加藤清正 Ⅱ その187
『秀吉、美濃へ』
一方、秀吉も何とかして柴田の方から攻撃させたいため、誘いのすきを見せて、長浜から佐和山ま
で退いて様子を見ていた。
織田信孝が稲葉一鉄と氏家行広の領地を村々に火をかけたと聞くと、秀吉は即座に2万の兵を率い
て美濃に向かった。
4月17日の早暁であった。
大垣城(大垣城登城記は「こちら」です。)

さとい秀吉は、信孝のこの焼働きが、柴田のためにする牽制球であることを知っている。
手早く信孝を片付け、手早く引き返して柴田にあたるつもりなのです。
その日の夜中、大垣城に入り、稲葉と氏家に向かって
「汝らは、明日は早う岐阜に向かい、あの近くの村々に焼働きせい」
と命じた。
2人は領地の村々を焼かれて、腹を立てているところです。一義におよばず
「かしこまりました」
と答えて、直ちに出動、夜が白々と明ける頃には、岐阜付近の村々に火をかけて焼き立てた。
稲葉一鉄も、氏家行広も、小身者ながら戦さ上手で勇敢な武将として名高い人々です。
それが怒りを含んでの働きですから、信孝勢は恐れて岐阜城に逃げ籠って、いすくんだ。
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<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
一方、秀吉も何とかして柴田の方から攻撃させたいため、誘いのすきを見せて、長浜から佐和山ま
で退いて様子を見ていた。
織田信孝が稲葉一鉄と氏家行広の領地を村々に火をかけたと聞くと、秀吉は即座に2万の兵を率い
て美濃に向かった。
4月17日の早暁であった。
大垣城(大垣城登城記は「こちら」です。)

さとい秀吉は、信孝のこの焼働きが、柴田のためにする牽制球であることを知っている。
手早く信孝を片付け、手早く引き返して柴田にあたるつもりなのです。
その日の夜中、大垣城に入り、稲葉と氏家に向かって
「汝らは、明日は早う岐阜に向かい、あの近くの村々に焼働きせい」
と命じた。
2人は領地の村々を焼かれて、腹を立てているところです。一義におよばず
「かしこまりました」
と答えて、直ちに出動、夜が白々と明ける頃には、岐阜付近の村々に火をかけて焼き立てた。
稲葉一鉄も、氏家行広も、小身者ながら戦さ上手で勇敢な武将として名高い人々です。
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加藤清正 Ⅱ その186
『織田信孝の動き』
変化は岐阜にあらわれた。
去年、降伏に等しい和議を結んで、悔しい日を送っていた信孝は、柴田が北近江に出て来たと聞いて、
喜びひとかたではない。
織田信孝(1559-1583年)

やがて柴田が秀吉を撃破して、自分を天下人にしてくれるであろうと、心を躍らせたのだが、両軍対
峙してなかなか戦いになりそうにないので、もどかしがっていた。
すると、長島の滝川から使いが来て
「形勢に変化を与える必要があります。君が岐阜にあって旗色を立て給うなら、必定、羽柴はこちら
に向かわざるを得ません。羽柴がそうすれば、柴田殿はきっと出ます」
と説いた。
滝川は自分は長島に居すくんで動けないくせに、そそのかしたのです。
「それもそうじゃ、よし、そうする」
答えて、使いを帰しておいて、兵を出して、秀吉方の美濃士(さむらい)である稲葉一鉄や氏家行広
の領地の村々に放火させた。
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変化は岐阜にあらわれた。
去年、降伏に等しい和議を結んで、悔しい日を送っていた信孝は、柴田が北近江に出て来たと聞いて、
喜びひとかたではない。
織田信孝(1559-1583年)

