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加藤清正 Ⅱ その332

『日本国内に領地はいらない』

清正はこの話を、秀吉の口から聞いたが、世間の噂でも聞いた。

その時は、おれが旦那は陽気で威勢のよい人ゆえ、わざと大言を吐いて酒宴に興をそそられたので

あろうと、思った。

しかし、今から思うと、あれは本気であられたかと、思うのであった。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

長政はいう。

「わしは、あの時のご大言は本気でないと思っていた」

「拙者もそう思っていました。単にご座興のつもりで・・・」

「先ず待て、わしの申すことをもう少し聞け」

と、制して

「織田右府公は偉いお人ではあったが、疑い深いこと無類のご性質であった。家来があまり偉くな

ると、ご自身にとって代わりはしないかと、ご心配になるようなところもあった。狂気としか思わ

れないようなむごいところもあるお人であった。殿下は聡い人だ。右府公のこのご性質を見抜いて、

右府公を安心させ申すため、日本国内には領地はいりませぬと、わざとあのような大言をなされた

のであると、わしはあの頃思っていた。しかし、今にして思うとご本心であったような、あるいは

あの時は策略のために申されたのであるが、人の心は微妙なものに出来ている、一旦口から出した

ことは、心のひだの間に潜んでいて、いつの間にか成長し、本心と変わってしまうのであろうか

・・・」

長政の言葉は絶えた。

火鉢の中を見つめ、火箸で火を積み直している。

何か続けて言いたげな風である。

清正はそれを待ちながら、今、長政が言ったことを思い返して、なるほど、そういう考えもあるのか

と思った。



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robin 20231130




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>
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加藤清正 Ⅱ その331

