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加藤清正 Ⅱ その217

『律儀な清正』

秀吉は翌22日に越中府中に到着、そこの前田利家に会って、ともに北ノ庄に向かった。

清正は府中出発の時、追いついて復命し、残っていた銭210文を秀吉に差し出して

金沢城の利家公
ma.前田利家 002

「百姓らの日当が一貫140文、一人当たり30文、48人でございました。蓑笠の代が一貫350

文、蓑一つ・・・」

と、説明しかけると、秀吉は笑い出して

「汝は阿呆なほど律儀なやつじゃのう。あとは聞かないでもよいわ。その銭は汝が小者どもにやれ

い」

と言って、利家をふり返った。

「又左、おぬしもこの者は知っている筈であったな」

「存じている」

と、利家はうなずいてから、清正を見て笑いかけた。

「お虎であったな。見事に成人したのう。もうお虎と呼べぬ。本名は何という」

清正はかしこまって応えた。

「加藤虎之介清正でございます」

「ああ、よい名、いくつになったぞ」

「25になりました」

「25,よい年だ。よい年だ。さぞ今度の合戦では、よい手柄を立てたであろうな」

「柴田の侍大将・拝郷五左衛門の鉄砲頭・戸波隼人と申すものを討取りました」

「やあ、戸波の首を取ったか、あっぱれじゃ。戸波は聞こえた武士じゃぞ。よかったのう」

利家は喜んでくれた。



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robin 20230731




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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加藤清正 Ⅱ その216