やがて柴田が秀吉を撃破して、自分を天下人にしてくれるであろうと、心を躍らせたのだが、両軍対
峙してなかなか戦いになりそうにないので、もどかしがっていた。
すると、長島の滝川から使いが来て
「形勢に変化を与える必要があります。君が岐阜にあって旗色を立て給うなら、必定、羽柴はこちら
に向かわざるを得ません。羽柴がそうすれば、柴田殿はきっと出ます」
と説いた。
滝川は自分は長島に居すくんで動けないくせに、そそのかしたのです。
「それもそうじゃ、よし、そうする」
答えて、使いを帰しておいて、兵を出して、秀吉方の美濃士(さむらい)である稲葉一鉄や氏家行広
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加藤清正 Ⅱ その185
『戦場の視察』
秀吉は翌日、兵2万5千を率いて柳ケ瀬近くまで出動したが、敵は平地には一人もいない。
こちらの塁をはるかに離れた北方の山々に籠っている。
文室山からの眺望(眼下は余呉湖)

3月半ばといえば今の暦では4月半ばですが、北江州は寒いところで、山々にはまだ桜がある。
敵が構えている山々の東に沿って北国街道が走っている。
それを進み入って、時々鉄砲を打ちかけて挑戦したが、敵は相手にならない。
敵が自分を恐れていることは確実であった。
翌日は、敵が陣取っている山々がよく見える文室山に上がって、敵の様子を観察した。
地勢は敵から進んで来るにも不利、こちらから進むも不利、持久戦になりやすいといころだ。
こういう地勢で、その上、敵がこちらを恐れているとあっては、持久戦になるにきまっている。
とりあえず、それぞれの隊に砦を築かせ、弟の秀長・堀秀政以下10人の諸将に守らせ、また、丹羽
長秀に頼んで、湖北を警備してもらうことにする。
一切の配置がすむと、自分は長浜城に帰って、北方の戦線、岐阜、伊勢の各方面にくまなく目をくば
って、新しい変化を待った。
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秀吉は翌日、兵2万5千を率いて柳ケ瀬近くまで出動したが、敵は平地には一人もいない。
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文室山からの眺望(眼下は余呉湖)

3月半ばといえば今の暦では4月半ばですが、北江州は寒いところで、山々にはまだ桜がある。
敵が構えている山々の東に沿って北国街道が走っている。
それを進み入って、時々鉄砲を打ちかけて挑戦したが、敵は相手にならない。
敵が自分を恐れていることは確実であった。
翌日は、敵が陣取っている山々がよく見える文室山に上がって、敵の様子を観察した。
地勢は敵から進んで来るにも不利、こちらから進むも不利、持久戦になりやすいといころだ。
こういう地勢で、その上、敵がこちらを恐れているとあっては、持久戦になるにきまっている。
とりあえず、それぞれの隊に砦を築かせ、弟の秀長・堀秀政以下10人の諸将に守らせ、また、丹羽
長秀に頼んで、湖北を警備してもらうことにする。
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加藤清正 Ⅱ その184
『秀吉も江北に』
やがて、また注進があった。
「3月9日、ついに柴田の本隊が出て来て、柳ケ瀬の北方の中尾山に本陣をおいた。その勢2万余で
ある。越前勢はこちら側の諸塁の近くまで来て、鉄砲を打ちかけ、鬨をあげ、しきりに威嚇する。の
みならず、付近の村落を焼きはらって、気勢をあげている。ずっと南下して高月近くまで来て、放火、
狼藉した部隊さえある」
という。
秀吉

秀吉は
「塁を固く守ってよく防ぎ、わしが行くまで、決して出て戦うな。敵は誘い出して、野戦に持ち込も
うとしているのだ。その手に乗ってはならんぞ」
という口上を持たせて出してやり、織田信雄と蒲生氏郷に城攻めをまかせて、江州に向かった。
伊勢を引き上げた秀吉は、急ぎもせず、2日かかって佐和山に着き、翌日、長浜に着いた。
3月16日であった。
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「3月9日、ついに柴田の本隊が出て来て、柳ケ瀬の北方の中尾山に本陣をおいた。その勢2万余で
ある。越前勢はこちら側の諸塁の近くまで来て、鉄砲を打ちかけ、鬨をあげ、しきりに威嚇する。の
みならず、付近の村落を焼きはらって、気勢をあげている。ずっと南下して高月近くまで来て、放火、
狼藉した部隊さえある」
という。
秀吉

