめますと、逃げようとしたのでございます。つかまえ
て何者かと聞きましたが、返答をしないのでございます。重々あやしいやつでございます」
「よし、連れて来い。逃がさないようにせよ」
清正は、巡視兵と捕えられた旅人とを先に立たせて、馬を進めた。
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えて、ゆすぶっている。
その男も蓑と笠をつけているが、あまりにきつくこづきまわされるので、いずれも脱げかかっている。
旅姿のようであった。
清正くまモン

ひどく顔色が悪いようであった。顔色ばかりでなく、体力もないようであった。
兵卒のゆさぶり立てる手につれて、くなくなと動くのが、今にもくずれおちそうであった。
「どうしたので」
と、清正は馬を乗りつけて言った。
兵卒は清正を仰いだ。
「あなたはどなたです」
と、叫ぶように言った。
「筑前守様お馬廻りの加藤虎之介だ。お使者に行って、帰るところだ」
「ああ、そうでありますか。こいつ・・・」
「こいつは、あやしいやつであります。わたくしが来るのを見て、道のわきにしゃがんで、やり過ご
そうとしたのでございます。わたくしが見とがめますと、逃げようとしたのでございます。つかまえ
て何者かと聞きましたが、返答をしないのでございます。重々あやしいやつでございます」
「よし、連れて来い。逃がさないようにせよ」
清正は、巡視兵と捕えられた旅人とを先に立たせて、馬を進めた。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
加藤清正 Ⅱ その123
『吉備津彦神社からの帰り道』
清正は陣中の使いではあるが、軍使ではない。
大紋に小袴という服装で、馬になり、槍持ちと馬ひきと挟箱持ちを3人連れたうえ、2人の小者に奉
納の金銀が入った唐櫃を担がせて出かけた。
吉備津彦神社大燈龍と拝殿

神社では丁重に饗応し、清正のためにもお祓いをしたり、幸福と安泰を祈願してくれたりしたので、
つい時刻を過ごし、神社を辞去したのは午後10時を過ぎていた。
下人に松明を持たせて先に歩かせ、道の半ばまで来た頃、雨が降り出した。
だんだん雨はひどくなり、ともすれば松明の火も消えそうになる。
しかし、あとわずかなことだ、雨宿りもせず、馬上に笠をかたむけて、急いでいると、どこやらでど
なり立てる声とぬかるみを踏む足音が聞こえたように思った。
清正は、笠のふちを上げて、先ず前方を見た。すると、また聞こえた。
「あやしいやつめ! なぜ逃げる!」
はっきり聞こえた。せいせいと弾んでいる呼吸の音も聞こえた。
たしかにそれは前方だ。しかも、相当間近かだ。
「いかがいたした」
と、大音に言いながら、清正は馬を進めた。
小者から松明をとりあげ、それをかざしながら進んだ。
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
清正は陣中の使いではあるが、軍使ではない。
大紋に小袴という服装で、馬になり、槍持ちと馬ひきと挟箱持ちを3人連れたうえ、2人の小者に奉
納の金銀が入った唐櫃を担がせて出かけた。
吉備津彦神社大燈龍と拝殿

神社では丁重に饗応し、清正のためにもお祓いをしたり、幸福と安泰を祈願してくれたりしたので、
つい時刻を過ごし、神社を辞去したのは午後10時を過ぎていた。
下人に松明を持たせて先に歩かせ、道の半ばまで来た頃、雨が降り出した。
だんだん雨はひどくなり、ともすれば松明の火も消えそうになる。
しかし、あとわずかなことだ、雨宿りもせず、馬上に笠をかたむけて、急いでいると、どこやらでど
なり立てる声とぬかるみを踏む足音が聞こえたように思った。
清正は、笠のふちを上げて、先ず前方を見た。すると、また聞こえた。
「あやしいやつめ! なぜ逃げる!」
はっきり聞こえた。せいせいと弾んでいる呼吸の音も聞こえた。
たしかにそれは前方だ。しかも、相当間近かだ。
「いかがいたした」
と、大音に言いながら、清正は馬を進めた。
小者から松明をとりあげ、それをかざしながら進んだ。
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加藤清正 Ⅱ その122
『吉備津彦神社』
月が変わって6月3日。
清正は秀吉の使いで、一の宮の吉備津彦神社に行った。
一の宮村は蛙が鼻から距離では4kmぐらいしかないが、備前の国です。
つまり、この村が備中と備前の境になっているのです。
吉備津彦神社

この村は一の宮という名が示すように、備前・備中・備後がまだ分かれず、一国で吉備といっていた
時代の一の宮であった。
それが吉備津彦神社です。
祭神は吉備津彦命。
日本書記の伝えによると、崇神天皇の時、大和朝廷は4人の皇子、皇孫を将軍として天下に分遣し、
これを四道将軍といい、吉備津彦命はその一人であるという。
秀吉は備中に攻め込むにあたって、2、3日この神社に本陣をおいて、神主さんらと大分懇意になっ
たが、その神主さんが、このほど怨敵調伏の祈祷をしたら、大神が納受あったしるしがあったから、
お聞きに達するといって、護符と大麻を届けてくれた。
人のこんな好意に対しては、秀吉は人一倍感謝し、人の何層倍も報いる人だった。
清正を答礼使に選んで、遣わしたのです
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月が変わって6月3日。
清正は秀吉の使いで、一の宮の吉備津彦神社に行った。
一の宮村は蛙が鼻から距離では4kmぐらいしかないが、備前の国です。
つまり、この村が備中と備前の境になっているのです。
吉備津彦神社

この村は一の宮という名が示すように、備前・備中・備後がまだ分かれず、一国で吉備といっていた
時代の一の宮であった。
それが吉備津彦神社です。
祭神は吉備津彦命。
日本書記の伝えによると、崇神天皇の時、大和朝廷は4人の皇子、皇孫を将軍として天下に分遣し、
これを四道将軍といい、吉備津彦命はその一人であるという。
秀吉は備中に攻め込むにあたって、2、3日この神社に本陣をおいて、神主さんらと大分懇意になっ
たが、その神主さんが、このほど怨敵調伏の祈祷をしたら、大神が納受あったしるしがあったから、
お聞きに達するといって、護符と大麻を届けてくれた。
人のこんな好意に対しては、秀吉は人一倍感謝し、人の何層倍も報いる人だった。
清正を答礼使に選んで、遣わしたのです
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