『慈悲の心』

秀吉は自分の乗り換え馬を、清正に与えた。

「すませたならば、この馬で追いつけ」

何から何まで、行き届いた致し方であった。

賤ケ岳古戦場碑
sh.賤ケ岳古戦場

清正は家来10人を率いて、近くの村々を馳せ廻って、蓑笠を徴発し、百姓らを駆り出して、ゴロ

ゴロと転がっている死骸に、敵味方の差別なく、蓑や笠をかぶせた。

題目を唱えながら、自分もかぶせて歩いた。

清正らがこの作業をしている間、味方の諸軍は北国街道を続々と北上して行く、彼らはみな不思議

がって、何をしているのだと尋ねた。

「これは筑前守の申し付けでしていることでござる」

と言って説明すると、皆打たれたような顔をになり、うなずきながら行った。

『おれは情けある大将になろう。名将とは、知勇ばかりの人ではない。慈悲の心もある人でなければ

ならんのだ』

清正はかたく決心したという。



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robin 20230729




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>

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加藤清正 Ⅱ その215

『秀吉の心くばり』

この年のこの日、太陽暦では6月11日で」あった。

まだ盛夏ではないが、この日は恐ろしく暑かった。

賤ケ岳疲れた兵士像
sh.賤ケ岳戦士

この暑さの中に敵味方の死骸が散乱している。秀吉は馬に乗ろうとして、ふと止め、清正を呼んで

「死骸ども、このきびしい日に照り付けられて、あわれじゃ。武士の身は今日の人の身は明日は我

が身、近くの百姓どもの家から蓑や笠を差し出させ、着せかけさせるがよい、われは法華の信者だ、

仏心もひとしおであろう」

と言って、鞍にさげた袋から銭を取り出して、手渡した。

「これは百姓どもに与える日当と蓑笠の代じゃ」

「かしこまりました」

秀吉が真っ先に立って追跡にかかるのに、遅れるは武士として損である。

手柄を立てる機会を逸することになる。

しかし、清正の心には損得の念はさらになく、ひたすらなる感動があった。

『おれが殿様は古今稀な名将じゃ。取り逃がした敵の大将を追い詰めようと心あせっていなさる時、

敵味方の討死の者に、慈悲心を持ち、これほどの心くばりをなさるとは、古今かほどの大将は、2人

か3人のものであろう。これほどの名将が、どうして天下取りとなりなさることがあろう。殿様を恥

かしめぬようにせねばならぬ』

と、涙がこぼれるほどの気持ちであった。



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robin 20230728




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>

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加藤清正 Ⅱ その214

『毛受兄弟の横死』

毛受勝介は勝家と名乗って縦横に奪撃した。

300人もひとり一人が鬼のように強かった。

毛受兄弟の墓(滋賀県余呉町)
me.毛受兄弟の墓

しかし、多勢無勢だ。次第に討死して10人余人となった。

「今はもうこれまで」

と、兄弟はともに腹を切った。

ちょうど正午でであった。

秀吉が「柴田を討取った」という報告に接し、馬を速めて北尾崎に来たのは、午後1時頃であった。

しかし、示された首を一見して、偽首でありことを知った。

「柴田は討漏らしたぞ。これは柴田の首ではない。家来の一人が、主にかわって踏みとどまって討死

したのであろう。あっぱれ、忠義の者じゃ。丁重に葬ってやるがよい」

と言って、追跡にかかった。



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robin 20230727




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加藤清正 Ⅱ その213

『兄弟情愛』

「おお!」

覚えず、毛受勝介は言った。

この具足、冑は彼の兄・茂左衛門のものだったのです。

「兄者か!」

とさけぶと

「おお、おれよ」

茂左衛門であった。冑の眉さしを上げて、にこにこした顔をあらわに見せ、十文字槍を杖づきなが

ら、近づいて来る。

中央が毛受勝介
me.毛受勝介 02

「どうして、兄者は・・・」

つぶやくように言う勝介のそばまで来ると、どっこいしょと言いながら地面に腰をおろして、わら

いながら言う。

「おれは殿様と一緒に立ち退いたのじゃが、ふと、おれが弟はけなげなやうよ、殿様の身代わりに

なって討死しようとする。おれは逃げつつある。これでは兄づらは出来んわ、こりゃ一番とって返

し、弟と一緒に討死せざならんわ、と思いついたので、殿様に訳を話してお暇をもろうて、帰って

きたのよ。アハハ」

兄の情愛の厚さに、勝介は涙をこぼした。

兵らも泣いた。

茂左衛門は名うての勇士です。兵らが勇み立つことは一通りでなかった、討死する身ではあるが、出

来るだけ敵に損害を与えて死ぬ。

これが当時の勇者の心意気であった。



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robin 20230726




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加藤清正 Ⅱ その212

『勝家の退却』

毛受勝介の忠心と、部下の諸将らの熱心な勧めとは、さすがに勝家の心をゆり動かした。

毛受(めんじゅ)勝介(1558-1583年)
me.毛受勝介

「その方どもの忠誠のすすめ、無下にしがたい。おぬしからぬ命ながら、さらば落ちよう。いずれ

は北ノ庄に帰ったらば死ぬべき身だ。遅れたといっても、両3日にすぎぬ。三途の川も、死出の山

路も、主従一緒に越えようぞ」

笑って言って、勝介に自分の名乗と馬印を与え、将校8人と兵30人を連れて逃れ去った。

勝家が去ると、また兵が散ったが、勝介とともに死のうと覚悟して留まった兵がなお300人いた。

勝介はこの300人を率いて、狐塚から1kmほど追って北尾崎という陣をしいた。

かがやく馬印を陣頭におし立て、勝家の家紋結び雁を打った幕をはりめぐらした中に、机几をすえ

かけ、左右に300人の兵を控えさせた。

みな槍を膝におき、粛然たる姿であった。

暫くして、ふと後ろの方で馬蹄の音がするので、ふりかえると角さざえの冑をかぶった武者が、黒

い馬を陣所のすぐ後ろに乗り留め、馬を下りるところであった。



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robin 20230725-1




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加藤清正 Ⅱ その211

『心を動かさぬ勝家』

「その方どもは、羽柴筑前というやつを知らぬから、そげいなのんきなことを言う。あやつほど抜け

目のないやつは、昔もなかったが、これからもあるまいぞ。唐土にもあるまいぞ。どうして俺を逃が

すものか」

勝家公(1522-1583年)
sh.柴田勝家 02

「いやいや、今ならば北ノ庄までなら、まいられぬことはございません。せめては、ご本城にて華々

しく合戦された後、心静かにご自害ありたくございます。この寡勢にてみじめな戦さされてのご最後

は、あまりにもおいたわしくございます」

それでも、勝家は心を動かさなかった。

すると、背後にひかえた侍臣らの中から毛受勝介家照がつかつかと勝家の前にまわり、立ちはだかっ

たまま、はったと睨んで、声も荒々しくどなった。

「殿はそれほど、羽柴が恐ろしゅうござるか」

勝家は驚きながらも、にらみ返した。

「異なことをそちは言うの」

「異なことではござらぬ。羽柴が恐ろしゅうないなら、なぜ居すくんでおいでなのでござる」

と言うと、はらはらと涙をこぼして、ひざまずいた。

「殿のお名前とお馬じるしをお貸しいただきますなら、殿にかわって、拙者がここで討死いたします。

その間にはよほどにおひらきになることが出来ます。お願いでござる」

平伏した。



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robin 20230724




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Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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