秀吉は
「塁を固く守ってよく防ぎ、わしが行くまで、決して出て戦うな。敵は誘い出して、野戦に持ち込も
うとしているのだ。その手に乗ってはならんぞ」
という口上を持たせて出してやり、織田信雄と蒲生氏郷に城攻めをまかせて、江州に向かった。
伊勢を引き上げた秀吉は、急ぎもせず、2日かかって佐和山に着き、翌日、長浜に着いた。
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加藤清正 Ⅱ その183
『柴田が北江北に進出』
亀山城が落ちると、国府城も開城したので、秀吉は峰城に攻撃にかかったが、その時、柴田勝家が
北江州に出て来たという急報が届いた。
北ノ庄城の柴田勝家公

「3月5日に柴田軍の先発隊が柳ケ瀬に現れたかと思うと、間もなく佐久間盛政に率いられた先鋒
隊が到着した。兵数は8千余。江北と越前との境目の山々は、まだ相当に雪が深いが、柴田は数百
の人夫を出して道々の雪を除雪させて、兵を出したのであるという」
聞いて、なるほど、と秀吉はうなずいた。
自らが去年、岐阜の三七信孝を攻め、今、また滝川を征伐していると聞いて、柴田め、いたたまれな
くなったのだな、と判断した。
それでも、そう急ぐことはない。柴田はおれを恐れている。ずいぶん確かめてからでなければ、兵を
進めはせん。
悠々とかまえて、峰城と関城とのまわりの柵を幾重にも結わせたり、逆茂木を引かせたりする工事を
進めた。
封鎖して城内と外部との連絡を絶つためであることは言うまでもありません。
自分は間もなく江北に行かなければんざらないが、一部の兵を残して攻撃は継続させたのです。
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北ノ庄城の柴田勝家公

「3月5日に柴田軍の先発隊が柳ケ瀬に現れたかと思うと、間もなく佐久間盛政に率いられた先鋒
隊が到着した。兵数は8千余。江北と越前との境目の山々は、まだ相当に雪が深いが、柴田は数百
の人夫を出して道々の雪を除雪させて、兵を出したのであるという」
聞いて、なるほど、と秀吉はうなずいた。
自らが去年、岐阜の三七信孝を攻め、今、また滝川を征伐していると聞いて、柴田め、いたたまれな
くなったのだな、と判断した。
それでも、そう急ぐことはない。柴田はおれを恐れている。ずいぶん確かめてからでなければ、兵を
進めはせん。
悠々とかまえて、峰城と関城とのまわりの柵を幾重にも結わせたり、逆茂木を引かせたりする工事を
進めた。
封鎖して城内と外部との連絡を絶つためであることは言うまでもありません。
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加藤清正 Ⅱ その182
『秀吉に報告』
敵も味方も知らず、なお激しい戦闘を続けていた。
清正は大音声に
「城主・佐治は降人となったぞ! 戦いはこれまでだぞ」
と呼ばわり、呼ばわり走り廻って、戦闘をやめさせた。
熊本城の清正公

清正は走りかえって、秀吉に戦闘が終わったこと、敵味方の損害の状況などを報告したが、
近江新七に槍をつけたことは語らなかった。
すでに木村に功を譲って、その功としたものを、たとえ事実にしても口にするのは、未練であり、男
の恥であると思っているのであった。
しかし、木村十三郎としては、清正のいさぎよい態度を、男として黙ってはいられない。
父の木村重滋に打ち明けた。
重滋はその夜、秀吉の本陣に来て、これを報告した。
「そうか。そうか。虎のやつ、何も言わぬ。見事なる根性じゃ。十三郎もあっぱれな男じゃ」
秀吉の喜びはひとかたでなく、十三郎と清正を呼び出し、感状と刀を与えた。清正には特に信国の名
刀を与えた。
自分の隠れた手柄が明らかになって賞されたのは、もちろん清正には嬉しかったが、さらに喜びであ
ったのは、お題目の功徳をはっきりと知ったことであった。
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清正は大音声に
「城主・佐治は降人となったぞ! 戦いはこれまでだぞ」
と呼ばわり、呼ばわり走り廻って、戦闘をやめさせた。
熊本城の清正公