『秀吉の大口』

「右府様おれに、感状を賜わった。“武勇の名誉前代未聞”とおしたための感状だ。その上、名物の

茶の湯道具12種を手ずから下された。またその上だ、お手をもっておれが肩をお撫であそばれ、

“武士たるものは筑前にあやかりたいと思うべきであるぞ”と居並ぶ人々に仰せられるのだ。武士と

して、これほど誉があろうか。おれはありがとうて、ありがとうて、涙がこぼれてならなんだ」

と、秀吉は語って聞かせたが、その時もぽろぽろと涙をこぼしたのであった」

織田信長(1537-1582年)
od.織田信長

長政はまた言う。

「殿下が右府様にお目見えなされた時、高言なされたことを覚えているか」

清正は頷いたが、同時に思いあたるところがあって、ハッとした顔になった。

お目見えの儀式が済んで、酒宴になった時、秀吉は信長に言ったのだ。

「明年中には毛利を攻め潰して中国路を平定いたしますから、明々年は九州経略にかかります。

これも一両年のうちにこなしつけてしまいましょう。そしたら、朝鮮にかかりましょう。朝鮮が済ん

だら、大明に攻め入りましょう。大明は国が大きくても、武力はとんと弱いところで、八幡船の者ど

もが5、60人そこそこの人数で南京城のあたりまで攻めつけ、数十日に渡って国内を横行しました

のに、どうすることも出来なんだと聞いています。かような弱国故、両3年もかかりましたら、平定

しましょう。拙者はその大明で2、300万石も領地をいただき、昼寝と茶の湯で暮らさせていただき

とうございます」

秀吉の大言を聞いて、信長は

「こやつが、また大口をたたくわ、つら憎くもあるが、その意気込みでやれい」

と、身をゆすって大笑いしたというのです。



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robin 20231129




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>

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加藤清正 Ⅱ その330

『秀吉の暮れのあいさつ』

浅野長政は立ち上がって、部屋の外を見回してから、席に帰った。

しばらく火箸をとって手あぶりの火を積み直してから、ぼそぼそと語り始めた。

「今から思うと、殿下の大明征伐の思い立ちは、久しい以前のものであった。織田右府公がまだ生き

ておいでの時だ。殿下が鳥取城を攻め落とされた歳の暮れ、歳暮のご挨拶のため、安土に帰られるこ

とがあったの、そちも覚えていよう」

と、長政は語った。

安土城羽柴秀吉邸跡
az.安土城羽柴秀吉邸跡

清正は頷いた。

忘れもしない、それは天正9年12月20日のことであった。

秀吉は毎年、年の暮れには安土に帰って信長に歳暮の挨拶をする習わしがあったが、この年は10月

に鳥取城を攻め落とし山陰道の経略が大いにはかどった年であるので、別して勇み立って帰って、お

びただしい献上物をした。

献上の品物をのせた台が200余もあり、安土城の山の下から城門まで並べてもまだ余ったので、人

々はこれほどおびただしい献上物は、古今、聞きもおよばぬことであると、目をおどろかされた。

信長も天守閣の上から望見して、舌を巻いて驚き

「大気ものの筑前のすることを見よ。やつは志那・天竺を退治せよと命じたとて、いなむまじき気性

のやつである」

と言ったという世間の噂であったが、やがてお目通りしてからの信長の機嫌はこうであった、これは

秀吉自身の口から、清正は聞いた。



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robin 20231128




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>

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加藤清正 Ⅱ その329

『清正は血縁者』

壮大な秀吉の志のことを言う浅野長政の様子が、何か悲しげで、何かいまいましげであるのに気が

ついた。

奇妙なことだと思った。

浅野長政生誕の地(名古屋市)
as.浅野長政生誕の地

「主計(かずえ)」

と、長政は呼びかけた。

「はい」

「これからわしの申すことは、決して他言してくれぬよう約束してほしい。実際は誰にも申しては

ならんのだが、そちは殿下とは血が続いた仲であるし、殿下に対して誰よりも忠義な者ゆえ、やは

り申しておこうと思いたったのじゃから」

長政の声は極度に低い。

ささやくようであった。

言うことも、ものものしい。

胸が震えた。

「申しませぬ。金打いたしてもようござる」

「それにはおよばぬ。近うよってくれい」

清正はいざり寄った。



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robin 20231127




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加藤清正 Ⅱ その328

『明国征伐』

浅野長政の詰所に行くと、長政は茶を立てさせ、それを清正に供し、自分も喫してから言う。

「先刻の殿下のお言葉じゃが、殿下は途方もなく大きいことを考えておいでじゃ」

浅野長政(1547-1611年)
as.浅野長政

「殿下がことさら大仕事と仰せられるほどのことでありますから、よほどに大きいことであろうとは

察しますが、一体、なんでございましょう」

「異国ご征伐じゃ」

驚きながらも、尋ねた。

「異国ご成敗?どこの異国でございます」

「大明をご征伐遊ぼうとお考えなのだ」

「えッ!」

驚いた。

まことに途方もない壮大な計画というべきだ。

秀吉の大志は最も強い力をもって清正の胸を打った。

秀吉が爽快な気性の人であり、途方もなく壮大な気宇の人であることは、少年の頃から側近く仕えて

いる清正はよく知っている。

しかし、大明を征伐しようとは、壮大も壮大、ケタが外れている。

しばらくは口も聞けなかった。



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robin 20231126




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加藤清正 Ⅱ その327

『大仕事』

これまで日本の将軍が誰もやらなかった大仕事をすると、この時、秀吉が言ったのが、朝鮮を経由し

ての大明征伐のことであることは、歴史を知っている私たちは良く知っている。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉(高台寺蔵)

しかし、清正にはわからなかった。

「ははッ」

と平伏はしたが、問いかけるような目で見上げた。

秀吉は身をゆすって笑う。

「誰も考えたことのない大仕事だ。でかいことじゃぞ。でかいことじゃぞ」

そして、立ち上がって

「下がって、ゆっくり休憩せい」

と言って、奥に入った。

気になるので、脇にいる浅野長政をふり返ると、長政は頷いて、小声で、後でわしの詰所に来いと言

った。



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robin 20231125




<参考文献:海音寺潮五郎「加藤清正」>

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加藤清正 Ⅱ その326

『秀吉への報告』

秀吉はすぐ会ってくれた。

「一揆平定とのこと、一応は聞いているが、そちから詳しく聞くことを楽しみにしていた。さあ、

話せ」

と、初めから詳しく話させた。

豊臣秀吉(1537-1598年)
to.豊臣秀吉

人を誉めて人を勇み立たせるのは秀吉の特技です。

天草一揆の次第、平定の次第は、清正や小西の報告書やそれを持ってきた使者らの話しでよく知っ

ているのだが、清正の口から、また話させた。

清正は自慢話にならないように注意しながら、語った。

「あっぱれ、日本一の剛将とはそちのことだ。しかも、敵の気合を見ることの鋭さ、よう修行した

な。小せがれの時から、おれが手塩にかけたほどあって、よう飲み込んだ。誉めてとらせるぞ」

激賞して、腰に差していた脇差を抜き取り

「ほうびにこれを取らせる。左文字だ」

と言って、与えた。

涙がこぼれるほどに感激して、清正が拝受して席に下がると、秀吉はまた言う。

「わしは今、関東小田原の北条に降伏して、京に出仕するように命じているが、北条のやつ何やか

やと申して、来ようとせぬ。いずれは征伐ということになろう。それは多分、早くて来年の秋、遅

ければ再来年の春頃からとなろう。しかし、そちは肥後という難治な国の領主になったこと故、軍

役は許して遣わす。国の政治に努めるよう。やがてわしはこれまでの日本の将軍の誰もせなんだ大

仕事にとりかかる。そこで働く場を与えてやる。十分に力を養っておくように」



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robin 20231124




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piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



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20140816 郡上おどり 002-1
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