清正は走りかえって、秀吉に戦闘が終わったこと、敵味方の損害の状況などを報告したが、
近江新七に槍をつけたことは語らなかった。
すでに木村に功を譲って、その功としたものを、たとえ事実にしても口にするのは、未練であり、男
の恥であると思っているのであった。
しかし、木村十三郎としては、清正のいさぎよい態度を、男として黙ってはいられない。
父の木村重滋に打ち明けた。
重滋はその夜、秀吉の本陣に来て、これを報告した。
「そうか。そうか。虎のやつ、何も言わぬ。見事なる根性じゃ。十三郎もあっぱれな男じゃ」
秀吉の喜びはひとかたでなく、十三郎と清正を呼び出し、感状と刀を与えた。清正には特に信国の名
刀を与えた。
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ったのは、お題目の功徳をはっきりと知ったことであった。
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加藤清正 Ⅱ その181
『亀山城の落城』
佐治新介の家来・近江新七という剛の者の名は、清正も聞いたことがある。
「あれが、近江か」
と、つぶやきながら見ているうちに、ふと、こういう時こそお題目だと思いついた。
いきなり、二間半の大槍を真向にふりかぶり、大音に題目を唱えながら走り出した。
「南無妙法漣華経! 南無妙法漣華経! 南無妙・・・」
あらんかぎりの声で、続けざまに絶叫しつつ走り寄る清正の周囲に、一斉に弾丸が飛んで来たが、当
たらない。
清正公の片鎌槍

やがて近づくや、槍を振り下ろし、筒先を並べて装填しようとしている鉄砲を、めった打ちにたたき
つけ、はらい落とすや、一声の題目とともに、新七めがけて突き出した。
新七も槍をとりなおして、突いてきたが、こちらは二間半という長さを持つ槍だ。
新七の槍がとどく前に、清正の槍は新七の左の肩先をしたたかに突いていた。
この以前、木村十三郎は
「南無三、出しぬかれたり!」
と叫びざま、駆け寄っていたが、槍をくり出して、近江の腹部を背中まで突き抜いた。
新七は倒れた。
こうなると、その部下らは急におじけついて来る。蜘蛛の子を散らすように、ぱっと逃げ散って行く。
木村はずごい目で清正をにらんだ。
何か言いたげだ。首争いするつもりと見えた。
清正は微笑して、いたって穏やかに
「槍をつけたのは拙者でござるが、突き倒されたのは、貴殿でござる。功名争いをいたす心は毛頭ご
ざらぬ。首は貴殿のものでござる。はや上げられよ」
と言い捨て、城内深く進んで、味方が苦戦しているところを助けながら見て廻った、そのうち佐治が
降伏した。
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いきなり、二間半の大槍を真向にふりかぶり、大音に題目を唱えながら走り出した。
「南無妙法漣華経! 南無妙法漣華経! 南無妙・・・」
あらんかぎりの声で、続けざまに絶叫しつつ走り寄る清正の周囲に、一斉に弾丸が飛んで来たが、当
たらない。
清正公の片鎌槍

やがて近づくや、槍を振り下ろし、筒先を並べて装填しようとしている鉄砲を、めった打ちにたたき
つけ、はらい落とすや、一声の題目とともに、新七めがけて突き出した。
新七も槍をとりなおして、突いてきたが、こちらは二間半という長さを持つ槍だ。
新七の槍がとどく前に、清正の槍は新七の左の肩先をしたたかに突いていた。
この以前、木村十三郎は
「南無三、出しぬかれたり!」
と叫びざま、駆け寄っていたが、槍をくり出して、近江の腹部を背中まで突き抜いた。
新七は倒れた。
こうなると、その部下らは急におじけついて来る。蜘蛛の子を散らすように、ぱっと逃げ散って行く。
木村はずごい目で清正をにらんだ。
何か言いたげだ。首争いするつもりと見えた。
清正は微笑して、いたって穏やかに
「槍をつけたのは拙者でござるが、突き倒されたのは、貴殿でござる。功名争いをいたす心は毛頭ご
ざらぬ。首は貴殿のものでござる。はや上げられよ」
と言い捨て、城内深く進んで、味方が苦戦しているところを助けながら見て廻った、そのうち佐治が
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